White whale (11)
組合のあるビルへの侵入に際して、筧率いる宅島たちは隣のブロックのビルを倒し、そこから入り込むという大胆な策でいくこととなった。
南古野のはずれ、郊外から徒歩で区域内を横断し。電波塔跡地の傍へ居を構える彼らの目と鼻の先で、宅島たちは準備を進めた。爆薬を用いた発破解体は、もとより地震大国だったため異様に堅牢な日邦産のビルには効きにくいが……それは『安全に解体するのが難しい』というだけのこと。実際、南古野では老朽化著しいビルを横倒しにして処理するなどという無法がたびたびおこなわれ、そのたび新市街では相応の震度を記録して不満の声が上がっていた。
まあ、要するに。
衝撃を一か所に集中させることで構造的に倒れやすい側をつくり、ビルを自重で傾けることは可能だった。
「ただ、このように派手なことをする意味は?」
出立前のブリーフィングに際して宅島が挙手をして問えば、筧は答えた。
「侵入でなく潜入であれば実行はより容易い。だがこれは示威行動であり、目撃してもらわねばならない。求生総研が南古野というひとつの共同体に対してこれだけのことをするのだと、理解してもらうためだ」
筧は迷わない。選ばせない。
「最終焉収斂機構の収容と第二次進化モデルへの道筋確保は、人類存続のため必要なものだ。よって我々は任務を遂行する」
「同時にそれは、南古野を存続するため、と考えてよろしいのですか」
「含んではいる。だが、管理体制に変化は起きるだろう。貧民街を取り合っていた三組織は大きく変化し、今後は新たな体制が必要となる。これまで求生総研は水道局へと私のような、外部からの仕込み人員を成して実効支配としていたが。より表立って求生が統括することとなる」
「なるほど」
であれば、新市街における人々の暮らしぶりはそうは変わらない。宅島からすれば部下や縁者の生活に大差がなければそれで構わないし、スラムに新たな体制がつくのなら住人にとっても悪い話ではないはずだ。
なにしろ、水泥棒のときの動きを見るだけでもわかる。あの場を統治する三組織は根っから腐っており、互いの利権の天秤を動かすことで相互に配下からの不満を打ち消しているだけの屑だ。
流入してくる民に適宜、職を差配するなどとは言っているが、実際におこなっているのは中間搾取に他ならない。まず生活基盤を与えることで社会参画のレイヤーを確立し、少しずつこれを動かすようにしている慈雨の会の方がいくらかマシだ。
けれどあれは宗教団体という、通常社会から半歩ずれた立ち位置だからなせる業。少なくとも元・日邦という、宗教が国粋に絡んでいるとは言い難い場では宗教が実権を握るのは難しい。
やはり、管理する者が必要なのだ。
「私はこちらのビルで監視と状況伝達を行う。諸君らはビルが倒壊後、速やかに内部へ侵入して組合の《七ツ道具》を始末しろ。調査結果によれば本日この時間は二番の《物干し竿》、四番の《識者》、六番の《妖狐槍》が七階フロアに居る。頭目の鱶見は先代頭目の十鱒を伴い沟を訪問、おそらく戦闘に陥っている。幹部すべてを相手にしているだろう」
「つまり《太刀斬り》と《隻鬼》のヤバい駒が出払ってん内に、各個撃破ってわけだぁな」
「現場指揮は拇指に任せる。私は外部状況および撤収タイミングのみ伝える」
まぜっかえしとも確認ともつかない轟の言葉をスルーして……まあ否定しないことによる肯定なのだろうが……筧は速やかに説明を終えた。
「健闘を祈る」
#
「《担い手》に通信。二番・六番を殺害、同時に薬指が殉職した。また末指の安臥小銃、Eレベルをマイナス2」
『了解。薬指殉職。末指のEレベルマイナス2』
「同時に薬指より取得。Eレベルをプラス2」
『了解。Eレベル基準値に修正』
手早く、無線機によって伝達する。ちなみに宅島の装備レベルのマイナスとは、銃身を刀で斬られたせいで撃てなくなったことだ。これでは発砲に危険が伴うため、肩掛けのストラップを外して銃を放り投げた。その後、彼は床に落ちていた薬指の安臥小銃に手を伸ばす。
伸ばした手の先で、薬指こと海藤鹿苑が背骨を折られて絶命していた。ポニーテールにした髪をだらんと階段にこぼれさせ、口の端に血泡を吹いて瞳孔が開ききっている。その横で階段の柵に二つ折りの布団のように乗っかっている二番。階段の上方踊り場では六番が死んでいる。
階層を上がる途中で襲撃してきた《七ツ道具》・二番こと無天蔵人。および六番の阿字野譲二。早くも目標三名のうち二名を片付けることができたが、こちらも一名を失った。
「薬指は置いてく。一名欠損につき隊列変更すんぞ。俺を先頭にDライン」
拇指、轟が指示したため示指・新庄、中指・照岡、最後に末指の宅島が従う。先頭を轟が務め、そこから斜め左後ろに示指、その隣に中指を配置。殿を宅島が務める。上から見ると菱形となるため、Diamondから取ってDラインという符号だった。
『目標、残り一名。屋上に存在を確認、至急向かえ。なお不測の事態で目標の被験体が出た場合はただちに捕縛』
「《担い手》、了解。マル被の場合は捕縛」
最終焉収斂機構を持つスミレという少女がいまこのビルに居ないことは確認済みだが、万一のこともある。
『マル被が居た場合も油断はするな。あれは何があろうと生き残る』
筧はブリーフィングでも口にした言葉を繰り返し、宅島たちは任務を再開する。
なお四階より下は指示あるまで降りるな、とのことである。別動隊がスミレおよび組合の情報を探っているらしい。周到な根回しだと思いながら、宅島は弾倉を交換した。薬指が発砲した分はこれで補充できる。
「末指。もう、行けんだよな?」
「構わない」
轟に確認され、うなずきを返す。にやっと笑った彼は踏み出し、五階、六階とクリアリングしていく。手際の良さは積んできた鍛錬と潜ってきた場数を思わせた。
あっという間に、最上階も制圧した。まだ能力も使用していない。手の内を晒すことなく、ここまで来れた。
「あとは屋上だけか」
銃弾を込め直しながら轟は青の光を宿した目でじっと見据え、進みだす。
低く構えた銃口で常に進路を示すように階段をのぼり、ドアを蹴り開けて一旦身を隠す。
コンパクトミラーを取り出して陰から探るが、屋上に人の姿はない。逃したか? だが倒壊させたビルは階段部分にぶち当ててちょうどビルの中間地点を断絶させた。エレベータも細工済みのため動かない。上下移動はできないはずだと宅島は考え込む。
そろり、と屋上に滑り出る。足元を確認する。罠などはなさそうだ。
「ってことは……なぁるほど。逃走したんかね」
轟が屋上を囲う柵に近づき、ぼやく。そこには結びつけられたワイヤーロープが風に揺れていて、おそらく三階の窓際まで届いていた。また、三階のほかの窓からは消火栓のホースをロープ替わりにした様子が見える。逃げられたか?
そこでざりり、と耳につけた無線機に筧からの連絡が入る。
『外から確認した。お前たちの到着寸前に屋上から四番と思しき人物が懸垂下降で降下している』
「気合い入ってんな……じゃあ追いかけるとするか」
『下階層には人員がいるためそれは後でいい。先に空から接近している奴らを相手しろ』
空、と言われて宅島も轟も、新庄も照岡も構えを変えた。
ストラップを外し、とっさに安臥小銃を投げ捨てる。
途端、
銃身が折れ曲がりマガジンごと捻じれ、弾薬が弾けた。短い撃音。あたりに数発、弾が飛び散る。幸いにもかすめたのはジャケットや防具の上で、全員被弾はしなかった。だがその間に腰に提げた警棒もひん曲がって合金の輪っかとなり、ナイフも見える位置のものは折られている。Eレベルは大幅にダウンし、武装はほぼ使えなくなってしまった。
「ちぃ……お出でなすったか」
轟が頭上を見た。
屋上に人影がふたつ、落ちている。
その影が降りてくる。
長く右の白袖をなびかせ低く着地する女と、柔らかく膝を使って拳闘の構えを取る男。
二人を見て轟は揶揄う言葉を打ち上げる。
「お早い御着きで。沟の歓迎会は早々に抜けてきたってわけだ」
隻眼、隻腕。行路流を窮めた女。空間を固定するプライアを持つ鱶見深々。
組合の切り札。拳豪とまで称された武人。武器を破壊するプライアを持つ十鱒。
二人が出払っているからこそ宅島たちは強襲を仕掛けたというのに、空中を闊歩して最短距離で戻ってきたのだ。いまやすぐそばで、数歩詰めれば拳の届く間合いで。こちらを睨みつけている。
「私たちの不在時を狙ってきたか? 水道局」
「物々しい装備だね。今度の約定違反はパイプライン全開放でも済まされないよ」
言の圧と一瞥がまさに、刃。殺意があまりにも研ぎ澄まされている。
得物の優位がなくなった場で、宅島たちはため息をつきたくなる。予定外の展開、というわけだ。
だが予想外ではない。
沟の連中を片付けてくる可能性は、ある程度考慮していた。
その可能性は高くないと、思っていたが。
「《竜生九子》と《人骨煉剣》、加えて龍頭・《蝮蛇》。よく奴らを倒してこれたな。もう少し手傷を負わされるか、そもそもここに来れないと踏んでいたがな」
宅島がぼやく。沟の幹部九名とNo.2である剣客・王辰、そしてボスである周永白。プライアホルダーもそれ以外も、非常に強力な使い手が揃っている。たった二人でアレを切り抜けたか、と彼は称賛半分に言う。
「お前ら、兵力を揃えていれば沟を倒せたんじゃないのか? 早めにそうしていれば組合はいまの立ち位置に居なかっただろうに」
「だから、嫌だった。それだけだよ、若造」
宅島よりいくらか年嵩と見える深々は吐き捨てるように返してきた。
『だから』――か。宅島は笑う。たしかにヘタに立場が上がればそれだけ恨みを買う。家制度の強い沟などとくにそうだろう。こいつらは潰そうと思えば沟の上位陣をも潰せる力を持っていたが、後のことを考えて実行してこなかった。
いくらそのとき優位に立てても、港湾労働層と流入層の仕切り、および華僑としてのつながりが根強い奴らを敵に回すこととなれば組合全体として被る不利益が大きくなる。そう考えての、直接敵対の回避。
しかしこうなってしまってはその努力もおしまいだ。苦い顔の深々は、採るべきでなかった手段を行使させられたことへの後悔が滲んでいる。
その態度がまた、宅島の笑いを誘った。
「なにを良識派ぶってんだかな」
轟も笑った。
「お前さんがたは、単にすべてを敵に回す覚悟もなにかを必ずや得んという度胸もなかった。現状維持を選んだ、そんだけだろ。中立になれんで中庸を選んだ……その愚の取り立てが来たことになにをいまさら嘆くよ?」
俺たちこそが取り立て人で、死神だ。
連戦によって疲労が溜まり、動きに精彩を欠いている二人を前にそう思った。体力の減少は感覚鋭敏化を成した機構運用者にはお見通しだ。いくら抑えていても構えに、心拍に、表情に、疲れが表れている。
ここでこの二人も削り取れれば、より最終焉収斂機構の確保が近づく。
『とはいえ油断は禁物だ。欠けてもあと一指までの損失で抑えろ』
「了解」
筧からの指示に応え、同時に四名全員が痛覚封印。倫理封印。忌避封印。機構の運用で肉体を戦闘に最適化する。銃撃という優位性を保った戦闘から肉弾戦に移った以上、これらの補助があった方がやりやすい。
普段は敵対者が使う技をこちらが扱うのはどうにも、忌避感が少しつきまとうゆえ。
「隔併機、起動」
轟がつぶやく。最初から全力だ。
腕の血管に青く微機奔流が走る。示指・新庄と中指・照岡も同様に血を輝かせる。
宅島も動いた。鱶見深々と十鱒も、呼応して襲い掛かってきた。
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九名のうち、三名を殺され三名を戦闘不能にされた。周が覚えているのはそこまでだ。
『……お前たち、生きているか』
『龍頭、喋らないでください。いま《三把刀》がセーフハウスへ退路を確保しています』
王は生きているらしい。周のすぐ傍らで声がした。
壁際で、伏していた身をゆっくりと起こす。おぼろげな視界が少しは定まってきた。顎とこめかみが割れるように痛み、肋骨と内臓のいくつかに割れたような痛みがある。あの小娘と十鱒に、ひどく殴られたようだ。
負けた、のだ。
怒りと、苦い感情に震えた。
戦闘に入ることはまったく想定していなかったわけではない。だからこそ《竜生九子》も揃えて近隣に配し、有事の際には組合の二名を囲めるようにしていた。戦闘結果としてはどちらかを生かして、「組合上層部に襲撃された」とでも触れ回れば組合を地に落とすことができるだろうと。そのように考えていた。
だが、この「どちらか生かす」という考えが甘かったのか。あるいは、深々と十鱒の実力を甘く見ていたのか。
《竜生九子》は武芸の達人を揃えている。というより、それが選ばれるための最低限のハードルだ。基準値は武器術から体術まで総合的に見てのものであり、いかに《太刀斬り》の能力で武器を破壊されようと達人としての腕前を振るうにはいささかの支障もない。
そのはずだった。
現実は、こうだった。『空間固定』と鉄球投擲(武器の判定に入らないため、これを用いていたのだ)を駆使する深々と、徒手で機構運用者をも上回る殴打を放つ十鱒。二人の立ち回りは互いの連携の高度さもあろうが、沟のトップである己らを凌駕していた。
邸内は血にまみれ、主な戦闘区域となった中庭は石畳が割れ柱は崩れ全体が損なわれている。二人は隙を衝いて離脱した。空気を固定して空を移動できる深々を一度間合いから逃せば、追うことは困難だった。
『くそ……慈雨のツテで我らが統治区外に逃れようとしていたことも、奴らは触れ回るであろうな』
そうなれば沟の築いてきた家制度がいかに強固とはいえ、配下からの反感は避け得ない。なにせ周たちは、子どもすら売りさばいて自分たち上層部だけで南古野というシマを抜けようとしていたのだ。裏切りと映るだろう。家制度と結束力、および制裁による恐怖をもって支配していた沟にとって、これは弱体化への一歩だった。
王辰がひざまずいて進言する。
『ですが龍頭。その前に情報を操作し、奴らの側を貶め発言に真実味を持たせなければ……』
『そううまくはいかねぇんだよね、世の中』
そして膝から崩れ落ちる。
びゅ、と胸から血があふれている。
王辰に風穴が空いていた。拳がするりと通り抜けられそうなほどの大穴だった。
その、穴越しの向こうに。
げらげら笑いながら開いた掌をひらひらさせている、安東湧が立っている。
『っははは! そろそろ潰し合ってくれんじゃねぇかな~、って期待してたんだけどさ。想像以上で最高だよ。漁夫の利って、最高』
笹倉組の幹部である《四天王》のひとりがそこに居た。加えてその背後には片側だけ散切りになった奇妙な髪形の、異様に瘦身の男。薄緑のレンズの眼鏡を右手と一体化した長脇差の切っ先でクイと直し――その刀は、すでに血風のなかに在った。
南刀然。《四天王》のもうひとり。
『《三把刀》はいないのか? 私は、奴らとやり合いたかったが』
見回せば、三つの首が転がっている。
生き残っていた負傷者の三名を刻んだのだ。仕事が終わったとでも言いたげに、つまらなそうに煙草をくわえ始めている。
『お前……お前たち、どういうつもりで……』
『ここであんたらにも組合にも失脚してもらえば、ウチが自然と南古野を独占できるだろ? ヤったのは組合ってことにしときゃ、沟の残党からの報復も俺らにゃ向かない。ずっと狙ってたんだよ、こういうときを』
二派閥を、出し抜くことを。沟のやり方とはちがうかたちで、こいつらは企図していた。
唖然とする周に、安東の右手がかざされる。こいつの能力はたしか掌からの力場で相手を突き放す斥力。しかし王の胸を貫いたところを見るに、本質はもっと凶暴な念動力だ。
なにもしなければやられる。覚悟して、周は立ち上がった。
呼吸を留めず、周は足まで一気に力を満たした。すぐさま駆けだす。身を震わせるような走りだ。
『地の気を得る』と彼の流派で呼ぶ歩法だった。緩めた箇所に加重して、筋を張った場所で力を受ける。加えて、彼のプライアは動きを捻じ曲げる効力がある。
【増節】。関節駆動部を増やすプライア。これにより彼は股関節も膝も足首も自在に数を増減でき、結果として体重移動は人間に一切予測できないものとなる。
岩場の斜面を転がる石のように、予測させない脚運び。跳ね回る肉弾。安東の掌の正面を避ける。
周の動きを完全に見失った安東の斜め右側に滑り込み。
絶妙のタイミングで顔面めがけて弧を描く突き上げ――横拳が、深く突き刺さろうとした。
が。
「関係ねぇよ老爺」
先に己の身体に突き刺さる。なにが? 斥力場だ。
右肩を貫通している。掌を向けた正面にしか発しないのでは? なぜ斜めに居る己に当たる。
「じつは力場の形状は自在でな。あばよ」
つづけざま左手が向けられる。五指の先が、周の身体を示した。
体の五か所に細く風穴が空き、激痛を発する手足から血が、貫かれた眼窩からは脳漿がこぼれだすのを感じ、その『感』への思考が最期の思考となった。
広げられた安東の五指から、伸びている、力場。
斥力。突き放す力。全方位へ。
皮膚を全方位へ。
伸長し。
皮下へ潜り込み。
力場に触れた肉は。また突き放され、繰り返し……貫通したのだ。
「さあて。宅島の一族にでもナシつけて、乗り出そうぜ。南古野占領」
倒れた周を前に、安東は楽しそうにそう語った。




