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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter7:

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Winding wheel (12)


 夜市イェシィが開かれるまで眠りについている京白ジンバイ市場は、昼の現在まだぽつぽつと準備をはじめる者がいる程度で夜間のにぎわいにはほど遠い。

 その脇に立つビルディングは、夜がもたらす喧騒と狂気のためにひどくみすぼらしく、落書きや損壊を一身に受け止めている。夜通し活性化している街からのささやかな贈り物というわけだ。


「ひの、ふの、みの……ここか」


 そこから、通りをひとつずつ数えていった。スミレが理逸の横で見据えるここが、サードアベニュー40番地。

 かつては企業による大規模な社屋だったのだろう、見上げるような建物と建物のあいだで、生活空間としてひっそりとしかし無理やりに詰め込まれた集合住宅だ。


 密集する生活ビルはどれも三階建てか四階建ての高さで、どこか一か所にでも火がつけば皆火だるまになることが想像に容易いほど間隔が狭い。影の落ちるビルとビルのあいだは人がすれちがえるかどうかの道幅で、しかもジグザグに建ち並ぶため見通しも悪い。内部を知る者以外が踏み込むと追い剥ぎなり誘拐なりに遭うことも想像される地帯だ。

 後ろ手にスミレへ待機の指示をして、理逸が歩いていく。

 督促状やゴミの詰め込まれた集合ポストのある壁面の横を、通り過ぎるかのように一歩足を差し込む。


 即座に足を戻す。


 途端、眼前で鉄パイプが空を切った。ポスト壁面の陰に隠れている襲撃者が居たのだ。

 相手が得物を振り戻す前に理逸は蹴りを叩き込み、地面に振り下ろされた鉄パイプを弾き飛ばす。握っていた両手ごと持っていかれたのか、理逸よりいくらか年嵩の男がつんのめって現れた。

 痩せた凶悪な面相で理逸を睨み、一秒のあいだ襲いつづけるか判断する間があった。

 だが理逸の態度と顔つきに荒事の経験豊富さを感じ取ったか、すぐにへつらう笑みに変わった。理逸の周囲を見つつ、つぶやく。


「……悪い悪い。ここは知らない顔の奴が来たら、こうしてもてなすルールでね」

「多胡於久斗ってここに住んでるだろ。奴の家に用がある。案内しろよ」


 細かい会話で取り入る隙などないと示すべく、言い分を無視して要求を告げる。男には不愉快そうな色がよぎったが、間髪入れずに理逸は右拳を握った。

 蹴り転がされて男の背後に落ちていた鉄パイプが、『引き寄せ』の能力ですっ飛んでくる。膝裏をガッと叩かれて体が落ちた男の喉笛に左手の指をかけ、静かにもう一度言う。


「案内しろ」

「ぅぇへぇ……こ、こちらに」


 怯えで塗りつぶされた男から手を離して突き飛ばし、膝から崩れた男が奥に行くのを見やる。

 後ろに控えていたスミレの方に目配せし、進むことを伝える。念のためか内腿に隠した亜式拳銃サタスペのホルスターに手を伸ばしていた彼女は、するりと衣服の裾を下ろして近づいてきた。二人、また並んで歩く。


「手早ぃ済ませ方でしたね」

強盗タタキに遭うのは予期できる場所だったからな。構えとけば、かわして当てにいける」

「動作として一語に詰めるとそのょうに圧縮されるのでしょぅが、その『構ぇ』に至らしめるのは数秒前の察知や決意ではなく年単位の経験則なのでしょぅね」

「……つまり?」

「言ぅは易し、とぃうことです」

「ああ。なるほど。なに、一年くらい血反吐の味が枯れない生活送ればだれでも易くなるよ」

「……安くなぃ支払ぃをしたものです」

「そうだな。でも機構デバイス買うよりはよほど安い」


 銭湯での加賀田とのやりとりを思い返しながら言う。二秒で達人になれる――というのはさすがに言い過ぎにしても、機構を手にすれば理逸が血と汗で身に刻んだ技など易々と超えていくのは事実だ。感覚模倣ラーニングすれば行路流の技も盗めるし、神経の反応を加速させれば格闘でどうとでも翻弄できる。

 だが理逸にそんなものを入手する金はないし、刻んだ技術は盗まれても奪われることはない。長年かけた習得は、格闘以外の使い道も体にしみこませた。


「だから悪い買い物じゃなかったよ。俺はそう思う」

「そぅですか」


 男のあとを追いながら、二人はそんな話をした。

 突き当りで曲がり、目の前に三階建てのアパートメントが現れる。どうやらここの一階に住んでいるらしい。男が親指で背後の部屋を指さし、こちらを見た。


「ありがとう。じゃ、もう行っていい」

「へぇ……」

「あと、気づいてないようだが俺は《七ツ道具》・三番だ」


 双つレンズの古びたゴーグルをポケットから出しつつ言えば、度肝を抜かれた顔でぺこぺこと頭を下げていった。

 と、ドアをノックしようと近づく理逸の背に、スミレの粘っこい視線が張り付く。


「……まるでャクザの地回りのょうですね」

「そういう語句ももう覚えてんだな……まあ否定はしねぇよ。ここも組合が管理してる範囲じゃあるんだが、どうしても組織末端までは上の者の顔は知られてないしその存在の気配も感じてもらえない」

「治安をぁる程度維持するには、ときに先ほどのょうな示威活動が必要だと」

「そういうことだ」


 此処を知っており、人を知っており、タガを嵌めにくるが同時に見放してもいない。

 そういう実感が得られていないと得てして人は属している感覚が薄れ、裏切りや謀反につながる。

 血と民族が紐帯となって互助を機能させる沟や、罰則の強さとそれに比例した暴を奮う許可で纏める笹倉組のような『属する旨味』が組合の場合あまり明確でない。だからこの組織にはこまめに問題を解決する仲裁人の理逸や、組織に属す契約を締結させる朝嶺亜、といった人材が必要なのだ。

 そんなことを考えつつノックし、数秒。奥からパタパタと近づいてきて、ドアスコープを覗いている気配がある。それから、チェーン付きのままドアが開く。


「はぁい……仲裁人?」


 毛先のまとまらないセミロングの黒髪、まなじりの下がった双眸。左だけがわずかに緑がかった瞳孔で、きらびやかとは言えない素朴な顔立ちのなかこの瞳と、突き出た犬歯だけが特徴的である。

 多胡薊。

 於久斗の妹、組合傘下の娼館たるクラブ・キャンベルで働く女だ。雰囲気の雑さも口調の軽さも、理逸と歳は大差ないことをうかがわせる。


「円藤です。うちのスミレから聞いた、仕事のことで来ました」

「あーりがと。敬語もいいよ、むしろ私助けてもらった身だかんね……入って」

「わかった。上がろう、スミレ」


 一応は三番としてでなく個人の仕事で受注したためその態度で臨んだが、フランクな対応を望まれるならそうするまでだった。

 中は玄関からそのまま入る居間、奥にふすまで仕切られた部屋がある様子だった。風呂はなくトイレは共用、一般的な住宅と見える。

 テーブルにスツール二つしかないらしく、薊は理逸たちに席を勧めると自分はお茶を淹れ始めた。素直にしたがって、腰を下ろす。


「ちょうどさっきお湯沸かしたとこなんだよね。このへん供給されてんの、ちょっと沸かさないとよくない水らしいから。で、依頼のハナシだっけ? そっちのスミレに頼んどいたんだけど、またイチから説明って必要?」

「こっちの確認に答えてくれればいいよ。ところで、於久斗はいないのか?」


 兄の名を話題に出すと、薊はとくに逡巡もなく「仕事行ってんよ。その、例の護送ってやつ」と口にした。

 縁に欠けのあるカップのまともな方をこちらへ向けて差し出されたので、「あとでもらう」と言って話をつづける。

 この、カップが出てくるまでの薊が背を向けている隙に、理逸は室内を見渡していた。

 慈雨の会で信者に購入させている祭壇の類はない。ラフなシャツ姿の薊の首元にもアクリルロケット、チャームの類はなかった。

 だが逆に言うと、他の宗教色の一切も存在しなかった。三大宗教は滅びたわけではなく、暮らしていれば彼らと接する機会も多い。とくに貧しければなおのことだ。住む地域によって付き合う人間は絞り込まれ、かかわりを持たずに生きることはできない。隣人からやんわりと、しかし拒否は許さない態度で押し付けられる各種宗教的な勧誘物品を仕方なく家に置いていた時期が、理逸にもある。

 それが一切ないということは、意図的に排除している可能性が高い。


「……じゃあ依頼内容の確認だ。内容は於久斗が護送しているものが危険でないか調べること。なにか裏があるようなら逐次報告すること。当人への接触はなるべく抑え、あんたの依頼だってわからないようにすること。万が一即座に危険なことがあれば連れ帰ること……これは発生したら別料金な」

「ん。それでだいじょぶ」


 この条件は、於久斗の側からの依頼でも同様に設定されていた。やはり兄妹なのか、と理逸はなんとなく思う。


「そもそも、どうやって気づいたんだ。於久斗が頻繁に慈雨の会から護送受けてること」

「キャンベルの同僚がね。信者だからいつも慈雨の会の本拠地に、出入りしてるんだよね。そこでお兄……兄が毎週のように現れてんの見たって」

「物を運んでる様子で?」

「うん。結構大きめの麻袋、台車載せて裏口からって。でも兄はその日、運送屋の方でシフト入ってないから。おかしんだよね」


 自分が見たのを『同僚が』と言い換えている可能性はあったが、このあたりは調べればすぐわかることだ。あえて遮ることもせず、つづけさせる。


「んで、個人業務はとくに咎めてないって運送屋がゆーから。兄に直接仕事増やした? って訊いてもはぐらかされっし。同僚いわく隠れ入信かもって。そうなるともう調べてもらうしかないなって……前金バンスの払いはなくなったけど、兄また私のために無理するかもしんないからさぁ」


 物言いこそ冗談めかしていたが、二人支え合っていることを意識させる物言いだった。

 動機や理由が判然としないが、そこだけは嘘がない。理逸は二人についてそう判じて、だから提案をここで挟む。


「慈雨の会が於久斗を入信させてなんらかの運び屋をさせてるようなら、脱会できるように俺も手助けしてやれなくもない。そこはどうする?」


 この問いには、若干目が泳いだ。足抜けさせることには、なんらかの後ろめたさがあるのだろうか。深いところまでは理逸では読み取れない。


「……だいじょぶ。まずは、私が自分で説得する。それでもダメそうなときは頼んでもいんだよね?」

「そんくらいはサービスでやるよ」

「あんがと。ホントは頼まずに済むのがいんだけどさ、抜けることなったら兄も居場所なくすわけだし。そんときは話とか、聞いてほしい」

「同じプライアホルダーだしな、引き受けるよ。……ところで、あんた自身は慈雨に対して悪い感情はあるのか?」

「まぁー、いや。そういうんは、ねぇ……うん」


 はぐらかす言葉が、『自分こそが信仰を深めている教義を、否定できない』という点から来るのか、於久斗が信仰するものを取り上げることへの罪悪感なのかは判別つかない。

 二人がこの場に揃っていれば、双方の真意と思いを聞き出してそれで済んだのだが。いないのでは仕方がない。


「アザミさんは慈雨に勧誘はされてぃなぃのですか」


 探るための言葉として、スミレがそう口にする。身内を取り込むことで、抜けづらくまた拘束力の強い組織になるようシステムをつくるのは自明のことだ。

 けれど薊は首を横に振る。


「されてない。私もお兄ちゃんも慈雨にはむかしよく炊き出しで世話になったけど、それだけ」

「そぅですか」


 この確認だけで、スミレは口を開かなくなった。

 どちらかが嘘をついているのか。あるいは両方が嘘をついているのか。


 薊からその後もいくつか質問をして彼女の慈雨の会に対する印象や周辺環境を聞き出して、二人はサードアベニューを辞することととなった。



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