Winding wheel (8)
「妹さんの、なにを調べるんだ」
当人に隠れて調査してほしい、という妙な申し出に理逸は問いを返していた。
於久斗はわずかに迷ったようだが、「金銭問題だ」とつづけた。
「なにに使用しているかは、わからん。だがあるはずの金銭が、かなり目減りしていた。稼ぎは共有で金庫に入れているのだが」
「盗まれたって線はないのか?」
「それだと、共防金庫が破られたことになる」
三組織で互い見張る南古野最高の防護を誇る銀行だ。ここが破られたとしたら、たしかにもうなにも信用できるものはない。
理逸は納得し、同時に腕組みすることになった。
「使い道のアテは? あまり考えたくない想定だろうが、たとえば男、薬、賭博」
「商売でない男付き合いは、長続きはしないがこれまでもあった。そうした場合は空気でわかるがいまは居ないな。薬もないだろう、尾道が……細く長く搾るためだろうが、薬を許さなかった。そして賭博は俺もあいつも嫌いだ」
「じゃあ職場と家の中間で遊興施設の類、あるいは知人はいるか」
「なぜ中間だ?」
「同僚や身内に見られないような場所でないと羽目は外さねえよ。そういうところに、金を使って得たものとかを隠しておいて職場への行き帰りで立ち寄る」
「なるほど。だが……ないな。思い当たる節が。いや、ひとつは……うむ」
言葉を切って視線を落とす。
いかにもいま思い出したという風だったが、おそらく心中で最初から想定していたものこそアタリである可能性が、理逸の言葉によってじわじわと現実味を帯びてきたのだろう。
理逸はその、於久斗の想定に向かってにじり寄る。
「職場と家、どこだ」
「……東区のクラブ・キャンベル。家は中央外区の、京白市場に臨むサードアベニュー40番地」
夜通し明るくうるさく治安も悪いために、安い賃料のアパートメントが軒を連ねる場所だ。ちなみに理逸の家もほぼ同じ額だが、それは老朽化がひどいことと欣怡のように他派閥の人間が住まうため生半可な立場の人間では対応に苦慮することに起因する。
ともあれ、そこから想定する中間位置だと若い女が立ち寄って遊べる場はあまり思いつかない。
「そんなら遊んでるわけじゃぁ、なさそうか」
理逸の言葉に於久斗は一度目を上げ、また下げた。
遠まわしなイエスだろう。これを踏まえて、もう一歩踏み込む。
「じゃあその上で、思い当たる場所は?」
「……遊んでいるわけでない、と考えるならば、ひとつ」
「遊びじゃない。なら副業か」
「副業で金が減るならお笑い種だろう。金は、納めているのだ」
その物言いで、おおよそ確信した。
払うでなく納めるという言葉。
「薊はどうも、慈雨の会へ入れ込んでいるように見える」
この南古野で三組織以外へ『納める』との言葉が適用されるとしたらそれは宗教に他ならない。
雨と能力を信仰する、災害後から蔓延る宗教。慈雨の会。たびたび理逸も関わりを持っている団体だ。
「あんたら、前から関わりがあったわけか?」
「炊き出しの世話になったり、軽作業を手伝ったりといったことはあった。昔は俺の仕事の間に幼い薊を預かってもらうこともあり、十年ほど前から繋がりがある」
定番の流れだ、と理解する。
南古野に住む人間の、所属先が少ない時期に、滑り込むように慈雨の会は関わってくるものだ。
それはたしかに助けの手であるが、同時に勧誘のための活動でもある。理逸の周囲の人間たちが取り込まれたのも、そうした活動による結果だった。
「なら金の用途は、お布施だな」
「……やはりそう思うか?」
困惑したように於久斗は言う。古くから慈雨の会と付き合いがあったのなら、いまごろになって急に金銭の付き合いが出来てきたのが妙に思えるのだろう。
だが。
「突然お布施につぎ込まされるのは、べつにめずらしい話じゃないよ。妹さんはこれまで尾道に搾り取られてたが、奴が消えた。となればその搾り取る座へと慈雨の連中が代わりにおさまろうと考えるのは、なにも不思議じゃない」
理逸は彼の困惑に、そう突き付けた。
たしかに慈雨の会は組合と協力関係を築くこともあるし、ジロクマなど所属する人間も温厚で人当たりがいい。社会的には害の少ない団体だ。
けれどそれは組織として清廉潔白であることとイコールではなく、運営資金が手に入るのならしっかりとがめつく確保する。
そうして、『組織でありつづけることが出来る』。
それは集金と還元のメソッドが成熟していることと、それが周辺組織に邪魔されない程度に勢力として充実しており無視できない規模を維持していることを示す。
このメソッドに沿って集金されているのなら、と理逸は仮定してつづける。
「だとしたら妹さんは物品購入による寄付、とかを迫られてるのかもな」
「とくになにか家に品が増えている様子はなかったが」
「あそこが売ってるのは雨水を詰めたアクリルロケットと祭壇用品だ。ロケットはともかく祭壇はかさばるしな……」
「……それこそ、先ほど述べたように職場と家の中間のどこかへ隠しているということか?」
「俺はそう思う」
だんだんに自分のなかで慈雨の会に洗脳されているとの想像が固まってきたのか、於久斗の顔は曇っていった。身内が自分の意思を、自分自身でも知らないうちに曲げられてしまっていると考えたらいい気はしないだろう。
「ただ於久斗、まだ確定じゃないからな。可能性として考えておけってのと、その筋をまず当たるってだけの話だ」
十中八九慈雨の会の仕業と思いながらも、冷静さを取り戻してもらうために理逸はこうつづけた。不信感が強い憎しみなどに変わり、仕事を請けている最中に於久斗が暴走するようなことがあってはたまらないからだ。
「ああ。そこは、理解している」
「ならいいんだけど。ちなみに、金を取り返すってのは難しいからそこは覚悟しといてくれ」
「そこも、理解している。仕方がないとな。ただ……確証を得たい、それだけだ」
「確証か」
「慈雨には俺としても世話になった。事を荒立てたくはない。距離を取れれば、それで、いい」
少なくない額を取られていそうな顔だが──庇い立てするのだな、と理逸は思う。だがこれもまためずらしい話ではない。
行き場のない人間のなかでも「暴力に傾いておらず」「忠華のルーツを持たず」……要するに笹倉組や沟への参加ができなかった者にとって、慈雨の会はたしかに受け皿なのだ。
その恩義は、心の深いところにひっかかりつづけるように機能する。
(宗教ってのは、特殊な組織だしな。下手に敵対して信者からの覚えが悪くなると暮らしにくくなるデメリットもある。信者って括りだけなら、わりとどこにでも居やがるからな……)
慈雨の会の特徴として、三派閥のどこでもないがゆえの、入会の気楽さと所属継続率の高さが挙げられる。
つまり属しやすく、一度属せばかなりの割合が生涯その色を帯びる。抜けるメリットや制約がとくにないからだ。いま現在積極的に活動していないとしても信仰心を捨てたわけでないということも多く、十年来の知人が「じつはずっと会員だ」と明かすことだってザラにある。
その特徴を以てして薄く広い人脈と情報網を備え、伴って金銭や物品移動の手管もある。こういう、動線としての機能を持つ組織は敵に回すとなにかと生活に不便を招くものだ。
けれど表向きにやっていることは慈善事業とその対価のさりげない要求だけ。だから恨みを買いにくいし、いまの於久斗のように不信感を抱いても強く出にくい。
このあたりの利益不利益のバランスを振りまいて巧みに経営活動を継続できる手腕が、慈雨の会の頭目にはある。於久斗のなんとも濁った反応を見ながら、理逸はそう考えていた。
於久斗はつづけて、自分の目的と依頼についてを語る。
「慈雨の会に薊が入れ込んでいる、布施をつぎ込んでいる……と確証が持てたなら、あとは薊と話すだけだ。仲裁の依頼といっても、慈雨の会と俺たちのあいだに入ってくれというわけではない。もちろん慈雨が関係しなければ俺と薊の間ですべて対話にて収める。そういうことで、頼めないか? 三番よ」
「……まあ、そういうことなら」
ひとまず、理逸は引き受けることにした。
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「そんで、どうも妙なことになったな」
理逸は帰路につき、スミレもまた薊から依頼を受けたと聞いて首をかしげることとなった。
於久斗も、薊も。両者とも相手に伏せて互いを調査するように願い出ており、また両者ともが慈雨の会についてなにか疑う態度を見せている。
千変艸製である甘酸っぱい模果汁を小瓶からちびちび飲み、夕焼けのなかをぶらぶら歩く道すがらスミレはぼやく。
「オクトさんは慈雨の会に対し、アザミさんから金銭を巻きぁげてぃるとの疑惑を。アザミさんは慈雨の会に、オクトさんへの護送依頼が多すぎるとの疑ぃを持ってぃます」
「どっちも慈雨の会に対して疑念がある態度で、でもどっちも相手の言い分だと、慈雨の会に手を貸してる……? こんなことありうるのか」
「オクトさんにつぃては慈雨に世話になったとの言葉が『自身の、護送仕事を請けてぃる事実』に掛かってぉり、それはそれとしてアザミさんを宗教から解放させたぃとぃう考えがぁるのなら、なんら矛盾しなぃと思ぃます。
アザミさんも彼女の信仰心が、兄の不穏な仕事をさぇ『信じる教義のためになるならょろこんで』と思ぇるまでには強くなかった……と考ぇれば、ゃはり矛盾はしません」
兄妹での食い違いについての理逸のぼやきを、スミレが具体的な例示でときほぐした。しかし、矛盾しないというのが完全な答えになるのとイコールだとは、理逸には思えない。
「言葉の上じゃそうなるが、於久斗の不器用にまっすぐそうな性格を考えるとそんな複雑な内心があったら伝えてきてる気がする。妹の薊の方にしたって、教えにキッチリ染まってるなら『兄のことは心配だ。しかし勘違いしないでください、慈雨の教えはすばらしいのですよ』くらいは言うんじゃねぇか」
「そぅですね。印象操作話法の基本は、後半情報を優位に持ちぁげて論調を強めてぃくのがセォリーですし」
「じゃあどっちかがウソついてるってか?」
「短絡的な結論の導き方しか出来なぃのは後先を考ぇる習慣をつけてこなかった弊害でしょぅね、同情します」
「考え足らずで悪かったな。で、答えは?」
「『どちらかがウソついてる』だけでなく。『ぁるぃは両方が』の可能性もぁります」
「……どっちもウソってことは、お前。また偽装依頼だって言いたいのか?」
「可能性は否定できません。ぃずれにせょ判断材料が乏しぃですし、二人揃ぇて話を聞けば済むことですからこれ以上考えるのは無駄と思ぃますけど」
「まぁそれはそうなんだが……でも勘弁してほしいな。前に尾道の件で偽装依頼に巻き込まれた奴らから、今度は騙されそうになってるとしたら。人間不信になるぞ俺」
「そのほぅが生きゃすいと思ぃますが?」
「ならお前は、すでに人間不信なのか?」
疑問形に質問で返すと、スミレはひるむことも惑うこともなくさらりと返してくる。
「目的のため利用できるかどぅか、でしか相手を見てぃないことを『信じる信じなぃの枠組みを持たなぃ』つまり人を信じてぃないと解釈するのなら、そぅです」
「……うーん。その説明をしてくれる時点で、少なくとも俺に対しては利用する・しないの枠組みを伝えてることになるよな」
「だったらどぅだと言ぅのです」
「利用するしないでしか考えてない、と言えば普通は相手からの自分への不信感が強まるだろ。それを踏まえてなお誠実に伝えて、自分の損するリスクを腹に抱えて相手と接するなら──それは信用してるってもんなんじゃないのか」
「ふぅん……めずらしく頭を使ぃましたね。ここでゎたしが否定しても、『それもまた誠実に伝ぇている』とぁなたが捉ぇればゎたしがリスクを負ってぃることになります。どぅ答えてもぁなたの直観のみに従ってゎたしの内心が左右されるょうに、上手く論を押し込みましたね」
「……?」
「買い被りだったょうですね」
「うん、いま上げて落とされたのはわかったぞ。それで、お前はなんで俺に利用するしないについては伝えてくれるんだ」
率直に気になったその点を端的に問えば、スミレはため息をつきながら小瓶を飲み干し、言う。
「どぅせなにを言ってもぁなたは大して変ゎらない人間だと、これまでの生活から計算できてぃるだけです」
「……へぇ」
そんなに単純な人間に見えているのだろうか、と理逸は首をひねった。
「単純」
秒で内心を見透かされた。




