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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter7:

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Winding wheel (7)


 織架と加賀田が体調を気にして早めにあがってしまったので、理逸はひとりで湯に浸かってのんびりした。

 客の行き来は絶えず、ここに限っては争いごとも少ない。もちろん、なにやら怪しげな密談をしている者や、だれかと顔を合わせた瞬間にあわてて踵を返す者。互いに因縁があるらしく浴槽のなかで対角に座っている者、サウナで急にぶっ倒れた……というには顎の骨が砕けており明らかに負傷がデカすぎる者、などは居るが。おおむね平和なものだ。


 と、そこで理逸の横に入ってくる者がいた。少しスペースを空けてやると、静かに湯へ身を浸す。

 伸ばしっぱなしの傷んだ黒髪と、無精ひげが目立つ。背格好は理逸と大差なく労働者然とした筋肉のついた、理逸と同程度に傷の多い身体だ。

 どの傷痕も薄く広がり伸びているのを見るに、ここ最近は大きく怪我を負っていない。成長期前に大抵の怪我をやりつくしたということだ。


 その顔に見覚えがあり、理逸は片眉を上げた。


「ん? あんた、いつぞやの」

「……久しいな、三番」

「番号で呼んでくるやつもめずらしいな」


 両膝に肘をついて湯に沈んでいるのは、かつて娼館勤めの妹と共に前金バンス制度を巡って厄介な目に遭っていた男・多胡於久斗たこおくとだった。

 どこかでかじったらしい拳闘と、『光のある場所で己の影を鎧として纏う』ようなプライアで苦戦させてくれた相手だ。たしかその後は能力を生かせるように護送などの仕事に就き、妹の方にも別の娼館があてがわれたはずだった。


「いまは外やプラントからの品を運び守る仕事、だったか? もとは作業場務めだったと思うが」

「ああ。勝手が変わって戸惑いはあるが、この職場では俺のプライアも重宝されている。その節は世話になった」


 ひとまず己を責めず眠れるようになった、と冗談めかして言う横顔は、なるほどあのときのような切羽詰まった、張りつめた様子はない。刺々しい空気感を纏っていたのは、環境と運が悪かっただけなのだろう。


「そりゃよかったよ。関わった人間がよりく生きてくれてたら、それに越したことはない」

「仲裁人とはそういうものか?」

「というより、安全組合セーフティの立場としての、かな」

「ああ。そういえば、もとは互助組合なのだったな。どうも戦闘組織の印象が強いが」

「戦闘力は必要に駆られることが多いってだけで必須じゃないんだけどな。現にひとり、まったく戦えないひともいる」


 いろいろと特別枠である朝嶺亜──都落ちでこの街に馴染めたという特異性と機構を維持している特異性とがある──のことを思いながら言えば、あれもあれで知られているらしく於久斗は「そうだな」と納得していた。


「で、今日は仕事上がりか? 多胡さん」

「於久斗でいい。俺も、組合所属だからな……《七ツ道具》相手でも敬語が出てこないのは、育ちのせいだ。すまない。言葉に不自由な面がある」

「いいよべつに……ん、もしかして言葉に不自由ってのは」

「俺もあざみも出自は2nADだ。数年がかりになるほど、言葉の矯正にだいぶ苦労してな。だが俺は最初に言葉を学んだ相手が悪く」

「敬語一切使えない感じかぁ」

「ああ。……語の変換にも、手間取る。聞いてから頭の中で変換することも、いまだにあるのだ。おかげで字の覚えも悪い」

「あー……」


 よく耳にする話だ。理逸は曖昧にフィラーでぼかす。

 尾道と交わした契約書の見落としの原因もそこだったのだろう。喋れても字が読めない、読めてもわずかという人物は多く、またそれを悟られることへのコンプレックスから読めるふりをしてしまうことも多い。

 読めないと正直に言えば職に就けないこともある。このあたりは、それぞれの生活環境次第なのでなんとも言い難い話なのだ。


「護送の仕事は言葉の面で、苦労してないか」

「会話は、問題ないが。荷に『天地無用』と書いてあるのがわからず、先日こっぴどく叱られた。以降は訊くようにしている」

「なるほど」

「言葉のために、俺の側から『壁がある』と感じるが。同時に感じさせてもいる、とわかってきた」

「俺も2nADの人たちと接してて日々思うよ。自分の接し方ひとつで壁を作っちまってるな、とか。妹さんはそのへん、会話とか大丈夫か?」


 娼婦もなんだかんだでコミュニケーションが重要な仕事だ。最後は肉体言語とはいえ、手順としてそこに至るまでのヒアリングや雰囲気づくりは大事だ──と李娜はよく口にしていた。もっとも、直後に他の娼婦が「困ったら下のオーラルコミュニケーションよ。少なくともそのあいだ、喋らなくて済む」ときわどいことを言っていたが……。

 ともあれ、妙なことを思い返してしまったものの。於久斗の態度からして薊にはあまり心配いらないようだ。


「あれは俺とちがい会話の機微を察するのがうまい。逆に、客になるならないの見極めもバッサリするが」

「じゃあ俺にえらくつっけんどんだったのは、客にならないのを感づかれてたからか」

「客にならない? 己の立場を考えて手出ししない、ということか」

「いや、肉体的な問題でね」


 言ってから、身体の不都合がなければ手出しするように思われそうだな……と少し物言いを顧みる。

 於久斗は踏み込んだ話題になったと思ったか、居住まいを正した。


「身体の不調は、誰しも、あるものだな」

「気ぃ遣わなくて大丈夫だよ。そうなって長いし、もう慣れてる……しかし妹さん、仕事うまくいってるならまぁよかった。前金の払いが無くなった分、だいぶ楽だろう」

「……その点は、そうとも言えるがそうでないとも言える」


 先の理逸への歯切れの悪さとはまた異なった歯切れ悪さで、於久斗は顔をうつむかせた。

 揺れる水面に細い顔を映しながら、横目に理逸を見る。不安げな瞳に、悩みがのぞいた。


「たまたま出くわした場で、急に不躾とは思うが……仲裁人、仕事を頼むことはできるか?」

「仕事?」

「薊のことなんだが……妹には知られず、受けることはできるか?」



        #



「おじゃま」


 深々があがっていったあと、入れ替わりに湯にやってきた人物にスミレは見覚えがあった。

 毛先のまとまらないセミロングの黒髪。勝ち気そうな細く吊り上がった眉と、逆にまなじりが下がって気だるげに映る瞳。よく見ると少し緑がかって、左右で色の違う瞳だった。

 仕事用のメイクを落としていると、各部位の輪郭がそれほど際立たない薄い顔立ちであるのがわかる。そのなかで、口元からのぞく犬歯だけが印象強い。

 喉元から肩から胸元、肋まで。どこも薄く細い身体つき。とはいえ、張りのある乳房のふくらみと、くびれの下の腰骨。それらを支える太腿の筋肉の厚みが、ただ細いだけの己とはちがい成熟していることを意識させる。歳は二十かそこらだろうか。


「アザミさん、でしたね」

「覚えてんだ。頭よさそうだったもんね、あのときも。名前はスミレだったよねたしか」


 ぼんやりした感想を述べながら湯に浸かり、ふいーとうめき声のようなものを漏らす。

 しかしその、この風呂場で見た者の多くがやっている仕草に、どこか作為的なものを感じた。

 スミレは自分がそうしたうめき声をあげないタイプだったから余計に、わずかな差異を感じ取ったのかもしれない。

 すると、薊はスミレを湯のなかから見上げつつニシっと笑った。


「お湯暑くて長く浸かってらんない? ま、慣れよ慣れ。こんなもんは」

「ぁまり慣れる気もなぃのですが」

「周りに合わせるとかそういうのもあるでしょ」

「ゎたしはゎたしですので。無理をして、ここの土地のひとになりきるつもりもぁりません」


 別段指摘の矛先を向けたつもりではなかったけれど、薊からすると虚を衝かれたのか。きょとんとした顔をして、次いで、その反応が図星を示すと気づいたらしくばつが悪そうな顔になった。


「……わかっちゃうんだ? 私が、南古野ここの人間じゃないって。言葉まだ訛ってる? ヘン?」

「ぃえ。何事も仕草は真似から学ぶものでしょぅし、特別に妙ではなかったのですが。しかし、そぅ口にするとぃうことは、この土地の方でなぃのですか」

「まあ、ね……」


 あまり聞かれたいことではない、という風に薊はちいさく肯定した。

 流氓、あるいは2nADか。2nADであるならなおさら、言語の練度は高いと言えるだろう。言葉を覚えて訛りを多少矯正できても、文法的に日邦のSOV型と『近いが、ズレがある』2nADの話者がそうと見抜かれないほど熟達するには相当年月がかかる。まぁスミレのように機構の補助を受ければ、言語パターンのプリセットを構築してすぐに喋ることが可能だが。

 しかし機構運用者デバイスドライバでない彼女は、補助なしの独学で獲得した言語能力のはずだった。よく覚えられたな、と、職種と仕事量から推察される可処分時間、言語学習に充てられそうな時間数を推察しつつスミレは思う。


「……言わないと思うけどさ、言わないでよね? 周りに。流氓と2nADって肩書がつくと私買われるときの値段下げられちゃうからさ」

「ゎかってぃます。ゎざゎざ吹聴して回るほど、性格が悪ぃつもりもなぃので」

「あんがと。でも、どこまでいってもさ。国って形すらなくなっちゃってもまだ出自ってもんに囚われるって、ヘンな話だと思うよね。思わない?」

「まぁ、非合理だとは思ぃます。ルーツの話をするのならもはゃ、この南古野で日邦の血を意識する層でも実際には他民族の血が多く混ざってぃて。純粋な日邦の血族などぃなぃでしょぅから」

「でもみんな『自分はそう』だと思ってて、だからその外にいると思った相手には厳しんだよね」


 かりかりと頭を掻いて、薊はやるせない顔をしていた。

 ツァオ、マオ、ハシモト、ミヒロと親しむなかで2nADの苦境については理解していた。仮に片言でも言葉を得て、職を得たとしてもすぐに天井が見える状況。少しでも環境を良くするには、自分より立場の弱い2nADから搾取する側に回るか、よほどの自分の売り込みができねばならない現状。

 それをなんとかしたいというのも、スミレの考えていることのひとつだった。騙す者や搾り取る者ばかりがのさばる世。是正したいと思うのは当然のことのはず。

 そう思っていると、薊は言いづらそうに指先を合わせり離したりしながら口を開いた。


「だから、居場所少なくてさ。その点だと出自あんま気にしないから、慈雨の会の世話にもなりはじめてんだよね」

「ぁあ。ぁそこも炊き出しや水の分配をぉこなってぃますね」


 希望街に居たときに利用したことを思いつつ言えば、それもそうなんだけどと薊は前置きする。


「……プライアホルダーにも優しいから、あそこ」


 軽く相槌を打つのは少々ためらわれ、結局スミレは小さくうなずくに留めた。

 2nADは軽んじられる対象であるが、能力保有者は恐れられ・同時に軽んじられる。プライアを持つと知られることはデメリットの方が多く、なんらかの職や組織の後ろ盾がなければマイナスばかり発生させるだろう。

 全部、根っこは同じこと。自分との違いに人は耐えられないから、過度に遠ざけたり別種だと隔離しようとする。


「でさ、あそこでお兄ちゃんがね」

「ぉ兄ちゃん?」

「うるさいな、呼び方なんでもいいでしょ。とにかく、うちの兄が。あそこで結構世話になってるの」

「彼はプライアを持ってぃますから、向こぅも悪くは扱ゎなぃでしょぅね」


 理逸が言っていたことだ。けれど、同時に彼としては『プライアホルダーとしての面』しか見てもらえないことを気にして、離れたようだが。薊の兄、於久斗はそうではないのだろう。

 だが薊は文句か意見でもあるらしく、なおもなにか言いたそうにしている。


「慈雨の会って、本当に能力と雨の信仰を大事にする、ってだけなのかな?」

「……人員を増ゃして勢力として力をつけることは、それそのものが情報と地縁と血縁に絡みぉ金につながるものです。ぃかに豊かで優れたぉ題目を掲げてぃたとしても、『組織』の体裁を取るなら最終目的は『影響力』にほかなりません」

「むつかしいこと言わないでよぉ……」

「なにか裏の目的がぁると疑ってぃるのでしょぅ?」


 無いわけ無いだろう、と思いながらスミレが言えば、またも図星をつかれたという顔で薊は固まった。……この雰囲気で、腹芸の必要そうな娼婦などやれるのだろうかと一瞬疑う。いやでも、男は頭の回る女が嫌いか、と思い直す。


「ぉ兄さんがそこに巻き込まれてぃなぃかと、心配してぃるのですょね」

「凄。もしかしてスミレもプライア持ってる?」

「心が読めたら近づかれる前に離れてぃますが?」

「厳し……まぁでも、そだよ。うん。お兄ちゃん巻き込まれてないか、心配なの。お世話になってて言っちゃうのもなんだけどさ、キナ臭いんだよねあそこ」

南古野ここにキナ臭くなぃ場所などぁりましたかね」

「それはそうなんだけど。護送の仕事を頻繁に受けてんだよね」


 それはさらっと漏らしていいことなのか、と思ったが、ともあれ気になる話ではある。たしか伝え聞いた話では於久斗の護送は外およびプラントからの物資輸送が主だったはず。

 無論食品もプラントで生産されるのだから炊き出しなどに使われることはあろうし、護送が必要になることもあるはずだが。頻繁に仕事を出せるほど組織運営に余裕があるとは思えない。となれば。


「それは業務でなく、個人で請け負ってぃますね」

「……うん」


 スミレはため息をつく。運び屋稼業は危険が伴うから仕事になっているのがセオリーだ。せっかく兄妹そろって転職できたのだろうに、欲に目がくらんだか。

 そう考えているスミレに、薊は手を合わせて頼んでくる。


「でさ。あんた仲裁人でしょ。あの《七ツ道具》・三番と一緒に居て、いまは幹部級だって」

「付けぁわせのょうに言ゎれるのは不愉快ですが、一応主な仕事はそぅですね」

「依頼、受けてくんない?」


 はにかんだ顔で言い、さらにこうつづける。


「お兄ちゃんにはバレないように、さ」



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