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この状況で欣怡の遺体が消える。
どう考えても、沟の人間が状況を把握して回収したに相違なかった。
「窓からの侵入ですか」
階段踊り場までやってきたスミレが、身を隠したまま大きめの声で確認してくる。おそらくは理逸が室内で犯人と遭遇、膠着状態にあった場合を予想して相手に伏兵の自分を意識させ牽制するための声かけだ。
「もう逃げられてる。敵はいない」
「そぅでしたか」
亜式拳銃を内もものホルスターへしまってから室内に入ってくる。状況をぐるりと見まわし、ため息をついた。自分の失策だったと思っている顔だ。
「予想してぉくべき状況でした」
「いや……俺も警戒してなかった。四階に飛び込んで遺体を回収できるような使い手くらい、沟にはいると判断しておくべきだった。なあこれ、プライアによる奪取かな」
「シンイさんだけが誘拐の実行犯だと断言できなぃ以上、その可能性も考ぇるべきだとは思ぃます。しかし壁抜け連れ去りが可能な便利能力が、そぅそぅ何人も居るとも考ぇづらぃです」
「もし居たなら、ボディガード役は欣怡じゃなくてもよかったからか?」
「です」
話していると、階下から駆けあがってくる足音。きびきびとしたテンポで乱れない歩調は聞き覚えのあるもので、当人の体幹の確かさを表している。
わずかに警戒の色を見せていたスミレに「大丈夫だ」と声をかけ、踊り場を見た。
駆けあがってきて息一つ切らさないその伸びやかな立ち姿。白髪交じりの髪はセンターパート、四十路を超えて様々な経験を刻んだ皺が残る柔和な面差しに、シャツとベストの装い。
組合の先代リーダー、十鱒がそこに立っていた。
「やあ二人とも……人影が、四階に飛び込んで人間大のなにかを抱えて出ていくのを見たよ。状況は?」
「すいません十鱒さん。最近頻発していた児童誘拐の犯人だった沟所属の楊欣怡をここで追い詰めたんですが、自決された上に遺体をいま連れていかれました」
「……証拠隠滅というわけかい。死因の特定をうやむやにして、我々組合に罪を着せるつもりだな」
瞬時にそこまで把握に至った十鱒は、割れた飾り窓の方を見てふむと外を眺める。さすがにもう見える範囲にはおらず、路地に降りて走るなりしているのだろうが……
「隠蔽能力や認識干渉能力を持っていなければ、人間ひとり背負って走るのは目立つ。捜索の網を仕掛けよう、沟の領域に向かうことには間違いないのだからね」
「ただ、ぃまは収穫祭でにぎゎってぃます。ぁそこへ潜りこまれたら探すのは至難でしょぅ」
「なら追い込み漁さ。逃げ道を絞るように人員を配置する」
「なるほど」
てきぱきと十鱒は手順を示し、二人を伴ってまた一階へ降りた。欣怡の連れてきた沟の連中はまだたむろしており、どいつも組合から十鱒が連れてきた人員と小競り合いを起こしそうになっていた。が、十鱒の指示で人員がいなくなるとどうしていいかわからなくなったらしく三々五々に散っていく。
この、統率されていない動きを見て十鱒は眼を細くした。
「この連中には上からの指示、遺体を回収した旨の提示もない。指揮系統はブロック化されており動きは速いが柔軟性には欠けるようだね。最初から切り捨ての駒でもあったということか……いや推測はここまで」
行こう、と声をかけられて理逸とスミレは十鱒についていく。
「行き先は?」
「ここからもっとも近い沟の集会場所だよ。遺体を奪ったやつもおそらくはそこを目指すはずだ。僕の存在は確認した上での奪取だろうからね。なるべく早く重荷を降ろしたいならそこを目指すはず」
《太刀斬り》の十鱒に追われるのは誰だって勘弁、というわけだ。
彼の自惚れではなく純然たる事実である。十鱒と戦うことになるなら、逃げたいと思う者が大半だろう。第一種装備の人間を相手に能力と格闘だけで勝ちを納める人間など戦ってはならない。
「その場で、交渉になるでしょぅか」
「どうかな。《竜生九子》なら饕餮が居たら話し合いはできる。贔屓だったら無理だな。狻猊であれば機嫌次第、狴犴なら客観視点を説けばいい。九子ではなく王辰だけだったら……戦闘を覚悟した方がいい」
「戦闘、ですか……」
「まあ出たとこ勝負だよ。さぁ早く来たまえ」
のんびり口にするが、そういう場に有無を言わさず連れていくという宣言だ。
比較的温厚で人当たりよく、上役としてとても頼りになる人物だが。それと同時に十鱒は立場への責任を求めるタイプだ。《七ツ道具》であり組合幹部としての立場持つ理逸と、それと同等の立場を得ることとなったスミレ。二人に対しては仕事をさせるに躊躇がない。
無論、欣怡の死が関わる一件で逃れる腹積もりは理逸にもないのだが。一歩進み出て、隣へスミレがついてくる。
沟の領域、収穫を祝うにぎやかな街の音の方角へ、三人で足を向けた。
「深々さんはまだ帰投してないんですか」
「あれもゆっくりしているわけでなし、北遮壁を越えたらすぐに連絡がいくとは思うがね。それから空を走ってきたとしても事態の収拾には間に合わないだろう」
「タイミング、悪かったですね」
「リーダー不在などよくあることさ。あまりあれを頼りすぎてはいけないよ」
「すみません」
「謝ることもない。まだきみたちには時間がある」
四十路を超え──すでに五十代で寿命も近いだろう周永白よりは若いが、残り時間の少ない十鱒は言う。
直接的に口に出すことはないが、深々への負担を減らそうとの物言いなど言動の端々に彼が後進育成・自分の居なくなったあとの組合の在り方・といったものを考えていることがうかがえる。
ちょうど、加賀田とのやりとりで朔明のことを思い出したばかりだったので、余計にそれを強く感じた。
六年前の静かなる争乱。
沟、笹倉組との三つ巴の戦いに加えて水道局の介入で泥沼の戦場と化した南古野で、当時の《七ツ道具》からは三番だった朔明のほか四番と七番も死んだという。理逸と織架と朝嶺亜は、穴を埋めるために加入したメンバーなのだ。
「成長してくれたまえ」
祈るように、十鱒は言う。
理逸はうなずき、スミレは反応を返さなかった。
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沟の集会場所は、楼閣からしばらく裏通りを歩んだ先にあった。港に面しており、傷んだ海藻の濃く淀んだ臭いが漂っている。
そこは、外から見るととくに変哲もない三階建てビルディングだが、扉をくぐると印象は一変する。伝統的な忠華様式のつくり、雰囲気が来る者に別の文化を強調する。2nADという特異な人々が住む街であっても、いやむしろそうした人々がいるからこそ、純粋に特化した文化の色は来訪者の内奥にある「己のルーツの」文化風俗とのちがいを感じさせる。
『何の用だ、おまえたち』
扉を抜けてすぐ、守衛の二人組に止められる。明らかに見た目で日邦系とわかるであろう十鱒と理逸へ忠華の語で語りかける様に、排他的な感情が濃く出ていた。
けれどそれも十鱒の気迫の前では、稚気といってよいものだった。
『とある事件の被疑者を追っている。僕は安全組合、《七ツ道具》の十鱒だが』
『十鱒……』
名乗りに、守衛二人はうろたえた。
いま手の届く位置にいるこの男こそ、その両拳で幾多の敵を地に叩き伏せてきた拳豪だと理解したらしい。
十鱒は静かに、威圧を解くことなく言う。
『突然の来訪で手間を頂戴する非礼は詫びよう。しかし僕も自身の名を出して詰め寄るからには、確証があってここまで来ていることを理解してもらいたい。ここに、居るのだ。僕らの追う相手が』
『しかし、』
『二度は言わない。僕は己の名を賭けた』
黙し、不動。
それがなにより大きな、プレッシャーの与え方だった。義と名誉を重んじる、華国の思想に則っての声掛けだ。
怯えた守衛二人組はぶつくさ言いながら奥に消え、やがて通すように上から言われたらしく十鱒と理逸とスミレを奥に迎える。
連れだって歩きながら「僕の見立てでは、きみも五年もすればこういうことが出来るようになる」と十鱒が言った。「出来る気しませんが」と返せば「やるんだよ。円藤君」と一切こちらに目線もくれずに言う。
奥、客間と思しき広い部屋は見上げるような天井からぎらぎらとしたシャンデリアが下がり、客を迎えるテーブルの上で輝いていた。背もたれから足先まで丁寧に螺鈿の細工を施されたいかにも重厚そうな黒い漆塗りの椅子とテーブルは、しかし十鱒たちに勧められることはない。
テーブルの傍らに立っていた男が視線を上げた。
重いマストをぴんと張ったように動きの感じられない頬。削り上げたような無骨な顔つき。刈り上げた白髪交じりの頭が、より硬い印象を与える。
分厚い体にベストとスーツを纏う、服装に一切の遊びが感じられない長身の男。両腰には桃木剣、それとまったく同じ意匠の直剣をそれぞれ、佩いている。
あの三頭会議で周が伴っていた彼の右腕、王辰。
事実上の沟のNo.2が、値踏みするように十鱒と、その横にいる理逸とスミレを見ていた。
『何をしに来た、組合の狗』
『久しぶりだというのにご挨拶だね王辰。華国の人間は礼儀を知らないのかい』
『尽くすべき相手とそうでない者を見分けているだけだ愚か者』
よりにもよって、十鱒が「戦闘を覚悟した方がいい」という相手との遭遇だった。両腰の剣は伊達ではなく、大陸の剣術の達人との話は理逸も聞いている。
部屋は広く、剣を振り回すにも余裕がある。
こちらから仕掛けるべきなのか? 判断に迷う理逸だが、そこで気づく。
席を勧めないのは、それをできる立場に辰がいないからではないか。
彼自身も着座していないのは、彼より上がいるからではないのか。
つまり。
『騒がしいぞ辰。来客は……ああ、お前か』
『久しいね周大人。公でない場で会うのは何年ぶりかな』
背後から深みのある声が、理逸たちを襲う。
横合いからテーブルを回り込んできたのは、突き出た腹部を覆うように着る緋色のスタンドカラーシャツに、ゆったりとしたボトムス姿。恰幅の良さに風格を備え、薄い目を開いてこちらを見やる頭頂部をのぞきほぼ禿頭の男。
耳目を吸い寄せ、不思議なほど引き付ける力のある彼こそが沟の支配者である龍頭、周永白だった。
『さてな。お前が頭目を降りると決めた時以来ではないか』
『はは。互い齢を食った』
『年月をただ食むだけか年輪のごとく重ねるかは大きく異なる』
『植物のように穏やかな生き方をしていない奴が言っても説得力はないね』
軽口を──そうとわかっていても、二派閥のトップ層がやり取りしていると、横にいるだけで胃が痛い。いつなにが火種となり争いになるかわからないのだ。
けれど二者も別段、雑談をしにきたわけではない。神経の削りあいは手ごろなところで打ち切り、椅子に腰かけた周が話を振ってくる。
『それで? 未熟な娘の走狗となったいまのお前が私に何用だ』
『ここに遺体を隠しているはずだ』
『誰のだ』
『楊欣怡、あるいはこのところの児童誘拐事件の下手人と言えばいいかい』
『知らんよ。憶測で語るとはいよいよ耄碌したか十鱒』
『あくまでしらを切るのかい?』
右手を軽く掲げ、十鱒がゆっくりと握りしめた。
破滅的な音が響く。
王辰が、ちっと舌打ちして腰から剣を外した。床に転がる桃木剣も直剣も、真ん中でひん曲がりねじれよじれてもはやオブジェかなにかにしか見えない。
《太刀斬り》。そう呼ばれた能力の発露だった。
『僕は見つけるまでこの場で抗うのもやむなしだと思っている』
『貴様……龍頭の前でこの狼藉、捨て置けん!』
剣がなければ拳を使うか。弓を引き絞るような構えを、王辰が取ろうとする。
これを制して周が言う。
『控えよ、辰』
『しかし、龍頭』
『控えよ』
二度の制止に、口惜しそうに辰は構えを解いた。
腰かけたまま、赤い煙草の箱を取り出す。太く巻かれたこの葉先へマッチで火をともし、紫煙をあげながら周は横目に十鱒へ言った。
『好きにせよ。だが、お前たちの望む結果が出るとは限らん。その際に相応の報いを受けることは理解しておろうな?』
『すでに他殺と見せかける準備は出来ているというわけかい。さすがは陵遅なんて無駄な技術を窮め人体破壊を追求してきた民族の血の末だ』
『ぬかせ。報いと統治は一体不可分だ』
『破壊について否定はしないのだね』
『はっ……。表面的、だな。そうして浅瀬を掘り返しておれ。どうせお前たち無知な者どもでは、我らの真の目的など何もわからぬ。好きに調べよ」
あざけるように区切り、周はそれきりだった。
……調べてもわからない?
欣怡を他殺体と見せかけるようにした証拠をあげることはできない、とでも言うつもりだろうか。
そのように考えていた理逸とスミレの後ろから、また。守衛の声が聞こえた。
否、半ばから声は悲鳴の様相を呈している。
「おい。邪魔するぜ」
先ほど理逸たちも歩んできた廊下の奥から胴間声が低く響いた。
同時に、がりがりザリじャリゴリ、となにかが高速で壁を擦ってくる音がする。
それは、守衛の一人が。
左顔面を土壁に押し付けられたまま空をすっ飛んでくる音だった。
必死に壁から離れようと両手を突っ張っているが、意味がない。『押しやる力』に逆らえず壁と接吻させられたまま進み、進み──轍がごとく、壁に一線の血の赤が敷かれる。
耳頬瞼をすり下ろされ真っ赤になった顔を押さえてうめく守衛を蹴り飛ばし、
斥力操る、暴力の化身が歩み来る。
「……安東さん」
「ん? 円藤君じゃねぇの」
心無し普段よりわずかにトーンの落ちた声で、安東湧が答えた。
ついで、室内を見回し。十鱒とスミレと王辰、最後に周を見た。
かりかりと、中ほどに切れ込みを入れられた耳を掻きながら、彼はんー、と悩んだような声を出す。
「ンだよ、テメエらも居るとは思ってなかったんだがな……出直すか? 面倒だな。まあいいや、ホレ」
ポケットを探った──この、警戒心渦巻く場で何気なくそういうことが出来るのがこの男の怖いところだ──安東は、螺鈿のテーブル上になにかを投げ出した。
王辰がさっとカバーに入る。最悪、爆発物や武器の可能性を案じたのだろう。
だがそこに転がったのは。
「その顔で十分だぜ、王辰。知りたいことは知れた」
薄板型演算機構。
これを見た瞬間に、王辰の顔色が変わった……のは、理逸もなんとなく察した。
だがそれがなぜかは、わからない。
『くははは、バァーカ。そりゃ、安く仕入れたガワだけの偽物だっつの。中身は、入ってねぇよ。だがこの反応でハッキリしたな……やっぱあれは、お前らの手の者だったと』
わざわざ忠華の語で言い直し、安東はなにか、沟の二人を前に優位に立ったと見えた。
『……く、』
『辰よ。愚かな』
嘆息する周へ申し訳なさそうに、せせら笑う安東に対して憎悪を燃やし、辰は己を許せないという顔だった。
わけのわからない一幕に、理逸はなんとなくスミレの顔を見る。
すると。
「……なんでお前も、顔こわばってんだ」
「……ぃえ……」
表情の硬いスミレが、生気のない返事をする。
「ん? んー……ふふん。んじゃ、これで終わりだ。俺は帰るね」
そんな一幕を見据えながら、安東はもう用事は済んだらしく、来た道を引き返そうとしていた。
と、守衛の片割れ──顔をすり下ろされず、おそらく打撃で昏倒させられていた──方が、かぶりを振って目を覚ました。
部屋の惨状と、もう一人の守衛の重傷。それを成して堂々と帰ろうとしている安東を見て、自分の任務を思い出す。
「お、おおおおお!」
「邪魔だ。去ね」
安東は斜め前に進み出て守衛の拳打を避けつつ、うっとうしそうに右掌底で真横へ相手を突き飛ばす。
その、開いた手の形のまま、『斥力』を放った。
突き飛ばしからぐぐっ、と二段階目の加速を得た守衛は廊下のドアにぶち当たり、そして右腕がひしゃげる。ぼグん、と肩が外れる動きを見せる。肘が肋骨にめり込み、おそらく二本ほどへし折る。
ついには、ドアの方が押し込む力に耐えきれなくなり。
蝶番がはじけ飛んで、ドアの向こうに身体が投げ出された。
「あーあー。無理に耐えるからそうなるんだぜ。って、おぉ? ンだぁ、こいつ」
ぼやく安東の視線の先を追うより早く、彼の口からなかにあるものが語られる。
「欣怡、なに寝てんだそんなトコで。ん? 違ぇな。死んだのか。お前」




