Wrong way (1)
筧の言った「とある対象の確保」とは、統率型拡張機構のことを指していたに相違ない。宅島艮はそう考えていた。
けれど《陸衛兵》二名を投入しての戦果は破損した統率型のみ。泉と戸境は負傷し、長期の戦線離脱。
結果だけ見れば最悪の状態で、警備隊長である宅島は気が重い。自分が指揮したものではないためとくに咎めを受けるいわれはないのだが、しかし、これから会う人物は泉たちに任務を下した張本人だ。機嫌を損なっている可能性は高い。
ぬかるみを行くような足取りで北遮壁の一部をくりぬいた通路を渡り、抜け、新市街へ出る。
それだけで空気に潤いが含まれ、正常で清浄な雰囲気を感じた。
差す陽光も、壁の向こうのように宙を舞う粉塵や粒子に阻まれていないからかずっとクリアで鮮烈に感じる。向こうにいるあいだは逆に、なにもかもがセピアがかって見えて旧時代の映像資料として研修で視聴させられたキネマのようだった。
北遮壁を出てしばらくは、旧時代よりさらに前、数百年前の歴史のなかにおいてこの場が城下町だったころの名残であるお濠の周りをめぐることとなる。もっとも、水はとうに涸れてひさしくそこにあるのは砂ばかりだが。
城郭を左手に眺め、右手に新市街への入市手続きをおこなう官公役場が見えてくる。前時代の帝冠様式なる和洋のデザインを折衷した、その建物に彼は入り込んだ。
玄関にしつらえられたクリーンルームで、二重扉のなかに入った宅島はエアシャワーと殺菌および微機潜行でのメディカルチェックを受ける。
とくに微機潜行は顔面と下腹部──体内に滑りこませやすい粘膜付近ということだ──を中心にして青の奔流を受けることになるのだが、どうにも気分は良くない。頭の奥でなにか、「良くないことをされている」ような引っかかりがある。それがなにかはわからないのだが。
ともかくもチェックは無事通過し、二重扉が解除される。緋毛氈のつづく長い廊下を渡ると──手続きの受付で一時間待たされた。
提出書類確認のなかで、まだ負傷が完治していない顎と腕と足について「なぜその怪我をしたのか」と、もう何度となく答えたことをまたしてもしつこく問われるときに苛立ちを覚えつつ。
役場を抜けた宅島は、建物の背面でまたお濠に直面する。
ここにかかる幅の広い跳ね橋を渡って、ようやく新市街だ。第二災害のあとに建設されたため築半世紀未満の建物ばかりの場は、簡単に崩れることがないという安心感に満ち溢れていてほっとする。
ほっとして、けれど安堵以外のため息が出る。
「さっさと家に帰りたい……が」
用事があって来た以上、直帰というわけにはいかない。
南古野の貧民街である普段の警邏地帯に並ぶ、廃ビルや廃墟とは打って変わって整然と立ち並ぶ白い建物群のあいだを抜けていく。
回路のように正確にまっすぐ、過ごしやすくまた見張りやすい形態をとる街は迷路と化している職場とは雲泥の差だ。ここではカッティングパイやそれに類する視野確保・クリアリングの必要がない。
雑多な音や過度な無音で警戒をうながしてくる職場とちがい、足音にも気を付ける必要がほとんどない。迫ってくる悪漢などめったにいないし、街中はわざと拡張しない限りは邪魔な広告音もポップアップも出現しないので。
もっとも、それはハイグレードな機構を備えている宅島だからこそであり、低級の機構しか身につけられない市民は結構、それらが鬱陶しいそうだが。
人々の行き交う舗装された道の横を、電磁機関式の自走車が通る。音も小さく、後ろから寄ってきたとて気づかない乗り物は安全性に配慮された無人機だ。機構にひも付けされた市民としてのアクセス権をかざせばだれでも利用できる。
白い立方体の組み合わせで構築され角ばった外観のそれは、移動する部屋だ。実際のところ、移動の目的よりも「通話を(拡張済みの人などに)聞かれたくない」などプライベートな理由で一瞬乗る、という用途も多い。
今回宅島は移動の目的で乗り込んだ。人工革張りのシートにほどよく身を支えられ、二人掛けの後部座席を一人で使う。
「凪葉良まで」
声をかけると体に揺れもなく部屋は動き出す。
向かうは街の中心地に聳え、どこからでも見える黒く輝くタワー。
側壁は水面をイメージしたらしい、鏡面パネルを数十万枚連ねたものでいつ見てもうねるように陽光を周囲へ散らしている。たしかに風吹く水面に見えなくもないが、空に屹立する異様を思えばそれはかつての日邦の伝承にある蛟の鱗とも思われた。
鱗の一枚一枚を識別できる距離まで来ると、警備兵の配置が増えてくる。車寄せのロータリーを大きく回り込み、社屋の前にやってきた宅島は開いたドアを降りる。
凪葉良内道水社のエントランスは、ガラスドアが開いた瞬間に澄んだまっすぐな音がする。「水中で漏らした吐息の泡がのぼる音」をイメージした音を空気力学的な設計で演出している、と研修の際に習った。
アポイントメントはとってある。直接エレベーターに向かい、下降した。高層ビルだが、上の方にある水道局幹部陣のフロアとは異なりこれから会う相手は特殊な部署にいるためだ。
ドアが両側に開くと、無機質な灰色、天井の低い廊下がつづいた。長々と歩くと自分が小さくなっていくような圧迫感がある。
やがて、『水道警備課』とシンプルなプレートが掛かる一画へたどり着いた。
「失礼します」
ノックし、扉を開けて一礼する。
廊下よりも天井が高く、柔らかな絨毯に足を迎えられた。
広々とした部屋の奥、絵描きのパレットを思わせる楕円形のデスク。親指を入れる穴の位置を思わせる箇所に回転チェアを置き、自分から見て放射状に資料の紙束を広げている男が居る。
チェアの背もたれに「警備課」と刻印された群青のジャンパーを引っかけ、襟ぐりの汚れ目立つワイシャツのネクタイを緩めたシルエット。それでいてベストのボタンはすべて留まっており、どこかちぐはぐである。
梳かしつけたのだろうが結局乱れ落ちた前髪を数条、額に垂らした風体。細い眉と目の間は非常に近く、なにも言っていなくても睨んでいる印象がある。口許は引き結んでいて、髭はきちんと剃ってある。やはりどこかちぐはぐである。
十秒ほどして男が資料からやっと、顔を上げた。目を向けられると睨まれたイメージはますます強まった。
「『懲役』はどうだった、宅島次席」
「……お言葉ですが管理官。警備課前線のジョークを本部の上役が用いるのは、どうかと」
「私もかつては前線にいたのだが。許されるのは現役だけか」
叱責を覚悟で来たというのに、拍子抜けするほど、男の対応は熱がなかった。
筧堂嶺管理官。警備課のトップと局内安全管理委員会のトップを同時に務めており、呼ばれる肩書は委員会の方を採用されている人物。
宅島からすると直属の上司であり、『宅島』の家系に任じられた役割についても熟知している身内のようなものだ。
「もう少しだけ待て。一時間半後のブリーフィングに備えている」
言って、筧は資料にまた目を戻した。服装の乱れから察するに余りある、よほど多忙なのだろう。
たっぷり一分ほど、待たされた。役場での一時間より、上司と対面での待ち時間は長く感じられた。
やがて筧が、資料を両手で一か所に揃え。
端を合わせるようにデスクの上でとんとんとやり始めたことで、宅島は本題に入ることを予感した。
「宅島次席」
「はっ」
「統率型は破損したそうだな」
「……はっ」
「その事実は周知されたかね」
「おそらくは……少なくとも、南古野の貧民連中は把握したでしょう。手に入れたのが暗部に属す泉と戸境の二人だったとはいえ、水道局内部でも統率型のロストの噂は浸透しはじめています」
「そうか」
言葉を切り、資料の動きを止めた。沈黙が、嫌な沈黙が広がった。
けれど次の言葉は、予想だにしないものだった。
「泉と戸境の回収、ご苦労」
「……、」
「状況は想定内だ。これでいい」
「……は?」
拡張現実順応化試作機二名が敗北し、統率型をロストした事実を。
筧は想定内だと語り、暗い目で宅島を見た。
「この部屋は傍受もできない。では約束通り、語ろうか」
時間に急かされている男は、前置きもなくはじめるのだった。




