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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter1:
4/125

Water war (4)


 地上に出たので、警備兵の追撃はない。


 理逸は荷物を入れておいた自動販売機──かつてはここに共通貨幣を入れるといつでも飲料が出てくるという夢のような装置だったらしい──の取り出し口に手を突っ込んだ。

 ゴーグルを外し、ハーフフィンガグローブを脱ぎ、闇にまぎれるハイネックの黒シャツの上から白のカッターシャツを着込む。靴も動きやすさ重視の地下足袋じかたびから既製流通品のスニーカーに履き替えた。ボトムスも販売機の陰でカーゴパンツからデニムに交換する。


 掻き上げて産業ジェルで固めていた髪をぐしゃぐしゃと乱し、服装を元に戻した理逸は帆布のザックに着替えたそれらを詰め、担ぎ上げるとスミレの前に戻った。


「待たせたな。行くぞ」

「……毎回着替えているのですか」

「身バレしたくねぇからな」

「では先ほどゎたしに名乗ったのも偽名?」

「いや。円藤は本名」

「なるほど」


 これだけで理解が及んだのか、それ以上なにも言ってこなかった。

 あきらかに一〇代前半と見えるが、歳のわりに頭が回るというか諦めが早いというのか。「理逸が本名を伝えた=そのリスクを冒しても構わない・逃がす気がない」とすぐさま気づいたらしい。


「どぅせ逃げても、ぁなたの目の届く範囲にぃたら、捕まるでしょぅから」


 スミレは口をとがらせる。


「察しがいいな」


 着替えてる間に逃げるタイミングはいくらかあったろうが、理逸からすれば視界の範囲で逃げる自重以下の重さの相手は『能力プライア』によっていつでも引き寄せられるため、手の内にいるのとほぼ同じなのだ。


「というかその察しの良さ、まさか俺の内心を読んだのか。能力か?」

能力プライアではぁりませんよ。状況判断と推測にょるものです……行き先は、この方向ですか」


 理逸がうなずけばつかつかと歩き出すので、その横に並んだ。並ぶとよくわかるが、頭ひとつ以上背が低い……一四〇センチもないだろう。三〇センチ近い身長差は歩幅に直結するので、仕方なく彼はペースをスミレに合わせた。

 スミレは前を見据えて歩きながら言う。


「とぃうか、もし能力保有者プライアホルダーでぁっても、普通は認めなぃでしょう」

「そりゃあな」


 既存の物理法則に当てはまらない『能力』──Psychological Reality Interference Ability(心因性現実干渉能力)。頭文字を取ってプライア。

 それは保有者にとっては切り札と呼べる代物だ。こんな街で生きる以上、おいそれと他人に詳細を晒さない。理逸だって『離れたものを引き寄せる』いわゆる念動力サイコキネシスであること以上の条件や詳細を伝えている相手は限られる。


 第一、能力はその覚醒過程……強い心的外傷の獲得だ……からして、他人に内容を気取られたくない人間が多い。

 そこまで加味してスミレは『普通認めない』と言っているのだろう。彼女はため息をつく。


「ゎかってぃるのなら無駄な問ぃかけをしなぃでください」

「いや、わかってることだとは決まってないだろ? お前が『普通』じゃないかもしれねぇ」

「言ぃ曲げ、詭弁ですね。ぁなたは『そりゃぁな』とぃう反応から察するに、この街で能力につぃて問ぅことが礼を失することだと解ってぃました。それでぃてなぉも訊ねたのはゎたしに──あきらかに年下目下のゎたしに内面を読まれたことが気にぃらなくて、少しでも不愉快にさせてゃろうとの考えが無意識下にぁったためでしょう」

「……、」


 ずばずばとものを言われてさすがに閉口した。

 言われてみると正直、そういう気持ちもあったかもしれない。仮にそうでなかったとしても考え無しに訊いたならそれはそれで失礼だ。


「……悪かった」

「ぃいえ」


 認めるのは癪だったがここで謝らないと余計に惨めになると思ったので、理逸は素直に頭を下げた。スミレは気にしていない風だった。

 本当にこの娘、見た目通りの年齢なのだろうかといぶかしむ。先の戦闘中に見せた判断力と動き然り、見た目以上の経験や知識が詰め込まれているように思われてならない。日差しの暑さのためでなく、いやな汗をかきはじめる理逸だった。


 と、なにか気を紛らわすものを求めていた彼の耳に、ノイズ混じりの音が聞こえる。スミレも音に気づいて小首をかしげた。

 じじ、ジ、という音は街中の各所に設置されたスピーカーからの割れた音声だ。


「水道局の連中に、パイプラインの開放が伝わったみたいだな」


 理逸はぼやく。

 南古野のなかで常用されている周波数帯を無理やり乗っ取っての放送は、水泥棒の完了を意味するものである。


 すなわち水道局が、水泥棒に屈したことを認める放送だ。


『──皆様の生活と安全を守る、民間水道局(PWS)凪葉良なぎはら内道水社ないどうすいしゃです。

 市民の皆様にかれましては今日も安全で良質な水を摂取し、清潔で健やかにお過ごしくださることと存じ上げますが――』


 定例の、形だけ南古野市民を慮る空疎な文。


『――昨今は違法な雨量の取得および未認可の浄水器を扱った外道水がいどうすいの濫飲が多発しており、社としては大変心を痛めております――』


 知り合いが渇きのうちに二名死んだ、と語ったスミレがぴくりとする。


『――市民の皆様におかれましてはそのような違法の水に手を出さず、凪葉良の提供している内道水を飲用することを徹底ください。繰り返します──』


 その後は定型文の繰り返しを三度、アナウンス。

 これが彼ら水道局の敗北宣言だ。

 定められた期限内に理逸たち南古野市民がパイプラインへ接触・必要量を開放できればこのアナウンスが流れ、滞っていた水の供給が認められる。できなければ水は止められたまま、凪葉良が給水車で運んでくる高額な内道水──合法な経路の道を通った水という意味だ──を買うしかない。これが貧民層である南古野市民と、壁の向こうの新市街に住む民との間での約定だ。


 かつてこの日邦では雨運ぶ季節を梅雨と呼んだことに由来して、売雨野郎と新市街民は呼ばれている。そして新市街民の方はというと水泥棒からの貧民たちへの水供給を認めるのがよほど癪なのだろう、アナウンス内容では『お前たちが飲んでいるのは違法に摂取した外道げどうの水だ』と再三忠告される。

 生き死にがかかっているのだからそのような寝言聞いていられないし、負け犬の遠吠えとばかりに理逸たちはせせら笑うのだが。


 しかしスミレは、そのように受け止められないらしい。

 歩幅が狭くなりうつむき加減になっている。反応から、理逸は彼女がアナウンスに慣れていないことを悟る。


「もしかしてここに流れ着いてまだ、日が浅いのか」

「ぇえ。水泥棒とぃうものがぁるのも、今日はじめて知りました」

「お前もよく知ったその日にやる気になったな……」

「きっと誰かがゃらねばならなぃことで、ゎたしにはスキルがぁりましたから。……もっとも、失伝技術ロステクに明るぃとしか、南の街でぉ世話になった人々には話してぃませんが」

末端子拡張機構エンデバイスがある、とは伝えていねぇのか?」

「……Knowing is fallingですよ」


 呆れたようにスミレは言う。

 知ることは落ちること。「余計なことを知るのは己の首を絞める」とか、「知ったら知らなかった頃の状態には戻れない」という古い慣用句だ。「墓穴を掘る」が由来らしいが、墓穴なんて贅沢品となった現代ではあまり使わない。

 冷たい目をして、スミレはつづける。


「まぁ、どぅせ伝えてなぃと言ぃ張っても、ぁなたは調べるのでしょぅけど」

「そりゃぁ、……うん」


 またしても図星だったのでなにも言えない。微機や機構デバイスに関わる事柄は街のパワーバランスを一変させかねない危険事案だからこそ、彼女を連行しているのだし。当然彼女が関わったと思しき人々には調べの手をやることになる。

 知っているのか、どこまでを知っているのか、知ってなにかを成したのか。確認しなくてはおちおち休むことも出来ない。彼女の指摘通りだ。


「ゎかりきってぃることを道中の時間潰しに訊くの、ゃめてくれます?」

「……、おう」

「ぁりがとうございます。ぁと一点だけ確認を。ぁなたはこのやり取りでゎたしの心象が悪くなったからと、憂さ晴らしに彼らへの取り調べの際非道ぃことをするよぅな小物ではなぃですよね?」

「しねぇよ、そんなこと」

「安心しました」


 かけらも安心していない平坦な声音で、少女のなりをした怪物は言う。

 末端子拡張機構エンデバイスを所持していること、電子技術に精通していること。それ以上にこの見透かしたような物言いすべてが気味悪く、理逸は妙な拾い物をしてしまったことにため息をつきたくなる。


 けれどそんなわかりやすい反応をすればまた少女になにか言われるように思われて、結局は息すらひそめて、早く事務所に着くことだけを願った。



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