表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter4:
31/125

Wailing wall (6)


 事前準備マエオキの戦闘終了後の異変に気付いたのは婁子々だった。

 投与型の機構により常に神経が研ぎ澄まされているのだろう彼女は、警備兵の群れをほぼ単独でなぎ倒したあと、ふいに織架の方を見た。

 表情に、陰りがあった。

 目の中の青い光が渦を巻き、ピントを遠方に合わせた印象がある。

 両手にはめていたレースの長手套を、きゅっと肘まで伸ばしなおした。


「織架」

「なんだ婁子々」

「伏せなさい」


 短い指示のあと、彼女は舌先に切手状のシートを載せる。本日二枚目だ。

 おい、と織架は顔を曇らせる。向精神加速薬アクセラは劇薬だ、多用すればそれこそ神経系へのダメージより先に内臓への過負荷で命に関わる。

 直後、彼女はまたレースとフリルの颶風となった。

 突撃するように織架の横を過ぎ抜け、

 ばぢぃん、と肉と肉の弾ける音。


「!」


 振り返り、見やった先で。

 婁子々は長い両腕を振りかざして対応していた。掌、拳、肘、肩、目まぐるしく全身を駆使して前方へ打撃を放ち、応じつづけている。

 ばぢ、バチん、と響き渡る音でそこに存在する『なにか』があることはわかるが──それが『何か』はわからない。

 織架は眼鏡型機構の現実拡張(AR)を強めた。可視光線外の領域にある波長を、視覚情報として変換し叩き込む。


 わずかな熱の上昇が軌道として視認できた。

 婁子々の正面に、四つの軌道がある。

 うねる鞭のように四方八方から襲うそれは、映像として認識しやすいよう誇張を加えてなお『空気の揺らぎ』のようにしか表現されない。


「力場の鞭……」


 振るった際に軌道上の空気と空気との摩擦でかすかな温度上昇が認められるが、そこにあるのはほぼ純粋な運動量を押し付けてくる細長い『力場そのもの』だ。熱と化すロスがない力、と言い換えることもできる。

 婁子々も現実拡張ができているとはいえ、この捉えづらい力を──しかも軌道は四本ある──次々に捌いているのは神業というほかない。五感で察知するセンスを極限まで突き詰めている彼女だからこその即応だ。


 しかし、しかしだ。

 それでも手数が多過ぎる。

 とてもじゃないが全部は受け流せない。見る間に、婁子々の纏うドレスが破れほつれていく。裾が切り裂かれ袖が千切れ飛び襟ぐりが散り爆ぜる。

 軌道を辿っていっても途中で途切れている。力場一本あたり、長さは五mといったところか。プライアなのだろうが、使い手はどこにいるかわからない。そもそも警備兵側がプライアを使う? 考えづらいことだった。では事前準備のどさくさにまぎれて笹倉組か沟が襲ってきたのか。

 考える時間が足りない。

 まずは状況把握の時間を稼ぐ。


「くそっ、下がれ婁子々!」


 指示を出し、織架は動作鍵式定型情報出力モーションキーでタタタッ、と空中を打鍵した。

 地上では地下とちがい無線が使える。近くの歩道にあったのっぺりとした黒い石碑オベリスク、旧時代の通信中継サーバ実体を介して(串通して)電子制御エレクトロのコントロールを奪う。

 婁子々の戦っていたスクランブル交差点の地中に埋設されていた、夜間通行制限用の遮断壁がせり上がり続々と連なっていく。

 交差点が中央分離帯の延長線上で、二つに分かたれた。錆びたり傷んだりしているからか何か所か動きがにぶいが、二m近い高さまで達するこれで一瞬だが目くらましとなる。


 見たかったのはそのときの相手の動きだ。

 力場の鞭は、婁子々を見失うと一瞬動きを止めている。自動オートで襲いかかるような攻撃ではない。見えていない箇所へ追撃はできない。つまり遮断壁で視線を遮られる位置に使い手が居る。

 たかだか二mの高さゆえに高所から見ているなら問題なく婁子々を視認しているはずだ。よって相手も自分たちと同じ視線の高さ、ほぼ平地に存在している。

 ──腰帯コルセット型機構の並列情報処理マルチスレッドが思考を補助・加速させた。眼鏡グラス型機構に入力された視界内情報で熱源差サーモ陰影差シェード時間差ラグで出した映像を重ね処理して人間のかたちを割り出す。


「遮断壁の向こう、正面ビルの自販機だっ!」

「さんきゅ」


 短く礼を言い、婁子々は両手の長手套の中指を噛んだ。

 脱ぎ払い、《焼け憑き》が残る指先までを晒す。そして吐き捨てた長手套の中指先は、青く濡れていた。内側にシートを仕込んでいる。三枚め、もう限界の領域だ。

 アスファルトのひび割れを倍増させんばかりの踏み込み。

 波濤のごとき勢いと滑らかさで遮断壁を乗り越え、人体の限界に迫る婁子々。

 織架が壁に飛びつきがむしゃらになってよじのぼり、壁向こうを視認したときには終わっているだろう。そう確信させる速度と力強さだった。

 けれど、眼鏡型機構に映し出される光景は。


「……は?」

「ずいぶん、馬鹿げた出力の持ち主だ」


 両手と片足を壁上にひっかけたまま、織架は固まる。

 見下ろす先で交差点を悠然と歩んでくる警備兵の男は、

 かたわらに婁子々を浮かべていた。

 男は幼いとさえ言える顔立ちと髪型だ。織架より歳は下、理逸と近いか。眉が薄く、見開き気味の灰色の眼は感情が読めない。口許は下唇に力を込めて頬の肉を吊り上げようとしている印象で、けれどそのままであまりに固定され過ぎているためかえって人間味がない。

 肉体的に優れた者が多い警備兵にしては細身で、群青の警備制服に包まれた身長も肉づきも理逸と近そうだった。六〇キロ前後だろう。


 そんな、ともすればひ弱そうな彼が。

 腰の後ろで手を組んだ、無防備な姿勢のまま。

 目に青の光を宿し、十本に増えた力場の鞭(・・・・・・・・・・)を縦横無尽に連続で薙ぎ払いつづけ、婁子々を打撃で浮かせつづけている。


「……っ?!」


 警備兵が。

 プライアとしか思えない現象を、操っている。


「ああこの子も向精神加速薬アクセラを使っているのか。しかし、汎用の機構でここまでやるとは何枚目だ? 無理はしない方がいい」


 感心したような物言いだが頬はぴくりともせず、ちらりと一瞥するだけだった。

 男の口許から、

 青く染まったシートが落ちる。


「僕はまだ、一枚目(・・・)なんだが」

「あ、ああぁぁあああっ!」

「おっとあぶない」


 どのように乱撃の隙を見破ったか、婁子々が反撃の左掌底を繰り出す。

 中空に浮きながらであっても、当たりさえすれば必殺の一撃だったろう。

 けれど当たらない。力場の一本が肘を押さえ・一本が手首を引き・一本が肩を極め、関節を砕いた。歯を食いしばる婁子々──即座に痛覚封印マスキング。歯の縛りを解いて息を吐き対角線、右足の蹴り上げ。


「こわいな、淑女レディ


 身をかわしつつ警備兵は力場をかかとに添え、かち上げることで婁子々を空転させる。後頭部から地面に落とされ、鈍い音が響いた。


「婁子々っ!」

「無駄な呼びかけはしない方がいい、指揮官君」


 即座に十本の力場が織架に向けられる。

 とっさに動作鍵式定型情報出力モーションキー。しがみついていた壁をひっこめることで落下し、向けられた軌道をかわす。だが織り込み済みだったか、三本に弾かれる。細いのに、しなる丸太で殴られたような衝撃だった。もともと前衛向きではない織架は受け身を取るのにも精一杯で、つづく追撃に対応しきれない。

 すでに先ほどの視覚情報処理でかなり無理をさせている腰帯に、もういちど並列情報処理を叩き込む。四本までの攻撃パターンは婁子々を見るうち蓄積されていたため、それを元に予測される軌道を最初からかわしておく。


「いや、そうくると思ってね」


 銃声。撃たれたと気づくのは残響が小さくなりはじめてからだ。

 腰から抜いた制式拳銃ドリセキによる抜き撃ち(クイックドロゥ)が織架の腰帯型機構ごと脇腹を撃ち抜いている。もともと処理限界が近かった腰帯は、熱を帯びたまま沈黙した。受け取るはずの情報が抜け落ち一気に精彩を欠いた眼鏡型機構は回避の役に立たなくなり、力場の鞭打をもろに食らって後ろに吹っ飛ぶ。

 骨が軋んだ。脇腹の血が熱い。


「死んだかな?」


 言いつつ、警備兵の男は頭を掻いた。

 その『手』を見て、織架は仰天する。


「……なんだっ、それ……」


 両肩から生えた手。

 赤子のそれを思わせる太さとやわさを思わせるそれは、あるはずのない部位だというのにじつに器用に動いた。髪を撫で耳たぶをいじり首元をくだって肩甲骨の方へ回る。最初は、そちらに倒してあったので正面から見えなかったのだろう。

 織架の動揺を見て取った男は初めて、表情をわずかに緩めた。


「これは周辺装置デバイスだよ」

「は?」

「きみたちよりも、わかりやすい(・・・・・・)形をとっているだけでね。いや……むしろあるべき姿と言う方がいいか。ともあれ、僕が来たからには状況(case)終了(closed)だ」

「いや待てっ、なにが、ケース、クローズドだ……約定は、どうしたっ。制水式の、あいだは……地下以外の戦闘は、禁止。やれば制裁ペナルティの対象となるのは、水道局そちらも同じだぞ……!」


 困惑のなかで織架がなじれば、男は、短い髪なのでその必要もないだろうに、芝居がかってかきあげる仕草を見せながらつぶやいた。


「僕は特種警備兵、《陸衛兵ヘクシード》が一人。泉左陣いずみさじんだ」

「……特、種?」

「約定については理解しているからご心配なく。きみはいますぐ、僕が名乗った理由を心配する方がいい」


 うぞ、と泉の後ろから、赤子の五指が制服の肩章をつかむようにうごめいた。

 同時に十本の力場が泉を取り囲むように整列する。

 その様はまさに『巨大な両手に包まれた』ようで。


「指の数が、力場の数か……」

「ご明察。ただ、打鍵もそうだけれど意識しなければ十指すべてを使うのは難しくてね。使おうと思ったときは向精神加速薬に頼る方がいい、というわけだ」


 そして十指すべてを使う時とは──と前置きしながら、両肩の赤子の手が上に掲げられていく。派手な音を鳴らすのが好きな赤子が、行動の直前に見せるモーションだ。

 すなわち、全力のスラップ。


「邪魔なもの臭うものは視界から消してしまおう……臭い物(Close)には蓋(the lid.)


 真上から襲いかかる力場が十本。負傷でもう、織架は動けそうにない。

 ここまでか、と歯を食いしばる。力場で空気が攪拌されるかすかな音が耳に迫る。

 しかし途中で、止まった。

 否、一気に引き戻した。そのような音だった。


「遅い登場だ。英雄を気取るのなら、もう少し早い方がいい」

「そんなもの気取るつもりは毛頭ない」


 泉の軽口に平然と答えるのは、遥か頭上からの声だ。

 見上げれば、腰帯の破損で(どうせ撃たれなくても無理な稼働で壊れただろうが)情報入力の少なくなった眼鏡越しに。


 空を歩く影が見えた。


 ミュールで大気を踏みしめ、パレオの裾と大きめのワイシャツから垂れる右袖を揺らし。


 左にだけ残る鋭い眼で地を睥睨する、織架たちのリーダー……鱶見深々が、そこに居た。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ