Water war (3)
頼らせてほしいと言われて、即座に理逸は動き出した。
警備兵は愚鈍な敵ではない。自身の持つカードが使えなくなったなら即座にその対処に移る。
つまりは自身の機構が使用不能になった原因と思しき──少女に襲いかかる。
「お前が原因ならば……先に、潰す!」
叫び、駆け出した警備兵。しかし拡張が無くなったことで先ほどまでのような俊敏かつ力強い動きは失われていた。
理逸は少女めがけてつっこむ警備兵の進路上に割り込む。
「させっかよ」
どういうからくりかはわからないが、少女によってもたらされた千載一遇の勝機だ。ものにせねば生き残れない。
速度を欠いた警棒の振り下ろしをかいくぐり、切り返してくる前に手首を右掌で押さえる。
左手で顔面へ掌底。左腕で防がれる。だが視界を塞いだ。
押さえている右手の接触面の圧を変えない体捌きで、理逸は左足を相手の右膝裏に滑り込ませる。警備兵はこれに気づかず、反撃に動こうとしたことで自ら足をひっかけ後ろに転んだ。
「くっ──」
警備兵は勢いをつけて大きく飛び退り、理逸からとどめの追撃を受けないように構える。こうした不測の事態へ直面したときほど、正規戦闘術の鍛錬量がものを言うのだ。
が、距離を開けさせたのはわざとだ。
警備兵が理逸の方へ向き直り警棒を振るおうとしたときには──理逸の手の内に拳銃が納まるところだった。転ばせて即、能力を発動して落ちている拳銃を引き寄せていたのである。
残弾は四発。照準を合わせる。
警備兵の男は舌打ちを残し横っ飛びに逃げた。距離は五メートル前後。銃火器の扱いに慣れない理逸では、動く的に当てることは難しい。
けれど動きさえ止まれば、あるいは。
そう思った瞬間。
「──止まって」
警備兵に浴びせかけられる青の奔流。
顔めがけての微機の大群。物理的なダメージは無いにせよ、視界を奪われ足がもつれた。
理逸は躊躇わず引き金を絞る。
一発、二発。足をかすめる。弾倉が回転した。
次なる三発目が左腕を射抜く。警備兵が苦痛に顔をゆがめた。
だが最後の四発目の前に警備兵が右手で自身の拳銃を抜いた。走りながらの射撃。それは動く相手を狙うよりなお難しい曲芸だ、まず当たらない。
とはいえいまの彼には狙いをつけるガイドがある。
視界を塞ぐ青の奔流を直線で辿れば……少女がいる。奔流の方向に撃てばいいのだ。
警備兵は下卑た笑みを浮かべた。
「死ねッ!」
理逸は銃から手を離し少女に向ける。
「来いっ!」
銃声と、発動。
すんでのところで理逸の能力が間に合った。
射線から少女がぐんっと理逸の側へ引き寄せられ、からくも弾丸を避ける。
そのままでは高速でぶつかるので途中で拳を開いて能力を解除し、慣性に従い進んできたのをなるべくやわらかに受け止めた。両肩をつかんだのだが、びっくりするほどに軽い。まるで壊れ物だ。
「下がってろっ」
すぐさま彼女と、ホームに並ぶ柱の裏に隠れる。銃声が轟き弾丸がかすめた。理逸は能力を使い、投げ出した銃を手の内に引き寄せる。
すると少女が銃をじっと見て言う。
「四秒後に床を撃ってくださぃ」
「は?! あと一発しかねぇんだぞ!?」
「ぃいから。あと二秒」
言うが早いか少女は銃に手を添え、離れた位置の床にその先を向ける。指先をからめるように理逸の人差し指を押す。
炸裂する火薬の音が手の内から響き渡った。
「──がぁっ?!」
柱の裏から悲鳴が聞こえる。
跳弾が当たったか? いや床にはたしかに弾丸が撃ち込まれている。ではなぜ?
「機能拡張の強制発動を、してぃます」
「は?」
「停止させた末端子拡張機構を再起動、防護を無力化、聴力を限度無視して鋭敏にしました。ぃまなら倒せます」
言われて、ポケットに入れていた折り畳み型の手鏡で柱の陰から様子をうかがう。警備兵の男は両耳を押さえて身を縮め、銃が撃てる状態ではなかった。鋭敏化された聴力が銃声を爆音としてまともに受け止めたのだろう。
……なんでこいつは、そんなことができる?
湧いた疑問は当然だったが、まず現状を打破しなくては生き残れない。疑問を振り切る。
理逸は即座に飛び出し、手の中の拳銃を投げつけた。警備兵は依然体勢を崩したままだったが、なんとかこれをかわす。その隙に間合いを詰める。
一歩。警備兵が照準を合わせようとした。
二歩。耳の痛みに耐えて銃撃。理逸が斜め前方に移動してかわす。
三歩。勢いに乗りながら理逸は右の拳を握り、強く後ろに振りかぶる。
四歩。理逸の右手の動きに合わせて能力が発動、警備兵が前につんのめる。
五歩目で、左足を強く踏み込んだ。間合いの境を超えた。
「喰らえよ」
右足が地面から離れた瞬間、
ひねりを加えた右拳が警備兵の顎を打ち抜く。
──《白撃》。
全力で駆けて全霊で打つこの技を、理逸の学んだ流派ではそう呼んでいた。
顎を喉にめり込ませるようにして吹き飛んだ警備兵は、ホームから落下してどざっ、と線路に転がった。確認するまでもなく意識を飛ばした手ごたえがある。
この街で戦ってはならないとされる《機構運用者》相手に、勝利を納めた。
初のことだった。
「ご助力ぃただき、その点には感謝ぃたします」
だがすぐさま勝利の余韻に水を差された。
慇懃無礼な物言いで、少女がつかつかと歩み寄って来る。
「ほんと何様なんだよ、お前」
「それにつぃてはぉ答えできますが、しかし、先ほども申しぁげた通り、」
「あーあー、わかったよ。俺が先名乗るのが筋だってことだろう。わかったよ」
面倒になって遮り、脱出のため歩き出す。少女はついてきた。
階段を上がる道すがら、少しだけ躊躇して言う。
「……円藤、理逸だ。ただ名前で呼ばれるのは好かない。円藤でいい」
「エンド」
「終わりみたいに言うな。伸ばせ」
「エンドー」
「そう。だが、呼び捨てか……」
「注文が多ぃぉ兄さんですね」
「うるせぇな。で、お前はなんて名だよ」
「ゎたしは、スミレと。そぅ呼ばれてぃます」
あきらかに異国の香りが漂う顔立ちなのに、えらくこの日邦の土地に馴染んだ名だ。
おそらくは瞳の色から、通り名としてこの街の人間に付けられたものだろう。そこは詮索せず、そうかと流しつつ歩く。
「で、お前はどうして水泥棒をしてたんだ」
「それは……ここから南下したところにぁる、貧民窟の人々ょり、頼まれたからです」
「南。希望街か」
そこは2nADの住まう土地だ。
After Disasterの二世以降、言語を奪われた流氓の総称。……スミレのしゃべりには訛りが感じられるが、それでも2nADの口調に比べるとずいぶんと聴き取りやすい。それくらい、彼らとは隔絶があるのだ。
「彼らに水不足で困ってぃる、と嘆願され。パィプラインにつぃて教えてもらぃ、地下を潜ってきました」
「ひとりでか?」
「案内役はぉりましたが、警備兵に見つかりそぅになったとき別れました」
「そりゃまた難儀したな」
階段をのぼりきり、三番目の十字路を左折。ローテーションではもう警備兵がここらにやってくることはないはずだが、一応警戒は怠らずに進む。
「お前、このまま希望街に戻るつもりか?」
「水がちゃんと届ぃたか、確認したぃので」
「そうか」
「昨日もぉ知り合ぃになった方が、渇きを訴ぇつつ、二人死にましたから」
「そう……か」
道なりに進み、かつては狭い幅の店が並んでいたのだろう地下街を抜け。
申し訳程度に侵入防止の金属柵がついた、地上への階段下に出る。ごそりと取り出したワイヤーカッターで柵を結び留める鋼線を切り、がらがらと横にどけてステップを踏む。
地上の、むっとした湿り気ある暑さが流れてくる。
ぬるい空気に身体を包まれながら階段を上がり、理逸は深呼吸した。
外だ。
ひび割れた、片側四車線の道路が目の前を横切る。
道路を囲むのは窓ガラスの大半が割れた高層ビル、および高層ビル『だったもの』。
四大災害から半世紀を数える今日までのあいだにいくつものビルが倒壊の危険を帯び、その都度特殊発破解体技師の手により崩されてきた結果だ。
そして清浄とは程遠い空気の濁りでけぶる道路の遥か彼方には、そびえる壁。
街の南を首都と旧都にまたがり走っていた、高速道路の成れの果てだ。第二災害の折に基礎から砕け横倒しになり、そのままとなっている。北にも同様のものがあり、この街は壁に閉ざされていた。
ここは、南古野。
首都も旧都も滅び土地の四割を地盤沈下で失ったこの日邦──『元・極東国家』に、たった六つだけ生き残っている企業統治区のひとつ。
最後の楽園には程遠い、ゴミ溜めのひとつ。
そこで理逸たちは生きていた。
「希望街なら、あっちだな」
そびえる横倒し高速道路、通称を南大壁と呼ぶ方を理逸は指す。スミレはこくりとうなずいた。
「ぉ世話になりました。ぉ兄さん」
「お互い様ってことにしとけ」
「そぅですね。ゎたしがぃなければ、ぁなたは死んでいたでしょぅし」
「お前もな」
初見で水泥棒ではないと判じたことをよほど根に持っているのか、スミレはつっけんどんだった。小憎らしいガキである。
それきり、別れの挨拶もなくきびすを返して歩き出そうとする。
互い、命を拾った。
それで手打ち、これにておしまい。
そういうことはこの南古野では頻繁にある。ひとりでは到底生きていけない土地なので、コトが起こる前は恩の着せ合い・貸し借りの取り立て・情と義理の駆け引き、そのすべてが凄まじいが……同時に、いざコトの生じた鉄火場ではそういうことを言っている暇がない。だから所属組織が絡みにくい一対一の関係においては、暗黙の了解で貸し借りは無しになる。
今日もそういう関係だ。
これきり、会うこともないだろう──
「──ってなることが多いが、お前に限ってはそのまま帰すわけにもいかねぇんだよな」
歩き出そうとしたスミレに左手を向け、ぎゅっと拳を握る。
『引き寄せ』の能力が発動し、離れていこうとした彼女の身体をぐいっと引っ張った。あわてて足をばたつかせてバランスを取るも、理逸にホルターネックのストラップをつかまれる。
この展開が予想できていたのか、スミレは観念した様子で肩を落とした。
「……ゃはり、こぅなりますか」
「そりゃあな……失伝技術のはずの電子制御をああまで自在に動かす、それができるだけの人材ならまぁいないでもない。だが警備兵の末端子拡張機構を改変できるほどの機構を装備してるやつなんざ、この街ひっくり返してもひとりだって見つからねえ」
先の警備兵が持っていたような機構でも新市街に住む上級市民の年収が相場。となれば、それに手出ししてあまつさえ乗っ取るような真似ができる機構とはどれほどの希少品、どれほどの値打ちがつくのか。
暗黙の了解で貸し借りは無しにするが、こんな危険すぎる存在を放っておけるほど理逸はお気楽な頭をしていない。なにせ彼の所属は南古野安全組合なのだ。
子猫のように吊るされたスミレは太腿近くの裾がずり上がらないよう両手で押さえつつ、じとっと湿度の高い横目で理逸を見やる。
「改変じゃなく、懐柔です」
「どっちでもいいわ」
今度はこっちがつっけんどんになる番だった。スミレは深いため息をつく。
「ぁあ……ゃっぱり微機の扱いを見せなければ、ょかった」
「使ってなきゃ俺もお前もいまごろ死んでる」
「それは、そぅなのですが」
あきらめた顔つきで、スミレは口をとがらせた。逃げる気配がなくなったので、理逸はストラップを離して下ろす。
「素性と話を聞かせてもらうぞ。ご同行願おうか」
「泥棒のくせに官憲のよぅな物言ぃですね」
「官憲なんて旧時代のモンよく知ってんな?」
つーかひとのこと泥棒呼ばわりできる立場じゃねえだろ、と加えつつ、理逸はスミレに行き先を手で示した。
向かう先は南大壁の逆、北遮壁の方面。
八車線を横断している倒れた電波塔を越えた先──安全組合の事務所があるビルを目指して、ふたたび歩き出すのだった。