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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter3:

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16/125

Worth working (1)


 威風堂を解体することで、一件が終了した。

 尾道は終身行動制限──まあ、隠語だ──となり、薊や抱えられていた嬢たちは安全組合の斡旋で別店舗への転向。於久斗は届提出済み能力保有者だったが、私的利用と見られたため注意ということで片が付いた。


 そんなこんなで数日経過し、ある蒸し暑い夜のこと。

 安飲み屋同士での常連(という名の出禁寸前泥酔客)の押し付け合いという、ひどく面倒な仲裁を終えて理逸とスミレは帰宅した。アパートの、赤錆びた外付け階段をのぼる足が重い。


「……メシ食ったら、さっさと寝よう」

「……賛成ぃたします」


 めずらしくスミレが素直に同意した。普段の憎まれ口を叩けない程度に疲れてしまったのだろう。

 なにせ酔客というのはただでさえ面倒極まるのに、今日の客は無駄に機構運用者デバイスドライバでもあるという一層厄介な人物だったのだ。

 反応強化や視覚強化によるすばしっこさでひどく取り押さえに難儀すること数十分。とはいえ酔客に水道警備兵のような体格や体術はないためなんとか捕まえて意識を落とし、スミレがこっそり微機ナノマシンを打ち込むことで前後の記憶をまるごと消し飛ばした。

 たぶん記憶喪失については酒のせいということになるだろう。そう思いつつ、ふと足を止めて理逸は階段途中のスミレを振り返った。


「周りに見られてねぇよな。お前の微機使い」

「注意してぃましたから。身体の陰に隠し、投与しましたし」

「抜け目ねえな」

「とぃうか、それくらぃは確認してぉくのがぁなたのぉ役目では?」

「斬った張ったの立ち回りのあとで押さえ込んどく以上のことができる体力なかったんだよ……腹減ってきて集中力も落ちてたし」


 げんなりして理逸はぼやいた。

 相手が機構運用者であれば、理逸がそいつの意識さえ飛ばせばあとからスミレが記憶を操作可能だ。スミレという優れた機構運用者がいた事実や、その他不都合なことを知られた際にも記憶消去の措置ができる。

 しかしそれ以外、一般人や能力保有者プライアホルダーが相手となるとスミレの微機でも脳や神経細胞、つまり記憶に干渉できない。

 なので極力、いまは周りに見られたくなかった。強力な使い手が派閥に入ったという噂は、良くも悪くも広まりやすい。もっとも、年若いスミレをわざわざ連れ歩いている時点ですでにいろいろな憶測は生まれているのだろうが……。


「そぅいぇば、先ほど食事をぉごられそぅになってぃませんでしたか」

「ん? ああ、ジロクマのおっさんか」


 安飲み屋の常連のひとりである、2nADであり、かつ宗教団体《慈雨の会》の一員である四〇がらみの中年。人生の折り返しも過ぎ、そろそろ終わり方を考えていそうな歳の男だ。

 そんな彼に仲裁の仕事の終わりがけ、相席で食っていくかと誘われたのだった。自宅に食事の用意があったこともあり、今日のところは断ったが。


「お前を連れてたからだろうな。あれも」

「ゎたしを?」

「2nADとつるんでるのに知らねぇのか。お前はメシもらった経験はないか?」

「ゎたしはそぅいぅ経験なぃです。ツァオたちにはぁるのかもしれませんが、食事はぃつも別行動でしたので」

「……そうか」


 食事にはその人が現れる。食べるところを見られたくない人は多い。

 とくに、2nADは個々に『食うや食わず』の状況も差があるものだ。なるべく格差を感じさせず感じないために、食事を別にする者は多い。四日間少々の付き合いでは2nADのなかでの習慣を知らないのも、無理はないのだろう。


「ジロクマのおっさんは2nADかつ《慈雨の会》に属してるからな。慈雨の教義で、『自分の属す共同体の若い人間に対しての施し』が徳になるって考えなんだよ。だから一応2nADに属したお前を見て、おごろうとしたわけだ」

()ですか。ぁさましぃですね」

「なんかちがう意味で伝わってる気ぃするな……あれだ、徳、『功徳』だ」

「……同音異義語がめんどぅですね日邦語は」


 自分が文脈を読み違えたというのに不満そうなスミレだった。宗教観の話だから知らん人間が間違えるのは仕方ないだろ、と言おうかとも思ったが、へたな慰めを口にすればより怒らせるのでスルーする。


「『自分がそうしてもらったから、そうする』。こうしてつづくものや流れを生み出すきっかけになれること、きっかけの一部になることに意味や価値がある……慈雨の会は、そういう考えだそうだ」

「他人の未来に自分の価値の一部を仮託する、と。ずぃぶん他者に寄りかかった物言ぃと行動ですね」

「社会で生きる行動のほとんどがそういうもんじゃねぇのか?」

「それはぁきらめと開き直りでの立ち止まりですね」


 ズバっと斬り捨てて、スミレは足を止めていた理逸を追い越していった。理逸の、ひいては大人のこうした諦観そのものが嫌いなのかもしれないな、と感じる足取りだった。

 その態度に、お前がモノを知らないからそう言えるのだ、と決めつけることができるほど傲慢でも枯れてもいない理逸は、「たしかにその先は、考えなきゃならんものだな」と言いつつ追いかけた。半秒ほど手すりに片手をかけ止まったスミレは「そぅです」と理逸へ返す。


 ともあれやっと、落ち着ける我が家へご帰宅だ。

 理逸は鍵などという上等なものがかかっていない扉をギィと開く。仕事に呼ばれて飛び出す寸前に買い置きしていった惣菜屋の安売り袋が、流しの上にあるはずだった。


 しかし、なにもなかった。

 左右を見渡す。

 やはり、なにもなかった。買い物に使った麻袋すらない。


「……おいおいおいおい」


 ぴんときて、呆けているスミレを押しのけた理逸は部屋から大股で出る。隣の部屋のドアをノックする。返事がない。すぐさま開ける。自分の部屋と同じつくりの六畳間──カーテンレールや鴨井に下がる洗濯物の華美さと繊細さ以外はまったく同じそこに入り込む。

 畳の上に転がっている麻袋があった。

 中身の、惣菜がない。

 横にはピンクチラシの裏に木炭による書置きがしてあった。


『ごちそさま おだいはそのへんのもの うっておかねにして』


 部屋には洗濯物しかなかった。

 この部屋の住民がよく着用している黒のチューブトップやキャミソール、ホットパンツ、紐じみたショーツ、そして──どんぶり二つくらいなら優に納められそうな、胸部用の下着。

 白くレースの縁取りが成された、実用度よりも派手な外見を重視していそうなフロントホックのそれを見て、理逸は苛立ちとともにはたき落とした。


「……なにをしてぃるのですか」

「買っといたメシを欣怡シンイーの馬鹿に食われた八つ当たりだ」

「押し入れにしまゎなかったのですか」

「……すぐ戻れると思って、流しに置きっぱだった」

「それはぁなたが悪ぃ」

「わかってるから言うな畜生」


 このアパートや周辺の同程度の生活水準地域では部屋に鍵がかかるところなどほぼなく、室内に置いているものは押し入れになければ共有物と見なされる。それがあきらかにこのあと家主の胃に収まる予定であろうと見える、食事であってもだ。

 隣室の楊欣怡ヤンシンイーはとくにこの慣習を律儀に大事にしているろくでなしであり、理逸はたびたび部屋の品を失敬されていた。だからこそ蛇口の取っ手すら天袋に隠して見えないようにしていたのだが、今日に限ってうっかりしていた。

 スミレはしげしげと、ピンクチラシを見つめている。それから理逸に向き直った。足下に転がる、ご大層なカップサイズの下着を見つめる。


「売るのですか」

「俺にもプライドってもんがある」

「プラィドでぉ腹はふくれませんけどね」


 言われて意識した途端腹が鳴った。

 ひどく、屈辱的な時間だった。


「……欣怡の馬鹿からは今度カネなりモノなり巻き上げる。今日はつかれたし、金はかかるが……外に食いに行こう」

「了解ぃたしました」


 疲労の溜まった身体を押して、二人はまた家をあとにした。


        #


 京白ジンバイ市場は今日もにぎわっていた。

 夜市イェシィの中心たるここは、四大災害(クァド・ディザスタ)までは単なる公園として機能していたようだが、いまは夜だけ目覚める一大市場だ。

 生活用品から雑貨、食事、娯楽、武器、古物。あらゆるものが個々のテント下に並べられた場は《南古野安全組合》《笹倉組》《沟》の垣根を越えて営業しており、ここで芽の出た者が店舗の設立や組織との営業契約など一段階上の暮らしへと歩を進める。


「だから芽の出そうな店を探すのも、安全組合としての業務といえるな」

「安くてぅまい店を探したぃと素直に言えばどぅです。仕事にしか誇りを持ててぃなぃからこそ、そのょうな物言ぃで単に金欠の自分のみじめさを誤魔化したぃのでしょぅけれども」

「……なぁ、軽い冗句くらい言わせてくれよ。あの惣菜安売り袋は二食分は入ってるはずだったんだからよ」

「ぁなたの不注意に巻き込まれてぃるゎたしに愚痴を言う権利も認めなぃと? ぁなた上司でぁるミミさんからゎたしの生活と仕事の受注につぃて任されてぃましたょね? 『行動の判断も基本的にはそぃつに仰げ、ぅまれてこのかた南古野から出たことがなぃから大抵のしきたりはゎかってぃる』と言ゎれてぉりましたのにしきたりをすっかりゎすれてぃた迂闊さ全開のぁなたが笑って誤魔化すのを許せと? ミスにょる被害の押し付けにくゎえてその厚顔無恥さで人としてのダメさ加減を上塗りするぉつもりですか?」

「悪かったよ……俺が迂闊だったよ、ごめんよ」


 嫌味全開のスミレに平謝りしつつ、本当にこのガキどういう記憶力と頭脳をしているんだと恐ろしくなる理逸だった。細かくは覚えていないが、たぶんいまスミレがそらんじた深々のセリフは一言一句あのとき彼女が言ったものと同じだろう。言葉選びの圧から発言者の気配が感じられる。

 空腹で気が立っていると思しきスミレをこれ以上刺激しないように背を丸めて歩きつつ、理逸は居並ぶテントの食事ラインナップに目をやった。後ろに問いかける。


「食いたいものあるか」


 この数日の生活で幾度か食事を共にしたが、スミレは理逸が買ってくる冷めた惣菜や味の落ちた残り物を文句も言わず食していた。箸の扱いすら器用であることには驚いたが、食事にこだわりがあるようには見えない。食の好みがあるのかは気になっていた。


「ぉ腹にたまるものでぁれば、なんでも。早く出てくればなぉ良ぃです」

「こだわりがねぇなぁ……」

「栄養を摂るのに障りとならなぃ程度の味と量がぁればそれで構ぃません」

「合理か?」

「合理です。ゎかりきったことを訊かなぃでくださぃ」


 なんでもいいらしい。理逸は自分の好みで決めることにした。

 並ぶテントのなかから、漂ってくる香りに引っ張られていく。

 湯気の向こうでひっきりなしに皿を運び、客の待つ机に配膳。飛び交う注文を聞き分けて提供している動きもてきぱきとしていたので、ハズレではなさそうだと暖簾をくぐる。鉱石ラジオから流れる違法無線局からの番組が、ノイズ混じりの音楽を聴かせてきた。

 ブロックを組んで火を焚いている上に、煮物用の大寸胴と炒め物用の大鍋が置いてある。あとは後ろに積まれた行李こうりより乾物や出来合いの惣菜を取り出して販売しているようだ。理逸とスミレも隣客と肩を押しあいながら立ち食いの席についた。

 店主は黄ばんだ袖口の白い調理服を纏った忠華出身と思しき大男で、狭い調理スペースのなかで長い腕を四方八方へ伸ばして仕事をしていた。


「いらさい」


 忙しいからかぶっきらぼうに店主は言い、顎でしゃくって頭上に下がる商品札を示した。

 ぷらぷらと鈴生すずなりに下がっている札には漢字だけが並んでいる。理逸は手早く注文した。


「出の早いやつ……なら、肉圓バーワンかな。ひとつでもかなり大きいから、お前の夕飯これでいいか?」

「構ぃません。小食な方ですし」

「じゃあ肉圓を二つ。あと俺の分、魯肉飯ルーローハンもひとつお願い」

「魯肉飯人気だから少し待たすよ」


 店主は視線を向けずに言った。理逸は「いいすよ」と返す。「あいよ待たれよ」と店主が威勢良く返す。

 他の客の前へと搾菜ザーサイ紫薯粥ジシュジゥオを椀によそって提供すると、返す手で鍋の縁にひっかかっていたお玉の柄を弾く。もったりと重く、乳白色の水面が持ち上がり、中に浮いていた塊をどぶんと丼へ注ぐ。

 薄く半透明に透き通る膜の内に薄茶色の具材がぱんぱんに詰まっているのが見える。大人の拳ひとつ分はあろう大きなそれに、またたっぷり、とろみのついた琥珀色の餡をかけた。器からあふれんばかりになったそれを、乱雑にしかしこぼすことなく器用に、理逸たちの前へ置く。


「先ソレ食うて待ってるよ、お前たち。うち人気だから待たすよ」

「ありがたい。いただきます」

「……これが、ばぁわん?」


 不思議そうにスミレはつついた。ぶゆん、と箸先を弾力のある皮が押し返す。


「肉圓。ひき肉と、たけのこ──まあ千変艸ヴァリアブルウィード製だけど──の肉餡をでんぷん質の皮で包んだやつだ」

餃子ギョーザのょうなものですか」

「皮がだいぶちがうけどな」


 箸を突き立て、理逸は持ち上げる。ずっしりと箸先が下がる。口許に近づけると干し椎茸を軸にしたのだろう滋味に満ちた匂いが、魚介出汁のうまみある香りを伴って湯気のなかから立ち上った。

 かぶりつけば肉が汁気とほとばしる。ちぎれ落ちる肉と筍は、けれど弾力ある皮を纏い引き伸ばしながら垂れていくため器の餡を跳ねさせることもない。がふがぷと、皮の押し返すような弾力に歯を沿わせながら理逸は口に詰め込んだ。途端に舌の下までスープがもぐりこんでくる。


「……もぅすこし落ち着いて食べられなぃのですか。ぃい歳した大人が」

「んぐ……口いっぱい、詰め込むとき感じる美味しさってものが、あるだろうよ」

「味蕾は舌にしかぁりませんが」

「……未来が下? なら過去は上か?」

「……A disease(馬鹿は) that can’t be cured(死ななきゃ) by food can’t be cured(なおらない) by doctors.」

「医食同源。みたいな格言だったか、それ」

「そぅですね」

「なんでいまそんなもん口にしたのかわからんが……まあ、ともあれ食えよ。この店うまいよ」

「自分の店選びが正解だったとぉ思ぃなのでしょぅか。目利きが出来たとご満悦ですね、しきたりの把握は出来ませんのに」


 いちいちトゲのある言葉で刺してくるスミレだが、膨れた腹は立つカドもない。食べることに戻るだけだ。

 ちらりと横目で見やると、スミレは理逸同様にかぶりつくのがどうにも気に入らなかったらしく、箸で四等分、さらに二等分してひと口サイズにしていた。そっと口に運び、もぐもぐと咀嚼している。

 そこからは減らず口が一度も出なかった。

 二個目は一個目より、三個目は二個目よりも食べるスピードが上がる。器に口つけて餡も啜る。理逸は黙って目を自分の丼へ戻し、かつかつと餡に浮いた具をかき集めて食べる。

 理逸とほぼ同時くらいに丼を台に置いたスミレは、丼の上に箸を渡し置いて目を閉じる。

 顔を理逸から背けつつ言った。


「先ほど、二食分の惣菜が入ってぃたとぉっしゃぃました」

「言ったな」

「この場はぁれをぁなたが収奪されたことの埋め合ゎせです」

「そうなるな」

「でぁれば、ゎたしも二食分ぃただくのが道理では?」

「…………主人、肉圓もうひとついけますか」

「人気だからもうないよ」

「……!」


 震える気配を隣から感じた。


 そこに、たまたま通りかかったらしいジロクマが「なんだ結局飲み屋来てんのか。食い足りなかったか、成長期か?」と言ってスミレの分の魯肉飯をおごってくれた。



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