勝たないと気が済まない人がいる?
誰それをブロックしたことを、高らかに公言する人がいる。
誰それにブロックされたことを、高らかに非難する人がいる。
ブロックすることが良いことか悪いことか、そこを議論するつもりはない。
何が正しいとか、何が間違っているとか、そういうのにもあまり興味はない。
だけどそんな様子を見ていて思ったことがあるので、思考の整理がてら適当に書いてみようと思う。
幸いなことに、私はなろうにおいてはブロックされたことがない……と思う。
そもそもコメントで絡むようなことをしないから、されるはずもないのだけれど。
そもそもコメントをしないから、ブロックされていても気づかない……というのが正確なところか。
だから、ブロックした人、された人の気持ちがわかるかと聞かれると、正直なところこれは想像でしかない。
だけど同じ『なろう』に住まう人間として、気持ちがわからないこともない。
あるとき不意に、自分がブロックされていることに気づく。
心当たりは……残念ながら、あるとする。
だから、まあ、その当人に拒絶されること自体は、納得がいく。
だけど同時に、まるで自分が『世間から拒絶された』ような感覚に陥ってしまう。
もしかしたら、私をブロックした彼と同じように、私は世界からブロックされているのではないか。
あるいはいずれ、そうなるのではないか。
そう考えると、どうしようもなく不安になる。
人は、社会的な生き物だ。一人で生きていくようには設計されていない。
だから人は、人に嫌われることに苦痛を感じる。慣れることは難しい。
叶うことならば、万人に好かれる人でありたいと願っている。
だからこそ、自分が誰かに嫌われていると気づいたときに、どうしようもない不安に襲われる。
だからこそ、攻撃的な意図を込めて人をブロックもする。
そしてだからこそ、ブロックされたことを宣戦布告として受け取る。
でも、端から見ている人……少なくとも私にとっては、ブロックなんてしようがされようがどうでも良い。
こんなやつがいたから、ブロックした。みんなも気をつけよう。
こんなやつが俺様をブロックした。こいつは人の話を聞かない。
公のためという免罪符を掲げながら、いかに自分が利益を得るか、それしか考えていないように見える。
誰かと戦おうとするとき、人は無意識に人を選別する。
自分の周りには、自分と同じ利益に引かれた守銭奴ばかりが集まる。
自分とは違う考えの人たちは、音も出さずに立ち去っていく。
だから、あなた自身の視点からは、まるで自分が正義の中心であるような錯覚に陥るかも知れない。
だけど大概の場合、外から見た私たちは、世に数多ある『奇特な集団』の一つでしかない。
個人的なことを言わせてもらうと、私は、そうやってバトルしかできないタイプの人は、嫌いだ。
議論の目的は、勝つことではない。相手の考えを受け入れ、よりよい案に昇華することのはず。
だというのに、一方的に自分の意見ばかりを言って、こちらの話を聞こうとしない。
そういう人の話は、聞いていて全く面白くない。何せこっちにとれるコマンドが「肯定する」以外に用意されていないから。
選択肢の存在しないノベルゲーム。なんだこれ、演説会かな?
論破ってそれは、議論の下手な人がやることだよ。と、私は思っているのですが、
皆様は、いかがでしょうか。