殺害にいたるお味噌汁
「これはむごい……」
警部の焙じ茶はつぶやいた。
食卓から落下した味噌汁の椀は中身が床にぶちまけられ、周囲に飛び散った具材があちこちに付着している。
「うッ……」
吐き気をこらえるような様子の部下を、焙じ茶がたしなめた。
「緑茶ァ、いつまで新人のつもりだ。現場荒らすなよ」
「いえ……すみません大丈夫です、課長」
緑茶は手帳を開いた。
「今朝、八時五分。食卓の端にいた梅干しが第一発見者です。落下音に気付いて見た時には、すでにこの有様だったと……」
「朝食時だな。今朝の献立は?」
手帳をめくる。
「ええと――白飯、焼き鮭、海苔、豆腐の味噌汁、温泉卵、梅干し、ですね」
「ふむ、朝食としては理想的な組み合わせだな。もめ事が起こるような献立とは思えんが……」
「やはり事故――でしょうか」
「……食卓の主はひとり暮らしだったな?」
「え? ええ。二十七歳、男性。フリーライターです」
「自室が仕事場であれば、ゆっくりと朝食の支度をする余裕もある――ということか」
焙じ茶は改めて現場を見渡した。
「おい。床に落ちた味噌汁と、献立の味噌汁は別物だぞ」
「ええッ?」
*
「味噌という共通点につられて、具材に目が向くまで時間がかかりました」
取調室で焙じ茶が告げた。
「床に散らばった具材にね、豚肉があったんですよ。そう、床に落ちたのは豚汁。献立にあった豆腐の味噌汁ではない――」
緑茶は調書から視線を上げる。
「では汁物の椀がふたつあったのか? いや、ひとり暮らしの食卓としてそれはいかにも不自然だ。つまり本来の献立にあったのは豚汁だった。あなた自身がこの場にいることこそ、その何よりの証拠です」
豆腐の味噌汁は観念したように微笑んだ。
「……昔から、豚汁が嫌いでした。下拵えにかかる手間や具材の多さを鼻にかけ、わたし達のような単なる味噌汁ではない、食卓のメインを張るべき椀だとよく言っていて。それでも豚汁の居場所は昼食や夕食だったので、今までやってこれたんです。けれど今朝は――!」
「朝食に、豚汁が並んだ」
「はい。朝食の献立仲間も、豚汁にはいい感情を持っていませんでした。思わず手を出したわたしをかばって、食卓にわたしが並んでいたかのように口裏を合わせてくれた」
焙じ茶は深く息をつく。
「献立にはそれぞれ役割と立場があり、そこに敬意を示す。食卓の主にそのような心構えがあったなら、このような悲劇は起きなかっただろうに……残念です」
豆腐の味噌汁は、静かに揺れた。
なろうラジオ大賞3 応募作品です。
・1,000文字以下
・テーマ:お味噌汁
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