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05:旅人は雷鳴と共に訪れる

2021/08/01 更新(1/3)

 ――神は、全ての源たる魔力(マナ)から世界を作り出した。

 緑豊かな大地、活力溢れる炎、潤いと恵み齎す海、自由に吹き荒ぶ風。世界は鮮やかに色づくように生み出された。

 やがて、世界には命が生まれた。そして神は自身とよく似た姿を持って生まれた生き物、人に多くの知識を授けた。

 人は神を敬い、神の教えを胸に生きてきた。自身では解決出来ないことを神に祈り、やがて神の力への理解も深めた。


 人の進化は進む。人は神の技術を模倣し、魔導の業を己のものとした。

 そして、まるで子離れをするかのように神は地上に教えを授けることはなくなった。

 それが神話の終わりにして、人の時代の始まりだった。



 ――心せよ、その心に翼を持つ者よ。天に届く資格を持ち、されど帰る天はなき者よ。

 人は神の後継として、その責務を果たさなければならない。神が生み出した、この美しき世界を守り続けるためにも。

 今も遠き天から我らを見守り続けている、かの至上の御方の夢のためにも。



   * * *



 森の中に荒い息遣いが響き渡る。

 息遣いの正体は、まだ幼い少女だ。胸の前で抱えた籠を必死に抱き締めて、涙すら目に浮かべて走っている。

 何故、少女が必死の形相で走っているのか。その理由は、少女の後ろから迫ってきた存在にある。


「あぅっ!?」


 走ることに夢中だった少女は、足下に突き出ていた木の根に気付くことが出来なかった。

 何かの野草を入れた籠は宙を舞い、中身をばらまいてしまう。躓いた少女は痛みに呻きながらも、身体を起こす。


「……ぁ」


 そして、少女は見てしまった。彼女の背後から迫るのは、熊であった。

 目を血走らせた熊は涎を垂らしながら少女へとゆっくり距離を詰めていく。少女は恐怖に身を固めて、今にも気を失ってしまいそうだ。


「おかーさん……おかーさぁんっ!」


 迫る恐怖に耐えきれなくなった少女が、最後に縋る人の名を呼んで目を閉じた。

 熊が少女に飛びかかるのは、それと同時だった。数秒後には一人の少女が命を散らすことになるだろう。



 ――その結末を打ち砕くように、雷鳴のような音が鳴り響いた。



 少女は、自分に迫った最悪の結末がいつまでも訪れないことに目を開けた。

 自分を襲おうとしていた熊は苦しみ、藻掻くように地を引っ掻いている。一体何が起きたのかわからず、目をぱちくりさせていると少女の前に一人の女性が現れた。


 大きな一つの三つ編みに纏めた朱金の髪、黄金の瞳で真っ直ぐ前を見据える強い光を宿した瞳。

 その手に持つのは、奇妙な物。剣でもなければ、杖でもないし、斧でもない。一体、どのように使うのかわからない。少なくとも少女は、似たようなものを一度も見たことがない。


「――君、大丈夫?」

「ぇ、ぁ……?」

「ちょっと待っててね、すぐにお家に帰してあげるから」


 その女性は優しく少女に声をかけた後、のたうち回っていた熊へと視線を向ける。

 熊は苦痛に身を震わせながらも、それ以上の憎悪を込めて女性を睨んでいた。


「……うーん、逃げる様子はなし。〝汚染〟されて手遅れか、じゃあ仕方ない。人を襲った以上、見逃してはあげられない」


 冷静に分析するように、熊への恐れも一切見せずに女性は呟く。

 そして無造作に熊へと一歩、また一歩と距離を詰めていく。その姿を見た少女は、思わず常識から叫んでしまった。


「お、お姉さん! 危ないよぉっ!」


 少女の叫びと共に熊が動き出すのは、ほぼ同時だった。

 熊が手を天高く振り上げ、強靱な爪で女性を引き裂かんとする――!


「――〝アンタレス・ロッド〟、スラッシュモード」


 ――天高く舞い上がったのは、熊の腕だった。すっぱりと斬り裂かれた熊の腕が地に落ちると、熊が苦痛の絶叫を上げた。

 少女がその恐ろしい絶叫に耳を塞ぐ中、奇妙な物から〝雷を纏った光の刃〟を出している女性が動く。


「どうか苦痛もなく――痺れて逝って」


 流れるような動作で女性が光の刃を振るい、熊の首へと突き刺さる。刃に走っていた雷がそのまま、熊の身体へと流れ込むように走る。

 熊は何度か身を震わせて、そのまま白目を向いて倒れていく。巨体が木の枝などを巻き込みながら倒れる音が森に響き渡った。


 あまりにも一瞬すぎた。目の前で起きたことが信じられず、少女はただ夢見心地のまま熊を倒してくれた女性を見つめる。

 そこに丁度、枝によって遮られていた日光が彼女を照らすように降り注いだ。まるで物語みたいな一幕に、少女は胸を高鳴らせて――とても聞き慣れたような腹の虫の声を聞いた。


 幻想的な空気は一瞬にして壊れてしまった。腹の虫を鳴かせたのは、熊に襲われて絶命する寸前だった少女ではない。この劇的な一幕を演じた女性その人だった。

 女性は少女へと振り返ると、形容しがたい奇妙な笑顔を浮かべながらこう言った。


「……えっと、貴方の村って食料に余裕があったりする? 久しぶりに人が作ったご飯が食べたいな、なんて。あは、あははは……」


 ぐぅぅぅー、と。まるで空気を読まない腹の虫の声がまたもや響いた。

 さっきまでの光景とのギャップに付いていけず、命の危機が去った少女は感情を消し去った無表情を浮かべるしか出来なかったのであった。



   * * *



 ――久しぶりの手料理らしい手料理を食べると、訳もなく涙が出そうになる。それは料理の味の良さだけでなく、作ってくれた人の愛情があるからだ。

 それは私――イルゼ・ティールが二十八年の人生の中で噛み締めた真理の一つだと思っている。いや、森に入って、迷い、持ち歩いていた食料も尽きて自然の恵みで食いつなぐ日々を思い出せば、こうも温かな人の手料理というのはそれだけでご馳走だ。


「お姉さん、まだおかわりあるよ?」

「えっ、で、でも……」

「気にせず食べてください、イルゼさん。貴方は娘の恩人なのですから」


 そう言って優しく私に微笑みかけてくれるのは、熊に襲われていたところを助けた少女、リナ・マルシュちゃん。そして、リナちゃんの母であるクレア・マルシュさんだ。

 クレアさんの素朴ながらも温かいシチューに舌鼓を打っていたのだけれど、いくら人助けをしたお礼だと言っても、受け取る側である私には恥じ入る気持ちだとか、申し訳なさがあった。


「またお腹の虫さんが鳴いちゃうよ?」

「うぐっ……い、頂きます」

「はーい!」


 私からお皿を受け取り、リナちゃんがクレアさんにお皿を持っていく。微笑を浮かべながらクレアさんが受け取った更にシチューを注いでくれた。


「すいません、おかわりまで頂いてしまって」

「いいえ、娘の命を救ってくれた恩がこの程度で返せるとは思いません。何分、私の身体が弱いもので、娘には無茶をさせてしまいました……イルゼさんがいなかったらどうなっていたことか」

「いえ、旅の途中でたまたま立ち寄っただけですので」

「旅、ですか。このような辺境に旅だなんて、変わったお方なのですね」


 シチューを注いでくれた皿を私の前に置いて、自分も席に座りながらクレアさんは言った。クレアさんが座ると、リナちゃんが膝の上に上るようにして座る。

 そんな光景に微笑ましさを覚えて、私は自然と口元を緩めてしまった。


「えぇ、まぁ、アテのない旅ですので。強いて言うなら、今日遭遇した熊のように汚染された〝魔物〟を退治するのが目的といいますか……」

「まぁ……やはり、例の熊は汚染されて魔物に変じてしまっていたのですね……」


 クレアさんは不安そうに眉を寄せる。リナちゃんも、先程まで浮かべていた笑みを消して静かになってしまった。

 魔物とは人類の天敵だ。人と魔物の争いの歴史は長く、今も人類の頭を悩ませている。


 魔物は、本来は普通の動物であったり植物、または無機物でさえも〝汚染〟と呼ばれる現象によって凶暴化し、その姿を変じさせてしまうことで生まれるものだ。

 神がこの世界を作り出した際、その反作用で生まれたエネルギーこそが魔物を汚染する原因だとされている。


「この辺境の地は、滅多に魔物は現れなかったのですが……ここ三年の間に段々と環境が悪くなっているようで……」

「……そうですか」

「でも、イルゼさんが退治してくれたので暫くは平和になると思います。明日、村長もお話を窺いたいということですので、今日は我が家でゆっくり休んでください」

「すいません、お言葉に甘えます」

「じゃあ、今日は私、お姉さんと一緒に寝るー! ねぇねぇ、お姉さん! お姉さんが使ってた変なものは何なの!? あんなの見たことなかったよ!」

「あぁ、あれは私が作った魔導機でね……」

「お姉さん、魔導機が作れるの!? すごーい!」


 子供の無邪気さに押されるようにして、私はリナちゃんの質問攻めを苦笑しながら受け止めるのだった。

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