19:決別の時
「退け……だと? この私にそう言ったのか? イルゼ・ティール!!」
「……はい」
「ふざけるな! 皇族に気に入られたからといって、私よりも上に立ったと思っているのか!?」
「――はい」
私はきっぱりと、ゲルルフ様の問いに返答する。私の返答を聞いたゲルルフ様が目を見開きながら、身体を小刻みに震わせる。
「ここでの十三年、そして一人になってからの三年。皆さんを超えるのには十分な時間だったと思っています。それだけの成果を私は出すことが出来る自信があります。……でも、だからといって貴方たちの価値がなくなってしまうのは、私はとても寂しい」
心はすっかり諦観に満ち溢れていた。私が感じていた絶望はまやかしで、私は自分をずっと見誤らせられていた。
恨みも、怒りも、悲しみも湧かない。騙された方も悪いとさえ思ってしまう。だから私はずっと諦観の中に生きている。
諦めた方がずっといい。何も望まない方が楽だ。一人で生きて、何も責任を負わずにいられるなら、その方がマシだった。
――そんなのは許せないと、ユリアに言われてしまった。
私の代わりに憤って、悲しんでくれた。私にはそこまでの価値があると言ってくれた。その言葉を信じ切れた訳じゃない。これからも信じることは出来ないかもしれない。
私の自信と呼べるものは、きっと虚勢のままだ。何の実体も持たないまやかしでしかない。私がかつて信じてきた絶望と同じもの。
でも、虚勢だろうとこれが私の自信だと胸を張るなら、誇りを失いつつある彼等は糾弾すべきだ。私の誇りを掠め取ってきたのは彼等なのだから。
――それでも、もし彼等がやり直せるのなら。もう私が何も気にせずに済むのなら、それならそれで良い。
人を恨むのも、憎むのも、疲れてしまう。だから、恨みも憎しみも捨てるために自分が出来るせめてもの最後の慈悲だ。
「もう終わりにしましょう、ゲルルフ様。今日の企ても私はなかったことに出来ます。私は貴方たちを許さないことなんて幾らでも出来ます。皇族も私が有用な限りは捨てることはしないでしょう。でも、そうして争った果てに国を乱すことになったら、それこそ魔導技術局は何のために存在していたんですか?」
ゲルルフ様だけじゃない。他の皆にも私は突きつけるように言う。
「誇りまで嘘にしないでください。私の十三年を本当の無駄にしないでください。優しい嘘ぐらい残してください。でないと、私はもう貴方たちを救えない」
「……救うだと?」
ゲルルフ様が、静かにぽつりと呟いた。ゆっくりと席を立ち上がり、私へと視線を向ける。
「――慈悲のつもりか、追い込まれているのは誰だと思っている! お前たち、構えろ!!」
私に向けて、皆が各々の魔導機を構えている。見事なまでの数の暴力と言っても良い。
仄暗い感情を向ける人、憤慨した様子を隠さない人、後ろめたそうな人、私に向ける魔導機が震えている人。その反応は様々だ。
「……ゲルルフ様」
「のこのことやって来た事に免じてご高説を聞いてやったが……それもここまでだ。痛い目を見たくなければ私に従え、イルゼ」
「そこまでして、その地位は守らなければならないものなのですか?」
「真の意味で誇りの何たるかを知らぬお前には、到底理解出来まい」
「……そうですね、それは否定しません。ですが、私に何かあれば流石に隠し立ては出来ませんよ? 皇族と争うおつもりで?」
「皇族が私の道を阻むというのならば、仕方ないであろうなぁ? もう後には退けんのだよ! そうだ! イルゼ、お前が現れたせいだ! 全てお前の責任だ! お前が生きているから悪いのだ! ひっそりと死んでいれば、お前は誰も不幸にせずに済んだのだ! その罪を贖え! お前が我々に協力していれば、誰も不幸になることはなかったのだからなぁ!!」
「……」
「今更、口を閉ざしても遅いわ。おい、ディヴィット。イルゼを拘束しろ!」
私の退路を断っていたディヴィットさんが、慎重に魔導機を構えたまま後ろから私に近づいてくる。
そして――彼の手が私の肩に触れた瞬間。私は、そっと呟いた。
「……わかりました。それが貴方の答えだと言うのなら、私からもこの言葉で最後にします。――〝さようなら〟」
パチッ、と。何かが弾けるような音が響く。私に触れていたディヴィットさんが、その手に走った衝撃に驚いて反射的に手を退く。
それを視界に収めながら――私は全身に満ち溢れた力で移動し、入り口へと到達していた。瞬きの一瞬の間に移動していたから、人によっては消えたようにも見えるだろう。実際、ゲルルフ様は驚愕の視線を向けていた。
「何ッ!?」
「過去、地の理、人の魔導。私は、もうそこに縛られない。最後の縁を断ち切ってくれてありがとうございました。私は自由に生きさせて貰います。――今まで、お世話になりました」
「待て……!? 貴様、魔導は使えない筈!? なんだ、その力は!?」
「えぇ、魔導は使えませんよ」
――〝人の編み出した魔導〟なら。
これは、私のための〝天〟の魔導。神が地上に残した叡智の一欠片。
故に――私が本気を出せば、誰も私を捉えられない。
「な、何をやっているディヴィット! その女を逃がすな!!」
一番入り口の近くにいたディヴィットさんが、再度私を捕まえようと向かって来る。それよりも早く、私は扉を開いて廊下へと駆け出した。
怒鳴り声を上げているゲルルフ様……いや、ゲルルフの声すらも置き去りにするように私は駆ける。その速度は人が目で追えるか、追えないかのギリギリだ。
――雷光の軌跡はほんの一瞬、人に捕らえることは叶わないのだから。
「……!」
ふと、魔導技術局の建物内が結界に包まれていくのを感じた。これは外の攻撃を弾くのではなく、内側から逃さないためのものだ。
犯罪者などに使われるための結界の魔導機だ。誰が発動させたのかは知らないけれど、私を外に出さないために使用したんだろう。
ここは地上から数えて、三階ほど上にある高さにある。窓を押してみるも、結界の影響で開くことは出来ない。ここから下に降りても待ち構えられている可能性がある。
――〝だから〟?
私は鞄から抜いたアンタレス・ロッドを構える。雷光を迸らせる光の刃を構えて、窓に飛びかかるようにして斬り付ける。
結界が軋む音が聞こえる。壁が耐えきれずに崩れていく音がする。両者の音が限界まで高まった瞬間――結界は砕け散り、窓は壁ごと斬り裂かれた。
そして開けた夜空、外の空気を感じながら――私は地上より遥か高くから飛び降りた。
(後は着地して、逃げてしまえば――)
そして、着地のために姿勢を整えようとしたところで、私は着地地点まで駆けてくる誰かの姿を見た。
私はその姿に驚いて目を見開いてしまう。その誰かは、私を待ち構えるように両腕を広げている。その背には魔法で水の球が形成され、クッションのように広がる。
そこに私は飛び込むようにして着地した。私を広げた両腕で捕まえるように抱き締めたのは――ユリアだった。
「……ユリア? あれ、なんでここに?」
「――お馬鹿イルゼ! 貴方が狙われてるってわかってるんだから、影の護衛ぐらいつけるわよ! 貴方がホイホイと魔導技術局の局員に付いていったと聞いて、様子を見てたの! もう、何をやってるのよ!?」
「えっ、護衛なんてついてたの……? 全然気付かなかった……」
「その話は後! まったく、無謀な真似するんだから!」
「いひゃい、いひゃい!」
頬を思いっきり抓られて、私は涙目になってしまう。
そんなやり取りをしていると、魔導技術局の入り口が慌ただしく開いた。雪崩れ込むように出てきたのは、ゲルルフだった。
「待て、イルゼ! ッ……!? ユ、ユリアティーネ皇女殿下!?」
ゲルルフはユリアの姿を目にした途端、目を見開いて歯ぎしりをした。ゲルルフの後を追ってきた数名も、絶望したような表情を浮かべている。
そんな彼等を一瞥して、ユリアは私の前に出ながら問いかけた。
「――ゲルルフ? これは一体、どういう騒ぎなのかしら?」