14:美麗なる皇太子殿下は腹が黒い
2021/08/05 更新(1/2)
――不思議と懐かしいと、そう思えた自分がいることに驚いた。
グロストラウム帝国の皇都、国を統べる皇族とその家臣たちが今日も国のために力を尽くしている皇城。
三年前まで、この皇城の一角が私の世界の全てだった。だから皇城そのものに懐かしさは感じられない。
でも肌に感じるこの空気が、かつて自分が時を過ごした場所なのだと感じさせてくれる。そんな感慨に目を細めてしまう。
「イルゼ、行きましょう?」
「う、うん」
ユリアに声をかけられて、少しだけ飛んでいた意識を戻して皇城内を進んで行く。
明らかに場違いだと思えてしまうような豪奢な廊下を抜けて、通されたのはこれまた煌びやかな一室だった。
飾られている壷だとか、絵だとか、一体どれだけの金額になるんだろうと遠い目になってしまうのは自分が庶民だからなんだろうか。思わず、そんな現実逃避をしてしまう。
「お帰り、ユリア。魔導師団のお勤め、ご苦労」
「イグナーツお兄様! ただいま戻りましたのよ!」
そして、そんな煌びやかな部屋には、部屋の雰囲気を損なわずに溶け込んでいる美青年がいた。
艶やかな空色の髪に薔薇色の瞳、長く伸ばした髪を結んで纏めている。その顔立ちはとても穏やかで、気品に溢れているように思えた。これは女性の目を奪うだろうな、と納得しそうな人だ。
彼こそがこの帝国の次期皇帝にして皇太子、イグナーツ・グロストラウム。
「君が、ユリアが先触れで報せてきたイルゼ・ティールかな? よく来てくれた。まずはかけてくれたまえ」
「は、はい。失礼致します……」
キラキラ輝きそうな笑みを向けられ、もの凄く帰りたくなる気持ちでいっぱいになりながら私は座り心地の良いソファーに腰を下ろした。
私の隣にはユリアが座り、そのタイミングでお茶が出された。お茶を出したメイドさんはそのまま、まるで音もなく消えていく。その洗練された動作に思わず二度見しそうになる。
「さて、ユリア。防諜のために詳細は到着してから話すと聞いていたが、詳しく話して貰えるかい?」
「はい、お兄様」
イグナーツ皇太子殿下に促されて、ユリアは事の経緯をイグナーツ皇太子殿下に説明していく。その間、彼はずっと穏やかな笑みを浮かべながら耳を傾けていた。
ユリアの説明が終わると、イグナーツ皇太子殿下は納得したように頷いてから私を見た。
「成る程、話は理解した。まずイルゼ・ティール、君には皇城の不手際で大変な目に遭わせてしまったようだ。決して、我々は君がされた扱いを肯定するつもりはないということをまず理解して欲しい」
「えぇ、それは勿論……」
「君の不遇に気付くことが出来なかった我々がどの面を下げて、とも思われるかもしれないが、これは国民の安寧にも関わる重要な案件だ。是非とも、君の稀有なる力を貸して欲しいと願っている。無論、今度こそ働きに応じた報酬を出すことも父上に代わって誓おう。魔導技術局の一件は私とユリアの管轄だからね」
穏やかな笑みを浮かべているイグナーツ皇太子殿下だけど、もう断れそうな雰囲気がまったくないんですけど、笑顔の裏でどんな事考えてるのかわからない人だ。
私は愛想笑いを浮かべながら、とりあえず頷いておいた。もうやる事を済ませたら解放してもらって、また辺境にでも戻ろう。そうだ、そうしよう。私は自由気ままにのんびり旅を満喫するんだ。
「それではお兄様、こちらにはイルゼというゲルルフに対しての切札を手に入れましたが、段取りはどのように?」
「ゲルルフは狡猾で慎重な性格だ。それでいて、その胸には激情を秘めているタイプだからね。下手な暴発は多くの家臣を巻き込んでの失脚に繋がり、帝国に風穴を開けかねない。こういう時は慎重に相手の手札を削ぎ落としていくことが重要だろうね。出来ればこちらの手札を温存したまま、あちらには手札を切らせたい」
「……えーと、具体的に私は何をすれば?」
おずおずと手を挙げながら私はユリアとイグナーツ皇太子殿下に問いかける。私の質問に満面の笑みを浮かべてイグナーツ皇太子殿下が答える。
「嘘で事実を覆い隠そうとする相手を黙らせるには、隠すことの出来ない証拠と共に真実を突きつければいい。しかし、時に真実と公正さは人を傷つけすぎる暴力になるだろう。力は振るうことばかりが使い道ではない。派手に見せ付けて、力があることを示すのも一つの手だ。ここまで言えば、想像はつくかな?」
「えぇと……私の存在をゲルルフ様に見せつけると?」
「あぁ、君の力と成果と共にね。個人用の結界の魔導機、それを転用したものならそれだけで十分だろう。複数人での使用を想定しているという難点はあるものの、耐久力に優れた結界の魔導機というのはそれだけで価値がある。そして本来は魔導が使えぬ身でありながら、その特性を逆に利用した強力無比な魔導機の開発者。今後は魔導師団の名誉ある技術顧問の座に座る今の君を見て、ゲルルフはどんな顔をするだろうね?」
「……どうなんでしょうねぇ、あははは」
怖い、この人怖いよ! 確かに私の存在が明るみに出てしまったら、ゲルルフ様はそれだけで終わりだ。何せ、私はゲルルフ様が隠蔽したいだろう不都合な真実そのものだからだ。
そんな私が彼の前に、そして皇族に重用されている立場で現れたらどう考えたって焦るだろう。
「群れの統率者は強者でなければならない。例え、その実がそうでなくても、強者のように見せ掛けなければならない。でなければ群れは付いて来ないからね。ある意味、ゲルルフはここが正念場とも言える。もし、ゲルルフがこれで改めて改心して今までの罪を認めて恩赦を願うならば首輪を嵌めるまで。ある程度の罪は裁くが、起死回生のチャンスは残そう。だが、更なる暗躍を続けようと言うのなら……その時はね?」
とん、と自分の手を首に手を当てて微笑むイグナーツ皇太子殿下。私は笑みが引き攣らないようにするのが必死だったけれど、隣のユリアが眉を顰めた。
「お兄様。イルゼは庶民なのですから、笑えない冗談はお止しになって」
「おっと、これは失礼。つい、反応を試してしまう癖が抜けなくてね」
「それで婚約者候補に逃げられ続けては、次代のお世継ぎに困りますわよ」
「ははは、耳が痛い。わかった、わかったから怒らないでくれユリア」
傍目から見ていると仲睦まじい兄と妹のやり取りなんだけど、やっぱり皇族なのだな、と認識を深めてしまう。皇族の冗談は私には早すぎるよ……。
「それじゃあ、父上の面会の際にはゲルルフも同じ場に呼ぼう。その時の段取りについて、詳細を詰めさせて貰っても良いかな? イルゼ」
「は、はぁ……」
ゲルルフ様に恨みがあるかと言われればあるけれど、正直どうでも良いと思ってる。
それでもここまで用意周到に包囲網を敷かれているのを見れば、同情の念が一つでも湧いてくる。せめて賢明な判断をしてくれれば生き残ることが出来るかもしれないけれど。
(……無理そうだなぁ)
すっかり思い出すこともなくなっていたゲルルフ様の普段の振る舞いを思い出して、私はそっと溜息を吐くのだった。