僕は婚約者の育て方を間違えた
僕は一国の王子だ。
一人息子で、愛されて産まれ、大切にされて育った。
僕には三歳の時から婚約者がいる。
一つ年下の公爵家の令嬢。
一人娘で、愛されて産まれ、大切にされて育った。
ライムグリーンの柔らかな髪がキレイで、シャンパンゴールドの大きな瞳がかわいい、とってもステキな女の子。
婚約者同士の僕らは幼い頃から顔を合わせて、一緒に遊んだ。
一緒にいる時間はとても楽しくて、あっという間。
一緒に勉強もした。
互いに分からない所を教え合って、一緒に問題に向き合った。
僕は彼女のことが好きになった。
でも、
幼い僕はとても愚かで弱くて···馬鹿野郎だった。
「君はホントぶさいくだよね」
「君ってバカだなぁ」
「そんなことも出来ないの?」
「ドレスの方がかわいいんじゃない?」
素直に好意を伝えるのが照れくさかったその頃の僕は、意地を張ったようにその反対の暴言を彼女に浴びせた。
彼女はいつもしょんぼりと眉を下げながら「ごめんなさい」と言った。
それを見る度に僕の心には罪悪感と悲しみがあったのに、馬鹿な僕は謝ることも止めることもしなかった。
いつもいつも、乳母に注意されていたけれど、止めなかった。
「いつか後悔しますよ、殿下」
その頃は「分かってる」なんて不貞腐れながら言っていたけれど、やっぱり止めることもなかったし、何より本当の意味で分かってなんかいなかった。
いや、誰が予測出来るものか。
こんな「後悔」なんて、誰が予測出来るものか。
「お願いですから罵倒して下さいもっと詰って私を虐げて下さい!お願いだから止めないでぇ!!」
今年十七を数え、とても美しく成長した彼女は今、涙を浮かべて僕の足元に縋りついている。
その光景は何かの歌劇かのように美しく見えたことだろう。
その、彼女の嘆きの内容さえなければ。
幼い頃の自分の罪を一つ一つ回想しながら僕だって嘆いている。
こんな、こんな後悔なんて、したくなかった!!
「どうしよう、マリア」
「どうもこうもございません。全て殿下の自業自得です」
彼女から逃げ出し、部屋に逃げ込んだ僕に素っ気なく返すのは乳母のマリア。
元々がバリバリのキャリアウーマンだった彼女は乳母の仕事から外れた今も僕のサポート役として傍にいてくれている。
「私は常々ご忠告申し上げておりました。『後悔しますよ』と」
「こんな『後悔』は予測出来ないよ!」
心の底から後悔しながら僕は頭を抱え込む。
悪いのは僕だ。そこに否定も不満もない。満場一致で有罪だ。
事の発覚はついさっき。
留学を終えて帰って来た彼女と約三年ぶりに再開した時のこと。
幼い頃、というか正確には五歳くらいまでは頻繁に彼女と会えていたが、それ以降は互いの教育が本格化して忙しくてほとんど会えていなかった。
会えても月に一度一時間ほどお茶をするぐらいで、そのほとんどは互いの現状や身辺報告だった。
その上、彼女が十四歳で隣国へ留学してからは一度も会っていない。
何より重要なのは、とても罪深いのは、大変愚かな僕は、彼女が留学するまで態度を改めなかったことだ!!
そう、愚かにも僕は幼い心のままくだらない意地を張り、約十年間もの間、彼女を罵倒し続けていたのだ!
今更態度を変えることなんて出来ないと、情けないことこの上ないちっぽけな意地で僕はずるずると彼女を罵倒し続けた。
そして、留学先からの彼女の便りがとても楽しそうで、他の男の名前等が綴られていた時なんて心臓を握り潰されたような心地がして、意気地のない僕も遂に、お尻を松明で炙られてから遂に、勇気を手に入れたのだ。
彼女にこれまでを謝罪し、本当の気持ちのまま、思っていることを伝えよう。
彼女に愛していると伝えよう。と。
彼女が留学から帰って来たその日、僕は正装に身を包み、真っ先に彼女を迎えに行った。
最後に見てから三年も経った彼女は更に美しく可憐になっていて、彼女に目を奪われつつも僕は彼女の前に立った。
「お迎えいただき、感謝申し上げますわ殿下。ただいま戻りました」
「ああ、お帰り」
「両陛下にも帰国のご挨拶を申し上げに行ってもよろしいでしょうか?」
「その前に、君に伝えたいことがあるんだ」
彼女の前に跪き、驚く彼女を見上げながら僕は心から懺悔した。
「僕はどうしようもない人間だった。昔から君を悪く言うばかりで、君を悲しませた。本当にすまなかった。許して欲しいとは言えない。けど、僕はもう心を入れ替えた。これからは絶対に君を悲しませたりしないと誓うよ」
「えっ」
「君に真実だけを伝える。僕は君をとても綺麗だと思うし可愛いと思う。君は努力家で聡明でとても頼りになる。君と一緒にいるととても心が安らぐ」
「え、え」
「既に定められた身だけれど、どうか言わせて欲しい。僕と結婚して下さい」
まるで判決を待つ罪人の心持ちで僕は彼女の返事を待った。
もしかしたら彼女は僕に愛想を尽かしているかもしれない。
もしかしたら断られるかもしれない。
もしかしたら隣国で想い合う相手が出来たのかもしれない。
そんな不安と緊張で潰れそうになりながら待っていると、彼女はひどく慌てた様子で僕に聞いてきた。
「そ、それは、もう罵倒しないという事ですか?」
「そうだよ」
「もう罵らないという事ですか?」
「···そうだよ」
「もうわざと無視したり冷たくしたりしないという事ですか?」
「っぐぅ、そうだよ」
彼女が僕の今までの所業を挙げる毎に、僕自身にダメージが入る。
いや、僕が悪かったのは分かっている。本当に後悔して反省しているんだ。だからこれは甘んじて受けるべきなんだ。
「もう、二度と···?」
「そうだよ。もう二度と。絶対にしない」
これはきっと試されているんだ。これが十数年間の僕の信用の低さだ。······自分で止めを刺された気分だけれど、僕が悪い。
僕は絶対の意志が彼女に伝わるように真っ直ぐに彼女を見つめ返した。
「···んな」
すると彼女は、体を震わせ涙を零した。
僕は驚いて思わず立ち上がってしまう。
「ど、どうしたんだい?ごめん、僕が悪かった。今までごめん。君が怒るのも分かってる。全部受け入れる。だからどうか泣かなーー」
「嫌ああぁぁ!どうして止めてしまうの!?止めないで、お願いだから止めないで!」
「ええ?」
突然彼女が取り乱し始めたことにも驚いたが、その内容に目が点になる。
そんな僕をよそに彼女は床に膝をついて嘆く。
「留学中殿下に罵倒されなくてどれだけ寂しかった事かっ、どれだけ殿下のあの冷たい目が恋しかったことか!飛び級すれば早く国に帰れると思ったのにあれやこれや理由をつけられて結局三年もかかってしまったのに!」
予定では五年間の留学だったはずなんだけれど?それが二年も縮まって彼女は本当に優秀だと囃されていたんだけれど?
「ようやく国に帰って来れて、やっと殿下に冷たい目で見下されながら口汚く罵っていただけると思ったのに!それなのにどうしてっ!」
彼女は唖然と立ち尽くす僕の足に縋りつき、その大きな瞳からぽろぽろと綺麗な雫を零しながら、心の底から嘆いた。
「お願いですから罵倒して下さいもっと詰って私を虐げて下さい!お願いだから止めないでぇ!!」
本当の意味で「後悔」したのは間違いなくこの瞬間だった。
「僕のせい、なのか······彼女がああなってしまったのは」
「十中八九殿下のせいでしょう」
「いや、元からそうだった可能性もある。うん。そうだ。僕のせいじゃない」
「罪を認めるのではなかったのですか?」
「僕の罪状にそんなものはなかったはずなんだ!」
どれだけ頭を抱えて嘆いても、事実は変わらない。現実は放っておいてくれない。時は戻らない。
幼い頃の彼女は優しくて真面目で、どこか抜けたような雰囲気があって、とにかく可愛い女の子だった。
あんな性癖を持っているはずがないといえば···うん、ない。
「やっぱり、僕が悪いのか·····」
「潔く責任を取りましょう」
「何の?!」
「当然、ご令嬢の性癖についてです。性癖の矯正、あるいは殿下が合わせればよろしいかと」
「やっと心を改めたのにまた罵倒しろと!?」
「それが嫌ならば矯正させればよろしいではありませんか。大丈夫です、まだ傷は浅く済みます」
「もう一生分の傷を負った気分だけどね!」
はああぁぁぁぁ、と何度目かも分からないため息をつく。
まさかこれ程までに僕が罪深かったとは思いもよらなかった。
今すぐにでも過去に戻って僕の頭を金槌で叩き割って止めたいくらいだ。
「所で殿下」
「何?」
「ご令嬢が先程からずっと部屋の前でお待ちです」
「もっと早く言ってよね!?」
慌てて自分で扉を開ければ、そこにはぽつんと一人で立ち尽くす彼女がいた。
「気づかなくてごめん!君も遠慮せずに入ってくれて良かったんだよ?」
「お忙しい殿下の邪魔をする訳にはまいりませんわ」
さっきの醜態が嘘のように彼女は手本のような美しい令嬢然としていた。
そのことに少しほっとしながら彼女を部屋へ招き入れる。
「先程は取り乱してしまい申し訳ございませんでした」
「いや、大丈夫だよ。君も疲れていたのに僕が悪いんだ」
「そんな······いつものように『目も当てられないくらい醜かったな、まるで豚のようだった』と言っていただいてよろしいのですよ?」
「僕はそんなこと言ったことないんだけど?!」
もはや風評被害だ。マリアが信じられないものを見る目で僕を見ている。
「ちょっと聞きたいんだけど、本当にその、罵倒されて嬉しいの?」
「はい!」
え、今日一番の笑顔で返事するの?
「あのー、えーっと、それって、生まれつきだったり、するのかな?」
「いえ、多分そんなことはないかと。昔、家のお付き合いのお茶会で酷いことを言われた時はとても悲しかったですし」
マリアの視線が痛い。
「じ、じゃあ、いつからそう思うようになったの?」
「殿下に意地悪をされるようになってからでしょうか?」
真っ黒だ。僕の罪状も。目の前も。
マリアの目だけが白く僕を穿っている。
「殿下がお気になさる必要などありませんわ。殿下のおかげで私、お茶会で悪口を言われても悲しくも辛くもなくなって······むしろ楽しみになりましたから」
「ギルティぃぃぃぃ!」
嬉しそうに頬を染める彼女が可愛いじゃなくて。
一部の隙もなく僕が原因だ。僕が彼女をこんな風にしてしまったんだ。
「僕は···一体どうすれば······」
「殿下、責任を取りましょう」
「責任って言われても、元々婚約してるし」
「婚姻だけが責任の取り方ではございません」
「そうです。殿下は変わらず罵って下さればよろしいのです」
「ちょっと君は黙ってて!」
つい勢い余って叫んでしまった。
慌てて謝ろうとして、つい、うん。つい、固まった。
彼女があまりにも嬉しそうに頬を染めて口元を抑えていたから。
「······今のも、嬉しかったの?」
こくり。
「本当の本当に?」
こくりこくり。
黙っててという僕の言葉を忠実に守りながら彼女は頷いて応える。
その顔は本当にかわ······嬉しそうで。
「······マリア」
「腹を括りなさいませ、殿下」
いや、まだだ。諦めるにはまだ早いはずだ!
「話していいから。さっきは怒鳴ってごめんね」
「いいえ、殿下が謝罪なさることは何一つ。しいて申し上げるとすれば、もう少し冷たく吐き捨てるように言ってくださればと」
やっぱりもう駄目かもしれない。
「殿下、あきらめたらそこで終わりです」
そうだ。僕は彼女が帰って来たら、素直に謝って心から愛を伝えようと、決めたんだ。
まだそれを少しも実行出来ていない内からあきらめるにはまだ早い。
決意を胸に僕は彼女の手を取った。
「君はとっても可愛い」
「え」
「その柔らかな髪はいつまでも触っていたいくらいに綺麗だし」
「え」
「キラキラと輝く瞳もいつまでも見ていられる」
「そっ」
「唇はとっても甘そうだし」
「ひぅ」
「君の笑顔は陽だまりのようで」
「あの」
「頑張っている姿はとても魅力的で」
「まっ」
「後ろ姿を見ると抱きしめたくなる」
「あぅ」
「僕は初めて見た時から君をーー」
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!もうむりぃ!」
彼女は自分を抱え込むように抱き、両腕を擦りながらうずくまった。
「優しいだけの殿下なんて、こんな、こんな、甘い言葉しか吐かない殿下なんて······殿下じゃない!鳥肌がぁぁ!」
「······」
「······」
「······ねぇ、マリア」
「首を括りなさいませ、殿下」
「それでどうにかなるならそうしたいよ」
僕は深呼吸し、一度ばかりの覚悟を決めた。
「君には床の上がお似合いだね」
「はい!私は今日から床に座ります!」
努めて冷たく素っ気なく言い捨てれば、間髪入れぬ速さで彼女が答えた。
その瞳は嬉しそうに輝き、上気した頬は生き生きとし、ちょこんとしていながらテコでも動かぬ意志を持って床に座り込む彼女は、とっても可愛かった。
「殿下」
「うん。分かってるよ」
マリアが言わずとも、自分が一番、よく、身に染みて、分かっている。
僕はため息を飲み込んで天を仰いだ。
僕は婚約者の育て方を間違えたんだ。
お読みいただきありがとうございます。
王子様を少しだけ擁護すると、良いとこの坊っちゃんなので本当にその程度の罵倒しかしていません。「ばか」は言えても「くたばれ」みたいなのは言えません。しかもその程度でも心を痛めるちょっと意地っ張りないい子ちゃんです。
令嬢視点とかって需要ありますかね?
これよりもっとアレになりそうなんですけど。
追記:沢山のご声援ありがとうございます。恐らく想像と179°ほど異なるものとはなりますが、令嬢視点に着手しました。今しばらくお待ちください。