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【8】

アネッサ・サンティレールは困惑していた。

属国になったばかりのロアエで行われた解放祭での楽師の仕事を終えて、報告のため故郷ルアビオン帝国のグラシャラボラス皇太子に拝謁するのはまあわかる。伯爵家の小娘が背負うにだいぶ無理がある理由付けだが、自分は「乙女ゲームのヒロインだから」でギリギリ飲めるシュチュエーションだ。

困惑する理由は、皇太子に拝謁する、という状況ではなく、グラシャラボラス皇太子の急激な雰囲気の変化にある。


「面を上げよ」


壇上の彼は「これぞ乙女ゲームの攻略対象者!」と言うよりは、「これぞ王者、これぞラスボス!!」と言った覇気があった。外観は神絵師柳瀬真由美氏の最高傑作なだけあって完璧だし、当然のように深く響く美声である。岡嶋智子にとってイケメンはイケボだ。声当てをした声優よりも更に一段声が低いので、重厚感がものすごいイケメンである。

そしてそんな彼の美声に、前回拝謁した時には無かった親みの情が載っている。

顔を見上げれば僅かに口角も上がっており、知らない間に好感度が微増したことが伺えるのだが、アネッサには思い当たる節がなく、もはや困惑通り越して少々の恐怖を覚える次第だ。


なにせ前回、彼は怒髪天を衝く勢いで激昂中だったのだから。


理由は下々に過ぎないほぼ初対面のアネッサにはわからない。分からないが彼の全身からは怒りのオーラが立ち上り、空気は氷点下であり、何か一言でも間違えれば首が物理的に飛んでしまいそうな、そんな殺伐感が謁見室には満ちていた。生きて退出できただけで、その日は熱を出してしまったほどだ。さすが唯一葬儀曲を依頼されなかった攻略対象者。殺しても死なないと言うか殺せそうに無い感がすごい。


つい2週間前、そんな彼は王立楽師団に入団したばかりのアネッサにロアエ行きを命じた。なんとなーく中世ヨーロッパをイメージしているこのルアビオン帝国は正しく男性中心社会である。女性で、しかも貴族令嬢で特殊技能を生かして働く、というのはなかなかに珍しいことだ。この王立楽師団においてはアネッサは初の女性団員となる。


仕事内容はロアエのルアビオン属国化1周年(語弊あり)を祝う解放祭での、ルアビオンからの祝福演奏。

ロアエには昨年、ルアビオン帝国の属国化の証として、ロアエ王の元にグラシャラボラスの元婚約者・シャルロット嬢が嫁いでおり、その婚姻1周年記念祝いも含まれている。アネッサのロアエ行き抜擢理由は、そんな政略結婚の駒となったシャルロット嬢と歳が近く、同性であったためだった。グラシャラボラスはシャルロット嬢と良好な関係だったとの噂を聞いたこともあり、少しでも正確な近況を知りたかったのだろう、とアネッサは推察している。


「アネッサ・サンティレール。此度ロアエでは、其方は期待以上によく勤めた。褒めてつかわす」

「ご期待に添えましたこと、誇りに思います。閣下」

「ロアエ王妃からの礼状も届いた。其方、シャルロットと随分と気があうようだな?」

「過分なご贔屓にございますが、彼の方とは大変お話が合いました。とても魅力的なお方ですーーー是非ともお側でお仕えしたかったほどに」

「……ほう?」


面白そうな顔をしたグラシャラボラス皇太子に、これ以上無駄話をしないためにアネッサは目を細め、ものすごく濃い一週間となったロアエ訪問を思い出す。前世の仕事の依頼文書から推察するしかないメインストーリーがそもそも鬼畜展開すぎるのも問題だったが、考察が正解だったことはアネッサに恐怖を呼んだ。何の情報も無くロアエに来ていたら、数えきれないほど多くの死者が出たことだろう。

ただし、うまく接触できたロアエ王妃はまさかの日本人転生者であり、仕事場では顔を合わせた事はないものの、同じ会社の同僚だったことは僥倖ではあった。お陰で暴動は止められなかったものの死者は出ず、またロアエ王の失踪も防ぐことができた。


と言うか、長年努力して良好に保っていた婚約関係を同意も無く解消された挙句、10歳の子どもに嫁がされ、その上浮気されて失踪されて暴動で殺される予定だったのだろうか、本来のロアエ王妃は。ロアエ王妃はメインキャラクターでも無いので、葬儀曲はおろかテーマ曲も作らなかったが、あまりにも酷い舞台装置扱いである。


そんなロアエ王妃に転生した柳瀬真由美氏にとって、婚約破棄も浮気もノーダメージだったことは本当に救いであった。恋に苦しまれてしまっては、恋愛力皆無な岡嶋智子に打てる策など何も無い。


また、護衛として同行していた攻略対象の1人、ジャン・バチストも死亡フラグを無事回避し怪我をする事もなく、逆に叛逆者の多くを捕らえ、いくらか武功を上げたようだ。叛逆者の首謀者の情報はアネッサまでまわって来なかったが、これでロアエはさらにルアビオン帝国の介入を断ることは出来なくなって行くだろう。


アネッサの目標は乙女ゲーム「幻想の白亜城」の、唯一のハッピーエンドである。他はトゥルーエンドでも人死が出るのだ、あのクソゲーム。企画とシナリオライターは頭がおかしい。と言うかちゃんと発売されたんだろうかあのゲーム。


「……さて、今回の働きを評価し、其方とジャンには、次にネビロスの領地に向かってもらう。その腕であの堅物を蕩し、半日で構わぬ、この城に連れて参れ。なに、其方はいつも通り曲を奏で、その美しい世界を再現すれば良い。此度とこの件の分の褒美はネビロスがここに来た時に纏めて支払おう。供物経費その他はジャンに任せている故、良きに計らえ。期限は3カ月。期待しているぞ、天才楽師よ」

「は、拝命仕りました、閣下。これより支度をし、ネビロス殿を此方へお連れいたしましょう」


アネッサは礼を尽くして退室し、化粧室に逃げ込んでやっと大きく息を吐いた。先延ばしになった褒美が何になるかは気になるが、隠しキャラネビロスのルートが開いてくれたので、もうアネッサは細かいことは気にしないことにする。

この時点でまだエンドロールに採用可能な葬儀曲はあと半分、期間はあと約10カ月。


乙女ゲーム転生ヒロインアネッサの戦いはこれからである。

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