【7】
困惑するシャルロットを放置して、あっという間に陽は昇り、星は廻る。とりあえず急ぎ件のロアエ王の愛人(仮)はアネッサ付きの期間限定侍女に取り立てた。名をヒナギと言うらしい。
カマル王が親の仇を見た様な顔でシャルロットを一瞬睨んだが、アネッサの方から「同僚にいじめられているのを見てみぬフリができなくて、ロアエ王妃にお願いしました」とフォローを入れていただいた。岡嶋さんはとても仕事ができる女子である。ついでにグラシャラボラスの件もアネッサに相談しようとしてみたが、そもそも起こった出来事が強めの幻覚感が酷すぎて結局シャルロットは言葉にできなかった。
そうして迎えた解放祭。貴賓席と言うか玉座の奥、最も守りの硬い王妃様の天幕の中で、シャルロットはやや緊張気味に外の様子を伺っていた。人が多い。とにかく人が多い。その上剣舞とか槍舞とか結構物騒な獲物の演舞が多いので、なんかぼんやりしていると確かに岡嶋さん作曲の葬儀曲17番あたりが演奏されてしまいそうな気配がひしひしと感じられる。
「こちらにおいでなさいな、ヒナギ」
演舞が気になり身を乗り出し気味な少女を側に引き寄せた。カマル王は気が気でない様で、先ほどからずっとシャルロットとヒナギを盗み見てばかりいる。そんなに心配しなくてもシャルロットは彼女を泥棒猫と罵る予定は皆無であるのに、恋する少年は面倒臭い。シャルロットは見た目こそ釣り目の悪役顔だが、中身は気弱なイラストレーターなので、地味に泣きそうな気持ちだ。1年健全に誠実に白い結婚を守り暮らしてきたのに、この信頼皆無感。恋愛感情も皆無の妻でこの状態なら、普通の妻ならそら激昂ものであろう。
しかし、夫に嫌われようが何しようが、とにかく人命第一である。シャルロットは無警戒に寄ってきたヒナギを、そのまま自分の足元に座らせた。有事の際は死なば諸共、シャルロットは己が命を代償に、残り全ての責任を他人に丸投げする所存である。
「おうひさま」
「そろそろアネッサの出番の様ですね。目を閉じて、耳を澄ませた方がずっと美しい世界に出逢えますよ」
アネッサが奏でる楽器は地球には存在していない。弦でも管でも打でも無い、もはやPC的な魔法楽器である。中空にタクトにそっくりなその楽器を振り、空気そのものを直接揺らしてあらゆる音を再現して演奏する。術者が知る音なら全て再現できると言うのだから、もはやCDプレイヤー的なものとみてもいいかも知れない。この世界の住人はシンセサイザー・エレキギターはもちろん尺八お琴と言った雅楽器、ウクレレもオカリナもリコーダーもハーモニカもカホンも和太鼓も知らないので、元乙女ゲーム音響担当岡嶋智子さんもといアネッサの演奏は画期的かつ刺激的、神演奏と言えるだろう。
アネッサが舞台中央に出てくるのに合わせ、シャルロットはそっと、忠犬騎士ジャン・バチストの腰の魔道具を勝手に起動させた。装備者を透明にして、おまけでグラシャラボラスが現れたり消えたりするアレである。この魔道具のさらにずるい部分は、発動中はあらゆる攻撃を無効化すると言う完全防御機能もある点だ。装備者の触れているもの全てを透明化する、と言う副次機能の産物ではあるのだが。術者のみが透明になるような品では、装備者は毎回すっぽんぽんで隠密作業になってしまう。考えると笑える間抜けさだが、乙女ゲーム攻略対象グラシャラボラスに死角は無いので、こうして服を着たまま実用可能な最強の防御魔道具となっている次第だ。
ジャン・バチストの立ち位置は舞台袖。彼にはアネッサに向かう攻撃を払ってもらう。特に何を指示しなくても、彼は状況判断に優れているので勝手に良きに計らってくれるだろう。これは彼の流れ弾死対策(保険)である。
アネッサによってタクトに似た魔道具が天にかかげられた。素直に目を閉じたヒナギの服の裾をさりげなく踏み、シャルロットは自分のグラシャラボラス製透明化魔道具を起動させる。
最初の一音が会場に響き渡った瞬間に、暗幕の向こうからクソでかい鉄矢がヒナギめがけて飛んできて、透過し摺り抜け、王妃の椅子周りを飾っていた背後の巨大鉄扇にブチ刺さった。隣で控えていた王妃付きの侍女3名が、突然の暴動に声も出せずに失神する。アネッサの演奏の方が音量がでかい上、王妃の天幕内には騎士がいないのもあり、舞台を見入る観客に全く気付かれてはいないのがせめてもの救いだ。
「ヒナギっ!!」
驚愕し振り返ったカマル王が叫んだのはやはりヒナギの名前であった。
シャルロットがヒナギを保護していなければ、明らかに黒幕がシャルロットと看做される案件ではなかろうか。
「王様?」
「ヒナギ、まだ目を開けてはダメ。ヒナギ様は無事でしてよ、カマル王」
「シャル…っ!?」
シャルロットは魔道具を解かずに、そしてヒナギを抱え込んだ上で、姿が見えないヒナギを探すカマル王の肩を掴む。さらに追撃で音もなく飛んできた鉄矢は、間一髪、カマル王を含めヒナギとシャルロットを透過し摺り抜け王妃の椅子を破壊した。
演奏の最中に突然王妃の天幕へと姿を消した王を追いかけてきた近衛騎士が、天幕の中の惨状に絶句する。何を伝える間も無く2本、3本と飛んでくる鉄矢に、騎士たちが王の安否確認よりもまず、戦争仕様の数段階レベルの高い防御魔法を張り迎撃班と捜索班に別れ事態収束に動き出したのを確認してから、シャルロットは魔道具を止めた。
「王っ!」
「騒がないで、今は解放祭の最中ですよ」
あまりの出来事に顔を青くさせているカマル王が何かを口にするより早く、シャルロットは王族として今回の意向を周知させる。心の底からシャルロット自身、怖くて泣きたくて失神したくて堪らないが、岡島さんによる事前情報があったので、なんとかパニックを起こさずにいるような状態だ。震えそうになる声を押さえつけ、顔に微笑みを乗せて騎士達を睥睨する。
「王妃様、」
「天幕の中の人間は全員無事です。このまま祭りを続けてても、ロアエの優秀な近衛騎士の皆様は不届き者を捕らえるくらい造作もありませんでしょう?
皆様が防護魔法を強化し終えましたら、王を玉座に戻します。天幕の中のことは全て私が処理いたしますから、皆様は民衆に暴動が伝わらないよう速やかに仕事を終えてくださいな」
「はっ!承りました」
「頼みましたよ」
速やかに事態収束へと動き出した騎士の背中を見送って、シャルロットはカマル王の目を覗き込んだ。あらゆる感情がないまぜになったような瞳は、シャルロットを映す前に即座に逸らされる。
「カマル王、貴方はこの後、私とどう言う関係でありたいですか?」
「……」
「私にとって愛は誓うものではなく育むもの。貴方が私に対して育てた愛の形が夫婦でない事にケチをつけるほど、私カマル王のことは嫌っておりませんわ。側女が増えても文句など申しませんのよ」
「……」
「お嫌ですか?ロアエの王の座そのものが。貴方の抱えた愛を誓えぬその場所が。カマル王は本当は、とても素直で誠実な殿方ですものね。私のような薄情な女の夫は荷が重いことでしょう」
「……」
「貴方様は優秀ですがまだ幼い。守り切れる自信の無さから隠していたことくらい、容易に想像がつきますわ」
「……」
「たった一つの星だけを手に、この城を去って夜に飛び込むと言うのなら。どうぞお手伝いさせて下さいましね。私、可愛い娘を飢えさせるのは趣味じゃございませんの」
「……?」
「今までお話しできておりませんでしたが、私の将来の夢は『修道女になって宗教画を描き暮らす事』なんですのよ。むしろ離縁ばっちこい!なのでございます」
「は、」
「1年暮らしてわかりましたが、ロアエの統治に私も貴方も必要ありません。臣民に罪悪感を多少覚えたとしても、後のことは後の者がどうとでもしてくださいますから、気にやむ必要はございませんよ。私も清らかな修道女になるためには流血沙汰は避けたいですし、全力で良き後任を探させていただきます」
「……貴女は、」
「貴女のその手の在り処、視線の向かう先を見れば、どのようなお答えをお持ちかくらいわかりましてよ。少なくとも実行はあと半年ほど我慢して下さいませ。空々しい誓いに縋るより、私は本音を伝えれる関係を好みます。己が想いに胸を張れるよう、お互い頑張りましょうね、カマル王」
ヒナギの手を握りしめたカマル王にウィンクを返し、とにかく今は玉座に戻るよう急かす。ヒナギと離れるのが嫌そうなので、シャルロットは倒れた侍女が持っていたお盆に水差しを乗せてヒナギごと一緒に送り出した。貴人の淑女は民衆に姿を見せてはならないが、小姓は多く侍らしている方が威厳が出る。ヒナギは成人も程遠い凹凸ほぼない健康少女なので遠目だったら民衆を余裕で騙せることだろう。
アネッサの演奏が終わり、わっと会場に割れんばかりの拍手と歓声が満ちる。手を振るアネッサの舞台袖に、見覚えの無い巨大武器が次々どこからともなく積み上がっていくのを確認し、とりあえずジャン・バチストの流れ弾死フラグはへし折れたことにも安堵した。彼はシャルロットが勝手に起動した魔道具を、さっさと自分の意思でオンオフ切り替えてくれているようなので、さすが忠犬騎士と言ったところである。
その後も演目がダンスやら曲芸やらとつつがなく続き、倒れた侍女の介抱でクッションを移動させつつ天幕の向こう側をチラチラ見ていたら、王の締めくくりの言葉の前に舞台裏側へ暗殺者を縛り上げた近衛騎士たちが目立たぬように控え室に入っていくのも確認し、ようやくシャルロットは安堵の息を吐いた。
ああ全く乙女ゲーム恐るべし。