【2】
「シャルロット・エヴァンーーー其方とグラシャラボラス・ドールコフレ・ルアビオン・クーイプスコとの婚約をここに破棄し、隣国ロアエへの輿入れを命ずる」
「拝命仕りましたわ、陛下」
あのうららかな昼下がりから半月。事態は急展開を迎えた。
流石にデビュタント前の身の上ゆえに、ほとんど訪れたことがなかった豪奢なシャンデリアが瞬く謁見室で、シャルロットは深々と腰を折った。グラシャラボラスはここに居ない。居ないからこその王からの勅命である。
ルアビオン帝国は東を山に囲まれ、西に海を要する、南北に細長い国だ。地形故に東西から攻め入れられることは少ないが、太陽を欲した北の国ジョルジャマッカと、砂漠に覆われ農地を求める南の国ロアエとの小競り合いはよく起こる。
グラシャラボラスは10年近く長々と続いていたジョルジャマッカとの戦争を、ジョルジャマッカの泥沼化している王位継承戦と同時にどさくさに紛れて終わらせるべく、先週国境へと旅立った。まあどんだけ頑張っても半年はかかるだろう仕事と思われる。あの殺戮者のタグがいよいよ日の目を見てしまうのかと、シャルロットとしては非常に気が重い話だ。
そんな中、南のロアエが王族の相次ぐ不祥事により政治が瓦解。難民がルアビオン帝国に大量に流れ込む事態となった。辛うじて民の信頼が寄せられた、当時渦中の外にいた王家妾腹の末子が、権威回復の救難申請と難民流入の詫びを兼ねてルアビオン帝国の姫の輿入れと言う名の属国化を示してきた次第である。
現在、ルアビオンに王家生粋の姫はおらず、一番血が濃く未婚の娘が公爵令嬢であるシャルロットだけなのが、今回の勅命の一番の理由だ。一応シャルロットとグラシャラボラスの婚約は政治的なものもあるにはあるが、そもそもグラシャラボラスはどの貴族の後ろ盾も不要なほど優秀だ。魔力量に関しては先祖返りと言ってもいい。正直嫁はどんな娘でも子が産めれば誰でもいいし、血筋が気になるなら何人でも娶れば良い。しかし、ロアエを御す娘は王家から遠すぎるとまた戦争の元になる。
シャルロットはグラシャラボラスに言うように、あまり感情を隠すのは得意じゃない。だがやはり元社会人、生粋の16歳とは大人力が違う。王から見れば、十分すぎるほどロアエを御せる娘に見えることだろう。中身がただの気弱なイラストレーターに過ぎぬとも。大事なことだから2度言うが、中身がただの気弱なイラストレーターに過ぎぬとも、だ。
「グラシャラボラス様に私からお手紙くらいは送った方が宜しいでしょうか」
「要らぬ。……いや、伝言くらいは残すべきか……何か伝えておきたい言葉はあるか、エヴァンの娘よ」
「グラシャラボラス様の庇護下を出るのは淋しゅうございますが、この身、御身の治世に僅かなりとも役立てるよう尽くして参ります、と」
「あいわかった。必要とあらば伝えておこう」
「温情ありがたく存じます」
シャルロットは予期せず叶った婚約破棄に内心大きく溜息をついた。何故か生命の危機を感じるお茶会と言う名の婚約者会合からは解放されたはずなのだが、死亡フラグが以前より太く高く立ったような気がしてならない。こう、本人が居ないところで決まった部分が特に不味い気がする。前回の会合ではグラシャラボラス、シャルロットと結婚する気満々だったようだし。
彼の男は王族として優秀だから、嫁のすげ替え理由がはっきりしてるなら表面上飲むとは思うが、シャルロットの応対が何か一つでも間違ってたら戦争開始の口実ぐらいにはしそうだ。開幕はシャルロット首が物理的に飛ぶ形で。攻略対象その3忠犬騎士のバッドエンド用として描かされた戦死カット、実はロアエ由来なのではなかろうか。ヒロインが忠犬騎士を選んだ場合、グラシャラボラスはフリーのままだ。そこそこに気に入っている気がするシャルロットでももう遊べないのだし、あの臓物を暴かれる寸前の顔が好きなグラシャラボラスなら暇を理由にやりかねない。祖先は悪魔だし、デザインの元ネタも悪魔だし。
退室の諸々をこなし、シャルロットは輿入れのための準備のため早々に帰路へとついた。自分がグラシャラボラスが好きか嫌いかは判らない。表面上伝えた「淋しい」の言葉も、なんだか他人事感が満載である。
馬車からグラシャラボラスがいるであろう北の空を眺める。シャルロットの輿入れをあの男が知るのはいつだろうか。
多分2度とシャルロットはグラシャラボラスと顔を合わすことはないだろう。あったとしてもグラシャラボラスの結婚式にまだ見ぬロアエの夫と参列する形になるはずだ。
相手はヒロインでもヒロインで無くても構わないが、殺戮者タグを使うことなく乙女ゲーム攻略対象のポテンシャルを遺憾なく発揮して恋愛脳爆発させて戦争せずに幸せになってくれ、とシャルロットは暗雲に覆われる北の空へ祈った。