10年前の『今日1日なんでも言うこと聞く券』
「おっす、徹之!」
背中を強く叩かれる。
こんな朝っぱらから元気だな、こいつは。
振り返って、重たい口を開ける。
「おはよ、真依」
今日から衣替えでみんな半袖になり、学園生活がちょっぴり新鮮に感じてたりしたが、真依の笑顔は昔からずっと変わらない見慣れたものだった。
出会ったのが幼稚園で、今が高1。
思えば結構長い仲なんだな。
「なんと、今日は凄い物を持ってきました!」
茶髪のサイドテールが忙しなく揺れる。
なんか今日は一層元気だな。
口でドラムロールを叩きながらポケットをわざとらしくもたもた探る。
ポケットの中の手が空に向かって飛び出た。
「ジャジャーン! 『今日1日なんでも言うこと聞く券』!」
真依の手にはヘロヘロと汚い字が綴られた紙切れが握られていた。
それを見て、俺はすぐに記憶が蘇る。
「あー! あったなソレ! 10年前のお前の誕生日にあげたやつ!」
本当は普通にプレゼントを用意したがったが、当時の俺には十分なお小遣いがなく、仕方なく手書きで書いて送ったものだ。
「昨日、部屋の整理してたら見つかったんだ〜」
真依は目を輝かせて券を舐め回す。
「というわけで、今日これを使います!」
なんかそんな気はしてた。
「マジでやるのか」
「マジマジ、ちゃんと署名もあるし」
真依が券を目の前に突き出す。
確かに、『恋塚真依へ』と『大田徹之より』という字が拙い字で書かれていた。
わざわざ漢字を調べて書いたのを覚えている。
「でもな、クラスのみんなの目もあるし、今度休日とかに……」
「ダメ! 今日使うって決めたから!」
今日は妙にテンションが高いな……。
ああ、懐かしの品を見つけて童心に帰ってるのか。
俺もさっき券を見せられた時テンション上がったし。
そういえば、真依は中学に入ったあたりからこういうわがままを言わなくなったよな。
それどころか意外と周りをよく見ていて、気配りが出来る偉い奴だ。
まあ、今日1日くらいはわがままな真依を見るのもいいかもな。
「分かった。でも、あんまり無茶なことは言うなよ」
「やったー! じゃあ今日1日はなんでも言うこと聞いてね!」
「ああ」
昔に戻ったみたいで、少し楽しい。
俺の方も満更でもなかった。
✳︎✳︎✳︎
「徹之ー、机くっつけよー」
数学の授業前に真依がそう言い出した。
「どうして」
「なんか机くっつけるの楽しいじゃん」
分からなくもない。
いや、やっぱり分からない。
「でも、くっつける理由が……」
「徹之が教科書忘れたってことにしよう」
忘れん坊のレッテルを貼られるのは癪だが、俺は今日1日は真依の言うこと聞かなければならない。
特に口答えもせずに机をくっつけた。
そして、授業が始まる。
机をくっつけたからといって特に何かをするわけでもないのだが、真依は楽しそうだ。
机と机の境目に教科書を置き、2人でそれ見るので自然と距離が近くなる。
昔はこれくらいの距離は当たり前だったな。
一緒に本を読んだり、ゲームしたり……。
幼なじみとはいえ、さすがにこんなに近いと女性として意識せざるを得ない。
男子にとっては原因不明のいい匂いがするし、自分に比べて曲線的な身体にドギマギしてしまう。
お互い、ずいぶん変わったんだな。
不思議な感覚だ。
✳︎✳︎✳︎
「ご飯一緒に食べよー」
弁当で俺の腕を小突いてきた。
「どこで」
「ここで」
教室には多くのクラスメイトがいる。
男女が2人きりで昼飯を食うと言うのは、何かと恥ずかしい。
「いや、でもここだと目立つし……」
「ん!」
まるで水戸黄門のように、『今日1日なんでも言うこと聞く券』を見せびらかす。
「……分かったよ」
恥ずかしくはあるが、何か失うものがあるわけでもないし。
何より、朝から楽しそうにしている真依を落ち込ませたくはなかった。
「やったー!」
そう言うと、数学の授業と同じように机をくっつけてきた。
お互いに弁当を広げて、昼食を開始する。
なんてことのない日常会話している時、爆弾発言が投下された。
「私に『あ〜ん』して」
「え」
それはさすがに……。
そんなことしたらカップルと見られてもおかしくない。
自覚あるのか、こいつは。
「そ、それはさすがに……」
「ん!」
今度は家宅捜査に来た強面の警官の如く、例の券を突き付けた。
「……」
さすがに躊躇する。
どうしたものか……。
「……1回だけな」
周りから茶化されるかもしれないが、まあその時はその時だ。
1回くらいいいだろう。
「じゃあ、徹之の唐揚げちょうだい!」
このやろう、俺の1番好きな具を。
断腸の思いで唐揚げを持ち上げる。
「……あ〜ん」
なんだこれは。
妙な浮遊感がする。
心が落ち着かない。
真依の唇。
当たり前だが、女の子の唇だ。
真依は、もうキスをしたことがあるのだろうか。
彼氏とかいるのだろうか。
余計なことを考えながら口の中に唐揚げを突っ込む。
満足げに口をモゴモゴ動かしている。
「あ〜ん」
そう言って、真依は再び口を開ける。
「おい、1回だけって……」
だが、真依は俺の言うことを聞いてくれなかった。
仕方ないな。
恥ずかしいが、俺が我慢すればいいだけの話だ。
結局、2回や3回じゃ済まなかった。
✳︎✳︎✳︎
真依の要求はエスカレートしていった。
手繋げだの、おんぶしろだの、スキンシップが激し過ぎる。
でも、今日1日だ。
放課後、当たり前のように一緒に帰ることを強要された。
今日は本当に振り回されっぱなしだ。
それでも、真依がこんなに楽しそうならいい。
俺が口答えしては、真依も気分がよくないだろう。
「そろそろ別れの時間だな」
お互いの帰路が別れる場所に来る。
きっと、ここで最後のお願いをするだろう。
「徹之、最後にさ……」
来た。
さて、一体どんなお願いが飛び出すやら。
「私にキスして」
今、なんて?
キス?
「真依、それはダメだ」
いくらなんでもそれはダメだ。
年頃の異性同士が気軽にしていいものじゃない。
「……して」
真依は引き下がらない。
どうする? 真依にとってはキスなんて大したことじゃないのか?
いや違う。真依は根は真面目なんだ。
今日の真依はやっぱりおかしい。
最初は童心に帰ったのかと思った。それで昔みたいにスキンシップが激しくなったと。
でも違う。
キスを要求するなんて明らかにおかしい。
「今日のお前、様子がおかしいぞ。なんか悩み事でもあるのか」
真依は何かを思い詰めているんじゃないのか。
そしてストレスのはけ口に俺を……。
いや、真依がそんなことするか?
もっと別の……。
「……そうだよね。おかしいよね」
声のトーンが下がる。
真依の瞳に輝きがない。
「ごめん。こんなことして、迷惑かけたよね」
やっぱり、何か悩んでいるんだ。
そしてきっと、真依は気付いて欲しかったんだ。
その悩みがなんなのかを俺に分かって欲しかったんだ。
だが、残念ながら俺には分からなかった。
「真依、そのことはいいんだ。それよりも悩みがあるなら話してくれ。力になるからさ」
口に出しながらあまりにも無責任なことを言っていると自覚した。
真依の悩みを分からなかったくせに、どうして力になれるなんて断言出来るんだ。
「いいの。おかしいのは私なんだから」
真依は答えてくれない。
自分から言えないんだ。
俺が気付いてあげなくちゃ。
思い出せ。
今日、真依とどう過ごしたのか。
そうだ、昔のようだった。
昔みたいに四六時中ずっと近くにいた。
それが、真依の望むこと。
「真依は、また昔みたいに一緒にいたかったのか」
真依は顔を下に向けて表情を隠した。
そのまま地面に話す。
「分かってる、当たり前のことなんだって。大きくなるにつれて男女の差が大きくなって、自然と距離が離れるのは当然だよね」
中学に入った時だろうか。
俺と真依は変わらず下の名前で呼び合っていた。
それが理由で周りに茶化されたことがある。
それから、みんなの前で真依と一緒にいるのがなんとなく恥ずかしくなって。
誕生日会とかもやらなくなって。
電話やメールもしなくなって。
「でもね、その当たり前が嫌だった。喧嘩したわけでもないのに、徹之と一緒にいられなくて時々辛い気持ちになった」
それは、俺も同じだ。
真依が女子の輪の中で楽しそうにしているのを見ると。
なんだか、モヤモヤする時がある。
でも、そこで行っちゃいけないと思った。
そこで俺が行けば真依がからかわれるかもしれない。
俺と付き合ってるなんてありもしない噂で迷惑するかもしれない。
そう思って、俺はこの距離間を受け入れていた。
でも、俺も真依と同じ気持ちだ。
本当は嫌だった。
一緒にいたかった。
それでも、俺はこれが正しいことだと思ったんだ。
俺が我慢すればいいだけの話だって。
「ごめん……なさい」
真依は声を震わせた。
雫がコンクリートに打ち付けられて弾ける。
「真依、券を出せ」
今度は素直に聴いてくれた。
ポケットから券を出す。
10年前に送った『今日1日なんでも言うこと聞く券』。
真依の手からそれを受け取り、そして破り捨てた。
券ではなくなったただの紙屑が宙を舞う。
「これで券は失効だな」
「……うん」
真依は嗚咽を漏らしている。
両手を強くを顔に押し付けて、溢れ出るものを止めようと抗う。
止まらない。
それで止められるのなら真依はこんなに悩んだりしてないんだ。
真依の気持ちを受け止められるのはただ1人、俺だけだ。
だから、この券は邪魔だ。
「今からすることは俺の意志だからな」
真依の唇を奪った。
俺はずっと自分の気持ちを押し殺してきた。
その方が真依のためになるんだって。
でも、それは大きな間違いだった。
真依も俺と同じ気持ちだったんだから。
もっと前からこうしていればよかったんだ。
好きだ、って気持ちを真依に打ち明けていればよかったんだ。
離さない。
離れたくない。
真依の体温、鼓動、匂い。
もっともっと感じていたいんだ。
やがて息が苦しくなり、唇を離す。
目の前に俺の大好きな人がいる。
頬を真っ赤に染めて、じっと俺を見てくれている。
俺は、幸せだ。
真依のそばにいることが、何よりも幸せだ。
こんにちは。臥龍です。
ラーメンの食券眺めてたら今回の話を思いつきました(笑)
現実の幼なじみってどうなんでしょうね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。