第5話 ロボット工学三原則
次の日の朝、玄関先に出たロマナはハダリーに礼を言う。
「色々とありがとう」
「……悪かったな。本当はもう少しここにいてもいいって言ってやりたかったんだけど」
バツの悪い顔で謝るハダリーに、ロマナはしばらくポカンとしていたが、やがて口元に手を当ててくすぐったそうに笑う。
「ハダリーみたいないいオートマタに助けてもらえて本当によかった」
「はぁ?」
思いもよらないロマナの言葉にハダリーの白い頬が朱に染まる。
「俺のどこがいいオートマタだよ?」
「いいオートマタだよ?」
ロマナは後ろ手を組んで上目遣いにハダリーを見上げる。感謝の念がこもった柔らかな眼差しがあった。
嘘偽りのない純粋なその目をハダリーはまっすぐ見ることができなかった。
視線をそらしたまま彼女はぶっきらぼうに布製の袋をロマナへと差し出す。
「せめてこれ持っていけ」
ロマナが受け取った袋の結び目を緩めて開ける。途端、彼女の目が見開かれた。
中には大きなリソースが数個入っていた。ハダリーが密かに隠していた『蓄え』だった。
「いらないよ」
慌てて突き返そうとするロマナだったが、ハダリーは強引に袋を押し付ける。
「いいんだよ。ほかに何もしてやれねえからな」
この程度で少しでも罪悪感が紛れるなら安いものだった。
しばらく袋の中身に視線を落としていたロマナだったが、やがて袋の紐を締めると、ハダリーを見上げてニコリと微笑む。
「わかった、じゃあこれは貰っていく。ありがとう」
「おう。元気でやれよ」
「ハダリーもね」
ロマナは手をひらひらとさせると、踵を返してハダリーの前から去って行った。
小さくなっていく彼女の背中を眺めながらハダリーは思う。
これからロマナはどうなるのだろう。
人間たちの残していった畑は、そのほとんどがすでにほかのオートマタのものになっているはずだ。
少なくともこの近くに余っている畑はあるまい。彼女が自分の畑を手にすることはないだろう。
あるいは遥か遠く。たとえば海を渡った先ならば、ひょっとしたら余っている畑もあるかもしれない。
だが果たして、あのお人好し少女がそんな過酷な旅に耐えられるのか。
陰鬱な思いでロマナを見送ったハダリーは、ため息をつくと家の中へと戻ろうとする。
「ハダリー」
低い声がハダリーを呼び止める。
振り向くと、そこにはガナドの姿があった。相変わらず背後には銃を持った取り巻きを引き連れている。
「……何の用だよ?」
朝早くから嫌な顔を見たとハダリーは不機嫌を露わにする。
そんな彼女の態度を気にする様子なく、ガナドはふてぶてしく笑いながら髭を撫でる。
「実は、貴様がリソースを隠し持っているという通報があってな。悪いが家探しをさせてもらうことにした」
「はぁ?」
ハダリーは素っ頓狂な声を上げる。
よく見れば、取り巻きの一人が身の丈ほどもある大きなハンマーを手にしている。よもやこの連中、家を壊すつもりじゃないだろうか。
嫌な予感がしたハダリーは、慌てて家を守るようにしてガナドたちの前に立ち塞がる。
「余裕はないって言っただろ!」
「それをこれから確かめようと言うのだ」
「ふざけんな!」
騒ぎを聞きつけたのか、町のオートマタたちが集まってきた。皆、何事かと訝しげな顔でこちらの様子をうかがっている。
それを見て満足げな笑みを浮かべたガナドは、ハダリーにささやくようにして言う。
「本当のところ、通報があったというのは嘘だ。見せしめが必要なのだよ。俺に逆らえばどうなるか、税を滞納すればどうなるかをな」
「テメェ……そんなことのために……!」
歯ぎしりしながら睨むハダリーに鼻を鳴らすと、ガナドは取り巻きに指示する。
「やれ」
「おい止めろ!」
家の前で守るようにして両腕を広げて叫ぶハダリー。だが取り巻きのハンマーを掴む腕は無情にもハダリーへと振り上げられた。
そのとき、
「やめてください」
静かでハッキリと通る、それでいて聞き覚えのある声がした。それと同時にハンマーを振り上げた取り巻きが、そのままの姿勢でピタリと動きを止める。
声の方を見ると、オートマタたちをかき分けて人影が姿を現した。それは町から出て行ったはずのロマナだった。
「お前、何で……――」
言いかけて、ハダリーは口をつぐむ。
ロマナの顔には明確な怒りの感情があった。
それはこの数日でハダリーがはじめて目にしたものだった。
ロマナはガナドを睨んで言う。
「あなたの屋敷まで行ったけど留守のようだからどこに行ったのかと思ったら、こんなところにいたんですね」
彼女の言葉にガナドが胡散臭そうな視線を向ける。
「お前はハダリーの家にいた小娘だな。俺に何か用か?」
「ええ。この町を出ていく前に、あなたには言っておくべきことがありました」
そう言うと、ロマナはガナドの方へと歩み出る。
それを見たガナドは顎をしゃくると、何のためらいもなく取り巻きに命令する。
「余所者だ。構わん。撃て」
「止めろ!」
ハダリーの静止も虚しく、取り巻きが一斉に銃をロマナへと突きつける。それと同時に、ロマナの背後でことの成り行きを見守っていた野次馬の群れが、モーゼの海のようにして一斉に割れた。
だがどういうわけか、銃を突きつけた取り巻きたちは誰も引き金を引こうとはしない。
一様にロマナへと銃口を向けたまま固まっている。
焦れた様子のガナドが怒声を上げる。
「どうした? なぜ撃たない!?」
「そ、それが……指が動かないんです……!」
取り巻きの一人が慌てた様子でガナドに叫ぶ。
言葉のとおり、引き金にかかった彼の指はピクリとも動かないようだった。
「この役立たずが!」
業を煮やした様子のガナドは取り巻きから銃を奪うと、すかさずロマナへと突きつけて狙いを定める。
しかし引き金が引かれることはなかった。
小刻みに震える銃口が、泰然自若と歩み寄るロマナへと向けられるだけだ。
ついにガナドの震える手から銃がこぼれ落ちた。
「ぐっ……なぜだ……!?」
ガナドは困惑しきった様子でつぶやく。
どうやら取り巻き同様、彼もまた引き金を引くことができないらしい。
「無理です。オートマタに私は殺せません」
目の前の光景を唖然と眺めていたハダリーの耳朶を不意にロマナの涼やかな言葉が叩く。
その彼女の言葉にどこか違和感を覚えたハダリーは、そこである可能性に気づいて目を見開いた。
「ロマナ。お前もしかして……人間か?」
ロマナが人間だというのなら、ガナドやその取り巻きがロマナを殺せなかったことにも説明がつく。
なぜならオートマタが人間を殺すことは、ロボット工学三原則の第一条に反してしまうからだ。
果たして、ハダリーの問いにロマナは小さくうなずいた。
それを見たガナドが呻くようにして言う。
「馬鹿な! 人間はもう地球にはいないはずじゃ……!」
「私はね、今まで長い眠りについていたの。機械の棺の中で、誰にも妨げられることのない長い眠りに」
まるで歌うようにして紡がれたロマナの言葉に、思い当たる節のあったハダリーは「まさか」と小さくつぶやく。
ハイバネーション。
コールドスリープとも呼ばれるそれは、人の身体を低温状態に保つことで本来なら生きることができない遥か未来まで人を生かす技術だ。
(ロマナはハイバネーションによって、衰えることなくその姿を保っていた……?)
それならば人間がいなくなって百年が経ったこの地球に少女のままの姿をした人間がいても不思議ではない。
今にして考えてみれば、最初にロマナと出会ったときに彼女を救ったのはオートマタとしての本能だったのだろう。
「目覚めてみれば私以外の人間は誰もいない世界。正直ショックだった」
ロマナはガナドへと歩を進める。
その光景にガナドたちは地面に尻餅をついて後じさると身体を震わせた。
オートマタはロボット工学三原則に縛られる。
どうということはない。生殺与奪の権利はオートマタの男たちではなく、最初から小さな人間の少女にあったのだ。
途中、ロマナは地面に落ちた銃を拾い上げると、それからまたゆっくりとガナドとその取り巻きへと歩み寄る。
ガナドたちの顔がみるみる内に青ざめていく。
ロボット工学三原則の第三条には、『ロボットは自身の生命を守らなければならない』というものが存在する。ただそれは『第一条と第二条に反しない限り』という条件付きだ。
第二条にあるとおり、オートマタたちは人間の命令に従うしかない。
人間が死ねと命じれば、それだけでオートマタたちは死ぬよりほかにないのだ。
やがてロマナの足がガナドたちの前で止まる。
彼らは殺される。
この光景を見ていたオートマタの誰もがそう思った。
人間に逆らえば死ぬ。
かつては当たり前だったその決まりを、彼らは百年ぶりに思い出したのだ。
だがロマナは手にした銃をガナドに差し出すと、ニコリと明るく笑った。
「もう賄賂を送るなんてことは止めて。それからこれ以上、町の人を苦しめちゃ駄目だよ。わかった?」
まるで諭すようなその言葉に、男はただただその首を縦に振るだけだった。