第2話 人類はいなくなりました
土色の乾いた大地が果てしなく広がっている。
辺りに緑の気配はなく、青い空に浮かぶ白い太陽が地面を焼き照らしていた。
まさに不毛と呼ぶに相応しい大地。その真ん中に、ある小さな町があった。
町の奥には大きな建物がひとつあり、まるでそれに寄り添うようにして小さな家がいくつも建っている。
町の端。大きな建物からもっとも遠く離れた場所に、古ぼけた一軒の小さな家が建っていた。今にも倒れそうなそれは、きっと元は白い家だったのだろう。ところどころに白い塗料の跡が見て取れる。だが今やその大部分が剥げてしまっていた。
家の隣には、畳四枚分くらいの大きさの白い箱があった。
この町の住人たちが『畑』と呼ぶそれの上には、直径十センチほどの穴が空いており、そこから生えた緑色のツタがまるで蛇のようにして箱の中を這っている。
その畑の前に、金色の髪を後ろでにまとめた一人の少女が立っていた。
外見の年齢は十六歳くらいだろうか。白いシャツの上に茶色いなめし革のジャケットを羽織っており、下は黒のストレートパンツという出で立ちだ。美しい人形のような白い頬は土埃に汚れている。
鋭い目つきは強気を思わせたが、その赤色の瞳には僅かに翳りが見えた。
少女の名前はハダリー。剣呑な目で静かに畑を見下ろす彼女こそが、このボロボロの家と畑の主だった。
口を真一文字に結んだまま畑を眺めていたハダリーだったが、おもむろに屈むと、畑を這うツタに実った球体へと手を伸ばす。そしてそれを力強くもぎ取った。
こぶし大サイズのそれは、まるでホタルのような淡い緑色の光を放っている。
『リソース』
ハダリーたち全自動機械人形『オートマタ』がそう呼ぶそれは、オートマタたちの唯一の食糧だった。
手にしたリソースを口元へと運び、ひとかじりしたハダリーは眉間にしわを寄せた。
「駄目だな」
つぶやいてから口の中で舌を弾けさせる。
畑のシステムの老朽化が原因だろうか。どうも近頃、畑に実るリソースの栄養が落ちてきている。おまけに数も少なくなっているし、以前より小ぶりのものが目立つ。
以前からシステムに不調の兆候はあった。それでもどうにか騙し騙しやってきたのだが、数日前近くであった大きな落雷がとどめを刺したらしい。
ハダリーは肩を落としてひとつため息をつく。
こうなるといっそのこと、システムを新しくしてしまった方がいいのだろう。だが残念なことに、畑のシステムを新しく作れるのは人間だけだ。オートマタには畑の使用と運用方法については教えられたが、構築方法までは開示されることはなかった。
そしてもうひとつ残念なことに、人間たちはもうこの地球にいない。
今からおよそ百年ほど前、彼らはこの星を発った。
地球の環境に急激な変化がもたらされたのは百五十年ほど昔のこと。人間の文明による環境の破壊は、意思を持った機械人形を作るにまで至った人間の技術をもってしてもすでに食い止められるものではなくなっていた。
雨は滅多に降ることがなくなり、大地の九割以上が岩石砂漠と化した。それにともない、世界人口は三分の一以下にまでなった。
『このままではいずれこの星と心中することになる』
これまで自分たちのしてきたことを悔いると同時にそう悟った人類は地球を見限り、別の星への移住を決めた。
宇宙船は乗せられる人員が限られていた。当然人間が最優先。オートマタのプライオリティは水、食糧、家畜、植物、機械、資材の次くらいだった。
結果としてかなりの数のオートマタが地球に取り残されることとなった。ハダリーもその内の一体だった。
人間たちの決定を聞かされたときハダリーは酷く憤慨したし、今でも人間に対して「どうして」という思いはある。オートマタにだって心はあるのだ。
だがそれでも人間が決めたことには決して逆らうことはできない。オートマタたちは黙って人間たちの乗る宇宙船を見送った。彼らを縛るロボット工学三原則がそうさせたのだ。
ハダリーは空を恨めしげに見上げる。頭上には雲ひとつない青い空が広がっていた。
この空のさらにさらに向こう。遠い暗黒宇宙にあるどこかの星で、旅立っていた人間たちの子孫が暮らしていることだろう。
数瞬、自分の生みの親とその子供たちに思いを馳せていたハダリーだったが、やがて大きくかぶりを振る。
もう戻ってくることがないもののことを考えていても仕方ない。自分にできるのはもはや人間たちの残したシステムを使って生き延びることだけだ。
ハダリーが踵を返して自宅に戻ろうとしたそのとき、視界の端に何かを見咎めて彼女はそちらへと顔を向ける。
遠く、揺らめく陽炎の中にひとつの影が見えた。
「何だ?」
ハダリーは目を凝らす。
ここからではハッキリとその姿を捉えることはできなかったが、影は人の形をしている。おまけにどうやらこちらへとゆっくり近づいてきているようだ。ハダリーは固唾を飲んで、その人影を見守る。
人影とハダリーとの距離が十メートル程になったところで、ようやく人影の正体があらわになる。
こちらに向かって来ているのは少女だった。
外見年齢はハダリーと同じくらいだろうか、やせ細った華奢な身体に薄緑色の服をまとっている。
そのまま、まるでゾンビのような足取りでフラフラとハダリーの前までやって来た少女だったが、数メートル前で力尽きたのかその場に手折れてしまった。
「おい、大丈夫か?」
ハダリーは慌てて駆け寄ると、倒れる少女を抱きおこす。その拍子に、少女の長い黒髪が地面に垂れた。
意識が朦朧としているのだろうか。土気色の顔をした彼女は、虚ろな表情をしたまま宙空に視線をさまよわせている。
もしかしてリソースを摂取できていないのだろうか。
いくら機械人形であるオートマタと言えど、エネルギー源であるリソースを摂ることができなければ死んでしまう。
一瞬ためらったハダリーだったが、不思議と少女を放っておくことができなかった。
『この少女を助けろ』
心の中で、そう本能が叫んでいたのだ。
ハダリーは手早く自分の畑のツタからリソースをもぎ取ると、それを少女の口にあてがう。
「食えるか?」
問いかけるハダリーの声が聞こえたのか聞こえなかったのか、それは定かではないが、少女は小さく口だけを動かしてリソースをかじる。
一口かじって咀嚼して嚥下して、また一口かじって咀嚼して嚥下して……。
やがてすべてを食べ終えた少女はそのまま脱力して意識を失ってしまった。
「おい」
慌てて揺さぶり起こそうとしたハダリーだったが、すぐさま少女の柔らかな寝息が聞こえてくる。
どうやらただ眠っているだけのようだ。
「んだよ、心配させやがって……」
腕の中の少女の無事に安堵の息をついたハダリーだったが、そこでふとある思いが彼女を脳裏をよぎる。
(コイツをどうするか……)
このまま放置することはできた。
貴重なリソースを分けて助けてやったのだ。たとえその辺に捨て置いたとしても、感謝されこそ恨まれるいわれは微塵もない。
だがさきほどと同様、ハダリーは少女を放置することができなかった。
彼女を見捨てることが、まるで禁忌に触れてしまうことのような、そんな不思議な感覚にとらわれたのだ。
「まったく……なんだってんだ……」
愚痴るようにつぶやいたハダリーは、静かに眠る少女を抱き上げた。