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シンギュラリティ

  東暦二〇四五年、最初のシンギュラリティ

 がやってきた。

 

 それは、テクノロジーのシンギュラリティ、

 つまり技術的特異点とも言えたが、正確に

 二〇四五年に起きたかと聞かれると、それは

 特定が難しいのかもしれない。

 

 しかし、光量子コンピューターが実用化され、

 そして応用範囲が格段に広がったのがその

 年だった。

 

 光量子コンピューターの実用化のされ方も

 変わっていた。それは、光とも量子とも言わ

 ないで市販化された。メーカーも、ゾングヤ

 ン共和国のそれまで無名だったメーカーから

 発表されたが、もちろん技術的な部分は

 ヤマト国の研究結果を応用したものだ。

 

 動作的には旧来のプロセッサをエミュレート

 し、スペックも対価格に対してやや下、と

 いう設定だった。

 

 ただ、特筆すべきは、極めて低い電力消費量

 だった。オール光化されていないシステムで

 旧来のものより半分程度、オール光化されて

 いると十分の一程度にまで消費電力を抑える

 ことができた。

 

 その時代においては、コンピューターの電力

 消費量がかなりのものになっていたため、

 それを理解した各社がこぞって採用した。

 

 例えば、簡単にいうと消費電力が半減すれば、

 電池のもちも倍増するのだ。メガデータセン

 ターやメガクラウドセンターの電気代も半額

 になる。

 

 性能面でも、量子コンピューターとバレない

 ためにスペックがわざと抑えられていたが、

 公開されていない簡単な方法で性能上限を

 上げることもできた。

 

 オール光化されていないシステムで約十倍

 程度まで、オール光化されたシステムでは約

 百倍ほど、同価格帯と比較して性能を発揮

 できた。それに加えて、当然ではあるが従来

 のコンピューターでは実行できない量子計算

 が可能だった。

 

 光量子コンピューターが実用化された

 二〇四〇年からの五年間で、量子計算のアル

 ゴリズムが世界各地の関係有志により極秘に

 開発されていった。

 

 リンゴ・ナナイシもその一人で、とくにリン

 ゴは、それらのアルゴリズムを使用して第一

 原理計算を行い、他の研究者が出している

 実験結果と照らし合わせて近似方法を修正

 し、かつそれを新しい素材の開発などに

 フィードバックするスキームを創り出して

 いた。

 

  そのころにはリンゴとコウの月収はそれ

 ぞれがヤマト国の通貨で月収一千万円を

 超えていた。

 

 リンゴの収入が増えた要因は、これまで継続

 してきた研究の成果が出た、というよりは、

 副業でやっていたゲームでストック型の収入、

 つまり時間割賃金のような労働時間に対して

 支払われる対価ではなく、本などを出版した

 際の版権のような不労所得として、リリース

 したゲームの広告収入が上がって来たためだ。

 

 今朝もリビングでカフェインレスコーヒーを

 二人で飲みながら今後のことを話している。

 

「探してみたけど、サンバーもキャリィも手に

 入りそうなんだけど、どうするかなあ」

 コウの移動販売に使用する車種を検討して

 いるようだ。

 

「手堅いけど、地元メーカーで何か使える車種

 に挑戦してみるのもどうだろう」

 リンゴは四十歳も半ばになって少し肉付きも

 よくなり、背は伸びているわけではないが

 何か貫禄のようなものが付いてきている。

 

 コウのほうは若いころよりすっかり痩せて

 健康的な見た目だ。しばらく会っていない人

 からはまるで別人に見えるだろう。ただし、

 イケメンと呼ばれる人種になったわけでは

 ない。

 

 そのあとコウは長期で借りているレンタカー

 で各業者を訪ねるために出かけていった。

 その日は移動販売用の車を売ってくれそうな

 業者、改造してくれそうな業者、そして

 食材を直接買い付ける近郊の農家も訪問する。

 

 リンゴのほうは在宅で仕事が出来るのだが、

 気分転換に近所の商店に歩いていく。ふだん

 は基本的に自炊をしているが、それらに使用

 する食材は週末など車を出してまとめて買う。

 

 仕事をする日の朝などは、簡単なおやつを

 歩いて買いにいくのだ。

 

  買い物から帰ってきてさっそく仕事を

 始めるリンゴ。

 

 最初の三十分ほどは本業の宇宙素材の研究に

 時間を使う。今は計算フェーズで、ただただ

 クラウド上の計算の実行状況を確認する

 だけだ。

 

 たいてい数日や数週間かかり、結果が出れば

 それをまとめて考察し、フィードバックを

 行ってから次の計算にとりかかる。常に計算

 機を走らせながらものを考えるという暮らし

 が続いていた。

 

 が、その日は本当に確認程度なので、本業の

 仕事が数分で終わる。

 

 その次がゲーム開発であるが、リンゴの場合

 ほとんど全て自分でやってしまう。ゲームの

 基本コンセプトを決めてキャラやタイトル、

 アイコンのデザインをして曲を作ってコー

 ディングしてテストしてリリースする。

 

 携帯端末向けであったりウェブブラウザ向け

 であったりパソコン上で動作するものだった

 りするが、全て個人レベルの開発規模のもの

 を作っている。

 

 たまに納期や品質を意識して外注を頼んだり

 もするが、最近は時間の余裕もあってほぼ

 自分で仕上げていた。ゲームの基本コンセプ

 トだけ有償で知人に確認してもらうぐらい

 だろうか。

 

 それらに必要な機器も揃っており、例えば

 デザインの場合、リンゴは液晶タブレットと

 板タブレットのどちらかを気分で使用する。

 

 液晶タブレットは画面に直接書き込み、

 板タブレットはパソコンに接続して板状の

 盤面に筆を動かし、モニター画面上にそれ

 が描き出される。

 

 液晶タブレットはパソコンに接続して使用

 するものも持っていれば単体で使える高性能

 なものもあり、出先でも使用可能だ。

 

 付属のデバイスも最近は近未来的なものも

 増えてきており、そういったものを買って

 試すのが好きなのだ。

 

 そうやって仕事をしているとたいてい

 アマゾネスという通信販売で購入した商品が

 届くので、受け取りに玄関へ出る。

 

 ほとんどの生活用品はそれで手に入れている。

 世界のどこにいても利用できるサービスで、

 とても便利になった。

 

 仕事に戻って、プログラミングを行う。

 データは全てクラウド上に保存される。リン

 ゴはふだん大き目のデスクトップパソコンで

 作業しているが、データがネットワーク上に

 あるため、他の端末からでも瞬時に同じ仕事

 にとりかかれる。

 

 そのあとデスクトップミュージック用の

 八十八鍵盤を触る。特に作曲するわけでない

 ときも、気分転換に弾くときがある。

 

  そうやってひと段落すると、もうランチの

 時間で、軽めの食事をしてからティータイム

 だ。最近はコーヒーにしてもティーにしても

 カフェインレスのものにしている。

 

 アパートのベランダの向こうには、カスピ海

 が見える。もうそろそろ海水浴の季節が

 始まる。

 

 そこはマハチカラというルーシ共和国にある

 街で、カスピ海がすぐ前に広がるアパートに

 リンゴとコウは住んでいた。

 

 アパートは賃貸八階建ての二階に住んでおり、

 外装は古めかしいが中はリフォームされて

 綺麗だった。広さは百平米ほどあり、子ども

 がいない二人には充分な広さだったが、家の

 中も整えられていた。

 

 というのも、この十年間、引っ越したのが

 ここで五回目になるのだ。

 

 従って、家の調度品なども特徴があった。

 それぞれ作り自体はしっかりしているのだが、

 軽い素材で基本的に折りたためる機構に

 なっている。

 

 ダイニングテーブル、パソコンテーブル、

 コーヒーテーブルなどのテーブル類、本棚、

 はては仕事用のしっかりした椅子までも、

 折りたためる。

 

 そうすると、引っ越しなどの移動の際に荷物

 を小さくまとめることができ、費用も抑え

 られるし、引っ越し準備自体もとても楽なの

 だ。

 

 また、例えば折り畳み本棚はあっても書籍は

 ほとんどない。ふだん二人ともかなり読書を

 するのだが、十インチ程度の画面の携帯端末

 を使い、電子書籍を読むのだ。

 

 ただ、二人ともいわゆるミニマリスト、

 つまり持ち物を極限まで減らす人々ではない。

 必要なもの、どうしても欲しいもの、なにか

 ワクワクさせるものは出来るかぎり持つよう

 にしている。

 

 削れるところは極限まで削り、ときめくもの

 を、それも小型高性能なものを入念に選別

 して持つのだ。

 

 そういう状況を形容して、「移動住居に住む

 騎馬民族のよう」と言ったりするのだが、

 リンゴもコウもその言い方を気に入っていた。

 

  完ぺきに整頓され清掃されて何も置かれて

 いない玄関先の下駄箱の上で、とくに日時は

 決めていないのだが、白檀のお香を炊く。

 

 家の奥の収納には神棚もあり、トイレの神様

 と言われている烏枢沙摩明王や、仏教の神様

 で金運によいとも言われる歓喜天、これも

 金運のためというよりも見た目が好きなだけ

 なのだが、そういったものを祭っている。

 

 ヤマト国民にありがちな、とくに何か宗教に

 入信しているわけではないが、どの宗教も

 何となく好き、というやつだ。なんなら

 キリスト教とイスラム教とユダヤ教をひとつ

 の神棚に祭ることも厭わない。

 

 お昼に眠くなってくると午睡をとり、そして

 そこからは少し趣味の時間となる。読書を

 したり動画配信などを見て、それから外に

 出て海岸沿いを少し歩く。

 

 カスピ海は塩湖で、ある時期までは世界で

 一番大きな湖だったようだが、そのある時期

 以降は海と定義されたらしい。

 

 ここ十年で、約二年おきぐらいに引っ越し、

 マレーシアのムアル、インドのムンバイ、

 トルコのイスタンブール、オーストリアの

 フェルトキルヒと住んできたが、

 

 海の近くと山の中のどちらが好きかと

 言われると、迷う。

 

 元々ヤマト国の山がちな地方で生まれ育った

 わけだが、このカスピ海の遠い景色を見な

 がら歩いていると山好きという生来のアイ

 デンティティーがぐらぐらと揺れ動くのだ。

 

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