崩壊と遷都
月が出ていた。
風も無く、海も凪いで、そこをゆるゆると
船が進む。甲板の一番高い位置に来て、
ステップに座ると、歌いたくなった。
夜中の時間なのと、機関が駆動する音で、
もちろん人もいなく、周囲を気にする必要
もない。でも何となく最初は小さな声で
歌い出す。
そこで旅にまつわる歌が、自分の今の
いきさつにマッチして、何の違和感もなく
涙がつたう。
日々旅にして旅をすみかとする人は、船の
上に生涯を浮かべる。別に特に何か深刻な
人生を送ってきたわけでもなく、ただ
状況に酔っている自分。
だが、その価値はあると感じている。
大して回数をこなしたわけでもなく、
船旅は好きだと思う。
時間を使う分、贅沢なのだ。
リンゴ・ナナイシは、十九時発のフェリー
で大阪南港を出発し、瀬戸内海を船で
進んで大分県別府市に向かっている。
だが、ここでは異世界風に、ブンゴ県、
ベップ市、としておこう。
すでに日付も変わって深夜だが、昨日の
午前中に引っ越し作業も無事終わり、
午後から中央線と東海道新幹線を使い
ナニワ府に到着した。
少し時間があったので、難波の街を少し
ぶらついて、それから南港でフェリーに
乗ったのだ。
そして、4人部屋の個室もあったのだが、
せっかくなので、ということで大部屋に
して、そして疲労からか乗ってすぐ
ぐらいに眠ってしまった。
夜中に目が覚めて、起きて周りを見ると、
乗客はそれほど多くなく、大部屋に
パラパラと寝ているだけ。
起き上がり、上着を来て甲板に出てみると、
深夜の瀬戸内海はこの時期まだ少し寒い
が気持ちいい。
二〇二四年九月の都心のクーデター騒ぎ
のあと、十月に解散総選挙、そして政権
交替となった。
そのあくる年の三月、ヤマト国の最高峰で
あるマウントフジが噴火して、風向きに
より関東地方に火山灰が降り注いで大変な
被害をもたらした。
だが、その被害もかなりのところまで抑え
ることができた、とも言われている。
そのひとつ目の理由が、かなり前から、と
言っても数か月前、という意味だが、噴火
発生を予知できたのだ。
頻発する火山性微動、中腹あたりからの
噴煙、周囲で起きる異常現象などなど。
陰謀論界隈からは、ヤマト国で起きる
久しぶりの自然災害、裏返すとここ最近で
起きた現象は自然災害に似せた人工災害
だろう、という意味だが、
人工災害は予知が難しいが、自然災害だった
ので予知できた、そんなこともインター
ネット上では囁かれたものだ。
そしてもうひとつが、遷都だ。
実際のところ、ことにあたって「遷都」と
いう単語は使用されなかった。しかし、
公官庁の分散化、各都市への移転、そして
決定的な、王族のイズモ県、あるいは
ヤマシロ県などの他県への移住。
それは、おそらく混乱を避ける理由からも
一時的な居所の移動、と言われていたが、
噴火の予知が始まる前から準備され、
おそらくもう戻らないだろう、とも噂された。
そしてあともうひとつ、意外と地味に
効いていたのが、東暦二〇〇〇年より前から
じわじわと流行り出した、地方移住だ。
これなども、陰謀論の人々は、この状況を
予想した人間が仕組んでいたのだ、とも
噂し合っていたが、とにかくにも、噴火
予知が発表される数年前からさらに爆発的
に都心からの地方移住が進んでいた。
それがどうやら、地方にとって多くの人々
を受け入れる準備期間となっていたようだ。
まだ実質近代化されていなかった、古い風習
や考え方が残るどん詰まり集落もまだまだ
たくさんあったが、少しづつ変化が訪れた。
リンゴが今そうやって、都心からではないが
地方に移住しようとしているのも、その
ような多くのひとの地方移住によってそこが
住みやすくなったことが影響している。
移住に関する情報が簡単にかつ多く手に入る
状況になっていたのだ。
都心とその周辺、噴火による大被害が
予想された地域もあった。当然かなりの混乱
も予想されたが、政府の対応も早かった。
四期、十二年間総理大臣を務めたシンサク・
タブセから政権を奪取したジロウ・ヤマモト
は、元々国王の事実上の遷都を、政権を
取る前から予想し、準備していたフシがある。
もしかすると、王族ともうだいぶ前から連絡
を取っていたのかもしれない。なぜなら、
遡ること十年以上前の東暦二〇一三年、
そのジロウが当時の国王アキトに、電子力
発電所事故による毒物汚染について直訴した
からだ。
その時点から、王族とジロウは繋がっていた
のかもしれない。
首都機能移転をおそらく計画していたことも
あり、噴火予知の段階、つまり実際の噴火の
数か月前から、人々の移住がかなりスムーズ
に行われた。
例えば、持ち家のローンについては行政と
民間問わずサポートが行われた。そして、
企業の移転についても補助金などによる
支援が行われた。
それら関東圏における損失を、別の移転先の
地域の発展によって補った。むしろプラスに
までなった、ということはないが、移転に
より古くて悪い部分を捨てることができた、
など企業側へのメリットも生まれていた。
最終的に、噴火前後の数週間で疎開、つまり
移住がまだ出来ていない人々も一時的に他の
地域に避難することで、
そしてその期間に自国あるいは他国の救助隊
を待機させ、事態は、少なからず犠牲者が
出たものの、ほどなく収束を迎えることと
なった。
といっても、その、今では旧都心である
ムサシ都は、ほとんどがゴーストタウンと
化し、火山灰の影響は短期間で消えたとして
も、その前の毒物汚染の影響が消えるのに
おそらくかなりの年月が必要とされた。
新政府によって人口統計も発表された。
実は、ヤマト国の人口は一億人を切っていた。
前政府により統計が改ざんされていたのだ。
しかし、その正確な統計の発表と、新政府に
よる少子化対策、そして国民が人口危機を
意識したことにより、国内は人口増加に
反転した。
それは、関東東北圏の大部分がが住めなく
なったことで、他の地域が人口過密になり、
かえって子育てがしやすくなった点もある。
多くの過疎地域が過疎でなくなった。
リンゴにとって最も大きいと感じた点は、
それら人口過密により、人々の中に、他の
住める地域を探したい、という気持ちが
実感として芽生えてきたことだ。
それは、宇宙進出への起爆剤になり得る。
と、リンゴが勝手に思っているだけではある
のだが、様々な研究機関に宇宙開発の資金が
流入し出しているのは一般に出ている情報
からでもわかった。
だが、リンゴは、そういった研究機関には
所属せずに、フリーランスでエンジニアと
して生活費を稼ぎながら、個人で研究を
行うつもりだ。
多少のツテがあって、そのような研究機関の
知り合いと繋がっていたりもするが、リンゴ
には少しだけ確信があった。
以前に比べれば、研究機関が求められる結果
も、短期的なものからかなり長期的な、
そして基礎研究的なものに変わってきている。
しかしそれでも、難しいと思うのだ。
宇宙に出るための研究は、もっと遠回りする
必要がある、という確信だ。
そして、その個人レベルの遠回りを、最新の
技術が可能とさせる状況が出来上がりつつ
あった。過去から比較すると、本当に格安に、
計算機のパワーを利用できるのだ。
クラウドを利用して、そのパフォーマンスを
百パーセント引き出す。ずっと計算機を走ら
せる。なんなら、家にあるパソコンを四六時
中走らせるだけでそこそこの結果が得られる
時代だ。
月数万円出せば、数十年前のスーパーコン
ピュータレベルの環境がすぐ手に入る。
といって、それらがすぐお金に結びつくわけ
でもないので、そこは恋人のコウ・サナミに
ある程度頼るつもりでいた。
リンゴの友人にはとんでもなく裕福な者も
いるのだが、当面それら裕福な人々に頼る
ことはしないつもりだ。
それは、彼らが王族であるため、国民の目が
どこかで光っている可能性もあることも考慮
している。もちろん、頼めばポケットマネー
でなんとかなるのだろうが、それはやはり
非常手段、緊急手段にしたい。
苦労話を演出したい、などという無意識も
あるのかもしれないが、とにかく、仮に数億
円積まれたところで、うまくいく保証も何も
ない世界なのだ。
アイデア一発で全てが変わる。あせらず
のんびり、温泉でも浸りながら考える。
何年かかろうとも。
そうやって生きていくことに、リンゴは何の
不満もなかった。逆にそういうことに関わ
れることが、もの凄く幸せだと思う。
その様なことをとりとめも無く考えている
と、また眠くなってきた。
大部屋に戻って寝直そう。




