リアルパラダイス
キャンパス。
そこは、大半の学生にとって戦場だ。
そこで勝ち残った者にとってだけ、そこが
パラダイスと化す。
では、そこで勝つ方法とは何か。それは、
いかにリアルの世界で充実しているように
見せるか、そして、いかに意識が高いように
見せるか、そこにかかっている。
「あなたは自分の人生に満足していますか?」
また来たか。
登校中のリンゴ・ナナイシに、少し線が細い
青白い感じの、自分の人生に満足していない
雰囲気を醸し出した学生が話しかける。
「いい大学に入って、いい企業に就職するだけ
があなたにとって本当の人生ですか?
本当の充実した生き方のために、悟りに
ついて一緒に考えてみませんか? セミナー
に参加してみませんか?」
悟りについて考えるのは、アグリーなのだが、
出来ればもっと健康的なアプローチをとり
たいリンゴ。こういう場合、
「あ、自分、すでに悟りを開いてるんで」
いいです、と答えると、その勧誘してきた
学生は呆気に取られたように立ち尽くして
いた。
こっちに入信を希望されると困るので、足早
に立ち去るリンゴ。
大学2年生になると、一般教養に加えて
専門科目が入ってくるが、それでも数学など
はビッグザマウンテンのメンバーと同じ
授業になったりする。
大学生にとって、朝9時から始まる1限目の
授業はけっこうつらい。数学のけっこう癖の
ある喋り方をする講師の授業を受け、そして
2限目の中国語。
今では第一外国語に英語と中国語を選択
出来るようになっている。つまり、英語が
もう充分だと考えている学生が、他の言語を
選択できる。しかも、中国語については
出来たばかりなので既習でなくてもよい。
何か面白そうだったので、中国語を選ぶと、
特に打ち合わせていたわけでもなく、ビッグ
ザマウンテンの他の3人も中国語を選んで
いた。
加えて、第二外国語も、みなロシア語を選ん
でいた。何かマイナーな言語があればそれを
選んでやろう、という同じ思いだったようだ。
そう、この外国語の選択が、レストラン
バーバリアンで意外と良い扱いを受けるよう
になった原因かもしれない。最初にそこで
夕食時まで勉強したのも確か中国語だった。
バーバリアンのワンさんとよく似た日本語
を喋る講師の授業を終え、昼食の時間だ。
「テツヤさあ、先週そこの段差の角で思いっき
りコケてなかった? 学科の知り合いが見た
って言ってたんだけど」
ミナ・ヤマダの質問に、食べていたチャーハ
ンにむせて咳き込み続けるテツヤ・ミマタ。
食堂の外にあるウッドテーブルに4人。
「長髪で白のTシャツを末広がりのジーパンに
インしてサスペンダーでリュック背負ってる
の君しかいないでしょ」
そう言いつつも、ミナの目はテツヤに向く
ことはなく、意外とおいしい天津飯にずっと
向いている。
「おお、そうだ、うちら何で集まったんだっけ」
野菜炒め定食に集中していたリンゴが思い
出したように顔を上げる。
「明日の登山の話でしょ、たしか」
うどんとおにぎりを食べていたコウ・サナミ
が答える。
永遠に咳き込んでいたが誰もかまってくれ
なかったテツヤの咳がピタリと止まり、
「明日の12時に南パインモト駅集合、そこ
からミナの車で現地へ向かう、みんな、
遅れないように!」
ほーい、と返事してまた飯の残りに集中する。
バンドではなく、山岳サークルとしての
ビッグザマウンテンの活動だ。
彼らは、なぜ山に登るのかを問われると、
そこに山があるから、ではなく、そこに山
しかないから、と答えることにしている。
昼食が終わり、食器を片づけて、そのまま
ウッドテーブルに居座る。キャンパス内には
ふたつ食堂があり、ひとつは新しくて人も
多いが、今彼らがいるのは古い方で、それ
ほど混んでいない。
午後の授業までは少し時間がある。
「何か意識高い系の会話しようぜ君たち」
ミナの提案に、珍しくコウが例題を出す。
「諸君らは大海洋戦争敗戦の原因をどう捉えて
いるわけでありますか」
「出題してるのに声が小さい」
テツヤが釘を刺す。リンゴがプッと吹き出す。
「当時の軍上層部や国王は、ワシントン連邦と
戦争しても序盤で少し勝てても最終的な
勝算はないことを知ってたようだな」
テツヤが続ける。
「じゃあ何で始めたの」ミナの問いに、
「初戦で大勝してそのまますぐ講和に持ち込む
つもりだったんじゃ……」
「物量で明らかに勝っている国が、一発殴られ
てそのまま講和してくれると、小学生でも
考えるか?」というミナの指摘に、
「当時は石油の入手経路も経たれてジリ貧で、
やっぱり男のプライドが許さなかった……」
「男がバカだったから、という結論になるよ。
リンゴ君はどうかね」ミナがリンゴに振る。
「うーん、あたしはやっぱりぃ、お金の流れ
が気になるかなあ。負けた原因というより
戦争を始めた原因になるけど。
お互いの国の財閥がお金儲けのために示し
合わせて始めたんじゃないかな。だから、
勝敗はどうでもよかった、みたいな」
「戦争は大義のためにやるんだ、お金なんて
関係ないぜ、だいたい戦後に財閥解体され
たし」というテツヤの言葉にリンゴは、
「仕掛けた財閥とは別のライバル財閥が解体
された、あくまでも推測だよ。経済的目的で
あった根拠は、ひたすら社会主義化を嫌った
こと」
「でも証拠がないわけだし」というテツヤの
反論に対してリンゴは、
「現政権は戦前の体制を引き継いでいるから、
政権が替わらない限りそういう証拠は出て
こないっしょ」
「現役経済学部生の意見も聞きたいなあ」
今度はミナがコウに話を振る。
「リンゴの社会主義化の話の補足になるけど、
社会主義革命そのものが西側の手によって
作られた、という説まである」
声は小さいが珍しく饒舌である。
「つまり、支配者たちは常に敵を必要として
いるんだ。そうして被支配層の僕たちは、
永遠に支配されながら働かされ、搾取され
続けるんだ。これに少しでも抵抗しようと
すると、暴力装置が作動して、僕なんかは
す巻きにされて海に、海に……」
「いいねいいねえ」
相槌を打つリンゴは、コウのこういった
ネガティブなノリが大好きなのだ。
「ところで、ミナはどうなの? 生物学の
立場から面白い見方とかあんのか気になる」
今度はリンゴがミナに問いかける。
「そうだねえ、まあふたつあるかな」
梅雨明けはまだ遠く、今にも降りそうな空を
チラッと見上げる。この季節、折り畳みの傘
は必須だ。
「ゲノム解析でわかるようになるのかだけど、
遺伝的にそういう人種だった、ということ」
「戦争が好きとか?」と、リンゴ。
「ていうより、誰かが旗を振れば疑わずに
そっちへ行っちゃうみたいな。島国で純正
培養されて純粋になり過ぎた、みたいな」
「なるほどそっちね。もう一個は?」
「たまに虫とかであるじゃない、集団自死
みたいなやつ。あまりに同じタイプの生き物
が集まっちゃうと、集団でおかしな方向へ
行ってしまうみたいな」
「それって何か研究結果とかあんの?」と
テツヤが乗り出す。
「んー、あんま無いけど、でもその頃のテレビ
の映像とか見ると、何かすごい雰囲気だよね。
カルト宗教ぽいって言うか、少しでも変わっ
たものを認めないというか」
「日本人が全員おれになったら、変な方向に
行く自信あるかも」と言うコウに、
「それわかる、変にポジティブになって、
戦争始めそう」
リンゴが物騒なことを笑いながら言いつつ、
次の授業のために立ち上がる。周りの学生
も、それぞれの目的のために動き出す。