底辺
コウ・サナミは、自分が底辺だとは
思っていない。リンゴ・ナナイシからも、
実際言葉で聞いたわけではないが、そういう
意識で接しているようには見えなかった。
東暦2011年3月21日のミチノク
大地震で、イワシロ県に居た一家は、家屋
崩壊という事態だけは避けることができた。
もちろん沿岸部でもないので、津波の被害に
遭うこともなかったわけだが、そのあとは、
その地域の多くの家族がそうだったように、
苦難続きだった。
震災当時、コウは9歳。震災から二年弱で、
父が死んだ。母は心労で鬱となり、仕事も
行けなくなった。それでもしばらくは
遺族年金と貯金でやり過ごした。
その前の、震災から一年目で、父方の
祖父母も立て続けに亡くなっていた。
そういうこともあって、コウが中学に上がる
タイミングで、母の実家に近いパインモト市
へ引っ越したのだ。
地震後、コウも、はっきりと病院などで診断
を受けたわけではないが、地震による心的
外傷後ストレス障害を負っていた。
大地震の夢を、何度も見るのだ。
体調面でも常に風邪を引きやすく、元々の
ネガティブな性格もあって学校に通うのも
辛い状態だったが、シナノ県に移って
それが改善した。
母もコウも、体調がすっかり良くなった。
夕食時も、母と息子でそれほど会話は無かっ
たが、イワキ県にいたころはテレビを付けて
いても、部屋の灯りがついていても、重い
暗闇が被さっているかの様な、何かとてつも
なく陰鬱な空気があったのが、今では特に
違和感もない日常に戻っている。
コウの母、キミコが大地震を体験したのは
それが初めてではなかった。
東暦1995年、キンキ地方の大学を出た
キミコは、そのままセッツ県で就職して
二年目の時だった。セッツ大震災だ。
一人暮らしのマンションで震度5強の揺れを
経験した。キミコの住んでいた地域は、
それほど建物の倒壊などは無かったが、震源
に近い地域は大変なことになっていた。
その地震の際、キミコがあまり人に言って
いないことがある。地震が発生したのは朝方、
まだ暗いうちであったが、地震発生の最初
の細かい揺れで目を覚ましたキミコは、
直後ドーンという本震の突発的な揺れの直前、
空が光るのを見た。それは、むしろ地下から
湧いた光に見えたのだ。
瞬間、キミコは核戦争を予想した。しかし、
家が爆風で吹き飛ぶことが無く、テレビの
放送で地震だとわかって、何かむしろホッと
したのを覚えている。
そして、その後の数年、ミチノク大地震の
時ほどではないが、鬱症状が出た。そのころ
に仕事でセッツ県に出向していた夫と出会い、
恋愛の末結婚してイワシロ県へ移ったのだ。
キミコの夫、つまりコウの父マサオは、
正義感の強いタイプで、体も健康で強かった。
セッツ大震災の経験もあり、ミチノク大震災
の時はボランティア活動を積極的に行った。
マサオの職場の理解もあり、休みを取っては
イワキ県へ出かけて活動を行った。マサオの
両親も似たような性格で、イワシロ県の自分
たちの周囲が片付くとすぐに、イワキ県の
片付いていない地域を手伝った。
マサオがボランティアで出かける分、家の
ことはキミコや小学生のコウに任せていた。
かと言って、マサオやその両親がそれほど、
過労と言える程度に無理をしていたわけでは
ない。にもかかわらず、両親に相次いで癌が
見つかり、そしてすでに全身に転移していた
ことがわかった。
数か月をおいて、マサオの両親が亡くなった
のだが、まだ70代で少し早いとも思ったが、
それでも年齢的にはしょうがないと思った
ものだ。
しかし、夫の癌が見つかり、両親と同じよう
に全身に転移して、もう取り返しがつかない
ことが分かった時、さすがに気が遠くなった。
コウの小学校の卒業式を終えると、本格的
に引っ越しの準備を開始した。元住んでいた
家よりも狭い賃貸に移るため、家具の
ほとんどを業者に売るなどして処分した。
キミコの両親は、南パインモト駅から南へ
二駅のアパートに住んでおり、引っ越しも
手伝ってくれた。
キミコの仕事のほうは体調も見ながら
探すつもりでいた。問題は、コウの学校の
ほうだったが、蓋を開けてみると全く問題
無かった。
コウはもうほとんど中学校生活については
諦めに近い気持ちがあったのだが、リンゴ・
ナナイシのおかげで、最初は間違いなく
部活の練習などで大変だったが、予想して
いたよりもずっとうまくいった。
そういうこともあって、夕食後のとくに
勉強する必要のないときはひたすらギター
の練習をした。
リンゴとクラスが同じになって、半ば強制的
に友達になり、そして半ば強制的に軽音楽部
に連れていかれたわけだが、ギターの音色が
その後の彼の人生を変えてくれた。
コウの心の奥底にあるもの、それは、父の死
とその原因。生活に余裕ができるほど、
気持ちに余裕ができるほど、コウ自身が
自分の心の奥底に眠る想いに気づき始めた。
一方、こちらはテツヤ・ミマタが住む古
びた2階建ての文化住宅。
「兄貴が作る豚キムチ焼きそば卵入りだけは
認めてあげてもいいかな」
そう言うのは二つ下の弟のショウタ。
パインモト市にある精密機械メーカーの
営業職の内定を最近とった。
畳の部屋にちゃぶ台を置いて男3人で夕食。
テレビを点けている。
「JPN1024やっべえ、さすがに千人
超えると多すぎウケる」
「この二人の漫才超面白い。二人ともボケで
しかも両方滑り芸とか、ありえん超ウケる笑」
「芸能人で体調崩す奴多すぎどうなってんの?」
「オヤジ、今週末も峠攻めるのか? おれも
車持ったら行きてえー、くぅーっ」
ショウタは放っておくとずっと喋っている
タイプだ。父のブンタが、峠は子供の来る所
じゃねえとつぶやく。
ショウタの見た目は今風で、部活も野球部、
学校では女子にもモテた。テツヤとは少し趣
きも違い、兄のことをオタクだとバカにして
いたが、
最近世界の不思議な出来事に興味を持ち出し
て、テツヤもやっとおれの領域に近づいて
来たかと感慨深い。
父のブンタが彼ら兄弟の母と離婚したのは、
11年前の話だ。
長女のタマコも含めて三人をブンタが引き取
った。男親が引き取ることになった経緯を
三人の子どもたちはまだ知らない。
テツヤの4つ上のタマコは、すでに働いて
おり、家も出ていた。結婚を前提に付き合っ
ている恋人と現在市内で同棲中だ。
タマコがまだこの文化住宅にいたころ、彼女
の部屋には人から譲ってもらったアップライ
トのピアノが置いてあり、テツヤも時々
教えてもらっていた。
それで覚えたのはけっきょく猫のポルカだけ
であるが、小学校などで友達の前でそれを
速弾きしてみせたりしたのはいい思い出だ。
ブンタはガソリンスタンド店員をやって
いたが、テツヤが大学に進むのもあって、
経済的にけして楽ではなかった。
趣味の車も、金は掛けずに時間をかけて
ハッチバックのドイツ車をいじり、時々峠に
出かけていったりしていた。
テツヤのほうも日々バイトに忙しかった。