実家
中華風ファミリーレストラン、
バーバリアンから、約15分南西に歩いた
ところにリンゴ・ナナイシの実家があった。
リンゴの両親は、小さな町工場を経営して
いた。小型衛星やロケットの部品を作る
会社だったが、経営のほうはオリンピック
後の不景気もあって一時期ほどは良く
なかった。
その戸建ての家に、コウ・サナミと二人で
入っていく。玄関から入ってすぐの部屋が、
父の趣味もあって道場となっていた。
そこで二人とも練習着に着替えて、夕食前
のトレーニングを行う。トレーニングの
内容はリンゴの気分次第で、最近は立った
状態から掛ける飛び関節と呼ばれる技に
凝っていた。
「そう、襟掴んで。しっかり目で。そう」
掴んだ腕を引き込みつつジャンプして
肩口に近いところを両股で極めつつ、頭を
あいての股下に入れていく感じで潜り込む。
「うわっ」
コウもびっくりして声を上げるが、技を
受ける技術はかなりうまくなった。中学
からずっとこういうことを続けていれば、
自然とそうなるのか。
それを左右10回づつやる。
リンゴが左利きだから、というのがあるの
だろうか、サウスポースタイルからコウの
左腕にかけるほうがしっくりくる。
「コウ君は今日は食べて行かないの?」
「今日はお母さんといっしょに夕飯食べる
んだって」
両親は、いたって普通の人間だ。背が低く
中年太りで髪の薄い父親、父より少し背の
高い小太りの母親。
今は家を出ているが、リンゴには二つ年上の
兄がいる。
この普通の両親から、なぜ自分や兄の様な変
な人間が生まれてきたのか、よくわからない。
小さいころから比較的放任主義だったことが
原因か。
父は、リンゴと兄のどちらにも、家業の町
工場を無理に継ぐ必要はないと言っている。
将来の宇宙開発は、もはやロケットでは
なくなるからだという。
リンゴの兄、ジュン・ナナイシは、
ヤマト国の首都である、ムサシ都に一人で
暮らし、大学に通っている。
文学部で東洋哲学を研究しながら、生活費
や学費を稼ぐために小説を書いている。
それも、今はお金になる流行りものを書いて
いるが、
将来的に最新のサイエンスフィクションを、
未来の世界を書くというのだ。そのため、
哲学だけでなく、最新物理やそのベースと
なる数学、
歴史、政治や経済、軍事、にとどまらず、
音楽や芸術など文化面のあらゆることを
学んでいる、と本人は言っている。
そういう無駄に大きな話は父などが喜ぶ
のだが、リンゴは兄が父から金を引き出す
ため、そして留年するための伏線ではない
かと読んでいる。
最近などは、老荘思想などの東洋哲学を
ベースに、新しい思想哲学を生み出すと
称して、遺伝子分布論研究所なる怪しげな
サークルを作って活動している。
宇宙空間での理想の政治は老子が説く無為の
政治であり、その無為の政治により人々は
自然とあらゆる遺伝子タイプを網羅する
方向に増えていく、
という理屈らしい。
そうして人々に希望を与え、技術的な革新
を促し、そして人類を宇宙に進ませたい、
らしいのだが、つまり何か新しい宗教の
教祖にでもなりたいのだろうかと思い、
妹としては心配している。
最近はよくテキストでシーアイエーから
狙われている、という話を送ってくる。
たぶん実家を離れて寂しいのだろう。
ただ、兄が教えてくれた受験テクニック
は確かに役立った気がする。現に現役で
国立大学に合格している。
やり方は、格闘技のアプローチと似ている。
どんなにすごい技でも、人間はいつしか
慣れる。つまり、過去問を何度も解くのだ。
そして本番で6割ほど取れれば、たいてい
受かる。
しかし、いきなり過去問に取り掛かるのは
得策ではない。少なくとも初見で二割は
取れるレベルに基礎力を高めておきたい。
そこでお奨めなのが、模擬試験だ。これを、
何度も解く。模擬試験とは、各予備校の
努力の結晶だ。その年の傾向を全力で読み
に行っている。利用しない手はない。
重要なのは、確実に力を付けることだ。
そして、点の取り方だ。得意科目で高得点
を取るよりも、全教科60点を狙うほうが
遥かに楽だ。勝ち易きに勝つ。
意外と自分でやってみて、受かってみれば
当たり前の話に思えてくるのだが、教えて
もらわなければ勉強法で迷走したのは確実だ。
夕食を終えて、自室で少し楽器の練習を
する。するとコウからテキストが飛んでくる。
「おれ、シーアイエーから狙われているんだ、
おれに何かあっても、探さないでくれ」
おまえもか、ととりあえず返しておく。
パソコンの画面をフリーのリナックスに
切り替える。ふだんゲームなどをやるときは
ウィンドウズを使う。
学校の授業で、ある助教と仲良くなって、
色々と教えてもらった。余ったパーツで組ん
だパソコンに無料のオペレーティングシス
テムを入れた。
第一原理計算のグヌーの無料パッケージが
あるので、それを導入して、カーボンナノ
チューブの構造を計算する。
単に、螺旋構造が好きなのだ。カーボンナノ
チューブにも螺旋タイプがあるので、それの
構造計算ばかりしている。
計算して、今ではブラウザが立体画像に
対応しているので、すぐにそれに表示させる。
最近は原子の初期配置を人工知能がやってく
れる。人間は、条件を少しづつ変えながら与
えて、何度も計算する。そこもバッチ処理化
する。
どの条件がうまく螺旋を伸ばすのか、どう
いう触媒があるとどう変わるのか。コツさえ
つかめばこんなの誰でもハマるんじゃないか、
とリンゴは思っている。
研究室では、もっと強力なマシンを数十台
クラスタにしたものを使えるらしい。
配属はまだ先だが、趣味が捗りそうだ。
リンゴの部屋には、フォーエバー
ファンタジーのイラストレーターが描いた
大きなポスターが貼られている。
とてつもない魔力を得て、その力を発揮する
と恐ろしい魔性の姿に変化し、自分自身の
その姿に恐れおののく魔法少女をモチーフに
した作品だ。
部屋は、意外と片付いている、というより
無駄なものがない印象だ。数年前に流行った
断捨離という片づけ技術を継続した結果だ。
リンゴはその状態をこう分析する。つまり、
片づけにより物理的スペースが得られる、
というのも大きいのだが、それ以上に情報
エントロピーが下がることが大きいのでは
ないかと感じている。
明らかに、空気が研ぎ澄まされてくるのだ。
リンゴ風に言うと、少し物騒な物言いだが、
絶対仕留める、という狩人的感覚が鋭く
なってくるのだ。
以前人から聞いた話もヒントになっている。
南国の島の、密林で数日過ごすと、感覚が
研ぎ澄まされて、なぜか異性にもモテる
ようになると。
それは、リンゴたちがよく登るヤマト
アルプスの森林の中でも感じることだった。
異性うんぬんはよくわからなかったが、
確かに何かがスッキリしてくるのだ。
逆に言うと、無駄なもの、ぬるいものに
囲まれている生活は、感覚を鈍化させる
のかもしれない。
自分の行きたい方向にまっすぐ行く力。
格闘技でも、なんの躊躇もなくこちらにまっ
すぐ向かってくる者は恐い。何かそういう力
を、情報エントロピーを低下させる工夫に
よって得たのだと思う。