中毒
サラ・レッドフィールドはハイスクールの
3年生となり、義務教育は今年とあともう
一年の4年制だ。
地元の公立高校に、毎朝黄色い車体のバスで
通っている。
サラの父は、彼女が3歳の時に死んだ、
らしい。直接の死因は心臓の病だったらしい
が、若いころにウラン鉱山で働いていたこと
が影響したのかもしれない。
オクラホマ州とは別の州だが、その様なウラ
ン鉱山や核廃棄物施設がある地域が、原住民
の居留地に設定されることがよくあった。
母親は、サラが里親制度により今の家に
移った半年ほどあとに死んだ。急性のアル
コール中毒だった。
元々北米原住民は酒に対する耐性がなかった
ようだ。酒を飲み過ぎて身を滅ぼしてしまう。
それだけではなく、自死率、疾病率、貧困度、
どれをとっても国内のどの民族より高かった。
ただ、サラにとって、家の環境という意味
では今の家のほうが居留地よりもよかった。
悲惨な環境で母が死んでいったことが何より
悲しく、しばらく泣いてばかりいた。
親はいつか先に死ぬから、という里親の
ダイアナ・デップの言葉が役立ったのか、
そのうちサラも立ち直っていったのだが、
親友二人の死と遭遇したとき、むしろ涙は
出なかった。感情が維持されていなければ、
涙すら出ないものらしい。
学校においては、彼らはイジメを受けて
いた。この自由と平等の国は、イジメを
受ける自由すらも与えてくれるようだ。
特に、原住民に対するイジメは、社会の中
で暗に推奨されているともとれる雰囲気が
以前よりあった。
その状況は、国全体の中で少しづつであるが、
好転してきてはいる。例えば里親制度などは、
サラより後の世代では、広義の誘拐であると
してもう実施されなくなった。
しかし、それでもそういった悲劇が減って
いるだけで、完全に無くなってはいない。
そして、イジメの主犯格は、一人だ。もう
顔も名前も性別も思い出したくない。明るく
人付き合いも良い、見た目もきちんとした、
まさかそんな人が、という人間だった。
非常に狡猾に、非常にうまく彼らを追い込ん
でいった。原住民に反感を持つ教師をうまく
使い、逆に共感を持つ教師をうまくかわす。
そして、人間に優先順位を着ける。原住民、
黒人、アジア人、そして白人。貧困層、一般、
中流、そして上流。イジメの最下層。
親友二人が住んでいたそれぞれの家の環境
も、サラのそれとは違ったようだ。
サラの住むダイアナの家の場合、サラが来る
前にダイアナは離婚していた。子どもも
いなかった。人種も、古代メキシコ人の系譜。
けして裕福ではないが、食事や住居も含めて
ある程度良い環境だと言えた。
しかし、サラの原住民の親友だった男女二人
は違った。ふつうの白人家庭。実の子の兄弟
もいる。家自体はその地域でも比較的裕福
なほうだったのではあるが。
しかし、状況はその中にいるのがどのような
人間かに大きく依存してしまう。
男の子の親友のほうは、飲酒をしていたので
はないかと思っている。本人はけして言わ
ないのだが、態度や表情、そしてにおい。
サラの母のそれと似ていなくもない、
と常々思っていた。
しかし、そうすると、その里親家族が飲酒を
勧めていたことになる。そんなことがあり
えるのか。酒店などでは基本的に身分証明書
の提示を求められるので、未成年者は自分
だけでは酒を買えない。
女の子の親友のほうは、もっと深刻だったの
ではないかと思っている。本人はけして
口にはしなかったが、兄弟から性的暴行を
受けていた、とあくまで推測だ。
そして、仮にそれがあったとして、この国
には里親に出された原住民を救う仕組みが
あるかと言われると、無い。
簡単に、非常に簡単に握り潰される。
そして、サラはもうそのことは考えないよう
にした。
さらにつらかったことには、その親友二人
の死を、最初に聞いたのがイジメの主犯格の
口からだった点だ。
どこからそういった情報を仕入れていたのか。
おそらく、親友たちの里親、あるいはその
兄弟たちと繋がっていたのか。
しかし、今年の春になって状況が一変した。
まず、そのイジメの主犯格が親の仕事の都合
か何かで別の州へ引っ越していった。
自死という目的地へ敷かれたレールが、
大きく、そして今まで見たこともない方向へ
軌道を変えたようにサラには感じられた。
それは、うれしさというより、生まれた時に
も感じた、いや、生まれた時にも感じたかも
しれない、ある種の不安感と期待感だった。
そしてもうひとつ。彼女の進むべき方向を
大きく捻じ曲げたかもしれないのが、学校で
の課外活動だった。
サラは、パソコン部に所属していた。サラも
含め、部員は4人しかいない。
最初は、その男の子3人をサラは忌避して
いた、と言っていい。入部の動機は、
ダイアナの提案もあって、仕事や進学に
役に立ちそうな部活動、だった。
実は、インフォメーションテクノロジー部、
というのも存在した。部員も数十人で人気が
高く、プログラマーやシステムエンジニア、
データサイエンティストなどを目ざす生徒に
人気があった。
一方パソコン部は、どちらかというとハード
ウェアに偏った活動内容で、顧問の先生も
一風変わっていた。
時代は、どのようなハードウェアを創るか、
よりも今あるハードウェアをどう使うか、
に移っていた。
そのパソコン部の3人が、自分の家にある
パソコン部品の余りを持ち寄って、サラの
ためにデスクトップパソコンを組み立てて
くれたのだ。
サラに必要だったのは、リサイクルショップ
にあった少し型の古い小さめのモニター
だけだった。
それまでは、サラは携帯端末しか持ってい
なかった。高校入学とともにダイアナに持た
せてもらったものだ。ダイアナも、画面に
触れて操作するタブレットしか持っていない。
つまりパソコン自体が無かった。
携帯端末の小さな画面で、サラがよく観て
いたのは動画だ。それは、ファニーな動画、
夜眠れないときなどに、何も考えずにただ
笑うことで少し気分が和んだ。
それも、どちらかというとワシントン連邦の
ユーザが撮影したものではなく、他の国の
動画をよく観た。国内の動画は、時に笑え
ない場面が紛れ込むことがあるからだ。
そうやって、小さな窓を通して世界を眺めて
いたのだが、パソコンを手に入れることで
その窓がさらに大きく広がった。
そこでサラは何をやったか。
世界各国のファニーな動画をより大きな画面
で観る、ということももちろんやった。
しかし、それ以上に興味があったのが、調べ
ずにいられなかったのが、なぜ自分たちが
こういった境遇にあるのか、その理由を探る
ことだった。
そして、それは、主に海外にあるブリテン語
で書かれたサイトで見つかった。国内では、
ラグの下で何かを掃除する、といった形で
そういった内容のブログなどはすぐに閉鎖
されるようだった。
逆に海外では、原住民の人権を守ろう、と
いった当たり前のこと以上に、より突っ込ん
だ議論が為されていた。
さらには、この国に大きな変化が訪れようと
していることもわかった。それは、この
連邦国内で言えば変人扱いされるような内容。
つまり、ワシントン連邦の経済が、特に金融
システムが崩壊し、世界を支配していた力が
失われる、というものだ。
そんなことは、例えばこの国のニュースで
絶対語られることではないし、この国の中央
銀行である連邦準備理事会の会長がそう
いったことを示唆することもない。
元会長がそういったニュアンスの声明を出し
たという話を過去に聞いたが、ほとんど誰も
相手にしない。
その中でも、サラが特に魅かれたのが、
崩壊後にワシントン連邦は原住民に国を
返すべきであり、都市の在り方から見直す
べきだ、
それにより各国の協力を得ることができ、
再建がスムーズに進む、という意見だ。
実は、大学に進んで、都市工学をやりたいと
いう秘めた夢がサラにはあった。まだ誰にも
言っていない。だが、単位は密かにそして
順調にそろえている。
原住民の思想を基にした都市に作り替える。
別に、この国の崩壊と再建が嘘でも良かった。
もう、いつ死んでもおかしくないのだ。妄想
に浸っていたかった。
まさに中毒だった。




