出稽古
8月に入って大学のほうは休みだが、
出稽古のほうは継続する。夜の7時から
一時間ほど。
出稽古というのは、リンゴ・ナナイシや
ミナ・ヤマダがそう呼ぶのであって、彼女ら
からしたら家の道場がメインの稽古場なの
かもしれないが、
テツヤ・ミマタからすると、そのパインモト
駅近くにある体育館の中の道場が、どちら
かというとメインの稽古場だった。
バンドの中でもドラムスだけなぜか週3回の
武術の練習が課されているのだ。
その日も、グラップリングの練習なので、
体育館に20分ほどまえに到着し、すでに
コウ・サナミも到着して着替えていたが、
着替え終わって一緒に道場へ一礼して入る。
ここのグラップリング教室は主に中学生が
中心で、そこに大人も混ざって練習する。
中学生は地元の強豪校からも来ているので、
それなりに強い。
いや、たまに全国大会に出るレベルの
生徒もいて、そうなると下手な大学生より
強かったりもする。
時間が来て、中学生たちが体操を始めるが、
高校生以上は勝手にわきのほうでそれぞれ
ストレッチングなどを行う。
中学生は40人ぐらいだろうか。そこに
常時大人の講師が5人ほど。高校生以上の
参加者は日によってまちまちで、多い日は
10人以上いる日もあるが、
ビッグザマウンテンのメンバーしかいない、
という日もある。
今日もこの武術教室の卒業生でよく見る顔が
数人、しかし、初めて見る顔もある。講師の
ようにも見える白髪で口ひげの人物と、
同じく白髪で白帯の若者。入門者だろうか。
ちなみに、テツヤもコウも黒帯だ。去年初段
を取った。そろそろ弐段に挑戦してもいい
ころだ。
ミナとリンゴも道場に入って来た。テツヤ
とコウは、ストレッチが済んで、お互い技を
反復して掛ける打ち込みを行っている。
それが終わると、実戦的練習に入る。
組手の練習なのだが、中学生の試合時間に
合わせて、3分を単位として10本行う。
これも、日によって4分だったり、寝技が
あったり立ち技のみだったりする。今回は
は立ち技のみの日だ。
中学生たちがどんどんお願いしてくるので、
そのまま練習を受けてあげる。
中学生でも、教室を始めたばかりの1年生、
まだ体格も出来上がる前の2年生などは
ちょうどいいウォーミングアップになる
のだが、3年生となるともういい勝負に
なってくる。
なので、強い相手が連続すると、1年生
来てくれ、などと思ったりするのだが、
最近、「ごめん、一本休ませてくれる?」
という技を覚えたので、問題無くなった。
などとテツヤが考えていると、4本目でさき
ほどの白髪の若者がお願いします、と言って
きた。もちろん受ける。
先ほどからちらちらと見ていたが、彼の組手
のスタイルは、かなり攻撃的だ。しかし、
大学生相手にそうはいかないだろう。
そういうテツヤの期待に反して、その
若者、おそらくテツヤと同年代だろう、ガン
ガンに攻め込んでくる。
顔立ちは、和風のイケメンと言えばいいのか、
一重なのだが小顔でスタイルもいい。身長も
テツヤより少し高いぐらいだろうか。
顔立ちだけで言えば攻撃的には見えないのだ
が、畳のうえではそうではないらしい。
まだ実力も白帯なのだろう、けして強い、
という感じではないのだが、何と言うか、
間断なく攻め込まれてうっとおしい。
「さあさあ!」
「やあー! たあー! はいはいはい!」
こちらが少し崩れると声で追い込んでくる。
この声での追い込みは少し上級者臭い。
お互い右構えだから、というのもあって、
組み合ってはどちらかがすぐに技をかける、
というのを繰り返し、それなりに疲れてくる。
相手は防御もそれなりにうまいようで、
ポイントは取れるような技が決まるのだが、
きれいに投げることはできない。
そうこうしているうちに3分が終わり、お互
い「ありがとうございました」と礼をする。
そこでテツヤはさっそく一本休ませてもら
う。少し疲れた、というのもあるが、ミナと
さきほどの白髪にヒゲの人物が組手をやり
そうで、見てみたかったのだ。
そのヒゲの人物、さっきの若者と正反対で、
ハッキリとした目鼻立ち。最初の印象で
だいぶ年上かと思ったのだが、肌の質感
が老人のそれではない。実はそれほど
歳はいっていないのか。
だが、驚いたのはそれだけではなかった。
お互い右構え、ミナが充分な組み手から、
得意の帯を取った投げに入る。しかし、その
白髭、フワッと受けてかわす。おそらく体重
はミナより軽い。
そのあと足払いのフェイントから足を掛けて、
跳ね上げた。ミナの90キロある体が、
フワッと浮いて、畳に叩きつけられる。
この教室には他にも強い選手が来るのだが、
しかしミナがここまでキレイに投げられるの
を久しぶりに見た。調子が悪いのだろうか。
そのあとも、けして手を抜いているようには
見えないミナを、5回ほどそれぞれ別の技で
投げた。
その3分が終わって、
「やろうか」
とミナがこちらにやってきた。
調子が悪いのか知らないが、手加減はしない
ぜ、そう思いながら、テツヤも応じる。
そして、普段は決まって最初の数十秒は、
好きに持たせて好きに技を掛けさせてくれる。
「よしこいよしこい!」
なので、そのあとにあらためて気合を入れ
なおしてかかっていくのだが、
やはり強かった。いつもどおり、3分間ほと
んど立っていられないテツヤ。
これには言い訳ではないが、テツヤの組手
スタイルにも理由があって、お互い右構え
で、かつテツヤはあまり防御姿勢をとらない
のだ。
なのでミナも遠慮なく投げてくるが、腰で
技を受けきれるようになるには変に逃げ
ないのが一番いいらしい。テツヤの性格に
も合っているスタイル。
それがコウとなると、右構え対左構えの
いわゆる喧嘩四つで、コウが防御的なのを
好むこともあり、そこまで投げまくられる
ことはない。
3分が終わり、
「なんだ、調子悪いわけじゃないんだ?」
ミナも何を言っているのかわかったようで、
「最近あのクラスのひとと練習してなかった
からね。技がどっから飛んでくるか見えない」
けっきょく白髪の若者とは合計3本、コウ
も同じぐらいの本数組手をやったようだ。
白髭の人物とも練習したが、それほど投げ
られなかったのは、初級者扱いされたから
かもしれない。
そのあとその若者と控室で話すことができた。
「いえ、今日はムサシから来てるんですよ。
庶民の武道教室は慣れなくて……」
物言いに少し引っ掛かる部分もあるが、そん
なに変な奴でもなさそうだ。
名前は聞かなかったが、道着にムナ、と刺繍
してあった。おそらく名字だろう。
それぞれ、高校で使っていたのだろう、学校
名の入ったジャージに着替えて帰っていく。
そこまでが月曜の話だったのだが、その週
の木曜になって色々と判明した。
「どうも、セツナ・ムナです」
バンドの新メンバー紹介、ということで南
パインモト駅にやってきたのが、その二人
だったのだ。
「執事兼護衛役のタツトラ・ウシジマです」
バンドをやるにしては半袖シャツに
少しおじさん臭いボトムスの二人がいた。
リンゴとミナはすでにオンライン上で既知の
ようだが、それぞれ自己紹介していく。
「庶民のバンドは初めてですが、よろしく
お願いします!」「よろしくー!」
発せられる単語に少し引っ掛かるところも
あったが、とりあえずミナの車に6人で
乗り込む。
「え、もしかしてウシジマさんも何か
パートやるのかな?」テツヤが聞いてみると、
「あ、私は音響機器やら雑用やらを担当させて
いただこうかと……」
「え、そうなんですか……、すみません、
恐縮で……」
執事とはいえ、練習であれだけ強かったひと
に雑用をやってもらうのは少し悪い気がした。




