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短編小説

あなたについて

挿絵(By みてみん)

(――あなたが書き残した物語を読みながら)

 あなたは、何もないところに寝そべって浮かんでいる。


 何もないのは困る、さびしいではないかと思ったら、あなたがあなたの体だと思っているものの下に、ふわふわしたものが現われる。そのふわふわしたものと体との接点から、あなたの輪郭が浮きあがる。あなたの背中、尻、足、腕、重たい頭。あなたは腕を持ちあげて、額に手をやろうとする。そのとたん、ごつんとなにか、木の板らしいものにぶつかる。とても暗いので、目を開けていても閉じていても同じだ。あなたは、その木の板が無ければいいのにと思う。すると、木の板が消えて、あなたは起き上がる。


 ようやくあなたの視界が開ける。あなたは、あなたを取り囲んでいた箱から這いだして、ひたりと床に足をつける。箱の外へ出てみても暗いが、まったくのくらやみではない。ろうそくの灯りがゆれている。

 祖父母の家の仏壇のようなにおいが、あたりにただよっている。頭をぐるりとめぐらせてみると、あなたは他にもにおいがただよっていることに気付く。そちらへ歩みよってみると、大きな白い百合の花がある。花びらにはぶつぶつがあって、ろうそくの灯りがゆれると、そのぶつぶつの影もゆらめく。

 あなたは、あなたの目覚めたその部屋を歩きまわってみる。学校の教室ふたつ分はあるだろうか。椅子がたくさん並んでいるところも学校に似ていると、あなたは思う。あなたは、壁にはりついた観音開きの扉を見つける。あなたは、その部屋から廊下へ出る。


 あなたは、階段をあがったところにある、片開きの扉をひらく。中は二間続きの和室になっている。奥のふすまを開くと、布団が二枚並べてあり、あなたの父親とあなたの母親が眠っている。ふたりとも目が落ちくぼんでいて、眠りが浅い。ふたりのうちの片方は苦しげにいびきをかいている。あなたは、あなたの両親の顔を穴があくほど見る。

 ふたりのうちの片方の枕元には家族アルバムがある。あなたはアルバムをひらく。写真の中のあなたの両親は若く、あなたは幼い。先頭のページには、生まれたてのあなたの写真が貼ってある。

 あなたは、アルバムを元に戻して、和室を出る。


 あなたは、別の扉を開ける。そこは事務室になっていて、だれもいない。ひとめぐりしようと歩いたところで、あなたは木の板につまずく。その板には、あなたの名前が筆で大きく書いてある。あなたは、その字のうまさに感嘆する。

 あなたは、事務室の窓をあけて、外に飛びだす。


 そこは、あなたの家の最寄り駅からふたつとなりへ行った駅の、すぐ近くだ。あなたは駅へ行き、自動改札機をすりぬける。駅には誰もいない。駅員すらいない。あなたは、電車にのりたいと考える。すると、無人運転の電車がやってくる。あなたは、あなたのほかに誰もいない電車に乗りこむ。ドアが閉まる。数少ないともしびが車窓を飛び過ぎていく。

 あなたが座席にすわっている時間は、一瞬でもあり永遠でもある。それは、あなたが生きていたころの時間と同じようだと、あなたは考える。あなたは目を閉じる。次に目を開けたとき、電車はあなたの家の最寄り駅に到着する。


 あなたは改札をすりぬけて、ロータリーの反対側へと階段を降りる。住宅街に入る。自動的に足が運ばれていくのに身を任せていると、似たり寄ったりの無数の家々のうちのひとつ、あなたの家へとたどり着く。あなたは玄関の扉をひらく。鍵は持っていないが、扉をあけたいとあなたが願えば、扉はひらく。

 あなたの家のにおいがあなたの鼻をつく。それは、あなたがあなたの家を離れていた時間が長かったからだ。あなたの家には誰もいない。あなたは階段を上がり、あなたの部屋へ入る。


 あなたの部屋は、散らかったままだ。あなたの両親は、あなたの部屋を片付けることができなかった。あなたは左右を見回す。あなたは、あなたの机の上に見慣れないものがあるのに気付く。あなた宛ての手紙だ。封は、あなたではない誰かの手によって既に開けられている。ひっくり返してみる。差出人は私だ。

 あなたは、手のふるえを抑えようと思う。するとふるえは止まる。あなたは、はさみで切り落とされた封筒の口から、便箋を取りだす。そこにのたくりまわった文字を、あなたはじっと見つめる。


 あなたは、どうしたらいいか分からない。泣こうと思えば、涙がでる。泣くまいと思えば、涙は止まる。怒ろうと思えば、眉が上がる。怒るまいと思えば、眉は下がる。笑おうと思えば、口元がゆるむ。笑うまいと思えば、口元はひきしまる。


 ぜんぶの感情がいちどきに押し寄せたとき、あなたはどうしたらいいか分からない――




「あなたの苦しみを、私のものとすることができなくてごめんなさい」




 *  *  *



 あなたは住宅街へと飛び出し、深夜の駅へと向かい、無人電車を乗り継いで私の街へと向かう。しかし、私の街の駅に降り立ってみても、どこまでも広がる無数の家々の中から、私の部屋の窓を見つけることはできない。あなたは、私に会いたいと願う。しかし、私と会うことはできない。なぜなら、私があなたと会うことを願っていないから。あなたと私が会ってしまえば、私は、あなたについて、これ以上語り続けることができなくなってしまう。それは私の望むところではない……




 夜が明けていく。

 その起点がいつなのか分からないまま、空は、つぼみがゆっくりと開くように白くにじんでいく。すずめが、はとが、しじゅうからが、ひよどりが、あちこちでさえずりはじめる。駅のあらゆる設備が稼働しはじめる。電車がうなりをあげる。新聞配達のバイクが走りぬける。

 あなたは、朝の空気に混じってどんどん透明になっていく。あなたは、掃除機のコードが巻きとられていくように、急速に元の場所へとひっぱられていく。あなたの家の最寄り駅からふたつ隣の駅のそばにある、あの葬儀場へ。線香と百合のかおる、あの斎場へ。あの、底にドライアイスの詰められた、せまく暗い棺の中へ。



 *  *  *



 あなたの遺影を縁取るリボンが風でめくれあがった

 のだけど、その風はあなたの頬を撫でてはくれないね。


 そこは狭いでしょう

 そこは暗いでしょう

 そこは冷たいでしょう


 ねえ、知ってる?

 その風は、白い花のにおいがする。

 ニセアカシア、白詰草、泰山木

 あなたの棺を埋めるのは、

 トルコ桔梗、スイートピー、デルフィニウム

 そして、冗談みたいなピンクの蘭。


 冗談じゃないね

 私、あなたのこと そこそこわかってるつもりでいた。

 冗談じゃなかったね


(集合住宅みたいな炉前ホール)


 ねえ、唇がかさついているよ、

 干からびているよ。

 いつのまにか乾いたの?

 いつのまに乾いていたの?

 水をくれとも言わずに、

 じりじりと

 初夏の日差しに焼かれていたの?


 焼かれていくの?

 何も言わないまま

 白粉を塗った唇に、もう言葉をのせないつもり?

 お父さんも お母さんも 唇を引き結んで

 そら豆の割れ目みたい。

(そう思って見ると やっぱりあなたと似ている)

 あなたのために集まった友達が

 あなたを炉へ送っているよ。

 みんな あなたを焼くために集まったの?

 ちがう あなたのかさかさの肌に涙を落とすため

 リクルートスーツでやって来たの


 炉の扉は厚く頑丈で重たい

 あなたは薄く儚く軽い


(何人もの死人が整列して 炉の順を待っている)


(扉の閉まる音)


 

――――。



 喫煙所であなたはひとり ふぅっと煙を吐いて、

 ピロティーをじっと見下ろしていた

 メタセコイアの葉陰が あなたを隠した

 木漏れ日があなたをまだらにして

 胸の病巣を あばいた


(おもてへ出た)


 あのとき 私も あの木漏れ日みたいに

 あなたの薄い胸の果皮を剥いてしまえば

 あなたの絶望を掬いとって、私のものにできただろうか

 いま、

 初夏のラムネ色の空に煙がのぼっていく。

 ほかの何人かの死人の中に、あなたが混じっている

 そこに私が混じっていないのが、ひどく申し訳なく所在ない。


 心優しい友人が、アイスティーのペットボトルを私にくれた

 そうだ、

 あなたと最初で最後にお酒を飲んだ日、

 あなたの手元にあったのは


(煙突みたいなストローのそびえる)

 ロングアイランドアイスティー


 私の手元にある紅茶が酒であってもなくても、

 私はあなたについて語り続けるだろう

 酔っていてもいなくても、

 これは確信めいた予感だ、

 私はあなたについて語り続ける。


(白詰草の指環が切れた)


 だから私はいま、あなたに会うわけにはいかない。

 あなたの煙に混じるのは、今ではない。


(泰山木の花びらの落ちる音)


 私の語りのなかにあなたがいる

 私の語りが私だけのあなたをつくる

 それが、

 物語の力ってやつだ。


(ニセアカシアは、少しの混じりけもなく本物だ)

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― 新着の感想 ―
[一言] 再読しました。 やっぱり好き……(*´꒳`*) 重たいテーマだけど鬱々とせず、爽やかに読み進められる透明感。 最後に出てくる紅茶や植物がまた素敵です。 沁みますね、ちょっとしんみり。
[一言] 不思議な雰囲気と、透明な空気感が素敵でした。 ふわふわとした足取りで、知っているのに知らない道を旅するような、不思議な気持ちになりました。 「あなた」がまた次の生を幸せに生きてくれたらいいな…
[良い点] Twitterの方から来た辰井です。 もう、どこがよいのか僕には説明できないんですが、すごく良かったです!  あと僕も二人称小説書きたいなって思ってしまいました笑。 この作品が読めてよかっ…
2020/05/16 20:50 退会済み
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