お山の探検隊
「お山に行くもんは、昼休みに焼却炉裏の入り口集合」
小学校の二年二組の教室。給食の準備をしながら、子ども達の間にひそひそと伝わる合図。目を合わせ、ニヤリと笑い、窓の外の深緑のお山を見やる。
「今日はどこ行くの?」
先生の位置をちらりと確認してから声をひそませる。
「小川を辿って上に行こうって、隊長が」
「分かった」
「上、はじめてだよね」
「楽しみだね」
それじゃあ、お山の入り口で。
合言葉のように確認し合い、子ども達は冒険の前の腹ごしらえに向かった。
爽やかな陽の光がお山を照らす、梅雨明けの頃だった。
お山の入り口は、小学校の校庭の隅にある。校庭といっても、よくある砂地のものではなく、山を一部子ども達のために開いて、みかん畑や茶畑を作ってあるようなところだ。その奥、ため池をこえて、背の高い木々に囲まれた焼却炉の裏。校庭を流れる小川がお山から注ぐ始まりの場所。校庭でドッジボールや鬼ごっこをする者達の喧騒を遠くに聞きながら、お山の探検隊は男女合わせて6人が入り口に集まった。
「先生には見られてない?」
「大丈夫」
「ばれなきゃセーフ」
くすくすと笑い声があがる。本来、お山の奥へと子ども達が入ることは禁止されているのだ。しかし悪い子ども達は、もう何度も先生の目を欺いて、秘密の遊び場へと出入りしている。いつもの入り口は、この場からもう少し離れたところにあり、それはお山の中の朽ちた木造の家へと繋がっている。ひとしきりその家で遊んだ子ども達は、新たな遊び場を求めて、今日、この場へと至ったのである。入り口から先は、暗く湿った木と水の世界。隠れた緊張の中に、そっと優しく光が差し込んだ。さわさわと、風が木々の葉を鳴らしている。お山が子ども達を鼓舞し、歓迎しているようでもあった。
「行こうか」
隊長と呼ばれる男の子の合図で、小さな探検隊は、ざわざわそろそろと、お山の腹の中へと入っていった。
さくさく。かさかさ。さわさわ。子ども達の通る道に、小さく踏みしめられた枯葉が残る。そのお山は、子ども達をひやりとした空気で包んだ。校庭の喧騒はもう聞こえない。空気は澄み、ピンと張り、何も音の無いようで、しかしあちこちからあらゆる音の迫るような不可思議な空間であった。子ども達は、ころころと流れる小川に沿って、スニーカーに泥をくっつけながら、ゆっくりと上流を目指して歩いていた。
「ねえ、恐竜がいる森みたい」
誰か男の子が言った。皆、歩みを止めて、揃って辺りを見渡す。あちらこちらから伸びた枝葉のせいで、太陽の光は子ども達のいる枯葉の絨毯まではほとんど届かない。きっと樹齢何百年とするのであろう大きな木の幹を、男の子はぺたぺたと触っていた。見渡せばそのような木がいくつかあって、ごろごろと転がる苔まみれの大きな岩を避けるように、思い思いに好き放題伸びている。甲高い何かの鳴き声が、水の音と木々の音に混じって聞こえた。
「やめてよ、本当に出てきたらどうするの?」
女の子が一人、入り口の方を振り返る。くねくねと曲がったせいで、木々や岩に阻まれて今はもう見えない。いつの間にか、随分と奥まで入ってきていたのだ。ざわめく太古の森に、6人の子ども達は飲み込まれていた。
「出ないよ、ばーか」
男の子がぱしりと木を叩く。痛いと泣くように、葉が揺れた。それは連鎖するように、次々と他の木々も揺らしていく。ざわりざわりと子ども達を追い立てる。
「もう掃除の時間になるよ、帰ろう」
また誰かが言った。子ども達は自然と寄り添うように集まって、誰かの合図を待った。隊長の声はなかなか聞こえなかった。
「ねえ、隊長は?」
たまらずに女の子が言った。
「ずっと先に歩いて行っちゃったよ」
「え!? 大丈夫なの?」
「水の音がするって。見てくるって言ってた」
「水の音? 川じゃないの?」
「でも、よく聞いて。もっと大きな音が聞こえる」
子ども達は耳を澄ませた。揺れる葉音をかき分けて、水の音を探す。上へ上へと意識を尖らす。
「あ! ゴーってなってる!」
一番乗りが嬉しそうに言った。唸るような水の音が、閉ざされた森の奥から聞こえる。その音の場所を見つけようと見上げた先の大きな岩陰から、隊長がひょこりと現れた。
「隊長! 何かあった?」
男の子が尋ねる。隊長はとんとんと器用に山道を下りながら、
「見えるところまで行けなかった。たぶん滝だよ」
と答えた。
滝、滝だって、と子ども達がざわめく。宝物が埋まっている場所を見つけたような様子である。しかし、今日は時間切れだ。
「滝はまた今度か、残念」
隊長を迎えて、探検隊はぞろぞろと来た道を引き返し始める。
「でもずっと遠くなら、掃除の時間に間に合わないよ」
「走ればいけるよ」
「そうかな」
「今日だってもうアウトじゃない?」
「あ、やばい! 早く帰ろう!」
けらけらと笑いながら、子ども達は森の中を駆けて行った。もうその耳には、水の音も、木々の音も聞こえない。掃除開始のチャイムの音と喧騒が、子ども達を元の世界へと引き戻すのであった。