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前編

青春小説とサイコが混じったものになりました。

 芹澤が自分の両足に絶対的な執着心を持ちはじめたのは彼が物心つく前、正確には自らの足で自立をはじめたころからだった。

自我が芽を出すよりも少しはやく、それは芹澤の心に住み着いた。おそらく一歳か、それよりも前だったろう。

 

 なぜ足だったのか、芹澤自身にとっても正直謎が残る部分ではあった。

それでも、ただそこにある、大地を踏みしめる両の足が彼のすべてを支えている。その事実だけで、芹澤の中枢神経は満腹を訴えた。


 芹澤は幼いころから自分の足に対して、ある種の期待感のようなものを抱いていた。

それは大人から手放しで将来を嘱望されている、無責任に夢を語ることを許されている子供に抱く感情に近かった。

また、当時芹澤は年端もいかない稚児でありながら、すでに両足を二児の子として受け入れていた。

にわかには信じがたいことだが、父親の心持ち、いわば父性なるものを無自覚のうちに両足を通じて獲得していたのだ。

そのことが、のちにどこか達観しているような、芹澤のもつ独特の雰囲気をかたちづくっていた。

幼稚園から義務教育を通過して大学在学中に成人するまで、芹澤の精神年齢に周囲の人間の成長が追いつくまでには相当な時間を要したといえる。


 芹澤が執拗に足に憑りつかれたことについて、擁護する言葉はさして思いつかない。

しかし、もしかしたら足を使うなにかしらの競技に「人生をささげよう」という決意を――もし仮に人が芹澤の足を獲得したなら――思い起こさせるほどには、彼の足は発達していた。

それは熊のように太く、厚く、凶暴さを秘めていた。およそ芹澤以外には心を許さない。そんな意志を感じさせる足をしていた。

そんな風に人より強靭な足を備えて生まれたことも、芹澤自身に天性の素質を自負させる所以になった。


 芹澤には度々不思議に思うことがあった。

それは人が人体について話をするとき、ほとんど、必ずといっていいほど、『心』と『身体』とに話し手が自らを大別したことだ。しかし芹澤の場合において、それは正しくない。


心と身体と、『両足』。


 これで芹澤が求める人体への定義は過不足なく完成する。

誤解を恐れずにいえば、両足こそが芹澤を芹澤足らしめている唯一の要素だった。

まともな感覚をもつ普通の人間ならば侮辱とも受け取れるこの言葉ですら、芹澤の耳にはオリンピアンに向けられるような最上級の賛辞にしか聞こえなかった。

 

 体の話でいえば、人体の中心は心臓で、絶えずそこを起点として血液が全身にくまなく送り込まれる。そのことに疑いをもつ者はいないだろう。

しかし、芹澤の感覚は異なる。

彼にとってサーモグラフィーで一番赤く――赤を通り越してほぼ白色に発光した――熱を帯びている部分は足なのだ。

心臓は核ではなく、足へエネルギーを運ぶための一臓器に過ぎない。

仮に、人体を巡るさまざまな体内の動きを可視化したなら、それらはすべて下、つまり足元を指す矢印で構成されただろう。


 芹澤が両足への愛をはっきりと自覚したのは、小学二年生のときにサッカーというスポーツに出会ってからだった。

サッカーを始めたきっかけはひどくあいまいだった。小学校の友人に誘われたからか、父親にすすめられたからか、それとも家にあったボールを足で触るうちに興味をもったからか、はたまた学校で配布されたチラシを見たからか……。

芹澤にはわからない。

もしかするとサッカー自体にあまり興味はなかったのかもしれないが、それすらも定かではない。ただ足を使うという点にさえ特化していれば、さして問題はなかったことだけは確かだといえた。

巡り合わせが違えば、それは陸上やキックボクシングへと化けていたのかもしれない。


 動機はいずれにせよ、芹澤はサッカーに対して熱心だった。いや、真摯だった。

持てる時間はすべてサッカーに費やしたといってよい。なんらかの使命をもって生まれたかのようなサッカーへの没頭ぶりは、周囲をして鬼気迫るものを感じさせた。


 サッカーを始める以前から足の使い方にひときわ自信をもっていた芹澤は、本人の絶え間ない努力(芹澤がそう思うことは一度もなかったが)も相まって、始めた当初から抜きんでた存在だった。

小学校を卒業するころには市内で芹澤の名を知らないサッカー関係者はほぼいなかった。


 中学に入学すると同時に、プロサッカーチームのユース(下部組織)から誘いの知らせが届いた。当然、誰もがクラブチームでの芹澤の活躍を思い描いた。

しかし芹澤はその日のうちに話を断った。

理由は家から遠いことと必要性を感じなかったからだ、と芹澤は話した。

芹澤が足以外のことに恐ろしいほど執着をもたない事実は変わらなかった。

どれだけサッカーが上達しようとも、それに比例することはなかったのだ。とはいえ、そのことで芹澤が異常な人間として人々の目に映ることはなかったし、街を行き交う人々と彼との間にさしたる違いはなかった。

ある日突然、殺人犯となり果ててしまう人間とは、明確なキリトリ線で分か断れていた。つまり、芹澤は至極まっとうな人間であった。ここからはそれを象徴するエピソードとなるだろう。


 中学三年生になっても、芹澤は相変わらずサッカーだけの日々を送っていた。

ほかのことに情熱を注ぐことを知らなかったので、当前といえば当前だった。

おかげで部活を引退したときの芹澤の学力は低く、学年の順位ではケツから数えたほうが早かった。

しかし、けして芹澤は頭の悪い人間ではなかった。勉強という分野に時間を割かなかった、ただそれだけだった。

その証拠に部活動を引退した彼は地元の進学校への受験を決めると、ひたむきに勉強に勤しんだ。もちろんそこにサッカーへ向けるほどの情熱はなかったが、結果的に志望校に余裕で合格するくらいには一生懸命だった。

彼の飛躍ぶりを目にした教師とクラスメイトは驚きを隠さなかった。というのも、彼は勉学においても生粋のドリブラーで、校内順位において三桁もの人間を一息に抜き去ったからだ。


 高校に進学した芹澤にちょっとした変化が訪れる。将来のことを考える時間があるならボールを蹴っていた芹澤である、スタート地点がはるか後方だったこともあり、受験勉強の大変さはそれなりに彼の身にしみた。

もともと今しか見ていない、時計の針のような人間だった彼は、はじめてサッカー以外に触れることで自分の未来を空想するようになった。

その妄想のなかで彼がたどり着いたとりあえずの結論は、大学に進学し、それなりの企業に就職を志す、いわゆる『普通の人生』だった。

もちろん、自分のサッカーの上手さを考えればプロとなる道もあるだろう、その道も選択肢にはあった。

だが、芹澤にとって大切なことは純粋に“足で楽しむ”ことであって、苦しみながらサッカーをすることではなかった。

極論をいえば、上手い下手など彼からすればどうでもよかったのだ。


 高校進学と同時におおかたの進路を決めてしまった芹澤は、そのあとの行動も早かった。入学初日からサッカー部の練習に参加した芹澤は、その日の帰りに通学路の途中にある本屋に寄り、志望校と決めた地元大学の赤本を購入して自宅の机に向かった。


 芹澤の高校生活は色彩のない重厚さで淡々と進んでいった。


 芹澤は周囲の友人からよく「ストイック」という言葉で形容された。

その言葉の意味はもちろん知っていたが、自分に対してその言葉が向けられていることに芹澤は違和感を覚えた。

彼にとって人は人であり、自分の世界には自分しかいなかった。

芹澤は人と比べるという行為自体をしたことがなかったし、その発想すら持ち合わせていなかった。

だから人と比べることで初めて意味を成す、ストイックという横文字に違和感のようなものを覚えたのだ。

そのような節があることが理由で、少し変わっていると他人から思われることもあった。

しかし、何に対しても一生懸命な芹澤の姿勢は、思春期特有の斜に構える若者たちをして、自然と素朴な好感を抱かせた。

芹澤はいつも無自覚なエールの中に無自覚に存在した。


 高校三年間をどの生徒よりも模範的かつ規則正しく過ごした芹澤が、推薦入試にしろ一般入試にしろ、志望する大学へ進学できるであろうことは火を見るより明らかだった。

彼の内申点がいつも天井に到達していたこともその物的証拠に挙げられる。

推薦入試――今日ではAO入試というのだそうだ――を受けた芹澤はあっさりと志望校である地元の大学への進学を決めた。

推薦入試を受けた理由は単純だった。

サッカーに費やす時間を確保するためで、それ以上でもそれ以下でもなかった。

そのことを知った友人の一人は芹澤らしい、とこぼした。

 

 芹澤の人生を大きく揺るがす瞬間がいよいよもって訪れたのは、彼が大学生になったときだった。

自らの取り決めを遵守する、不動の字を体現する人間である芹澤を、それは激しく揺り動かした。

そのことは普遍的であり続ける人間などいないということを証明してみせたとも言い換えられる。

それは月並みなことだった。

芹澤を突き動かしたのは一人の人間との出会いだった。

異性との逢瀬が芹澤の世界を反転させた。いままで芹澤だけに当たっていたスポットライトがもう一人の存在を照らし出した。

 彼女の名前をあさひ、という。

 朝日という言葉とともにえらく大きな物体を想像した芹澤は、「ひらがななんです」と少し恥ずかしそうに話す彼女の姿を、網膜のさらに奥にある脳裏にまでまぶしく焼き付けた。


 あさひとの出会いは、いわば偶然だった。

地方の国立大学に進学した芹澤は理系の学部に在籍し、彼女は文系の学部に籍を置いた。

学部が異なれば受講する授業も異なる。

裕に三千人を超える魑魅魍魎とした学生らの中で、互いを認識する確率が異様に低いことは自明の理だ。

それでも、一年生で必修となる自由選択授業がたまたま重なったことは、普段片隅に追いやられている神様仏様に祈りをささげる動機ぐらいにはなるありがたさだった(といっても芹澤は自発的におみくじなどを引くタイプの人間ではなかったが)。


 芹澤とあさひが選択した講義は「美術」だった。芹澤が美術を選んだ理由は明快だった。自らの足をデッサンしてみるのもよい、と考えたからだ。

 一方あさひは、高校の選択授業で「美術」と「音楽」の狭間で悩んだ末に、友人から誘われた「音楽」をチョイスした。

そこで今回はリベンジとばかりに、満を持して「美術」を選択したのだった。


 毎週金曜日。二階にある一〇四号室で美術の講義は行われる。

美術の講師を務めた男は酒井といった。

酒井はまるで除草剤を撒かれたかのように、おでこから頭頂部にかけて頭髪がなかった。

両耳の上と後頭部から襟足にかけて、孤島を成すかのように白髪が生えているのみだった。

それでも豊かな笑みをたたえた顔をしており、なんでも許してくれそうなしわがれた顔のつくりが好々爺を思わせ、一部の生徒からは「酒じい」と親しげに呼ばれていた。

 酒じいは初回の講義で決まって席替えをして、隣の席になった生徒同士で簡単な自己紹介をさせた。

老婆心に無作為な出会いを演出しようなどという心持ちがあったのかはわからないが、しかし、結果として、これが「単なる出会い」を俗に「運命の出会い」と呼ばれるものへ昇華させる絶妙なパスとなった。


「はじめまして、芹澤です」

短すぎる自己紹介を終えた芹澤は、隣席に座しながらこちらに体を向けている小柄な女性をまじまじと見つめた。

女性の服飾に興味をもったことがないため本当にそうなのかはわからないが、あさひの格好からは優れた美的感覚が感じられた。

オフホワイトに薄く青をにじませたひざ下まであるワンピース。現実には存在しない色の薔薇模様が小さくところどころに浮かんでいた。

首まわりや耳たぶ、手首に装飾品は見られない。足元はオレンジとえんじのちょうど中間をとった、芹澤も知っているスポーツメーカーのスニーカーを履いていた。

薄く最低限に施された化粧は健康的な印象を与え、若い女性のもつ愛らしさを損なっていなかった。


「はじめまして、石見あさひです。芹澤さん、これからよろしくおねがいしますね」

隣り合った二席が教室前方から十列ほど縦に並び、それと同じブロックが三つ存在する(つまり六十席の)教室内で、真ん中列の最後方の席とはいえ一人だけ静かに立ち上がって深々と頭を下げるあさひに、少々芹澤はひるんだ。

彼にとって記憶に残る初対面となったことは言うまでもない。それが生涯にわたって記憶するものとはさすがの芹澤も思わなかったが。

酒じいは曲線だらけの顔にいつもどおりの満面の笑顔を崩さずそのやりとりを見つめていた。


 ふたりが邂逅するタイミングは週に一度、美術の時間だけだった。

席を指定されたわけではなかったが、なんとはなしにお互いが初対面のあいさつを交わした席を選んだ。


 あさひは決まって一番に、誰よりもはやくその席に着いた。

これは「美術の授業だから」という特別な理由ではない。単にあさひの性格そのものを表しているにすぎない。

どの講義においてもあさひは一番に入室し、講義までの準備を万端にして開始のベルを待った。

世間一般の真面目さ平均値をつり上げる生き方のあさひだが、それは絶妙な加減の、見ていてほほえましいレベルのものに無計算のうちに収まっていた。

当然、彼女のまわりを囲む友人は多くなった。しかしその世界にあさひが固執することはなかった。

たとえば、根回しと共感が地獄のように行き交う「女の闘い」のリングに彼女が上がることはない。

それどころか、その世界の存在すらあさひは自覚していなかった。

人間界から遠いところに生まれた花のようなおしとやかさ、時折うかがわせるどこか中性的な快活さ、それらが渾然一体となって彼女の世界観を構築した。


 芹澤が美術を受講した当初の目論見であった、足のデッサンが実現する日はとうとう来なかった。

けれども、芹澤が内心腹を立てることはなかった。

なぜなら芹澤の美術に対する目的が前のめりに変速していったからだ。

いや、それはもはや美術の範疇を越え芹澤自身をも浸食していた。

芹澤の目線は下ではなく、前を向くようになった。興味の矛先は足からあさひへと移行していった。

あさひの放つエネルギー量が初めて芹澤の足のそれを上回ったのだ。

芹澤は違和感のような驚きを心の内に抱えはしたが、一旦それに魅せられてしまえばあとは理由などどうでもよかった。


 事実だけがいつも彼を衝き動かした。


 あさひとの接触は、浴槽いっぱいのすきとおった水にぽたぽた着色液を垂らすように、徐々に微細な変化をみせていた芹澤の心境を、一瞬にしてどっぷりと、いまだかつて見たことのない薄紅色に染めあげていった。


 大学二年生になるとふたりは美術以外の時間も共有するようになった。

どちらかが明確な意思で相手を誘ったというわけではなかった。

会話のやりとりからごく自然に、流れる川のように、ふとすれば忘れてしまうかのように日時や場所は決まっていった。


 そのころにはふたりの共通項である美術の授業はとっくに履修し終えていた。


 洋食屋、定食屋、デパート、カラオケ、公園、図書館、映画館、美術館、水族館、動物園……大学生が足を伸ばせるスポットはひと通り制覇したといってよかった。

デートの回数が両の手で数えられる限界を超えたころ、ふたりは恋人の契りを交わした。

どちらが仕掛人かはやはり曖昧なまま。落ち着くべきところに落ち着いたという感覚だけが残った。


 ふたりの交際は波ひとつない海原をゆくように安定していた。針路は明確で備蓄も抜かりない。風はいつだって追い風だった。

大学生活においてとくに交際を隠すこともなかったので、ふたりの関係は瞬く間に広まった。

とはいえ、誕生しては破たんしていくうら若き短命の契りで溢れかえった大学生活において、盛者必衰の理のなかにそのニュースもすぐに埋もれ沈んだ。

 それでも、恥ずかしいというありがちな両者の都合から出場を辞退した大学祭の「ベストカップルコンテスト」も、順当にいけば優勝候補に違いなかった。それゆえ、ふたりは密かに3年間にわたって「ベストカップル・影の王者」として君臨し続けていたのだが、本人たちがそれを知る由は当然なかった。


 大学生活はそれまでの芹澤の人生を昼夜のごとく反転させたものになった。


 在学中、卒業後の進路についてふたりが改まって話をするようなことはなかったが、お互い大学を出たあとは就職しようとそれぞれが心に決めていた。

どちらも専攻していたスポーツ科学や日本文学への興味は尽きなかったが、航路は自然と同じ方向を指した。


 大学四年生になってしばらくすると、世間で取り沙汰されるほど苦戦することもなく、あっさりとふたりの就職活動は終わりを告げた。

芹澤は国内でも有数の大手スポーツメーカーへの内定が決まり、あさひも第一志望であった大手出版社から採用の通知が届いた。

大学があった県自体はよくある地方の田舎県という感じだったが、そのとなりの県は日本有数の主要都市をもち、ふたりの勤め先はどちらもそのターミナル駅から徒歩数分の距離に位置した。


 おのずと、共同生活の新拠点は定まった。

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