爆炎の魔女
正直に言ってしまうのであれば、期待などはしていなかったというのが、ベアトリスの本音であった。
妹の話を信じていなかったわけではないし、興味を持ったというのも嘘ではない。
だが、言ってしまえばそれだけだったのだ。
どういうものなのかを見てみたいと思っただけであり、効率化に関してはどうでもいい――否、それもまた異なるか。
前者に関してはともかく、効率化に関して言えば、はっきりと無理だろうと、そう思っていたのである。
そもそも、効率化というものは、一流の魔導士ともなれば当たり前にしているものだ。
今まではその概念がなかったため、漠然としか理解していなかったが、ベアトリスなどはその話を聞いた時、すぐにピンと来た。
自分の使用している魔法に対し、自身が半ば無意識に行なっているそれ。
これがおそらくは、その効率化というものなのだろう、と。
その効果は、アラン達の提唱している効率化とほぼ同じものだ。
使用魔力の減少と、発現する現象の拡大である。
そしてそれは、一流の魔導士の証と呼ばれているものでもあった。
何故ならば、そうして成った魔法は、その魔導士本人にしか使うことが出来ないからだ。
魔法陣の模倣が出来ないわけではない。
模倣したところで、同じ効果が出ないのである。
その理由は不明だが、そんなことはどうでもいいことであった。
自分達が使用している魔法が、より自分達に使いやすくなっている。
その事実さえ分かれば。
それにアラン達と多少話をすることで、それがどうして起こったのかを、ベアトリスはほぼ正確に理解していた。
要するにベアトリス達は、無意識に魔法式を改良していたのだ。
自分達が使いやすいように、望むように。
他の者達が使用出来なかったのは、おそらくは魔法陣に影響がない範囲で魔法式の修正が行われていたからであろう。
そしてベアトリスが効率化を不可能だと思った理由も、それだった。
つまりは、ベアトリスが依頼に出した魔法は、既に効率化が行われているのだ。
しかもベアトリスの感覚で言えば、それは既に最善であった。
これ以上は、改良の施しようがない。
理論を聞いたためだろうか、そのことが以前よりもはっきりと理解出来る。
故に。
「うーん……失敗かな、これは……」
その言葉は、予想通りのものであった。
ただし。
「まあそうだな、確かにこれは失敗だ。使用魔力量を五分の一程度にしか削減出来てねえんじゃ、な」
「要望は百分の一だったものね……これじゃまったく足りていないわ」
こいつらは何を言ってるんだろうか、というのがベアトリスの正直な感想であった。
ベアトリスがその魔法に施した改良で削減出来た使用魔力は、二割だ。
つまりは元の魔法の八割程度に出来たということであり、これは隊長を除けば隊の中でも突出した削減率であり、十分以上に自慢に値するものである。
なのに。
そこから五分の一にした?
有り得るものではなかった。
「効果範囲の方も全然だしね」
「まあ、二倍程度じゃな」
「要望は十倍だから、倍率でいえばこっちの方がまだマシかしら?」
「単純に比べられるものでもないしなぁ……どっちにしろ全然足りないことに違いはないけど」
ちなみに、効果範囲の方は二割増しだ。
こちらは隊長の他にも上に一人居るが、それでも誇るに十分なものである。
だというのに、だ。
二倍……?
それはもう既に、別の魔法だろう。
だが、それを――
「……失敗、だと?」
「あ、うん、ごめん。あんな自信満々で受けておきながら……」
「ん? ああ、いや……まあ、そうだな、非常に残念だ。残念だが……ところで、その失敗した魔法とやらを、使うことは出来るのかね?」
そう提案していたのは、半ば反射的なものであった。
その成果を失敗と、そう言ったのも気になったし、それ以上に本当のことを言ってるのか、ということも気にかかったのだ。
今までベアトリスはアラン達がしていたことを見てきたし、その結果も見てはいる。
しかし、それが本当に件の効率化をしていたのかどうかは、分からないのだ。
そもそも、効果範囲はともかく、消費魔力というのは見た目では分からない。
ならば魔法式を弄るフリをしていただけで、実際には別の魔法を使って誤魔化していた、ということも有り得るだろう。
……いや、勿論のこと、それはただの言いがかりだということは分かっている。
だが、自分で確かめてみなくては気が済まないし、納得出来ないのだ。
それを失敗だと言うのであれば、自分達がしていたこととは一体――
「え、まあ、出来るけど……今言ったように、失敗作だよ? それでも?」
「むしろだからこそ、私が確かめてみる必要があるのではないかね?」
「ふむ……確かに一理あるか?」
「まあ折角そこまでやったんだし、その成果を示すのは悪くないんじゃないかしら?」
「成果とはいっても、結局失敗したのに違いはないしなぁ……まあいいけど」
言い訳を重ねてごねるかと思ったが、意外とすんなりと頷いたことに、ベアトリスは僅かに驚いた。
それを抵抗しないということは、事実の可能性が高いからだ。
しかし、それは、つまり――
「えーっと、それじゃあ、今から魔法陣見せるね。そうすればすぐに使えるだろうし」
「すぐ……ふむ、ということは、半年程度か? まあ、そんなものか」
「へ? いや、すぐって言ったらすぐだけど? 多分一分ぐらいじゃない?」
「……は?」
一分という時間に、ベアトリスが唖然とした言葉を漏らしたのも当然のことだろう。
何せ魔法というのを覚えるのには、どれだけ早くても半年程度はかかるものなのだ。
幾ら効率化をしたとはいえ、話によれば既にほぼ別物である。
ならば同じ程度の学習時間が必要だと思うのは、当たり前のことだろう。
「……いや、さすがに一分というのは無理だろう?」
「え、いけると思うけど? これベアトリスの魔法をそのまま弄ったから、変更点を適用するだけだし。むしろこの場合は、上書きになるのかな?」
言っていることはよく分からなかったが、まあ駄目ならば駄目でその時に文句を言えばいいだけだ。
そうして、アランの描き出した魔法陣を、じっくりと眺め――
「……む? これは……いや、まさか……?」
「どう?」
きっかり一分眺めた後で、ベアトリスは何も応えず、ただ壁の方へと向き直った。
「……このまま普通に撃ってしまってもいいのかね?」
「うん、大丈夫だよ。見てたと思うけど、結界が張ってあるからね」
そうかと頷き、右手を突き出すように持ち上げる。
その先には、既に魔法陣が描かれていた。
であるならば、後は――
「――爆炎弾」
いつも通りに詠唱を紡いだ瞬間、いつも通りの結果が発現した。
ただし消費魔力はいつもの五分の一で、着弾したそれが広がる範囲は、倍だ。
そう、いつもの、だ。
爆炎弾という、他の魔導士も使用可能な魔法ではなく、ベアトリスがいつも使っているそれと比べて、である。
そこが限界だと、完成だと思っていたものよりも、それは遥かに先をいっていたのだ。
だが何よりも恐ろしいのは、それが本当に一分で使えたことでもなければ、次発動させる時も今のとまったく同じものを使用することが出来ることでもない。
使ってみたからこそ分かる。
これは、自分が使っていたものとは異なり、誰でも同じものが使えるのだ。
その恐ろしさは、きっと一流の魔導士にしか分からないだろう。
何せ、自分達の使っている魔法よりも遥かに優れたものが、どんな魔導士にでも使えてしまうのだ。
これに危機感を覚えない魔導士はいまい。
しかし同時に、それがこれ以上ないほど有用なことも事実であった。
何せこの国では、魔導士の数がまるで足りていない。
これは間違いなく、その底上げになるはずだ。
だが。
「……一つ尋ねたいことがあるのだが、いいかね?」
「ん? 何?」
「君達は魔法の効率化の依頼を、誰からでも受けているのかね?」
「誰からでもっちゃあ誰からでもだが、一応最初に国を通すことにはなってんな。だから、国の紹介が必要ってことになんのか?」
「え? そういう風になってたんだ……知らなかったわ。だから誰も依頼に来る人がいなかったのね」
「いやいや、依頼に来る人もちゃんと居たからね? ……一月に一人ぐらい」
「ふむ……」
その言葉に、なるほどと頷く。
完全に無作為にばら撒いているというわけではないらしい。
というよりも、これはおそらく敢えてそうしていると考えるべきだ。
彼らは自分達の研究が未だにあまりその有用性が知られていない、などと言っていたが……上はそれをわかっているからこそ、制限しているのだろう。
国内だけであれば何の問題もない。
しかし例えば、今しがた出来上がったばかりの魔法が、敵国に広まってしまえば。
どうなるかなど、考えたくもないものだ。
となると、今回自分がここに来るよう言われたのは――
「……やれやれ、私がそういうことを得意じゃないことぐらい分かってるだろうに」
「ん? 何か言った?」
「いや、ただの独り言だ。気にするな」
それでも居並ぶ顔を思い浮かべてみれば、最も自分が適役なのは事実だ。
うっかり隊長あたりに漏らしてしまえば、物理的にこの国が消滅しかねない。
そうなると、確かにこの人選は正解なのだろう。
我がことながら、まったく以って酷いことだが。
ともあれ。
「ところで、一つと言ったばかりで申し訳ないのだが、さらに一つ聞いてもいいだろうか?」
「別にいいけど?」
「では……何故この魔法が、失敗なんだ? 特に問題などは感じないのだが……」
「え? まあ、そうだね。魔法自体には問題ないかな」
「だが、俺達はそっちの要望を聞いて、それを出来るって言ったのに、出来なかったわけだからな。失敗以外の何物でもねえだろ?」
「んー……私としては、そんなこと気にしないでいいと思うのだけどね。これでも十分だと思うし」
リーズの言葉は、実際のところ正しい。
百分の一に十倍など、有り得ないと分かっていた……否、そう思っていたからこそ出た、でたらめな数値だ。
それこそ、有り得ないものである。
そんな条件を達成するなど、最初から不可能――
「いやいや、その条件で請け負った以上は、それで出来なかったらやっぱり失敗だよ。……まあとはいえ、さすがに今回は軽率だったかな。以前出来たからといって、今回も出来るとは限らなかったのに」
「……は?」
「しかも前回のは、条件はそれぞれのやつだけだったしな。条件が増えれば難易度が高くなるってのは……まあ、考えてみりゃ当然のことだな」
「つまり、調子に乗ってたってことね?」
「……その通り過ぎて返す言葉もないね」
どうやら話を聞くに、片方の条件であったならば、既に達成したことはあるらしい。
嘘や冗談というわけでは、ないだろう。
つまり、本当に……?
「……これはただの興味本位で聞くのだが、その成功した魔法とやらを見せてもらうことは出来るかね?」
「ん? 別にいいけど……どっちを?」
「……そうだな。では、効果範囲の方を」
「ま、つーかそっちじゃなきゃ一目でわかんねえだろうしな」
「確かにそうよね」
「まあじゃあそっちってことで――風槌」
瞬間、轟音が響いた。
それは何か巨大なものが、壁に激突した音だ。
それが何であるのかは……今紡いだ言葉からして、明らかだろう。
だが同時に、それは有り得ないものであった。
風槌は、風属性の魔法の中でも基礎に位置するものであり、拳大程度の風の塊を放つ魔法である。
ただし殺傷力はほとんどないため、攻撃として使われることはない。
あくまでも、邪魔な障害物などを取り除くために使用する魔法なのだ。
しかしたった今目にした現象は、明らかにそれでは済みそうになかった。
勿論風の塊であるため、直接見ることは出来ないが、衝撃の伝わり方などから大体の大きさは分かるものだ。
そしてそれは確かに、本来の風槌の十倍程度の規模であった。
「……なるほど、確かに本来のそれよりも十倍程度になっているな」
「あ、分かるんだ。さすが」
「……どーせ私は初見では分からなかったわよ。悪かったわね!」
「いや、何も言ってないけど」
「ところで、それができた時も思ったんだが、風槌じゃなくて、別の名前にした方がよくねえか?」
「ああ、それは少し考えたんですけど、給水と違って本当にこっちは範囲が広くなっただけじゃないですか。使用方法も一緒ですから、まあ変えなくていいかな、と」
正直に言ってしまえば、そういった会話のほとんどが、ベアトリスの耳には入っていなかった。
平静さを装うだけで、それどころではなかったのだ。
だがそれとは別に、頭の片隅に残された、僅かに冷静な部分が告げていた。
やらなければならないことがある、と。
「ふむ……なるほど、色々と了解だ。では、今回の依頼料の方だが」
「あ、うん、失敗しちゃったから、当然払う必要は」
「いや、払おう」
「え?」
「あん? 失敗したのにか?」
「確かに依頼は失敗したが、私は多少とはいえ改善された魔法を教えてもらってしまったわけだからな。その対価を支払わなければなるまい」
これは正直、詭弁だ。
というよりも、はっきりと嘘だと言ってしまっていいだろう。
依頼が失敗したのは事実だが、この魔法を教わったことは、今回の依頼料程度で等価となるものではないからだ。
何せ単純に考えれば、これによってベアトリスは、今までの十倍働けるようになるからである。
勿論そこまで単純にはいかないだろうが、それでも十分過ぎる成果だ。
むしろそこに報酬を支払わない方が、有り得ないだろう。
「そう言われると、確かに……じゃあえっと、本来の百分の一ぐらいかな?」
「達成率を考えれば、そんなもんだな」
「いやいや、別に依頼の全部がそこにかかってるわけじゃないでしょ? かかった手間とか、アンタ達が働いた分とかもあるでしょうし、もうちょっと貰ってもいいんじゃないの?」
「んー……じゃあ、五十分の一ぐらい?」
「そうね……まあ、それぐらいかしら?」
全然それぐらいではなかったが、さてどうしたものか。
一瞬妹を心の中で褒めたベアトリスだが、結局頭を抱えることになる。
分かってはいたが、どうやらこの妹も大分彼らに感化されてしまっているらしい。
だがベアトリスがあまり余計なことを言うわけにもいかないし、しかしどうやって適正な報酬を渡したものかと考えると――
「……いや、報酬は全額渡そう」
「え? いや、でも、失敗したのに……」
「なに、そこは気にする必要はない。依頼は成功したことにすればいいのだからな」
「……え?」
「君達の現状を考えるに、依頼が失敗したという状況は、あまり好ましくないだろう?」
「それは……まあ、確かに」
「こっちとしては、ありがたい話ではあるな。……だが、何企んでやがる?」
「企んでいるなんて、人聞きが悪いじゃないか」
実際のところ、それは本音であった。
ここまでの流れは、想定していたものではない。
ふとした思い付きから、半ばノリのような感じできたのだ。
だが、何も考えていなかったというわけでも、またない。
話している途中に、ふと思ったのである。
これはいい機会だ、と。
彼らに恩を売ることが出来るし、何より――
「まあただ、確かに無償でそうするとも言っていないがね」
「……お、お姉ちゃん?」
心配そうな目を向けてくる妹に、苦笑を浮かべる。
本当に、別に心配するようなことをさせるつもりはないのだ。
ただ。
「ま、あれだよ、うん。交換条件というわけではないが……少し、手伝って欲しいことが、あるだけさ」
そう言ってベアトリスは、自分でも分かるぐらい、人の悪そうな笑みを浮かべたのであった。