突入
そこに降り立った時、既に周囲は薄暗くなりつつあった。
空から赤が薄れ、そのほとんどを黒で塗り潰している。
これから迷宮に向かうことを考えれば、どれだけ周囲が暗かろうが関係はないのだが、状況を考えれば早いに越したことはない。
もう一度周囲を見回すと、アランは気分を切り替えるように息を吐き出した。
「既に脱出してた、っていうのが、一番いい結果だったんだけど、その可能性はなくなった、か」
「ああそういえば、その可能性もあったわね。例えば、何らかの要因で転移可能なあの場所が下層に移動してしまった、とか」
「その場合は、確かにこっちから出ようとするですか……つーか、言われてみれば可能性の方が高くねえですか? 何でそれはないって判断したんです?」
「簡単な話だよ。この周囲に、その痕跡がなかったから。索敵も使ってみたけど、何一つ反応はなかったし。脱出してるんなら、少なくともこの周辺に待機してるはずだしね」
「脱出しているのなら、そのまま街の方へと……ああいえ、そうはしないわね」
「うん、何処かの街に行くにしても、時間がかかるし、それじゃあ二度手間だからね。そもそも、ここで待ってくれば迎えが来るんだから、移動する必要そのものがない」
「だからミレイユ達はそれが分からな……ああ、分からないわけがねえです、か」
「そういうこと」
何故ならば、今アラン達は実際こうしてここに来ているからだ。
そこまでに至る顛末は違っていたかもしれないが、転移装置が使えないと分かれば、間違いなくアラン達は転移でここに来ることとなっただろう。
そしてそのことに、ミレイユ達が考え至れないわけがないのだ。
となれば、ここに姿がなく、その痕跡もない以上、彼女達は未だ迷宮内部にいるということである。
「しっかしそうなると、それはそれで厄介そうですね……」
「彼女達がここまで出てこられない何かがある、ということですものね」
「あまり考えたくはないけど……最悪の場合も考える必要がある、かな……」
最悪の場合。
それは、アランがこの迷宮を封印してしまうということだ。
封鎖魔法の魔法陣は写してあり、実はそのための触媒もこの前偶然手に入れる事が出来た。
使うだけであれば、何の問題もないのである。
だがこの状況でそれを使うということは、彼女達の救出を諦めるということだ。
或いは、その必要がなくなったり、それよりも封印を優先しなければならない事態になってしまった、ということである。
何にせよ、それは間違いなく最悪と言えるだろう。
勿論そんなことはしたくないし、なって欲しくもないものの、状況が状況故に、考えないわけにはいかない。
彼女達の誰もが、そんなことよりも自分を助けろと、そんなことは言わないだろうから。
しかしそんな最悪を迎えさせないためにも、アランは息を一つ吐き出すと、気を引き締め直す。
リーズ達と顔を見合わせ、頷き合うと、迷宮へと足を踏み入れた。
迷宮の内部は、一見すると今までと何の違いもないように思えた。
だがそうではないのだということに気付いたのは、そこを歩き始めてすぐのことだ。
「……あれ?」
それに真っ先に気付いたのは、やはりと言うべきかサラであった。
というか、当然だ。
前衛である彼女が先頭を歩くのは当たり前であるし、そうである以上彼女へと地図を渡すことに疑問を挟む余地はない。
それはマッピングが終わったものをアランが物質化したものであるのだが、要するにそこにはその階層の全てが描かれているのだ。
隅々まで歩いた成果であり、それを参考にすれば、最短距離を進むのなぞ簡単なはずであったのだが――
「サラ? どうかしたの?」
「んー……これって、第一階層の地図、ですよね?」
「そうだけど……え、何かおかしいとか?」
「これをおかしいと思わなければ、それはそいつの頭がおかしいです。だって、地図だとこの先の通路は左に折れ曲がってるはずですのに、実際には右に折れ曲がってるんですから」
「それって……」
「だからアラン、もう一度確認するですよ? これは、第一階層の地図ですよね?」
「……うん、それは間違いない。そもそも万が一にも間違えないように、それぞれの地図にはどこ階層のなのかを記してあるんだからね」
そしてそれには、はっきりと第一階層と書かれていた。
それをもう一度よく確認し、サラが溜息を吐き出す。
「ですか。ということはつまり、地図は役に立たない、ってことですね」
「そういうことだね」
それの意味するところは、アランにもすぐに理解出来た。
転送装置が機能しなくなったと聞いて、真っ先に頭に浮かんだことでもあるからだ。
「つまり、この迷宮が変動した、ということかしら……色々厄介なことが起こる迷宮だとは思ってたけれど、まだあったなんてね」
「……それにしても、これは本当に厄介だなぁ。サラに聞いてなければ、地図が間違ってたとすら思ってた可能性があるし」
「サラも実際目にするのは初めてですけどね……」
それは何かの拍子にサラから聞いた話であった。
学院にあった書物に記されていたらしいのだが、かつて存在していた迷宮には、内部構造を変動するという、そんなことが起こるものがあったのだと。
アラン達が思い至ったということは、シャルロット達も思い至っているとは思うものの――
「確かにこれは厄介ね……二重の意味で。今までは最短距離で進めば一先ずいいと思っていたけれど、これでそうもいかなくなったわ」
「だね。このままだと、彼女達とすれ違う可能性が出てくる」
今までその心配がなかったのは、この迷宮は基本複雑な構造をしていなかったからだ。
そのため、一度通った階層ならば、大体どちらで行けば最短なのか、ということが分かる。
シャルロットであれば、それを間違えないだろうと思っていたし、サラが地図を持っていたのは念のためだ。
今回はそれが功を奏したわけだが……構造が変動したとなれば、当然どちらが最短なのかは分からなくなる。
互いに逆の道を進み、同じ階層ですれ違ってしまう可能性があるし、何より今回も複雑でないとは限らないのだ。
その場合、さらにすれ違いが発生する可能性が高くなる。
「んー……何かサラ達が来てるってことを知らせる手段があればいいんですが……」
「助けに来てるっていうのは分かってるだろうから、何かそれっぽいのを残しておくのでもいいとは思うんだけど……」
どうするべきかを考え……ふと、アランはそれに思い至った。
いけそうであるのかを吟味し――
「ふむ……これでどうかな? ――光球」
そう言ってアランが出現させたのは、文字通り光の球だ。
拳大の大きさのそれを、頭上、天井すれすれの地点にまで昇らせる。
それは周囲を照らし出し、光源の存在しない迷宮だからこそ、それはよく目立った。
「これは……確かにこれならば明らかに迷宮にあるものではないし、私達が来たっていう目印にはあるかもしれないけれど……」
「でしょ? これを階段のある広間に浮かべておけば、一目で僕達が居るって分かると思うんだ。そこなら万が一にも魔物が触れて壊れちゃうってこともないだろうし」
「それはいいんですが……これって途中で消えねえんですか?」
「込めた魔力によって消えるまでの時間は調整出来るから……まあ、半日ぐらいは大丈夫だと思うよ?」
「半日……」
そこで二人が呆れたように息を吐いたのは何故だろうか?
アランは首を傾げるも、二人は顔を見合わせると、何かを言いたげに肩をすくめただけである。
解せぬ。
「こんな単純なものでさえ、普通は一時間もすれば消えるものなのだけれど、アランには今更常識を語ったところで仕方がないから、それはもういいわ」
「ですね。それより、確かにそれなら問題なさそうですから、それを設置しにさっさと戻ってから先を急ぐです」
「僕はいまいち納得がいかないんだけど……まあ、確かにのんびりとしてる暇はないしね。急ごうか」
互いに頷き合うと、三人はその場で踵を返し、一旦後方の広間へと駆け出した。
その後は、割と順調に進む事が出来たと言っていいだろう。
念のためにアランはマッピングを行い、だが階段を見つけ次第さっさと降りる。
どうせ明日には封印してしまうのだし、何よりもシャルロット達を見つけるのが先決なのだ。
ただその姿を見つけるためだけに、先を急ぐ。
しかし。
「うーん……順調なのはいいんだけど、だからこそ余計に不安になるなぁ……」
「そうね……私達でさえ、今のところ何の問題もなく先に進めている。となれば、ミレイユさん達なら尚更でしょうにね」
「この先に、何かがあるってことですね……」
既にアラン達は、第四階層までやってきていた。
構造は変わっても魔物は変わっておらず、そのため何を苦労することもなく、ただ先へと進めばよかったというのが大きいだろう。
だがだからこそ、分からない。
変動があった時、彼女達がどの階層にいたのかは分からないが、まさか第十階層などには行っていないはずだ。
今日は早く戻る予定だったこともあり、そこまで進む理由もないからである。
それでも仮に第十階層に行っており、そこでエリアボスに遭遇する、などということがあったとしても、ミレイユが居れば瞬殺出来たはずだ。
構造が変わりどれだけ複雑になっていたところで、そこから戻るのにそれほど時間がかかるとは思えない。
事実アラン達は、構造が変わったそこをスムーズに移動する事が出来ているのだ。
彼女達にそれができない理由があるわけもなく、しかし未だ遭遇出来そうな気配すらない。
そして。
「……階段、ですね」
辿り着いた広間で、ついに第五階層へと至る道を見つけた。
降りるのに躊躇する理由はなく、間もなく三人は第五階層へと到達する。
そこまでと同じように、やはり今まで見ていたそれと、一見違うところは見い出せず――
「さて……どうしよっか」
そこでアランがそう尋ねたのは、ここも最短を狙うか、ということである。
ここが第五階層だということは、転送装置が存在している可能性が高い。
もしそうならば、こちらから操作することで正常に起動するようになるかもしれないのだ。
勿論未だ正常に起動していないという前提の上で、あくまでも起動するかも、というところではあるが。
だがそれに成功すれば、ベアトリス達もこちらに来る事が出来るのだ。
事ここに至れば、シャルロット達が何らかのトラブルに巻き込まれたのは確実である。
変動以上の何かが彼女達の身の上に起こったことは間違いなく、ならば人手というか、戦力は多いに越したことはない。
最悪、わざわざそんなことをせずとも、一旦アランが向こう側に戻って、ベアトリス達を転移でここに連れてくる、ということも出来るが――
「そうね……もし転送装置を見つけたら試す、ということでどうかしら?」
「異論はねえです」
「了解。じゃあそれでいこう」
実際のところ、こうしてそんなことを考えている時間すら惜しい。
しかし考えなくてはならないことではあるので、素早く結論を出すと即座に移動を再開した。
アランが五つ目となる光球を作り出し、その部屋を後にして……だがどうやら、物事というのは、思う通りには進まないらしい。
シャルロット達が見つかるのが最善、階段が見つかるのがその次で、転送装置は何だかんだ言って出来れば見つかって欲しくはなかったのだが……。
二股に分かれた道、その先へと進んだところには一つの小さな部屋があり……その地面には、見覚えのある魔法陣が描かれていたのであった。
思わず三人の口から、溜息が吐き出される。
「……見なかったことにしねえですか?」
「そういうわけにもいかないでしょう?」
「何があるか分からないわけだしね」
それにもしかしたら、これを使ってシャルロット達が向こうに戻っている可能性もあるのだ。
それを考えれば、やはり試さないわけにはいかなかった。
転移を試すのは、サラだ。
前衛ということもあり、この中では最もいざという時に動けるから、というのが理由だが――
「これで起動しねえんなら、余計な説明をする時間も発生しなくていいんですが……」
だがそんな希望を口にしたサラが魔法陣の上に乗った瞬間、その姿が掻き消えた。
どうやら無事、転移に成功してしまったらしい。
これでこちらからの一方通行仕様に変わってしまった、とかいうのならば本当にただの時間の無駄となってしまうが……せめてそうではないことを祈るばかりだ。
一人減り、二人きりとなってしまった部屋の中に、静寂が満ちる。
しかし二人はそんなことを意識することなどもなく、ただジッと、魔法陣の描かれた地面を、眺めているのであった。