変わらぬ日常
「くぅ~……分かってたことではあるですが、やっぱ何度思い返しても悔しいですねえ……」
「まあ正直、もう少しやりようがあったとは思うよね」
「ぬぅ……次は負けねえです、と言いたいところですが、そもそもその機会があるかが疑問ですね……」
「まあねえ」
青空の下、そんな会話を交わしながら、サラ達は街中を歩いていた。
迷宮の封印予定日まであと四日となった、迷宮都市の一角でのことである。
会話の内容は、聞いての通りと言うべきか、昨日の実地訓練のことだ。
訓練なので厳密には勝ち負けがあるものではないのだが……まああれは、負けと言う以外にないだろう。
十戦して、六勝二敗二分。
勝率では勝っているが、結局サラ達はミレイユの本気を引き出す事がほとんど出来なかったのだ。
後方からの、超広範囲殲滅魔法。
それを撃たせたのはたったの一度だけであり、しかもそれを受けた二人は倒れ伏せてしまったのである。
クリストフもミレイユも、おそらくは本心から十分すぎると言ってくれたものの……やはり納得は出来ず、悔しく、負けたという思いしかなかった。
「むぅ……昔はここまで差がなかったはずなんですが……」
「そうなの?」
「まあ実際にやりあったことはねえんで断言は出来ねえですが、少なくともサラの知ってた範囲ではあそこまで強くなかったはずです。特に接近戦なんかほとんど見たことなかったですし」
それは隠していたわけではなく、単純にそこからあそこまで出来るようになった、ということなのだろう。
つまりはミレイユの努力の結果であり、成果だ。
「ふーむ……なるほど。昔からあんなんじゃなかったことに安堵すべきか、或いはまだ強くなる可能性があることに戦慄すべきか……」
「別に敵対することがあるわけじぇねえでしょうし、頼もしいっちゃあ頼もしいんでしょうがね」
それを妬むほど、サラは狭量ではない。
とはいえ、置いていかれた、という思いが僅かにあるのも事実だ。
あの頃は色々あったが、それでも肩を並べていることは出来ていたはずであり――
「……ま、その果てに今があるんですから、喜ぶべきなのかもしれねえですが」
「うん? 何か言った?」
「ただの独り言ですから気にするなです」
そう? と言いながら首を傾げたアランの顔を眺めながら、小さく息を吐き出す。
ふと何となく、昨日のことを思い出したからであった。
「そういえば、昨日は母さん師匠サラと、元同期組で集まったんだっけ?」
瞬間心臓が跳ねたのは、まさに今思い出したのがそれのことだったからである。
顔には出さないよう、視線を逸らしながら言葉を返す。
「そうですが……随分唐突ですね」
「まあ唐突に思い出したからね。で、どんな感じだったの?」
「どんな感じだったのかと言われてもですね……特に変わったことはなかったと思うですよ?」
楽しくなかった、というわけではないのだが、突出して語るような何かがあったわけでもない。
昔の思い出を語ったり、それから今に至るまでを語ったりと、そんなことがあっただけだ。
「積もる話はあったですが、まあそれだけですしね」
「ふーむ……まあ母さん達も関わってる以上、勝手に聞くのもあれか」
「そうですね。どうしても聞きたけりゃ二人も居るとこで聞くがいいです」
あとは……敢えて言うのであれば、そう。
それこそが、思い出したことでもあるのだが――
「……こじらせてると思った、ですか」
それは口の中で小さく、アランには聞こえないように呟いた。
十年以上悩んで、頑張って、足掻いて……救われて。
だから、てっきりこじらせてると思ったと、二人からそんなことを言われたのだ。
その発端はミレイユであり、それは多分、一昨日の話し合い……いや、ただの馬鹿騒ぎに影響された、というのもあるのだろうが、以前から思っていたことでもあるのだろう。
そうではなさそうでよかった、などとも言われたわけだが……曖昧な笑みを浮かべてかわしたそれに、今更ながら溜息を吐き出す。
本当にそうだったら、サラは今頃ここにはいないだろうに。
アラン達より先んじて迷宮都市に来ることもなかっただろうし、偶然の再会を演出するようなこともなかったに違いない。
まあ再会に関しては、本気で予想だにしていない形で果たされてしまったわけだが。
予定では、ラウルにある程度のことを教えてもらい、この都市に慣れてから、アラン達の前に姿を現すはずだったのだ。
そうして慣れていないアラン達に色々なことを教えて……となる予定だったのである。
もっとも、今になって考えてみると、どうやっても失敗していた気しかしないが。
結果的には、これでよかったのだろう。
ラウルにも余計な負担をかけずに済んだわけだし。
別にサラは、ラウルのことをどうでもいいと思っているわけではないのだ。
ただ単に、どちらをより優先すべきか、という話であって。
とはいえ、ミレイユ達がそう判断したのも当然ではあるか。
サラはミレイユ達に、客観的な事実しか伝えてはいないのだ。
細部を伝えていないとか、思惑を伝えていないとか、そういうことであり、それはアラン達に説明したこととも同じである。
それは伝えていないことも同じということであり……要するに、ラウルがここに居ることを、ここに来る前から知っていた、とかいうことなどを、だ。
そう、サラはラウルが迷宮都市で冒険者をやっているということを、実は知っていたのである。
それは偶然知ったことではあるのだが……計画などを立てたのは、それも理由の一つだったのだ。
一応故郷のことが気になっているというのも嘘ではないし、自分の稼ぎの一部をラウルに渡し、仕送りを増やしてもらうようにもしているものの……どちらかと言えば、やはり建前だということになってしまうだろう。
まあ何にせよ、そのこともあって、計画を成功させるための算段が付いたというわけだが――
「……そのことごとくが失敗したってんですから、コイツは本当に色々な意味で予想外すぎるです」
「うん? 何か言った?」
「何でもねえですよ。それより、次は何処行くんでしたっけ?」
「えー、次は雑貨屋、かな?」
「食料とかは大丈夫なんです?」
「二人増えたとはいえ、まだ一ヶ月以上備蓄してるしね。今回は必要ないかな」
「了解です」
アランの言葉に頷くと、サラは足を先に進めた。
アラン達に披露するより先にアラン達が慣れてしまったが、きちんと何処に何があるのかは覚えているのだ。
今更迷うようなことはない。
ちなみに何故雑貨屋へと向かうのかは……ひいてはそもそもどうしてサラ達がここを歩いているのかは、買出しの為だ。
別にミレイユ達が来たことで何かが足りなくなったわけではなく、単純に元からその予定だっただけである。
ミレイユ達が来たことで変わったこともあるが、変わらなかったことも多い。
特に日常に関しては、その大部分は変わらなかったと言っていいだろう。
今回のこれも、その一つであった。
尚、雑貨屋に行くのは、主に買うためではなく売るためである。
ギルドでは買い取ってくれないようなものや、安く買い叩かれてしまうもの、或いはギルドに持ってる事が知られてしまうとまずそうなものを直接売りに行くのだ。
知られてまずいようなものとは、当然あの迷宮の深層領域などで見つかったものなどである。
そのほとんどはアランが収納したままだが、一部ギルドを通さなければ大丈夫そうなのはこうして売っているのだ。
まああまり頻繁にやってしまうとやはり問題になってしまうかもしれないので、かなり稀にではあるが。
買う方に関してはほぼ利用していないので、つまり雑貨屋に行くこと自体が稀であると言える。
ポーションなどを使うのであれば、よくお世話になる店なっていたのだろうが、サラ達は自前で大体済んでしまう。
念のために常備してはいるものの、使う機会が今のところ訪れていないため、何かを買ったのは最初に訪れた時だけだ。
魔物の素材なども取り扱っていれば、アランがよく行くようなこともあったのだろうが、扱っていないのだからどうしようもない。
アランがそれを調達するのは、主に自力でか、青空市場でということになっていた。
「そういや、今日は青空市場に行くですか?」
「んー……いや、今日はいいかな。時間微妙だし」
「ですかー」
ふと空を仰ぎ見てみれば、既に太陽は傾き始めている。
確かにこの時間から行ったところで、目ぼしいものは残されていないだろう。
とはいえ最初から行くつもりがあるならば、アランももっと早くに出てきていたはずだ。
そうでなかったということは、今日はあまり行くつもりはなかった、ということなのだろう。
正直、少し……いや、割と残念であった。
何となく、自身の指へと視線を向ける。
当然のように、そこには何もないが……思い起こされるのは、リーズの指にはめてあったそれだ。
あの時の一悶着は勿論サラは覚えており、約束も覚えている。
いい機会だから、と思ったのだが……まあ、仕方がないだろう。
次の機会に期待、だ。
多分直接言えば、アランが行ってくれるだろうことは分かっている。
だがそれは、嫌なのだ。
強制したくないというのもあるし……何より、さり気なくねだりたいのである。
偶然の状況で、偶然気に入るものを見つけて、偶然約束を思い出して買ってもらいたい。
そんなことを思っているのだ。
さすがにちょっとアレかな、とはサラ自身も思ってはいるが……思ってるだけなのだから別にいいだろう。
偶然の再会作戦が即座に台無しになってしまったのだから、せめてこれぐらいは。
「……くすっ」
「ん? 何か面白いのでも見つけた?」
「いえ、ただの思い出し笑いですから、気にするなです」
「そう……?」
首を傾げるアランの姿に、さらに口元の笑みを深める。
別に何ということはない。
自分はいつからこんなことを考えるようになったのかと思い……昔からだったと、そう思い至ったからだ。
そもそもそうでなければ、サラは魔導士になどなることはなかったのだろうし――
「……アラン、一つ聞いてもいいです?」
「うん? まあ、僕で答えられることなら、いいけど?」
「ふと思っただけのことですから、別に難しい質問とかじゃねえですよ。ただですね……アランは、今の自分は昔の自分とは違うって、そう思うですか?」
それは何気ない問いかけであった。
少なくともサラはそのつもりであったし、そう装ったつもりである。
実際その返答で、何がどうなるわけでもないのだ。
ただ……そうただ、アランはどうなのだろうかと、ふと疑問に思っただけなのである。
「んー、そうだなぁ……多分だけど、変わってないと思うよ? というか、外面だけならともかく、内面なんてそう簡単に変わるものじゃないと思うしね。何を聞きたいのかはよく分からないけど……まあ、大抵の人は、そうなんじゃないかな」
昔、などという魔導士特有の言い回しをしたのは、それがどういう意味なのかを、遠回しに伝えるためであった。
だから或いはと、僅かながら期待していたのも事実ではあるが――
「……本当に、アランは相変わらずさすがですね」
「え、何が? もしかして、何か見当違いのこと言ってたりした?」
「何でもねえですよ」
それがこちらにとってどんな意味を持つのかを、欠片も意識していないくせに、欲しい言葉を的確にかけてくるあたり、本当にさすがだ。
まあ何となく悔しいから、それを口にすることはないけれど。
慌てたような声を背に、サラは歩を進める。
ほんの少しだけ歩幅を広くし、速めながら、口元を緩め。
後方からついてくる足音を聞きつつ、いつも通りに、目的地へと向け、歩いていくのであった。




