実地訓練
その発言がされたのは、そこに到着して早々のことであった。
「さて、というわけで早速来たわけだけど……正直に言っちゃえば、アランには特に教えることとかないのよねー」
「えぇ……」
あまりといえばあまりな言葉に、アランは思わず困惑の声を漏らす。
だがそれも仕方のないことだろう。
つい先ほどこの場にやってきて、さてやるかと気合を入れ直そうとしていたところだったのだ。
そこに水を差された形となれば、困惑を覚えないはずもない。
というか――
「僕のことを指名してきたのは、母さんだった気がするんだけど?」
「それは確かにそうねー。でも私はアランと一緒に迷宮に来たかっただけで、アランに何か教えられるとは言っていないわよ?」
「それはそうだけどさぁ……」
「まあぶっちゃけると、サラはどうせこんなことじゃねえかと思ってたです」
「色々今更だしな」
まあ正直こっちもそんな気はしていたのだが、せめて少しぐらいその気を見せるふりをしてくれてもいいのではないだろうか。
そんなことを思いながら、アランは溜息を吐き出した。
これからのことについての話し合いは、割とすぐに終わった。
元々それほど決めることは多くなかったのだから当然と言えば当然かもしれないが……早く終わったからといってその内容が平穏無事なものであるのかは、また別の問題である。
その日の午後から迷宮に潜っているという時点で、言うまでもないことではあろうが。
そう、あの時から今まで、実は半日すら経ってはいないのだ。
とはいえそれに関しては、一応もっともらしい理由が存在してはいるものの……まあ要するに、封印予定日まで時間がないからである。
何の問題もなければ、その日のうちに終わってしまう可能性があり、そうなれば当然依頼はそこで終わりだ。
その時点で共に迷宮に潜るための建前がなくなる上、二人――特にミレイユの方は相応に忙しい。
それを考えれば出来るだけ早急に行うべきだということになり、昨日の今日ではあるが、こうして今日も迷宮に潜ることになったわけである。
ちなみに当然そこはあの迷宮――禁忌の迷宮だ。
調査のためという名目も果たすため、一先ずギルドの地下から第五階層へとやってきたのである。
これからどうするかは、一先ず実地で色々な要素から総合的に判断する、ということになったので、今のところ何も決まってはいないのだが――
「……ま、いいけどさ。で、これからどうするの?」
「んー、一応幾つか考えはあるけどー……クリストフ君は何かある?」
「俺はただの数合わせっつーか、賑やかしだぞ? 俺に期待すんな。つーかテメエが考えていいんじゃねえのか?」
「ミレイユ主体で行われることですしね。それでいいと思うです」
「そう? それじゃあ、そうねー……二人とも、疲れてる?」
その問いかけに、アランはサラと何となく顔を見合わせた。
疲れているのかと言われれば、勿論疲れていない、ということになるだろう。
昨日も迷宮に来たとはいえ、大したこともなくすぐに出てしまったのだ。
その日の内でさえ疲れなど感じていなかったのだから、次の日ともなれば尚更である。
だがそこで即座に頷くことがなかったのは、何となく嫌な予感がしたからだ。
とはいえここで首を横に振るということは、ここに何しに来たのかということにもなり――
「まあ……特に疲れてない、かな?」
「ですね。昨日はあれでしたし、今日はまだ何もしてねえですし」
「そう、それはよかったわー。それじゃあ――」
しかしそう言って笑みを浮かべるミレイユに、アラン達はやはり嫌な予感しかしないのであった。
端的に結論を言ってしまうのであれば、嫌な予感は見事現実と化してしまった、というところだろうか。
「うわぁ……なんていうか、本当にうわぁ、って感じだなぁ……」
轟音が響くその光景を眺めながら、アランは感嘆とも呆れともつかない呟きを漏らした。
どちらかと言うならばそれは、呆れの方が強いだろうが――
「とりあえず実力を測る、とか言ってませんでしたっけ?」
「だから賑やかし要因の俺に言うんじゃねえよ。やり合ってるうちに興が乗ったんだろ」
「まあサラも割とノリノリみたいですから、それ自体はいいんですが……あそこに割り込むのかぁ……」
「ま、ご愁傷様ってな。精々死なねえ程度に頑張れや」
「もうこうなったら師匠も一緒にやりましょうよ。師匠もこっち側で」
「おいやめろ馬鹿、俺を殺す気か。俺はテメエと違って、アレとやり合えるほど本気で戦闘は得意じゃねえんだっつってんだろうが」
「いえ、僕もまともにやり合うのは無理なんですが……」
溜息を吐きながら、アランはそれを眺める。
轟音を発し続けているそれ――殴り合っている二人を、だ。
「というか、母さんって接近戦もいけたんですね……」
「まあアイツは戦闘特化って言われてるが、補助系の魔法も普通に使えるしな。特に戦闘に関わるようなものについちゃあ得意って言えるほどのもんだ。ああして自身を強化して殴りあうなんてことも出来る」
二人とは当然ながら、ミレイユとサラである。
考えてみればアランは母の戦う姿というのはほとんど見た事がなかったわけだが、それでもあのサラと接近戦で互角に戦えるというのは驚きだ。
話を聞く限りでは、本領を発揮するのは遠距離の集団戦ということで、リーズと似たようなものかと勝手に思っていたのだが……それが間違っていたというのは目の前の光景を見れば一目瞭然である。
というか――
「互角どころか、サラを押してる……?」
「アイツがノってきたってのもあるだろうが……どっちかってーと経験の差だろうな。サラもあの頃からずっと戦闘を繰り返してたってんなら、逆に接近戦じゃアイツは勝てなかっただろうが……ま、こればっかりはどうしようもねえ」
「この上さらに遠距離範囲魔法とかがあるわけですよね? ……うへえ、蹂躙される未来しか見えない」
「そこら辺はアイツもさすがに考えるだろ。別にテメエらをへこませるためにこんなことしてるわけじゃねえんだからな。つーか、何だかんだ言いながら、テメエは何とかしそうな気がするしな」
「それは僕のことを過大評価しすぎですよ」
視線はそこから外さず、肩をすくめた。
ちなみに何故こんなことをしているのかと言えば、先ほどアランが口にした通りだ。
実力を測る。
そのための、演習とでも呼ぶべきことなのだ。
ただ、演習は演習でも、普通と違うのは、そこが相変わらず迷宮の中だということだろう。
あれから階段のある広間へとやってきて、わざわざそこでやっているのだ。
そうした理由は、比較的安全な場所だということと、この階層の中では最もそこが広いからだが……まあ要するに、これが今回、アラン達に教えることと繋がっているらしい。
つまりは、実地訓練ということであった。
「……まあ、母さんらしいといえば母さんらしいやり方なんだけどなぁ」
「ま、俺はこんなことになるだろうと思ってたがな。つか、アイツが懇切丁寧に言葉で説明してる姿が思い浮かばねえ」
「……確かにそれはそうですね」
やろうとしたところで、どうせ擬音まみれの説明になることは目に見えている。
それを考えれば、これは最も相応しいやり方なのだろう。
それによってこっちがどうなるかを考えなければ、の話ではあるが。
「というか、もしかして毎回こんな感じでやるつもりなんですかね……」
「さあな。それはアイツにしか分からねえことだが……その可能性は高いだろうな」
「……ご愁傷様って言葉はむしろリーズ達に言った方がいいかもしれないなぁ」
「二人のがマシか一人のがマシか……まあ、確かに分散される可能性がある分二人のがマシかもしれねえな」
今更の話ではあるが、実は今回リーズ達は来ていない。
それは効率を求めるためというか、全員を一度に見るのは無理があるとミレイユが判断したためだ。
そのため、今日はアランとサラ、明後日がリーズ、そのさらに二日後がシャルロット、ということになったのである。
それだとアラン達はともかく、ミレイユ達が中一日しか休めないということになるのだが……本人達がそれでいいというのだからいいのだろう、ということになったのだ。
それでも気になる事があるとすれば、封印予定日はシャルロットの訓練の次の日だということであり、休息しないままその日を迎える、ということだが――
「……別に問題なさそうだなぁ」
「ん? ああ、休日間に含めなくていいのかって話か? だから言っただろ、余裕だろう、ってな」
その言葉を肯定するように、母の意識がこちらに向いたのを、アランは感じ取った。
視線は動いておらず、サラとは近距離で打ち合ったままだ。
しかし確実にその意識は、こちらへと向いている。
そうした意味は明白だ。
サラの実力は十分把握し、そして二人がかりでも問題ないと判断した、ということだろう。
勿論サラとしては面白くないだろうし、それに気付いたサラがさらに苛烈な攻めへと転じているのだが……ミレイユに動じた様子はない。
むしろ逆に、先ほどよりも余裕を持っていなしてさえいるようだ。
「うわぁ……慣れた、ってことですかね、あれ……」
「そういうことなんだろうな。つかこのままだと、訓練だとか関係なしにサラぶっ倒されそうだぞ?」
「でしょうねえ……」
そうなったらそうなったで、それも訓練の一環、ということなのだろう。
一瞬だけこちらに向けられた視線が、いいの? このままだと倒しちゃうわよ? とでも言っているようであった。
「……ふぅ。仕方ない、そろそろ観念していくか」
「おう、行って来い。骨は拾ってやるよ」
「やめてくださいよ、縁起でもない」
しかもシャレになってもいない。
見ている限り、あれはサラだからさばけているのであって、アランでは接近された時点でお終いだろう。
まあ勿論、向こうが十全の力を発揮できれば、の話ではあるが。
「――白夜の霧。――奈落への崩落。――熾天の加護」
瞬間、ミレイユの周囲へと白い霧が広がり、黒い穴が真下に出現する。
それに動揺の欠片もしなかったのは本当にさすがだが……だからといって、その影響を無視できるというわけではない。
直後にその身体の動きが一瞬鈍り、その時にはサラが一歩を踏み込んでいた。
光の膜に覆われたその拳が、前方へと突き出され……今までで一番の快音が響く。
ミレイユの身体が後方へと飛ばされ――だが。
「っ、ったあ~~~……今のはさすがに効いたわねー」
「……よく言うよ。今のは絶対いけたと思ったのに」
「まったくです。直撃入ったと思ったら片手で咄嗟に防いでるとか……何です、化け物なんです?」
「その言い方酷いなー。傷ついちゃうわー」
そんなことを言いながら、よろける振りをしているが、実際のところ、その身体に傷らしい傷は負っていないだろう。
回復魔法を使っている様子すらないのが、その証だ。
「まあソイツが大概なのは当然だが……今のは割とよかったんじゃねえか? 正直俺は結構驚いたぞ?」
「そうねー、何の合図もなかったのに合ってたし。偶然、じゃないわよね?」
「当然です。少なくない時間一緒に居るんですからね」
「うーん、羨ましいわねー。でもそういうことなら、遠慮はいらないわね?」
「する気は最初からまったくなかったようにしか見えないけどなぁ……」
溜息を吐き出しながらも、覚悟は終えている。
まあ、別に負けたら死ぬわけではないのだ。
気軽に胸を貸してもらうとしよう。
アランは特に戦闘を得意になりたいとかは思わないが、より戦えるようになるのに越したことはないのだ。
それに、何が何の参考になるのかなどは分からない。
普段出来ないことをするというのも、悪くはないだろう。
アランが今回のことに乗った理由は、そういうことであった。
そして、負けても問題ないと思ってはいるが……当然ながら、負ける気は、ない。
「さて、それじゃあ……勝とうか」
「当然です!」
サラが飛び出すのに合わせ、アランも補助と妨害の魔法を同時に叩き込んだ。




