出来損ないの魔導士
リーズ・エルヴェシウスは、出来損ないの魔導士である。
魔導士の絶対的な証ともいえる魔法を使うことが出来ない。
そう呼ばれる理由を説明するのに、これ以上の言葉は必要ないだろう。
詠唱をすれば魔法陣は展開出来るし、魔法式を見ることも出来る。
だが、それだけだ。
そこから魔法の発動に至ることが、一切出来なかったのである。
それでも、リーズが魔導士であることに違いはない。
リーズが他の魔導士を見ればそれと分かるし、逆もまた然り。
何より、リーズは確かに魔導士として目覚めているのだ。
それは自分自身が誰よりも理解しているし、それは否定出来るものではなかった。
しかし、リーズが魔導士として覚醒して一年近く。
未だリーズが一度も魔法を使うことが出来ていないのも、事実であった。
「一度もって、本気でか?」
「不本意ながら、ね」
「それって、基礎を含めての話、だよね?」
「ええ。灯火、水球、風槌、錬金。全部試してみたけれど、今まで一度も成功したことはないわ。というか、それらに関しては、そもそも魔法陣すら展開されないもの」
「あん? さっき魔法陣は展開出来るって言ってなかったか?」
「独自魔法ならば何故か出来るのよ。まあ、魔法が発動しないのは変わらないから、意味はないのだけれど」
「ふーむ……基礎魔法はまったく使えず、独自魔法なら発動直前まではいけるのか……師匠、なんか心当たりありません?」
「……生憎とねえな。そもそも基礎はまったく駄目なのに、独自になると多少手応えがあるってのはどういうことだ?」
「いえ、それに関しては――」
「だがそれじゃあ――」
こちらを置き去りにし、自分達だけであーでもないこーでもないと話し始めた二人を見て、リーズは小さく息を吐き出した。
話自体は白熱しているようだが、それが解決に向かっているようには見えない。
つまりは、駄目だということだろう。
だがそんなこと、分かりきっていたことだった。
自分だってこの一年何もしていなかったわけではない。
思いつく限りのことを試し、調べたし、師――厳密に言えば、そうなるはずだったあの人も、手を尽くしてくれたように思う。
それでも手掛かりすらも掴めなかったのだ。
ならばこの結果は、当然のことでしかなかった。
そもそも、何故自分は今日会ったばかりの二人にこんなことを話しているのだろうか。
……いや、そんなことは改めて考えるまでもなく分かっている。
リーズは、期待してしまったのだ。
先ほどアランの魔法を見た時に、或いは、と。
何故ならば、そんな魔法は、今まで見たことも聞いたこともなかったからだ。
現象で言えば、大したことではない。
要は、袋の中を水で満たした、というだけのことだからだ。
大抵の魔導士であれば、何の問題もなくこなすだろう。
ただし。
最低でも、三日ほどの時間を費やすのであれば、の話ではあるが。
そもそもリーズが持ってきた袋は、ただの袋ではなく、魔導具だ。
一見普通の袋に見えたところで、その容量は普通では有り得ず……具体的には、王都に住む者達が一日で使う水を、それ一つで賄えるほどなのである。
それを僅か五分で満杯にする?
それこそ、有り得ない話であった。
人づてに聞いたのならば、何を馬鹿なと一笑に付すことさえなかっただろう。
そもそも、この仕事は下っ端の魔導士の仕事だ。
碌に魔法も覚えていない魔導士に、魔法を使う感覚を覚えさせるのと共に、王都で必要な水を供給させる。
勿論、独立した魔導士に持ってくるようなものではないのだが、閑職故にそんな仕事も回されてしまったのだろうと、そう思い……しかし結果はアレだ。
そして彼らの仕事は、魔法の研究だという。
そこにすがらないでいられるほど、リーズは魔法を使うことを諦められてはいないのだった。
もっとも。
「この調子では、やはり無理そうだけれど」
そんな独り言を呟き、そこに思った以上に残念そうな響きがあったことに、リーズは自分自身で驚いた。
諦めてはいずとも、半ば以上駄目で元々だと思っていたつもりだったのだが……どうやら思っていた以上に、リーズは諦めが悪かったらしい。
「うーん……というかこれ、一度実際に見てみた方が早いんじゃないですかね?」
「お? なんだアラン、冴えてんじゃねえか。確かに幾ら仮説立てたところで、それが実情と違ってたら意味ねえな。つーことなんだが嬢ちゃん、構わねえか?」
「……それは構わないけれど、嬢ちゃんは止めてちょうだい。魔導士は、年齢や立場に関わらず、全て平等。それが大原則でしょ」
「別に下に見てるからそう呼んでるわけじゃねえんだがなぁ……」
「師匠がどう思ってるかじゃなくて、相手がどう思うかが重要ってことですよ。駄目ですよ? 相手の嫌がることをやっちゃ」
「……ならテメエもその口調いい加減やめろや。師匠って呼ぶのは百歩譲ってもいいが、普通に喋れっていつも言ってんだろ」
「僕にとってはこれが師匠に対して普通に話すってことなので、諦めてください」
「ちっ、相変わらず自分に都合のいいやろうだな、テメエは……。ま、んじゃさっさと移動すんぞ」
「移動……?」
「何もないとは思うけど、まあ魔法を使う以上は、警戒するに越したことはないからね。隣に障壁とかを何重にも張り巡らせてる、実験用の部屋があるんだよ」
「なるほど……」
確かに、魔法の実験をするというのであれば、そんな部屋も必要だろう。
その場を見渡してみれば、ここに入ってきた入り口の他に、もう一つ扉がある。
あれがその入り口ということか。
「……発動しない魔法を試したところで、何が起こるわけもないけれど……そうね。万が一、ということはあるものね」
それは果たしていいことなのか、悪いことなのか。
自分でもよく分かっていない感情を持て余しながらも、リーズは二人の後に続いて、その部屋へと向かっていった。
結論から言ってしまえば、まあ早々都合のいい話などあるはずがない、といったところか。
四大属性の基礎魔法のみならず、自身の覚えている魔法全てを試してみたが、やはり何の反応もなかった。
そして独自魔法に関しても、これまた同様だ。
魔法陣は展開するのだが、それだけ。
発動することなく、そのまま消えていくそれを眺めながら、幾度目かとなる溜息をリーズは吐き出した。
だがまあ、これで駄目ならば、いい加減諦めも付くだろう。
付けなければならない。
何をどうしたところで、魔法は使えないのだ。
魔導士としての生活を捨て、一般人として暮らしていかなければならないのである。
だからこれは、区切りだ。
魔導士としての自分を捨て去るための儀式。
それを始めるため、或いは終わらせるための言葉を放ち――
「これで一通りのことは試し終わったわけだけれど……何か分かったことはあるかしら?」
「いや……悪いが、見てもさっぱりだ」
そう、と、言葉にならない呟きと共に、頷きを一つ作る。
思ったのは、やはりという言葉。
誰が悪いわけでもない。
ただ、これでリーズという名の魔導士が終わっただけであり――
「まあ、何となくは分かったかな?」
――え?
言葉は声にならなかった。
聞き間違えかと思った。
いや、聞き間違えに決まっていた。
だって――
「お、さすがだな。俺はさっぱり分からなかったってのによ」
「まあ、僕も最初は全然分からなかったですけどね。魔法式がおかしいんだろうって見当付けてはみたものの、おかしいところは何もなかったし。ただ、そこで変に考えを変えなかったのがよかったんでしょうね。独自魔法のを何個か見ることで、多分これだろうって思える原因は発見しました」
原因を発見した?
そんな馬鹿な、と思った。
誰にも、その欠片すら掴めなかったのだ。
あの人にだって分からなかったのだ。
一年間、どれだけ頑張っても、駄目だったのだ。
だから。
だから。
「……ほん、と?」
「うん、確証があるわけじゃないけど、多分間違いないとは思うよ? ってことで、ちょっともう一回魔法使ってもらってもいいかな? 使うのは独自魔法で……そうだなぁ、一番最初に作ったのがいいかな?」
その言葉に、何故かおかしさを覚えたのは、多分アランが魔法を使う、と言っていたからだろう。
もう一度と言われたところで、実際には一度も使えていないのだ。
だが本当に、それだけであった。
反発する気持ちがわくでもなく、おかしいと思っただけ。
だから自然とその言葉に従い、右腕を持ち上げた。
最初に作った魔法。
勿論覚えているし、忘れるわけもない。
それを作った時、絶対これならば使えると思ったことも覚えている。
実際使えることはなかったわけだが……その時の感覚は、今も明確に思い描くことが出来た。
それは、火だ。
全てを焼き尽くほどに強烈ではないけれど、何かに負けてしまうほどに柔ではない。
自分はそこに居るのだと、ただそれだけを示している炎。
リーズの魔法は、それを証明するための魔法だ。
ただ炎を作り出し、放つ。
それだけの魔法。
その形状は、かつて見せてもらった水球のような、真円。
それを――
「えっと……うん、よし。ここをこうして、こうすれば、ギリギリいける……かな?」
「――へ?」
声に意識を引き戻されると、すぐそこに顔があった。
アランだ。
すぐそこで、こちらを見上げるように見詰めており――
「ちょっ、ちょっと!? 一体何を……!?」
「あー、ごめん、ちょっと動かないでもらえるかな? 手元が狂うから」
「手元が狂うって、だから何を――」
そこまで言ったところで、リーズはようやく気付いた。
アランが見ているのは自分のことではなく、その手前、アランのまさに手元に存在している、魔法陣なのだということに。
否、厳密に言うならば、それも違う。
アランが見ているのは、魔法陣ではなく、魔法式だ。
しかも、その手元の動きを見る限り、明らかにそれを弄っていた。
「ちょっと……! なんで、魔法式を……!?」
魔法式を弄るのは、禁じられた行為だ。
明確に何かによって禁止されたわけではないし、やったところで罰が下るわけでもない。
だが、かつて何処かの馬鹿が魔法式を弄ったことによりあわや学院が消滅しかねない大惨事が起こりかけ、それ以来魔導士の間では暗黙の了解となっているはずだった。
それを、どうして……いや、そんなことよりも――
「よし、これで終わり、っと。じゃあ、発動させてみて」
「出来るわけないでしょ……!?」
下手をすれば、ここら一帯が消滅するのだ。
障壁を重ねているとはいえ、どこまで耐えられるかは分からない。
いや、仮に部屋が耐えられたところで、自分達は耐えられないだろう。
ここで、自分は魔法が使えないのだから、これも発動しない、などと楽観することはさすがに不可能だ。
何が起こってしまうか分からないからこそ、魔法式を弄ることは禁じられたのだから。
何だろうか、これは……?
魔法を使えない魔導士に価値はないから死ね、とでも言われているのだろうか?
その間際に、せめて魔法を使わせてあげようとでも?
だがそれでは自分達はどうするのか。
一緒に死んでくれるとでも言うのだろうか?
背中を嫌な汗が流れ、頭が混乱する。
確かに一時はもう一度死のうと思ってしまうほどに絶望したりもしたが、今ではもうそんなことは考えていないのだ。
そんなつもりは――と、そこでふと気付いた。
そうだ、別に死ぬ必要はない。
否、これを発動させる必要はないのだ。
「そ、そうよね、このまま消しちゃえば、何の問題も――」
「いや、だから消しちゃ駄目だって! 発動させるんだってば!」
だからそれをしたら、死んでしまうだろうに――
「大丈夫だって。不安に思うのは当然だけど、絶対大丈夫だから」
そう思っていたのに、何故だか、アランの顔を見た瞬間、頭を占めていた混乱が、すっと引いた。
あれだけあった焦りも不安も、どうしてだか、跡形もなくなっている。
その理由を探すように、再度アランの顔を眺め――ふと、理解出来たような気がした。
ああ、多分そうだ。
きっと、間違いない。
おそらくは――馬鹿らしくなったのだ。
その能天気にしか見えない笑顔を見て、色々なことが。
うんきっとそうに違いないと、リーズは自らに言い聞かせるように呟き、頷いた。
そうだ。
その顔を見て安心したなんて、そんなことは有り得ない。
だから、とでも言うように、リーズは右手の先へと視線を向けた。
アランが大丈夫だと言ったのだ。
そう言い切った以上は、何かあったらアランのせいにしてしまえばいい。
責任も取らせよう。
そうだ、それで何の問題もない。
何の心配も――
「そういえば……大丈夫なんて言ってもらったのは、どれくらいぶりだったかしらね」
呟きを誤魔化すように、魔法陣へと意識を向けた。
紡ぐ名は、繰り返しすぎて、意識せずとも零れ落ちてくる。
まあどうせ、それでどうなるということもないだろうけれど――
「――火炎弾」
それは自分だけで考え、自分だけで作り上げた、自分だけの魔法の名。
そして。
当たり前のように、いつものように、そのまま魔法陣は消え去った。
「……え?」
その先に、小さな炎の塊を作り出した後で、だ。
呆然とした呟きを漏らすリーズのことなど知ったことかとばかりに、それはまっすぐに飛んでいくと、壁にぶつかり、小さな音を立てて爆ぜた。
あとには、何も残ることはない。
壁には傷一つ付かず、残ったのは、それが確かに起こったという、結果だけであった。
「……嘘」
「ふーっ……何とか成功したか。よかった」
「おいおい、さっきまであんな自信満々だったじゃねえか」
「いえ、自信はあったんですけどね。それでも、結果が出るまでは、やっぱり不安ってあるじゃないですか」
「ま、確かに分かるがな。で、結局原因は何だったんだ?」
「そうですね……大雑把に言うと、二つ。種類と、魔力の量です」
「種類ってーと、攻撃魔法とか補助魔法とかに分類するための、あれか?」
「はい。で、何となく想像は付いてたんですけど――」
「……あー、確かに言われてみりゃ基本は補助魔法ばっか――」
「――なので、多分魔導士には適正というものが――」
「――考えてみりゃ当たり前のことだが、何で――」
「――ということじゃないかと」
「――なるほど。腑に落ちる話だし、これが本当なら悪くねえ研究成果になるな。ああ、で、忘れかけてたが、もう一つの魔力の量ってのは何のことだ?」
「そのままの意味ですよ? つまり、リーズが魔法を使えなかったのは、補助魔法に素質がなかったのと、単純に魔力の量が足りなくて魔法を発動させることができなかったから、です」
「あー……つまり魔法陣が展開出来なかったのは――」
「――ということでしょうし、そういう意味では、リーズはかなり珍しい――」
「――それと独自魔法がどう関係――」
「――基本が補助魔法になるせいで、それをどうにかするため無駄に色々なものを重ねて――」
「ふむ……納得出来る話だな。だが、よくんなことが分かったもんだ」
「まあ、多分に推測が混じってますけど、リーズの魔法式は、今まで見たことがないほどにごちゃごちゃで、無駄だらけでしたからね。まあ独自魔法っていうのは、当然自分が使えなければ意味がないですからそんなことに――」
正直に言ってしまえば、二人が何を言っているのかはほとんど分からなかった。
それでもリーズの耳に、ただ一つだけ明確に届いた言葉がある。
それは、無駄、という言葉だ。
無駄。
それに、呆然としたまま、確かにと頷いた。
何となくそれは、腑に落ちるものだったのだ。
自虐でも何でもなく、ただ単純に、自分のしていたことには、無駄が多かったのだろうと。
「――なるほど。それも研究成果としては十分なもんになりそうだな。やるじゃねえか」
「いえ、それもこれも、リーズのおかげですからね。いや、うん、本当に今日来てくれて、こうして試してくれて助かったよ。ありがとう」
ありがとう。
それは感謝の言葉。
自分がいつも、口にしていた言葉だ。
本心からの言葉なのに、何故か相手に苦い表情をさせてしまう言葉であった。
それが自分に向けられているということが、最初分からなくて……次に、それを向けられている意味が分からなくて――
「って、あれ? リ、リーズ? え、どうしたの!? 大丈夫!?」
「……え?」
呆然としていた意識が、そこでやっとはっきりと戻った気がした。
だがそうした途端、何故かアランが妙に焦っている。
どうかしたのかと首を傾げてみると……ふと、頬に水気を感じた。
「あれ……? これ……涙?」
「おいおいアラン、テメエ女のこと泣かすなんてやるじゃねえか」
「えっ……? 僕のせいですか……!?」
「そりゃテメエが無駄だとか何だとか好き勝手言ったせいだろ? テメエ以外の誰のせいだってんだ?」
そう言っているクリストフは、ニヤニヤとした笑いを浮かべており、どう考えても本気で言っているわけではなかったが、焦っているアランはそれに気づいていなそうだ。
慌てながら、こちらに向き直り――
「え、えっと……なんかよくわからないけど、ごめん!」
「おいおい、謝りかたがなっちゃいねえぞー? なんでテメエは謝ってるのに、なんかよく分からん、とか言ってやがんだ? 謝ってねえじゃねえか」
「え、その、あの……本当にごめんなさい!」
そう言って、必死になって頭を下げる姿に、何故だかリーズは、とてもおかしくなった。
楽しさがこみ上げ、口元が緩んでいく。
どうしてだか、頬から流れ落ちていく雫は、止まることがなかったのだけれど――
「……ええ、そうね。そこまで必死になっているのだから、許してあげるわ」
その言葉に、頭を上げたアランは、心底安心したとでも言いたげな様子を見せ……きっと、その姿が面白かったからだろう。
口元がさらに緩んだのも、雫が止まる気配もないのも――
「ねえ、アラン」
「は、はい! 何でしょうか!?」
心の底から、笑いたい気分になっているのも。
だから。
「――ありがとう」
心が命じるままの表情を、リーズはアランに向けて、浮かべてみせたのであった。