ほんの少しの変化
母達が来てから、アラン達の生活にはほんの少しだけ変化が生じていた。
まあ、屋敷で暮らす人間が二人も増えたのだ。
割合で言えば五割増えたということであり、それを考えれば当たり前のことかもしれない。
とはいえ、二人が来てからまだ三日目。
迎えた朝は、二回目だ。
慣れたと口にするには、未だ日は浅く――
「ほら母さん、もう朝だってば」
「ん~~~、あと五分ー」
「お約束だなぁ……」
だというのに、何故こんなことをしているのだろうかと、そんなことを思いながらアランは苦笑を浮かべた。
場所は母へと割り当てた客室、そのベッドの傍だ。
今自分で口にしたように、既に日は昇り、朝食の時間も近い。
まあだからこそこうして起こしているわけではあるが……実際のところ、これは本来必要のない行為だ。
理由は単純で、別に母は朝弱いというわけではないからである。
ではどうしてこんなことをしているのかと言えば――
「……まったく。今日は朝起こして欲しいとか言われたから、何かあるのかと思えば……これやりたかっただけでしょ?」
「だって一度やってみたかったんだものー」
何処でそんな知識を得たんだと思いつつ、再度苦笑を浮かべる。
そもそもやるのであれば、逆ではないだろうか。
もっともアランも朝弱くはないし、素直にやろうと言われていたら頷いていたかは疑問だ。
そうなると確かにこの手段しかないのかもしれないが……やれやれと、溜息を吐き出す。
多分こんなことを唐突にやりだした理由は、共に暮らすのが久しぶりだからだろう。
まったく以って困った母親であった。
「さ、それじゃあ気は済んだだろうし、さっさと行こうか。そろそろ朝食も出来上がるだろうしね」
「そうねー。リーズちゃんのご飯美味しいし……今日は何かしら。楽しみだわー」
それには同感であったが……起きだしたその姿を見て、アランは再度溜息を吐き出す。
寝巻きではなく、既に着替え終えていたのだ。
つまり着替えてからわざわざベッドに戻ったということであり――
「アラン、何してるのー? 早く行くわよー」
「って、もう部屋から出てるし。ったく、自由だなぁ……」
本当に困った母親だと、その後を追いながら、苦笑を浮かべた。
食堂に行くと、既に皆は集まり終えていた。
つまり自分達が最後だということだが……こちらに向けられた視線の多くに労いが含まれていたあたり、大体何があったのかは察しているようだ。
それに苦笑を浮かべるも、げに恐ろしいのは、シャルロットにまで察せられているほどの母親の奔放さだろうか。
肩をすくめて返しながら、自分も席へと付く。
テーブルの上には香ばしい匂いを放つ料理が並べられており、どうやら準備の方も終わってしまっていたようだ。
それに申し訳なさも感じるも、言ったところでどうにかなるものでもない。
片付けは手伝おうと心に決めつつ、リーズへと視線を送る。
別にそうと決めたわけではないのだが、皆で食事を取る時は何となくリーズが始まりを告げる役となっていた。
とはいえ、何かを喋るというわけではなく、目を瞑るとその両手が組まれる。
それを合図として、皆で一斉に食事の挨拶を行うのだ。
まあ実際にはそれぞれ作法が異なるため、かなりバラバラなのだが……そこら辺は気分だろう。
アランのそれが最も簡素であるため、真っ先に終わるものの、そのまま食事に手をつけるほど餓えてはいない。
それは皆も同じようで、最後となったシャルロットのそれが終わるのを待ってから、手をつけ始めた。
文化圏によって、食事の時間やどの時間帯の食事を最も重視するか、というものは変わってくるものだが、幸いにもこの世界の――少なくともアランの知っている範囲でのそれは、前世でも馴染みのあるものだ。
即ち、朝食は軽く、ということであり……だが簡素であるにも関わらず、相変わらず目の前のそれは、舌鼓を打つに十分な代物であった。
「うんうん、今日のもまた美味しいわねー。まあ私が作るのよりも美味しいから、正直ちょっと悔しいけど……これだけ美味しかったら仕方ないわー」
「仕方ないで済ませていいんですかね、そこの人妻」
「いいのよー、だって私料理の専門家ってわけじゃないし。家族が美味しいって言ってくれればそれで……あれ? でも確かに将来のことを考えると……?」
何やら母親が唐突にうんうん唸り始めたが、構わずアランは食事を続ける。
こんなことはいつものことだし、いちいち気にしてたら身が持たないのだ。
クリストフあたりなどもそれをよく理解しているのか、マイペースに食事を続けているし……というか、この場でそれを気にしている者は皆無であった。
皆順応性が高いというか、短時間で慣れさせられてしまったと言うべきか。
その辺もう少し気にすべきなのかもしれないが、気にしたところでどうにかできるわけでもないので、アランは気にしないのである。
「うーん……ま、やっぱり気にする必要はないわね。何かあったら、その時はその時よ」
「勝手に悩み始めたと思ったら勝手に解決しやがったです。何というか、本当に変わってねえですねえ……」
「それはそうよ。私達がそう簡単に変われるわけないわー。うーん、それにしても本当に美味しいわねえ。リーズちゃん、良いお嫁さんになるわよー」
「……そ、ありがと。実際に結婚している人から言われると、例えお世辞でも自信になるわね」
「自信に……うーん、まあ、しても問題はない、かな?」
この母親は奔放さを絵に描いたような性格ではあるが、家事万能ではあるのだ。
そのお墨付きとなれば、一応自信に繋げても問題はないだろう。
それにその点に関して言えば、アランも同感であった。
「別にお世辞なんて言ってないわよー? それこそ、今すぐにだって通用すると思うし……あっ、そうだわ。リーズちゃん、これが終わったらうちに来ない?」
「……は?」
「……はい?」
予想外すぎる言葉に、料理を進めていた手を止めると、アランは反射的に母親へと視線を向けていた。
にこやかな笑みを浮かべている様子からは、冗談を言っているようには見えない。
「そうね、我ながらいい考えだわー。時間がある時に料理を教えてもらえれば少しは近づけさせることも出来るかもしれないし。あ、勿論邪魔はしないわよー?」
「……は? え? なに、を……?」
「まーた唐突に変なこと言い出しやがったです……」
「確かにちょっと急だったかもしれないけど、別に変なことじゃないわよー? だってどうせそのうち来るんでしょう? なら少しでも早い方が、慣れるって意味でもいいじゃない? というわけで――」
「ちょっとお待ちくださいませ」
と、勝手に話を進めようとしていた母に待ったをかけたのは、シャルロットであった。
予想外すぎて介入し時を逃してしまったので、さすがだという意味を込めて視線を送る。
それに気付いたシャルロットが小さく頷きを返すと、続けて口を開いた。
「勝手に話を進められてしまいますと、わたくし達も困ってしまいますわ。リーズさんがミレイユさんのところに行くということは、このパーティーから抜ける、ということも意味しますし」
「あ、確かにそれも困るですね。リーズに抜けられると、主に食事の意味で困るです」
「それって、私には食事を作るしか価値がない、みたいにも聞こえるのだけれど?」
「さすがにそれは穿ちすぎじゃないかな?」
「まあ、あくまで最重要なのが飯ってだけですからね。勿論他の意味でも、居てくれねえと困るです」
「あら、当然リーズちゃんだけを誘っているわけじゃないわよー? その時にはサラちゃんもシャルちゃんも一緒よ? アランは誘うまでもないし」
「なるほど……それならば問題ありませんわね」
「ないですね」
「いやいや、おかしいよね? 問題しかないよね?」
何故に二人して、ならばよし、みたいに頷いているのか。
全員一緒なら問題はないとか、そういう話ではなかったはずだ。
そして何故リーズも、それなら、みたいな顔をしているのか。
全然よろしくはない。
「えー、これで万事解決じゃない。ねー?」
「解決ですわね」
「解決ですね」
「まあ、解決でいいんじゃないかしら?」
「えぇ……」
いつの間にかこっちの方が間違ってる、みたいな流れになっていることに困惑の声を漏らす。
というか、ふと思ったのだが、妙に四人の仲がよくなっていないだろうか?
勿論悪いよりは良い方がいいに決まっているのだが……昨日と比べ互いの距離が縮まっている気がする。
昨日アラン達が魔法談義をしていたのと同じように、四人で集まって何かしていたようなので、それ関係のせいだろうか?
ともあれ。
「……まあ、本気でそうしたいって言うんなら止めはしないけど。少なくとも、僕はまだ冒険者を辞めるつもりはないよ?」
「えー、アランだって一旦戻ってきてもいいのよ? 大丈夫よ、私達だって結婚したのは学院卒業してすぐだったんだから」
「何の話だっての」
溜息を吐き出しながら、肩をすくめる。
まあ実際のところ、ただの冗談だろう。
三人が楽しそうな顔をしているのが、その証拠だ。
母親は知らん。
「ま、そこら辺はテメエらが好きにすればいいが、そのためにもまずは今回の依頼を無事に終わらせなくちゃ話になんねんぞ?」
「まあそうなんだけどねー……って、もしかして、もう食べ終わったの? 相変わらず食べるの早いわねー」
「俺はテメエらと違って、飯食うときには飯食うだけって決めてるからな」
確かに考えてみれば、今までの食事中、師匠が会話に混ざってくることはほとんどなかった。
混ざってくるにしても、その必要があるような内容の時であったり、あとは食事が終わってからのことだ。
「クリストフも、そこら辺変わってねえんですねえ」
「というか、むしろその頃からの癖が続いてる、って感じだがな。何せあの頃はさっさと飯食わねえと、誰かが何かやらかして食い損ねてたからな」
あー、と納得したような声を出したサラの視線が何処を向いていたのかは、敢えて言わないでおこう。
まあ、言うまでもないことだろうが。
「さて、まあ確かに何をするにしてもまずは今回のことが先決だし、ご飯を食べながらこれからのことを話していきましょうか」
「んー、それには賛成だけど……そもそも話すようなことってあるの?」
今回使うという儀式魔法は昨日見たが、だからこそ分かることがある。
あれは完全に、他で代替が利かないタイプのものだ。
つまりは、どんな調査をしたところで、無意味だということである。
実際に使ってみるまでは、それが有効かどうかなど分かりはしないのだ。
もっともそんなことは、最初から半ば分かりきっていたことではあるが――
「まあ、そうねー。正直に言っちゃえば、やることそのものがないもの。当然、話すことはないわ」
「じゃあ――」
「でも待ってちょうだい。確かにこの先あなた達は何もしなくても、依頼を達成したことにはなると思うけど……それって、勿体無くないかしら? 勿体無いと思うわよね?」
「いえ、別にそんなことはねえですが。むしろ苦労することなく依頼達成できてよかった、ってとこです」
「え? うーん……あれ? 勿体無い、わよね?」
「何故繰り返したのかは分からないけれど、私もよかったと思うかしらね」
「そうですわね……無駄な苦労をして喜ぶ趣味は持ち合わせていませんもの」
「…………アランは勿体無いと思うわよね?」
「とりあえず話が先に進まなそうだから同意しておくけど、結局何が言いたいの?」
「私ももっとアラン達と一緒に迷宮に潜ったりして冒険してみたいわ!」
「まあそんなこったろうと思ったが……つーか勿体無いって、つまり完全にテメエ一人の意見じゃねえか」
「そうとも言うわね」
そうとしか言わないのだが、なんかもう呆れを通り過ぎてさすがとしか思わない。
まあ何もせずに依頼達成というのも、それはそれで微妙な気がするから構わないのだが――
「まあ、あなた達にもちゃんと利点はあると思うわよー? 昨日とは違って今後は私もちゃんと色々と口を出していくから、自分でも言うのも何だけど良い経験になると思うわ」
「それは……確かに、そうかもしれないわね」
「まあ、一理あるですね」
「母さんから色々教わるのか……」
思い起こされるのは、魔法に関して教わったあれこれだが……実践で教わることを考えればそれほど問題にはならないのかもしれない。
それが参考になるかは、また別の話ではあるが。
「まあ、ニナが聞いたら、羨ましがるようなことではあるの、かな?」
「そういえば、彼女はミレイユさんに憧れているのでしたわね」
「あら、そんな娘がいるのー?」
「ここにはいないけどね」
「そう、それはちょっと残念ねー。まあ、とりあえず……そういうことなんだけど……」
どう? という問いかけに、何となく皆で顔を見合わせる。
直後にそこには苦笑が浮かび……それが、答えであった。
「ま、期間中何もしないっていうのも、暇だしね」
実質的な肯定を意味する言葉に、母が喜びの声を上げる。
その姿を眺めながら、再び皆で顔を見合わせ、さらに苦笑を深めるのであった。




