儀式魔法と自負
「ふぅむ……なるほどな……」
眼前の魔法陣を眺めながら、クリストフは納得するように頷いた。
場所はアラン達の屋敷、自分にあてがわれた客室だ。
魔法陣のすぐ傍にはアランがおり、何かを期待するようにこちらをジッと見つめている。
だが残念なことに、その期待に応えることは出来ないだろう。
クリストフに理解出来るのは、それが確かに普通の魔法のそれと似通っている、ということぐらいなのだ。
アランが言っていることの半分も理解出来ていないのに、何か建設的な意見など出せるわけがないのである。
まあ、偉そうに言えることではないが。
「……残念だが、テメエが語った以上のことは分かりそうもねえな」
「そうですか……師匠なら何か、と思ったんですが……まあ、さすがに一目見ただけじゃ無理がありますよね……」
「いや、一目だとかそういう問題じゃねえけどな。まあ確かに、見慣れてないっちゃあ見慣れてないが……」
見慣れていないのは事実だが、根本的にそれ以前の問題だ。
そもそもの話、アランは相変わらずこちらを過大評価しすぎなのである。
自分を過小評価しすぎだとも言えるが……そんなものを簡単に理解出来る者が、アラン以外にいるわけもないだろうに。
それ――儀式魔法の魔法陣を再度眺めながら、溜息を一つ吐き出す。
それ一つとってもどれだけ非常識なことが起こっているのか、おそらく本人は理解していないだろう。
まったく、色々な意味で、相変わらずの非常識っぷりであった。
「ま、とはいえこれで終わらせたら師匠としての沽券に関わるからな。ちょっと待ってろ」
そう言い残すと立ち上がり、クリストフはここに持ってきた荷物を漁り始めた。
とはいえ大した数もないため、目的のものはすぐに見つかる。
一見ただの本にしか見えないそれを手に取ると、そのままアランへと放り投げた。
「ほれ。それ貸してやる」
「っと……えー、ありがとうございます? というか、何ですこれ?」
「見ての通り、本だが? ま、厳密には、今回の迷宮の封印に使う儀式魔法が書かれた本だが」
「――はい!?」
素っ頓狂な声をあげ、慌てだすアランの姿に、口元を吊り上げる。
いつも一方的に驚かさせられる立場なのだ。
先ほどもそうであったし……たまには驚かす側に回っても罰は当たるまい。
「え、何で師匠がこれを……!?」
「別に不思議なことでもねえだろ? 確かに今回それを使う予定なのはミレイユだが、アイツに持たしといたらどうなるか分かったもんじゃねえしな。万が一のことがないように、俺が預かってんだよ」
「あー……。まあそれは納得しましたが、こんな簡単に貸しちゃっていいものなんですか?」
「誰かに貸しちゃ駄目だとは言われなかったし、大丈夫だろうよ」
「それは誰かに貸すとは思わなかったから、敢えて言う必要がないと思っただけじゃあ……? だってこれ、あの迷宮を封印するための魔法なんですよね? 悪用されたら、って考えると……」
アランの懸念は、当然と言えば当然だろう。
何せ儀式魔法というものは、詠唱を覚える必要もなければ、理解する必要もないのだ。
儀式魔法は、それを使用するのに必要な詠唱が必ず本に記されている。
その本に魔力を流すことで詠唱代わりとなり、それの完遂によって魔法の発動が行われるのだ。
何故か廃れてしまったため現存しているものは少ないが、非常に使いやすく、希少性と合わせて考えればその紛失や悪用を警戒するのは当たり前のことである。
ただ。
「まあ、確かに普通は警戒するだろうな。何せコイツは概念式の封鎖結界だ。時間と空間を隔離しちまうんだから、魔法が発動したらそこから逃れることが出来るやつはいないだろうよ。それを考えれば、どれだけ警戒しても警戒しすぎってことはねえ。もっとも、悪用できれば、の話だが」
その効果の時点で分かるように、この魔法は大魔法とでも呼ぶべきものだ。
魔力の消費も激しく、並の魔導士であれば、発動させる前に魔力が枯渇しきって干からびるのがオチだろう。
幾ら魔導士の大半が魔力の消費を気にしないとはいえ、確かに限界は存在しているし、それを超えるものを使おうとすれば命にも関わってくるのだ。
「それに、これは悪用するには規模がでかすぎるからな」
「でかすぎる、ですか?」
「迷宮を封印しようってもんだぞ? 規模が小さかったら封印しきれねえからな。これだったら……そうだな、ちょうどあの迷宮都市を丸ごと隔離できるぐらいだ」
「その規模だと確かに、悪用するのは無理そうですね……」
普通の魔法であればともかく、ある程度以上の規模を持つ魔法を使う場合は、相応の準備と時間が必要である。
これはアランが使った場合でも同じだ。
アラン曰くそこは改善が不可能が部分であり、世界がその命令を実行するのに必須なものだという。
まあ要するに、そんなものを使おうとした時点でバレバレなので、悪用のしようがない、というわけだ。
「でもそうだとしても、簡単に貸していいものじゃないってことに違いはありませんよね……?」
「俺だって簡単に貸してるわけじゃねえよ。テメエだったらすぐに返すことが出来るんだろう? それに、ちょうど見てみたかったってのもあるしな」
「あ、なるほど……そういうことですか。分かりました、ちょっと待ってください」
言うや否や、アランは虚空から一枚の紙を取り出した。
それを眺め、だがクリストフが溜息を吐き出したのは、仕方のないことだろう。
空間系の魔法……アランは分かりやすいからと収納魔法などと呼んでいたが、それも本来は大魔法に近い魔法と呼ばれているものだ。
準備と時間こそ必要ではないが、消費魔力は並の魔導士では支えきれないものであるし、そもそも発動させるには長ったらしい詠唱を唱える必要がある。
それを片手間に、当たり前のように無詠唱で物の出入りをさせているのだから……もう呆れて言葉も出ないとはこのことだ。
元からアランの規格外っぷりは酷かったが、学院に行ってさらに磨きがかかったのではないだろうか。
この分ではいつまで師匠面出来るだろうかと、そんなことを思うも、今はアランのやろうとしていることを見る方が重要だ。
その手元にあるのは、先ほど渡した本と、一枚の真っ白な紙であり――
「――転写」
呟きの直後、その紙に複雑な文様が描かれだした。
それは見慣れたもの――魔方陣であるが、同時に見知らぬものでもある。
まあそれは当然だ。
アランの言っていることが正しいのであれば、その魔方陣は、あの迷宮を封印するのに使用する予定の封鎖魔法のものなのだから。
基本的に、通常の魔法と儀式魔法とでは、その発動の仕方に大差はない。
儀式魔法は本に魔力を流し込む必要があるが、それによって魔方陣が展開するため、見ようによっては無詠唱で魔法を使っているようにも見えるのだ。
そのぐらい差がないということだが……勿論明確な差というものも存在している。
それは、魔方陣の位置だ。
というよりは、魔方陣の描き方、と言うべきか。
クリストフ達が通常使用している魔法とは異なり、儀式魔法は必ず地面に展開する必要がある。
これは特に意識しなくとも必ずそうなるので、それほど気にする必要はないのだが……その際その場所は平面でなければならないため、何処でも使えるというわけではない。
その理由は不明であり、一説には世界に刻み込むことによって発動させているから、などとも言われているが、まあそれはどうでもいいことだろう。
ともあれ、魔方陣を展開し終えた後で、そこに触媒を置くことで儀式魔法は発動するわけだが……そこまで考えたところで、クリストフは本日幾度目かとなる溜息を吐き出した。
改めてアランの出鱈目っぷりを再認識したからである。
儀式魔法の魔方陣は、あくまでも地面に刻むものだ。
そう、それを描く先は紙の上では駄目なのである。
そもそもそこに描くことは出来ないはずであり……だが。
「……ったく。これだから規格外のやつは」
アランのやっていることは、予め聞かされている。
だから驚きがこの程度で済んでいるのだが……それでも、自分の目で見ても信じられない思いであった。
アランのやっていることを言葉にするならば、そう難しいことではない。
アランは今、儀式魔法の魔法式を読み取り、それを再現することで、儀式魔法の魔方陣だけを、紙の上へと写し取っているのだ。
言ってしまえばそれだけのことなのだが……それがどれほど有り得ないのかは、儀式魔法について少しでも知っていれば全員が理解することだろう。
儀式魔法について知らなくとも、あれをすることでどういうことが出来るようになるのかを知れば、その非常識っぷりが即座に理解できるに違いない。
何せ、あの魔方陣の描かれつつある紙。
魔方陣が描かれ終わったあれを地面に敷き、その上に触媒を置くと、それだけで儀式魔法を使えるようになるらしいのだ。
本を使用せずに、である。
魔力は多少必要とするらしいが……それがどれだけ馬鹿げたものであるかは、今更言うまでもないだろう。
さらには既に魔方陣が描かれているため、発動までの時間をほぼ必要としないというのだから、尚更である。
ただそれこそが、アランにあの本を貸した理由であった。
ああして転写してしまえば、アランはもうあの本を必要としないのである。
本当に、馬鹿げた話だ。
一応魔方陣は使い捨てらしく、一度使うとその魔方陣は消滅してしまうらしいが……その前にもう一度別の紙に転写をすれば、まったく同じものがもう一つ作れるため問題はないらしい。
どう考えても別の問題が発生してはいるが。
儀式魔法の利点は、使用者によってその効果・威力に変化が生じないことだ。
しかもアランが余計なことをやらかした結果、ほぼ無詠唱と同じ速度で放てるようにもなった。
アランは普通の魔法でも無詠唱に近い速度で放てるためあまり実感はないようだが、それはつまりアランと同じ速度、威力で誰もが魔法を使えるということなのだ。
触媒が必要なため、その分の金が必要ではあるが……それがどれほど意味のあることか、多分アラン本人は分かっていないだろう。
そういったこととは別のものを目的とし、研究しているアランだ。
クリストフもどちらかと言えばそっち側であるため、その気持ちは分からなくもないのだが……そのクリストフにすら、それがどれほどのものであるかは理解出来る。
凄いという言葉が陳腐になってしまうほどのことであった。
まあ本人としては特に発表をするつもりはないようなので、煩わしいことになる心配はないだろう。
魔導士の一人としてはそれを嘆き阻止すべきなのかもしれないが……これでも一応まだアランの師匠なのだ。
本人が望まないだろうことは、させるべきではないだろう。
ちなみにアランがこんなことを出来るようになったのは、儀式魔法を何度か試してみた結果、地面じゃなくて紙に描いても問題ないんじゃないか、などと言い出したことが切欠だという。
地面との間に紙一枚ぐらいあっても問題ないだろう、と。
さすがにそのままでは成功しなかったらしいが……それでも結果的により酷いことをしてしまったあたり、さすがとしか言いようはない。
そのおかげで、ギルドでさえも数える程度しかなく、厳重に保管されているはずの儀式魔法の本を眺め、転写した結果幾つかの儀式魔法を使えるようになったというのだから……まあ本当にあれすぎる。
「……末恐ろしいってのは、こういうのを言うんだろうな」
自分もよく言われていたものだが、今では言っていた者達の気持ちがよく分かる。
集中しているのか、こちらの呟きに反応しないアランに肩をすくめ、ふと窓の外へと視線を向けた。
窓の外ではとうに夜の帳が下りている。
既に夕食は食べ終え、今は寝る前の一時だ。
昨日は騒がしい夜であったが、今日はその名残を感じさせることすらない、静かな夜である。
まあその主原因たるミレイユが女の子同士で話をするなどと言い出し、階下の一部屋に集まっているためだが、自分達には関係がないのでどうでもいいことだ。
静かであるならば、それに越したことはないだろう。
ちなみに、その話を聞いた時、女の子ではないのが二名ほどいる気もしたが、それを言ってしまえば魔導士の時点で今更だ。
何よりクリストフも命は惜しいので何も言わず、こうして久方ぶりのアランと二人きりでの話し合いの場を囲むこととなったわけである。
色々と話が出来て、楽しかったと言えば楽しい夜であったが――
「……俺の未熟っぷりがより鮮明になっただけな気もするな」
「ふぅ……よし、出来た!」
呟きをかき消すような声に視線を戻せば、確かに紙の上の魔方陣は完全な姿を描かれたようであった。
それを眺めながら、クリストフは苦笑を浮かべる。
別に自分が不出来なことぐらい、とうに分かっていることだ。
アランが学院に行っていた一年で、それはさらに明確になったと言ってもいい。
ただそれでも、師匠と呼ばれ、まがりなりにもそれを続けていた自負がある。
そして、これから先も、なるべくそれを続けるべく……まずはそれを少しでも理解するために、アランのもとへと向かうのであった。




