深層領域 3
「貴様っ……よくクラリスを……!? 万死に値する!」
「――待った、レティシア」
レティシアがそれに飛びかかろうとした瞬間、それを止めたのはアランの声であった。
反射的に足が止まってしまい、レティシアは睨み付けるようにして視線をそちらへと向ける。
「アラン、何故止める!? あれはクラリスを……クラリスを殺したのだぞ……!?」
「いや、殺されてないからね? 勝手にクラリスを殺さないように」
「だが攻撃されたのは事実であろう!? だというのに何をそんな暢気……な……?」
怒りのままに言葉を叫び、だが途中で疑問へと変わったたのは、アランの足元で光っているそれを見つけたからだ。
それは一枚の紙片であり、光っているのはそれに描かれた文様――魔方陣である。
その意味するところを瞬時に察したレティシアは、そのままクラリスへと視線を向け――
「クラリスの身体が、光って……?」
「結界を張ってる暇はなかったからね。威力を殺す防御術式だけを展開した。さすがに衝撃までは殺しきれなかったみたいだけど……まあ、咄嗟にだったけど、上手くいってよかったよ。こんなこともあろうかと用意しておいたものなんだけど、うん、備えあれば憂いなし、だね」
ついでにいつか言いたいと思ってた今の台詞が言えたから尚良し、などととぼけた事を言い出すアランを、半ば呆然と眺める。
しかしそれはゆっくりと笑みへと変わり、やがて苦笑へと至った。
まったく――
「そなたと居ると退屈はしないが、心臓に悪いな」
「でも誰かの心臓が本当に止まるのと比べればマシでしょ?」
「それは確かにな」
頷きつつ、ちらりと後方に視線を向けてみれば、クラリスが吹き飛ばされたあたりにはリーズ達が向かっていた。
その様子を確かめ、こちらに頷きを返したところを見るに、どうやら本当に無事ではあるようだ。
ほっと息を吐きながらも、前方のそれへと視線を戻し、睨みつける。
「確かにクラリスは無事だったようだが、結局あれを何とかせぬことにはどうしようもないな……どうするつもりだ?」
前方十メートルほどの場所に、それは悠然と立っていた。
全長は五メートルほどか。
白銀色の、不思議な光沢を全身から放っているそれは、一目見るだけで生物ではないと断言出来る。
一応四肢があり、人型ではあるのだが――
「ゴーレム……ではあるのだろうが、また見たこともないものだな」
「まあそれは今更ってね。んー……色々と気になることはあるけど、まずは立て直しが先決、かな? クラリスの安全も確保しないといけないだろうし……」
言うや否や、アランは虚空から一枚の紙片と一束の糸のようなものを取り出した。
それらを掴むと、地面に叩き付けるようにして置き、告げる。
「――セット。捕らえろ、グレイプニール」
瞬間、ゴーレムの真下から白銀色の糸が伸び、ゴーレムの身体へと絡まった。
それは数十という数であったものの、ゴーレムの巨体と合わせ、如何にも頼りなく見えたが……アランが使ったものである以上、そんなことはないだろう。
レティシアはそう納得すると、一先ずクラリスの居る場所にまで下がるべきかと、後方を振り向き――ぶちりと、そんな音を聞いた気がした。
「……アラン? 今妾の聞き間違いでなければ、何かが引き千切られたような音が聞こえた気がするのだが?」
「あー、うん……聞き間違いじゃない、かな? とはいえ本来あんな簡単に引き千切られるものじゃないはずだし……これは、予想が当たっちゃったみたいだなぁ。まったく、色合いが似てるだけで済んでたらよかったのに……」
呟きに疑問の視線を向けるが、返ってきたのは肩をすくめる動作であった。
直後に後方を指差したことと合わせて考えれば、一先ず退いてからだということだろう。
退いてしまって大丈夫なのかと一瞬思ったが、ゴーレムの方を眺めれば、一応先ほどの糸のようなものは残っているようだ。
ただ、ぶちぶちと簡単に引き千切られているので、そう長くは持たなそうである。
とはいえこのままよく分からない相手に突撃するのは確かに危険なため、頷くと、そのままクラリス達の居る場所まで後退した。
「端的に結論だけ言うけど、ちょっとあれはまずいね」
「見ていたから何となく分かるけれど……もしかして、あのゴーレム……」
「うん。多分ミスリルゴーレムだ」
ゴーレムというのは、一種類だけしか存在しないわけではなく、その身体を構成する材質によって様々なものが居ると言われている。
例えば、木で出来たウッドゴーレムや、石で出来たストーンゴーレムなどは割と一般的に知られている魔物だろう。
そして中には、金属で出来ているゴーレムも存在しているのだが――
「ミスリル……なるほど、それならばあの魔法が簡単に引き千切られているのも納得出来ますわね」
「あ……じゃあ、不意打ち受けたのも、そのせいです?」
「だと思う。索敵魔法には何の反応もなかったし……というか、今もないからね」
「むぅ……確かに、それはちとまずいな」
ゴーレムは構成される材質によって、ある程度その性質が変わってくる。
ウッドゴーレムならば火に弱いが、ストーンゴーレムだとその弱点はなく、さらに硬くもなっている、というように、だ。
その性質は元の材質のものを引き継いでいることが多く、ならば視線の先に居るそれもそうだと考えるのが自然だろう。
そしてミスリルの特性は魔力を通しやすく増幅させることが出来る、というものであるが、同時に魔法そのものは通しにくい。
それは魔法で加工しにくいということだが、魔法への抵抗があり、その効果を減衰させる、ということでもあり……さらにその特性は、ミスリルの量によっても増減する。
指輪や腕輪のようなものであれば大したことはないが、ミスリル製の盾であれば魔法の威力を半分以下に軽減させ、ミスリル製の全身鎧ならば魔法をほぼ無効化してしまうらしい。
まあ実際にはそこまで贅沢に使うことは出来ないので、あくまでも今まで得られた情報からの推測に過ぎないが……現状を鑑みるにそれはほぼ正しいのだろう。
捕縛用の魔法は完全に無効化されているわけではないようだが、所詮一応の域を出ず、慰めにもならない。
何より――
「問題なのは、最悪レティシアしか戦力にならない、ということね」
「この場に居るのはほぼ魔導士なうえ、魔法を軽減させる範囲が分からないからね。自分に対するものだけっていうんなら問題はないけど……例えば、自分の周囲にも影響を及ぼすようなものだと……」
「その場合は、サラは近付いた瞬間にただの的になるですね。まあクラリスにかけた魔法がそのままですから、とりあえず最低限距離を取ってれば大丈夫だとは思うですが……」
「とはいえ、気軽に試すわけにもいきませんわ。それではサラさんが攻撃出来ませんし、もしも影響を及ぼされてしまえば、それこそ問題ですもの」
「それに、どちらにせよ妨害魔法は聞かぬ可能性が高いのであろう? 妾達がこの階層でも楽に戦う事が出来たのは、どちらかといえば妨害魔法があったからだと思っている。それが通じないようでは……」
それにもう一つ、レティシアには気になっていることがあった。
それは目の前のそれが、この階層をうろついている一般的な魔物なのかどうか、ということである。
もしもそうならば、この先へ進むのが非常に難しくなると言わざるを得ないが……そうでない場合は、それはそれで問題だ。
何故ならば、その時はつまり、このゴーレムは一般的ではない魔物――エリアボスだということだからである。
「……ちなみにレティシアはどっちだと思う?」
「そうだな……おそらくはアランと同じであろう。先ほど戦った敵と比べ、あれは頭一つ以上抜けすぎているからな」
レティシアの言葉に、皆から同意の頷きが返った。
そもそも、幾ら不意をうたれたにしても、クラリスしか反応出来なかったというのがおかしいのだ。
この階層で出現する魔物が全てその域であるならば、アラン達だってここを探索しようとは思わなかったに違いない。
魔法は万能ではなく、今のように不意をうたれてしまえば全てご破算である。
その分の余裕は、十分持っていたはずであり――
「とはいえ、それは何の言い訳にもならない、か。あとでクラリスに謝っておかないとなぁ……」
「ですね。さっきクラリスは凄いとは言ったですが、本来少なくともサラは反応してなくちゃならなかったですし」
「いや、謝罪は不要だろう。妾達も問題ないと思ったからこそ、異議を唱えなかったのだ。誰が悪いとするならば全員が悪いし、そもそもクラリスはどちらかと言えば感謝の言葉の方が欲しいだろうからな」
「何にせよ、反省するのは後よ。ろくに話し合えなかったけれど……もう、時間がないわ」
リーズの言葉に視線を向けてみれば、確かに数十はあったはずの白銀の糸はもう数本を切っていた。
いつ全てを引き千切り、動き出してもおかしくはない。
「結局現状を確認しただけでしたか……まあ、仕方ありませんわ。それでアランさん、どうするんですの?」
本人はあくまで仮などと世迷い言をほざいているが、このパーティーの中心は間違いなくアランだ。
この状況で方針を打ち出すのはアラン以外になく、アランが言うのであれば、それがどんな無茶であろうと実行しようとするだろう。
まあそれは、本当に無理なことは言うはずがないという信頼の上に成り立っているからではあるが、しかし同時に、アランならばどうにかしてくれるだろうと思っているからでもある。
果たしてアランは、肩をすくめると――
「本当はこのまま逃げ帰るのが正解なんだろうけどね。このままじゃ気が済まないっていうか……まあ、クラリスをこんな風にしてくれた借りも返さないといけないしね」
そう言って、不敵な笑みを見せた。
「――セット。捕らえろ、グレイプニール」
アランの打ち出した作戦は、単純と言えば単純なものであった。
相手は確かに拘束を簡単に引き千切ってはいたが、無効化していたわけではない。
ならば引き千切られる度に捕らえ直せばいいと、そういうことである。
そして相手がそれに手こずっている間に、相手の弱点などを探るのだ。
「ま、ちと地味と言えば地味ですけどね」
「そう言ってやるな。汝らのことを案じているのだろうし、実際のところ、これが最も確実ではある」
「それはそうなんでしょうが……どうせなら、こう、こんなこともあろうかと、とか言いながら一撃で消し飛ばして欲しかったです」
「さすがにそれは求めすぎであろう」
苦笑を浮かべながら、だが何となく分からないでもないのが困ったものだ。
しかも、割とやりそうである。
まあ今回は、そうならなかったわけではあるが――
「さて、では妾達も自分の役割を果たすとするか」
「ですね」
そう言いつつ、レティシア達はゆっくりとゴーレムへと近付いていく。
彼我の距離は十五メートルほど。
先ほどよりも離れた場所から、その様子を観察しながら距離を詰める。
何故その時点から警戒しているのかといえば、先ほどクラリスが攻撃を受けたのが、明らかに相手の手の届かぬ範囲であったからだ。
さらにはその瞬間のことを誰も目にしていない。
故に、相手は目に見えない遠距離攻撃手段を持っていると考えるのが妥当であり、そのための警戒であった。
ただその間にも、地面からは、次から次へと白銀の糸のようなものが出てはゴーレムへと絡み付いており――
「……いや、やりすぎじゃねえですかね、これ?」
「幾らなんでも、案じすぎだな……」
呆れた呟きが漏れたのは、絡み付いているそれの数が、数十どころか、三桁を優に超えるだろう勢いであったからだ。
即座に引き千切られているのは変わらないのだが、それよりも絡み付くそれの数の方が圧倒的に多いのである。
先ほどとは違う魔法を使っている、というわけではない。
先ほどと同じ魔法を、今度は連続で使っているのだ。
ちらりとアランの方を見てみれば、その周囲には数多の紙片が地面を埋めている。
それには全て同じ文様が描かれており、それに片っ端からアランは触れると詠唱を唱え、魔法を使い続けていた。
「何と言うか……アランって、たまに物凄い馬鹿になるですよね」
「さすがに擁護のしようがないな」
それだけゴーレムが動かないように、こちらが攻撃されないように、ということなのだろうが、これではろくに観察も出来ない。
文字通りの意味で見えないのだから、どうしようもないだろう。
まあどちらかと言うならば、それよりはどうすべきかという戸惑いの方が強いのだが。
そんな中、時折その身体が燃え、凍り付いているのはさすがというところか。
勿論そんなことが自然に起こるわけもなく、リーズ達による攻撃魔法であった。
「アランに慣れてるだけって気もするだけですが……でも、リーズはともかく、シャルロットはサラとそれほど知り合ってからの差はねえはずですが……ぬぅ」
「それに関してはそちらの問題であるため、妾が何かを言うことはないが……さて、しかしこれではコアの位置も、もう一つの弱点の位置も探れそうもないな……どうしたものか」
ゴーレムというのは、一目見て分かる通り、根本的に生物とは異なる存在だ。
故に首を切り落とそうとも死なず、例え四肢を砕いたところで、すぐに再生してしまう。
そんなゴーレムを倒す手段は、二つに一つだ。
一つが、コアと呼ばれる、ゴーレムにとっての心臓を破壊すること。
これは身体の中心に存在していることが多いが、稀に頭であったり、別の場所にあったりもする。
当然外からは見えないが、攻撃の際にその場所を庇うような動作をすることがあるため、それで見当を付けるのが一般的だ。
ただしこの方法はゴーレムが完全に崩壊し、灰と化してしまうため推奨はされない。
元が木だろうと石だろうと、何故か灰になってしまうのである。
勿論素材としては使えないため、ただ苦労をしただけとなってしまうのだ。
木や石を手に入れてどうするのかと思うかもしれないが、ゴーレムの一部となっていたためか、それらは普通のものと比べ違う性質を持つ事がある。
例えば頑丈であるとか、魔力が通しやすく加工しやすい、などだ。
他にも、実はコアそのものが優秀な素材だったりもする。
魔石と呼ばれ、一部魔導具の燃料代わりとして使われたりもするのだ。
それらを素材として納品すれば、少なくとも、ゴーレムを倒すのに費やした手間に見合う程度の収入にはなるのである。
そしてそれらを手に入れるためには、もう一つの弱点を突く必要があった。
ゴーレムの身体の一部に刻まれている、特定の文字。
その一部を削れば、ゴーレムはその活動を停止するのである。
何故そうなるのかは、分かっていない。
だがその事実だけが分かっていれば十分だ。
かくしてゴーレム退治は、余程の理由でもない限りは、そちらを狙うことになる。
まあそれが刻まれているのは、額であったり掌であったり足の裏であったりと様々なので、結局はそれを探すため観察をしなければならないのだが――
「ふむ……今のところコアを庇うような動作はなし。文字も特に見当たらぬ、か……」
「どうせあれも消えちまうんでしょうから、特に文字の方を探す必要はねえですが、かといってコアを壊すにはミスリルの身体を貫く必要があるですからねえ。狙うなら文字の方がいい気がするですが……見えねえですし」
一本一本が細くとも、それらが重なり合えば相応の太さにはなる。
しかも相手を捕らえようとしているのだから、当然それは身体の至る所を覆うような形になり……結果的に文字が刻まれている場所があろうとも、見えなくなってしまっていたのだ。
さらにはコアの位置を庇う動作に関しては、あそこまでされてそれが可能なのか、というところが疑問である。
とはいえ。
「ま、リーズ達の手前、サラ達だけが何もしないってわけにはいかないですしね」
「うむ。アランは無理なようならば引くからいいとは言っていたが……さすがにそういうわけにもいくまい」
リーズ達が先ほどから攻撃魔法を叩き込み続けているのは、改めて言うまでもなく、コアを庇う動作を誘発するためだ。
今のところ成果は見えないが、それでも自らの役割を果たしているのは間違いない。
アランに関しては見たままであり……つまりこのままでは、レティシア達だけが役立たずとなってしまうのだ。
それはご免であるし――
「何より、妾の怒りは先ほどからまったく衰えていなくてな。借りを返さないと気が済まないのは、妾も同じなのだ!」
叫ぶと、彼我の距離を詰めるべく、レティシアは全力で地を蹴り付けた。




