儀式魔法
一階に降りた時には、既に周囲にはいい匂いが漂っていた。
食堂に入るとそれはさらに強くなり、鮮やかな見た目と合わさって、自然と食欲が限界を迎える。
椅子に座るや否や、いただきますの挨拶もそこそこに、早速かぶりついた。
「うーむ……相変わらず美味い」
「……そ、ありがと」
その言葉に、リーズは当然とでも言いたげな表情を浮かべるが、緩んだ口元は隠しきれていない。
まあ、アランは美味しいものを食べられ、リーズはその感想を聞き喜ぶのだから、どちらにも得のあることだ。
何の問題もなく、引き続き口の中に放り込んでは舌鼓を打っていく。
ちなみに今更かもしれないが、アラン達は現在とある屋敷に住んでいた。
誰かの屋敷を間借りしているわけではなく、自分達で買ったものである。
そうした理由は幾つかあるのだが……まあ、やはり儀式魔法の研究のため、というのが主目的だろう。
何せ研究などとは言うものの、結局のところそれは試行錯誤の連続だ。
失敗が当たり前であり、騒音が響くのは前提。
それを気にしない場所と、広い場所は必須であった。
だが迷宮都市の中に、そんな場所はない。
あそこは城塞都市であるため、その中には建物がびっしりと敷き詰めてあるからだ。
その全てに人が住んでいるわけではないため、探せば騒音程度なら何とかなったかもしれないし、最悪結界で遮断すれば済むものの、儀式魔法を試すための場所となると難しい。
ギルドは冒険者のために訓練所などを開放しているらしいが、さすがにそこでやるのは幾ら何でもあれすぎるだろう。
というわけで、その条件を満たすのがここだったのである。
別に屋敷である必要はなかったのだが、他に条件を満たす場所がなかったのだから仕方がない。
広い分には問題ないだろうということで、ここに住む事になったのだ。
まあ、ちょっとばかり不便なこともあるが、許容範囲内だろう。
尚、アラン達の自室はそれぞれ二階にあり、一階には食堂や風呂などがある。
一応三階にも部屋があるが、そもそも二階の部屋ですら半分以上使われていないのだ。
客室として設定してはいるものの、使う機会が来るかは不明である。
本当に無駄に大きすぎるが、新規に建てたわけではないので仕方のないことだろう。
閑話休題。
「……それにしても、毎回思うことだけど、やっぱり意外だよなぁ」
「……何よ、私が家事が出来る事が、そんなに意外?」
食事を続けながらふと漏れた言葉にジト目が返ってくるが、その通りなので何も言えない。
これもまた今更ではあるだろうが、目の前にある料理の数々は、正真正銘リーズの作ったものである。
勿論魔法で作ったなどということはなく、自分の腕で、だ。
その過程を一度見た事があるので、間違いない。
「……まあ、意外だったってのは事実だけど、そのおかげでこうして助かってるわけだしさ。リーズが家事万能で本当によかったよ、うん」
むしろ助かってるどころか、リーズが居なかったら死活問題だったまである。
何せリーズ以外に、まともに料理が作れるものがいなかったのだ。
飢えるとまでは言わないが、食卓が随分と寂しいことになっていたのは間違いない。
ちなみに、アランは当然のように料理は出来ない勢だ。
確かに前世では一人暮らしが長かったし、食事は主に自炊ではあったが――
「……電子レンジがあればなー。電子レンジがあれば誰にも負けない自信があるんだけどなー」
「言っている意味は分からないけれど、駄目なことを言っているのだけは分かるわね。……ま、別にいいわよ。似合わないってのは、自分でもよく分かっているもの」
「いや、別に似合ってないってわけじゃないんだけど……」
どちらかと言えば、料理をしている後姿などは似合っているようにすら思う。
恥ずかしいので口に出すことはないが。
なので、意外だと思った理由は、別にある。
魔導士であるせいもあってか、普段はあまり意識することはないが、彼女は公爵令嬢なのだ。
普通であれば、料理が出来るなどとは思わないだろう。
出来る可能性があるとすれば、それは――
「……ま、あれよ。昔はそれ以外にやることがなかったから、自然と上達したっていう、ただそれだけのことだわ」
その言葉に何かを返さなかったのは、単純に何と返したらいいのかが分からなかったからだ。
分かるのはその雰囲気から、リーズがそのことを今でも快く思ってはいないのだろうということだけ。
彼女の過去を知らないアランには、それ以上分かることはなかった。
或いは、聞けば教えてくれるのかもしれないが……生憎とそこまでの覚悟はない。
そんな自分に一瞬自嘲の笑みを浮かべるものの、空気を変えるべく別の話題を口にすることにした。
「そういえば、自然と二人で先に食べ始まっちゃったけど、シャルロットは?」
当たり前のことではあるが、この屋敷に住んでいるのはアランとリーズだけではない。
ここを買ったのは主に儀式魔法のためではあるものの、宿を借りる代わりとするためでもあったのだ。
同じパーティーを組んでいる以上、シャルロットも一緒である。
後は何故か居候が一人存在しているが……まあ、とりあえずそれはいいだろう。
「あの娘なら、今日はギルドに行くからって朝から出かけているわ」
「あ、そうなんだ。一人で依頼受けたりはしないだろうし……なんだろ、気になることでもあるのかな?」
ギルドはこの街の中で、おそらくは最も人が集まる場所だ。
当然のように様々な情報も集まりやすく、受付嬢に頼めばある程度の手助けをしてくれることもあって、何か困ったことがあったり、聞きたいことがあったりした場合には、ギルドに向かうのが基本なのである。
「さあ? 詳しくは聞かなかったけれど、あの娘もこの先のことを考えて新しい魔法を作りたいとか言っていたから、そのためじゃないかしら?」
「そっか……言ってくれれば協力するんだけどなぁ」
「規格外に毎回手伝ってもらったら、それが自分の実力だと勘違いしそうだもの。たまには自分一人でという選択は、賢いわ」
相変わらず酷い言われようではあるが、一人でやるというのであればそれを邪魔する理由もない。
何か聞かれるようなことがあれば、その時に応えればいいだろう。
「で、居候娘は?」
「サラも、シャルロットと一緒にギルドに行ったわ。こちらは迷宮の勉強のため、とは言っていたけれど。あとは、一応私達でも受けられそうな依頼がないか探してみる、とも言っていたわね」
「おー、さすが居候。殊勝な心がけで感心感心」
そう、居候とは他でもない、サラのことであった。
アラン達が屋敷を買い、引っ越すとなった段階で、何故だかサラも一緒についてきたのである。
まあ、何故だかとかいうのは冗談だが。
というのも、ラウルとパーティーを組んだサラではあるものの、ラウルのランクは八であり、この迷宮都市にいる冒険者の中では上から数えた方が早いぐらいの冒険者だ。
当然受ける依頼も相応のものとなり――
「というか、いい加減居候扱いは止めてあげなさいよ。ずっと私達とは臨時パーティーを組んでいるし、そろそろ正式にパーティーを組めるようにもなるでしょう?」
「まあそうなんだけどさ。一応けじめっていうか、そういうのはつけといた方がいいかと思って」
サラは、既にラウルとのパーティーを解消していた。
理由は、思っていた以上に足手纏いにしかならないから、というものである。
アランとしてはそんなことないと思ったものだが、本人がそう感じたというのならばそうなのだろう。
そしてそういったわけなので、今度はアラン達のパーティーに合流しようとしたわけではあるが、ここに一つ問題があった。
アラン達側の問題ではない。
前衛のサラが加わってくれるならば、むしろ歓迎する以外の理由がないだろう。
だから問題があったのは、サラの方なのだ。
「パーティーを抜けた者は、一月の間他のパーティーに入ることは出来ない……これって、何の意味があるのかしらね? 臨時パーティーは組めるのだから、意味はない気がするのだけれど」
「まあ、必要だからそんな規則を作ったんだろうけど……もしかしたら、昔は何か意味があったのかもね」
「状況が変わったから、今では形骸化してしまった規則だということ? よくある話ではあるけれど……確かにそう考えれば、腑に落ちるわね。ギルドでもそういうところは変わらない、ということかしら」
「そんなもんじゃないかな」
ともあれ、そういったわけなので、サラは未だアラン達のパーティーに入れてはいないし、居候扱いなのだということであった。
もっともそれも、あと数日のことではあるが。
「うーん……それにしても、二人がギルドに行くんなら、頼みごとしておくんだったかなぁ……」
「なに、何か必要なものでもあったの?」
「ちょっと残りの触媒の数が少なくなってきたからね。出来ればそろそろ補充をしたいかな、と」
「そろそろって……数日前に補充したばかりじゃない……」
呆れたような視線を向けられるが、そればかりはどうしようもないことである。
触媒とは当然儀式魔法に使うそれのことであり、研究する以上はその消費が必須だ。
儀式魔法を発動すると、文字通りの意味で触媒は消滅してしまうため、抑えようと思っても出来ないのである。
「儀式魔法が廃れたのって、実は費用がかかりすぎるからなんじゃないかしら? 確かに研究では沢山使うことになるでしょうけれど、実際に使うとなれば、そっちの方が多いでしょうし」
「あー……うん。それも一因だったのかもね」
以前にも言ったように、儀式魔法の触媒となるのは迷宮の魔物から得られる素材だ。
その希少性から、値段は相応のものになる。
その負担を誰がするのか次第ではあるが、誰だったところで、負担しないで済むならその方がいいだろう。
そういった理由から今の魔法に移行していくことになったというのは、なるほど面白い着眼点であった。
まあアランとしては、やはり魔法式が難しいから、という意見を推すが。
「ま、確かに、あのアランが難しいというほどだものね。やはりそれが最大の理由、というところかしら」
「僕がどうとかはともかくとして、実際残された資料とかを見てみるとそうとしか考えられないしね。多分、新しい儀式魔法が作れないって言われてたのも、それが原因じゃないかな?」
儀式魔法とは言うものの、魔法という名が付くだけあってか、通常の魔法と比べてその共通点は多い。
魔法式などはその代表的なものであろうし、その中身は当然のようにアランのよく知るプログラミング言語であった。
ただし当然のように違う点も幾つかあり、その記述方式などはその一つだ。
触媒を必要とする理由もそこにあるということは分かっているのだが……まあ、アランを以って難しいと言わしめているのは、そこら辺に原因があったりもする。
そしてアランは、相違点の中で最も大きいだろうことも、そこに原因があるのではないかと思っているのだ。
それは今口にした通りのことであり……即ち、新しい儀式魔法を作り出せないということである。
そう、儀式魔法は、様々な資料によれば、新しく作ることは出来ないとされているのだ。
されている、と言ってるのは、それが間違いだということをアランは既に知っているからである。
何故ならば――実際に新しい儀式魔法を作り出すことに成功したからだ。
「……どう考えても、やっぱり規格外とか非常識とかいう言葉が相応しいと思うのだけれど?」
「いやいや、何度も言ってるけど、僕はただ知ってるだけだからね。これだって知ってるからこそ気付けて、出来たことだし」
最初の疑問は、そもそも何故触媒などというものが必要なのか、ということであった。
まあそれが儀式魔法だと言われてしまえばそれまでなのだが、そこで疑問を止めてしまったら研究というものは終わってしまう。
だから構わずに色々と調べ……それを見つけたのである。
儀式魔法とは、普通の魔法と比べかなり特異な特徴を持っている。
それは、使用する触媒によって、その効果を変化させる、というものだ。
使用する魔法式は同じなのに、何故か結果が変わるのである。
例えば、ゴブリンの心臓を触媒に使用すれば防音の効果を発揮する結界が、ホーンラビットの角を触媒に使用すると隠蔽の効果を発揮する結界となるように、だ。
しかもそれはまだ結界という共通するところがある分マシな方であり、時には攻撃魔法が補助魔法に変わったりするのだから、その結果だけを見てどういうことが起こっているのかを理解しろという方が無理な話であろう。
それでもアランがそれに気付く事が出来たのは、以前よりおかしいと、そう思っていたからだ。
存在していたら絶対エラーとなるはずのものがあるのに、問題なく儀式魔法が発動すること。
逆にそれを削除してしまうと発動しなくなってしまうこと。
そのままでも普通の魔法として使おうとすると発動しないこと。
それらを重ね合わせた結果、ある時アランはふとそのことに思い至ったのである。
触媒とは即ち、ライブラリなのではないかと。
そう考えれば、辻褄が合うのだ。
ライブラリとは、特定の処理を行う複数のプログラム――厳密には関数を、ひとまとめにしたものである。
それらはよく使うものであることが多く、例えば、二つの値のうちどちらが大きいかを求めるとか、逆に小さいかを求めるとか、そういったもののことだ。
その処理には独自の名前が付けられ、基本的には分かりやすいものが求められる。
が……別にそこに、決まりはないのだ。
だからこそ、今例にあげた二つのものを呼び出す処理の名前を、それぞれ同じ名前にしてしまっても、問題自体はないのである。
要するに、掛け算という名前が付けられてはいるが、とあるライブラリでは処理的には足し算が行われるようになっており、また別のライブラリでは引き算が行われるようになっているとか、そういうことだ。
勿論、あくまでもそれらが別々のライブラリに存在しているのであれば、の話ではあるが……そういうことならば、先ほどのことにも説明が付くのであった。
「……ま、何度聞かされたところで、私としては、そうなの、としか答えようはないのだけれどね。他のことと同様、相変わらず理解など出来ないのだから」
「まあ、これに関しては確かにね。僕も上手く説明出来てるとは思えないし……胸張って言えることじゃないけど」
その言葉にリーズが僅かに眉をひそめたのは、それが含むようなものであったからだろう。
そしてそれは正しい。
何故ならば、彼女達が魔法式のことを理解出来ない、受け入れる事が出来ないと言っていることを、アランは最低でも半分は嘘だと思っているからだ。
まあ嘘というのは語弊が生じるかもしれないが、それでも完全に本当のことだと思っていないのは事実である。
或いは本人達は本当のことを言っていると思っているのかもしれないが、少なくとも無意識的には理解でき、受け入れもしているはずなのだ。
でなければ、アランが何かをする以前から魔法式が改良出来ている人がいることや、そもそも魔法を作り出せる理由の説明が付かないからである。
だってそれは、理解不能なものを、理解不能なまま、しかし自分の望む形に作り直すということだ。
一人二人ならば才能ということで納得出来るかもしれないが、それにしては出来る人の数が多すぎる。
だからこそ、本当は理解出来ているのだと考えなければ、辻褄が合わないのだ。
まあ別に、だからどうだというわけではないのだが。
ただ、そういうことなので、新しい儀式魔法を作る事が誰にも出来なかったのは、本当に理解することが出来なかったからなのだろう、ということである。
そしてアランが新しく作る事が出来たのは、それを理解出来たからだという、それだけのことなのだ。
「ところで、新しく作れるようになったというのは聞いたけれど、結局儀式魔法の研究の進展具合はどうなの? 進んでいる、ということでいいのかしら?」
「んー……どうだろうなぁ。まあ、率直に言っちゃえば、あんま進んでないってとこかなぁ」
「新しく作れるようになったのに?」
「それとこれとは別問題だからね。肝心なところは、結局分かっていないわけだし」
触媒がライブラリだということが分かったところで、その中にどんなものが存在しているのか、ということは分かっていないのだ。
それを知る方法があるのかさえ分かっておらず、それどころか、現在判明しているものでさえ、実際にはどんな処理がされているのかは分かっていないのである。
分かっているのは、特定の入力に対して特定の出力を行うという、当たり前のことだけだ。
これでは進展があるなど、口が裂けても言えないだろう。
「ま、でも気楽にやるさ。幸いにも、時間はたっぷりあるしね」
「……そうね。まあとはいえ、出来れば触媒の消費量は何とかして欲しいものだけれど」
「……善処するよ」
基本アラン達の財布は共通だ。
つまり触媒に金がかかるということは、それだけ皆の金が減るということでもある。
それだけの役割を果たしているという自負はあるものの、それとこれとは別問題、ということだろう。
だがこればかりは、アランにもどうしようもないものだ。
いつになったら研究が終わるのかなど、アランの方が知りたいぐらいなのだから。
目を細め見つめてくるリーズに、アランは肩をすくめて返すのであった。




