落ちこぼれの魔導士と非常識の塊 中編
どんな状況であれ、アランが何をするつもりであれ、結局のところ、エステルのやることは同じだ。
意図しない連戦や長期戦であるならばともかく、戦闘があることが分かっている以上、事前に最低限必要な味方への補助魔法は当然のようにかけてある。
ならばエステルが戦闘中にやることと言えば、あとは状況に応じた魔法の重ねがけか、敵への妨害魔法以外にあるわけがなく――
「まったく……どの口が大した事がない、などというのかしらね……」
しかしその場でエステルがやったことは、後方から聞こえてきたリーズの言葉に頷くことであった。
詠唱を紡ぐための口からは、代わりとばかりに溜息が吐き出される。
それは即ち、自身の役目を放棄するに等しい行為だが、それに文句をつけるものはいないだろう。
何せ役目を放棄するも何も、その役目が奪われてしまっているのだ。
放棄をしても問題ないどころか、文句を言いたいのはこちらの方であった。
「何と言いますか……相変わらずですわね」
同じように後ろからの声には、多大な呆れが含まれていた。
前を向いているエステルからは当然のようにその姿は見えないが、ほぼ間違いなくそれはその表情にまで及んでいるだろう。
だがそれも無理ない話だ。
眼前の光景を見て冷静でいられるものなど、ほとんどいないのだろうから。
「ふーむ……ここまで色々やられると、本気で彼が欲しくなってくるな。いや、今までも十分本気ではあったが」
「……ん、負けない」
エステルの両脇がそんな雑談めいたことを言い出しているのも、それが理由だろう。
つまりは、そのせいで雑談が可能なほどに暇を持て余してしまっている、ということである。
まあ、勿論というべきか、他にも理由はあるのだが。
「いや、そんなこと言ってないでラウル達の援護しようよ」
ちなみにアランは後衛のままであり、別働が出来るほど迷宮に幅はない。
即ち、アランは変わらずエステル達の後ろ、リーズ達のすぐ傍にいるのだ。
その言葉の直後、五つの瞳がアランへと向けられた。
「え、何その、お前が言うな、みたいな目? 僕は見ての通り、ちゃんと援護してるけど?」
「確かにその通りだが……エステルの役目を奪った君がそれを言うのか?」
「う……それはまあ、悪いとは思ってるけど……」
そう……まあ、改めて言うまでもないかもしれないが、エステルの役目を奪ったのはアランなのだ。
試したいことと言うのがそれであったらしく、今アランはエステルの代わりに敵へと妨害魔法を放っているのである。
ただ、それだけであるならば、皆もそんな反応はしなかっただろう。
アランは妨害系の魔法が使えないはずだったということを加味しても、多分まだそうではなかったはずだ。
皆が呆れているのは、そしてエステルもそこに含まれつつあるのは、そんなことが理由ではないのである。
それは――
「でも、覚えたばかりの魔法を使いたいって思うのは普通じゃない?」
「それには同意いたしますし、あなたが使えないはずの魔法をエステルさんの魔法式を見ただけで覚えたというのも今更ですからどうこうは言いませんわ」
「いや、さすがに今回は見ただけで覚えたわけじゃないよ? ちゃんとエステルに教えてもらったから、覚えられたわけだし」
「アランにとってはそれは違うことなのかもしれないけれど、私達にとってはそれは同じことなのよ。普通の魔導士が新しい魔法を覚えるのにどれだけ時間がかかるか忘れたわけではないでしょう?」
「んー……でもそうは言うけどさぁ」
瞬間、後頭部に視線が突き刺さったのを感じたが、エステルは敢えて振り向くことはしなかった。
両端からも感じるが、知らない振りをする。
「それにしたって、どう考えてもアランが原因じゃない」
「ある意味では間違ってないのかもしれないけど、濡れ衣気味な気がするなぁ」
「あなたがいなければ起こりえなかった、ということを考えますと、あなたのせいで間違いないと思いますわ」
「というか……そんなものを使っている時点で、何もかもが今更だと思うがな」
「……ん、同感」
「いや、それこそ別の話……っと。――白夜の霧」
アランがそう呟いた直後、周囲に薄い霧が生じ始めた。
ただしそれはその場に留まることはなく、前方へと流れていく。
そこで戦闘を行っている、四つの影の下へと漂い……そのうちの二つの傍にまで広がると、そのままその二つへと溶けるように消えていった。
そしてそれが何のために行われたものであるのかが分かったのは、その瞬間のことだ。
その二つ――ラウル達と戦っていたその二匹の魔物の動きが、目に見えて鈍ったのである。
しかしそれだけであれば、驚くには値しない。
単純に相手の動きを鈍らせるだけであれば、エステルも何度も使用してきた魔法だ。
……まあ、二匹に対し同時に発動させたことは驚くことではあるものの、既にそれは今更である。
だから、本命はそのさらに次であった。
サラが何気なく拳を振るった瞬間、今までであれば何の問題もなく受け止めていたその腕が砕けたのである。
そこかしこから、呆れの混ざった溜息が吐き出された。
「……今度は、鈍足化と硬度の低下か? まったく、よくそこまで、だな」
「んー、実は視界の妨害も入れたんだけどね。ただ、効果があったのかはちょっとよく分からないなぁ……そもそもあれって目で見てるのかな?」
その言葉にエステルが息を吐き出したのは、諦め故だ。
彼は本当に規格外なのだと、諦めが付いたのである。
――魔法というのは、確かに様々な種類が存在しているものだ。
だがそこには、幾つかの決まりというものも存在している。
例えば、一つの魔法で与えられる効果は一つまで、というように、だ。
だからこそ、妨害魔法の使い手というのは少ないのである。
有用ではあるが、敵と味方の能力の見極めが必須だからだ。
敵が何を得意とし、味方は何を不得意とするか。
それによって、敵の攻撃の威力を下げたり、味方の防御力を上げたりと、その優先度を決め魔法を使っていく必要があるのだ。
即ち、色々と考えなければならないことが多すぎるのであった。
だが今目の前で起こっていることは、そういった常識を粉々に打ち砕くようなことである。
しかもエステルが、それなりに自負を持っていた分野であり、ほぼ唯一と言えるほどの取り柄であるその魔法で、だ。
それはいい加減諦めも付くというものであった。
「ベアトリスの言ったことはそういうことではないと思うのだけれど……まあ、別にどうでもいいことね。それよりも、向こうはそろそろ限界そうね」
「ですわね。まあ、あそこまで弱体化させられていたら、これ以上生かしたまま戦闘を続けるというのは厳しいでしょう」
と、二人の声に視線を向けてみれば、確かにラウル達はこちらに困ったような視線を送ってきていた。
敵である魔物達の身体が、今すぐにでもその場に朽ち果ててしまいそうだからである。
おそらくはあと一撃でも攻撃を加えてしまえば、そうなってしまうだろう。
それを見て、ベアトリスはふむと頷いた。
「そうだな……確かにもう限界だし、情報としては十分か?」
「……ん、十分」
「じゃあ、もう倒しちまっていいです?」
「ああ、頼んだ」
「了解っす」
アラン以外の皆が何故二人の援護をしなかったのか。
それはつまり、二人が今あっさりと倒したその魔物の情報を得るためであったのだ。
援護をしてしまったら、そのまま倒してしまいそうだったために、二人に任せたのである。
尚、どうしてそんなことをしたのかは、単純だ。
その魔物が、今まで見たことも聞いたこともないようなものだったからである。
「ふー、いい加減慣れてきたですが、さすがにちょっと疲れたですね。というか、相変わらず加減が難しいです。そのせいで一匹間違って倒しちまったですし」
「なに、情報を分析するだけならば二匹で十分だったからな。問題はないさ」
「まあ、そもそもあれは仕方ねえとも思うっす。腕が六本あるとか意味分からないっすからね。しかも一見スケルトンのようにも見えたっすし……咄嗟の判断としては当然だとも思うっす」
「……ん、あれは、予想より弱かったあっちが悪い」
「それはさすがにちょっと酷い言われようだと思うかなぁ」
「……それに、して、も、やっぱり、ここも、そう、でした、ね」
「そうね。ここで出てきた魔物も、また新種」
「第五階層までは普通でしたのに、第六階層に下りた途端出現する魔物が新種ばかりになりましたものね……」
新種というのは、そのままの意味である。
今の魔物と同じように、今まで誰も見た事がない魔物。
ここ最近遭遇している魔物は、そんなものばかりなのだ。
迷宮にしか出現しない魔物というのは珍しくないが、ここまで新種だらけというのは、少なくともエステルは聞いたことはなかった。
「まあある意味で、非常識な迷宮らしいとも言えるのだろうがな。唯一幸いなのは、それらからも素材が取れないということだが……いや、結局は変わらないか」
「……ん、宝箱から出るから、同じ」
「言ってる間にまた出たしね」
視線の先では、既にお馴染みとなり始めた宝箱が、ちょうど虚空から出現するところであった。
アランは誰も驚くことすらなくなったそれに近付くと、一応魔法で安全かを確かめてから持ち上げる。
開けることをしないのは、大体中に何が入っているか分かっているからだ。
おそらくは先ほどの魔物の素材か、魔導書、或いは魔導具あたりだろう。
幾つかの宝箱を開けることで、魔物と宝箱の間にはある程度の相関関係があることが分かっている。
素材ならば倒した魔物のものが、他のものの場合はその魔物の強さに応じて変わるのだ。
新種の魔物を倒した際に生じる宝箱を幾つか開けても同じことになったので、ほぼ間違いないだろう。
これも同様だろうし、残り時間には限りがあるので、いちいち開けることはないのだ。
宝箱のまま仕舞ってしまうだけであり……ただし、それを仕舞うのはアランではない。
それを持ったまま、アランはエステルのところへとやってきた。
「じゃあ、はい」
「……は、い」
一瞬逡巡をしたものの、結局エステルはそれを受け取った。
周囲から呆れと……それよりも強い視線を感じながら――
「――収納」
詠唱を終えると、そのまま異空間へと仕舞う。
そう、それは、アランが使用していたものと同じ空間魔法であった。
勿論と言うべきか、今まで隠していたわけではない。
エステルも予想外のことに……つい先ほど、使えるようになってしまったのだ。
アランが妨害魔法を教えてくれたお礼にそれを教えると言い、無理だと思いながらもそれでアランの気が済むのであればとエステルが受け入れ……そうして本当に何故か使えてしまったのである。
今使ったのは、アラン曰く練習のためだ。
今後多用するだろうから、アランが見れる今のうちに一応問題がないか確認しておいた方がいいだろう、ということで。
正直に言って、それが使えるようになって嬉しくなかったと言えば嘘になるだろう。
何故か一瞬で魔法が覚えられたことも、非常に有用な空間魔法が覚えられたことも、確かに嬉しいことではあったのだ。
だが同時にそれを覚えてしまうことの意味に気付いてしまえば、何故覚えられてしまったのかという思いの方が強かった。
だってそうだろう。
空間魔法をこんな簡単に覚えられてしまうなど、関係各所に知られてしまえば、それは問題にしかならない。
通常では考えられない量を、内部の時間を気にすることなく、当の魔導士が移動できる場所であれば何処にでも運ぶ事が出来るようになってしまうのだ。
単純に経済や商売のことだけを考えても、影響がないと考えるのは楽天的に過ぎるだろう。
そしてそれを覚えてしまった瞬間、エステルが理解した事が一つある。
今回の調査隊に、ベアトリスが何故参加したのか、ということだ。
理由は確かに聞いていた。
ベアトリスはニナの護衛だと。
だがこれは少し考えればおかしいということに気付くだろう。
ニナには戦闘能力はないようだが、そもそもだからこそ、冒険者が同行したのだ。
道案内のためにもなどと言ってはいたが、本来それはおまけのはずであり、護衛こそが目的のはずなのである。
それに調査の護衛というのならば、どれだけその者が強くとも、一人ということは有り得ず……だから、エステルがその理由に気付けたのはその瞬間なのだ。
彼女は、アランの監視にこそやってきたのだ、と。
こういうことが起こらないように、だ。
そして起こってしまったのであれば、この後取る方法は二つに一つだ。
それも分かるからこそ、エステルは自身に向けられている視線に、ひっそりと頷きを返すのである。
出来るだけ使うことなく、またこのことを決して誰かに喋ることもしない、と。
幾度目かの確認に、エステルはただ愚直に頷くのだ。
「ふむ……まあ、とりあえずは問題なさそうかな? ただまだ不安みたいだから、何度も試してみる必要がありそうだけど」
そんなエステルの様子を、アランはどうやらそう解釈したらしかった。
違うと言いたかったが、生憎と上手い言い訳も思いつかない。
そのままを伝えたら、間違いなくもう一つの方法を取られるだろう。
わざわざ護衛などと言ったのは、それが理由だろうから。
「……はい。よろ、しく、お願いし、ます」
だから針のむしろに晒されながらも、エステルは曖昧に頷くしかないのだ。
そして。
その音が聞こえてきたのは、まさにその瞬間のことであった。
すみません、さらに切ります。
続きは明日の予定です。




