非常識二つ
当たり前の話ではあるが、迷宮だろうがどこだろうが、魔物を倒したところで宝箱などが出現することはない。
魔物を倒して得られるのは素材だけであり、それだって倒した魔物の死体から剥ぎ取ることで得られるものである。
魔物を倒したら、その死体の代わりにポンとその場に素材が出現するわけではないのだ。
確かに迷宮では魔導具などが手に入る事もあるが、それだってその迷宮でかつて亡くなった人が持っていたものが、迷宮に一度吸収された後に吐き出されたためと言われている。
ゲームではないのだから、当たり前の話だ。
だがその当たり前を破壊するようなことが、目の前で起こっていた。
さすがのアランも、困惑することしか出来ないぐらいである。
「えーっと……それって宝箱……だよね?」
「……少なくとも、わたくしにはそう見えますわね」
「サラにもそう見えるですが……実は魔物ってことはねえです?」
「擬態ってことっすか? ……さすがに宝箱に擬態する魔物は見たことも聞いたこともねえっすね」
「けれど、ここが誰も知らない迷宮で、誰も知らない現象が起きた以上は、ないとは言い切れないわね。……少し試してみるわ」
言うが早いか、リーズは早速とばかりに宝箱に魔法をぶち込んでいた。
鈍い音を立ててそれは吹き飛び……しかし、地面に落下したところで、当たり前のようにピクリともしない。
「まあやっぱりただの宝箱か……」
「この状況で出現した以上、ただの、と言ってしまっていいのかどうかは分かりませんけれどね」
「今のでぶち壊れなかったですしね……開きもしなかったですし、鍵でもかかってるんですかね?」
「どうなんすかね……ただ、落下した際に音がしたっすから、何か入ってることは確かっすね」
「じゃあ、外側は普通の宝箱だけれど、中に魔物が入っている、ということなのかしら?」
どうしてもリーズは魔物ということにしたいらしいが、まあ気持ちは分からなくもない。
あれが魔物だというならば、まだ理解出来るからだ。
ただおそらくは、それが正常な反応なのだろう。
そしてアランは他の皆に比べれば、まだ混乱していない方なのだ。
何故ならば、あれが仮に本当に宝箱であったとしても、ゲームで経験したことがある時点で、辛うじて受け入れることは可能だからである。
しかしそんな知識がない皆に受け入れろというのは、どう考えても無理だろう。
とはいえ、さすがに放置しておくわけにはいかないし、確認は必須だ。
もっとも本当に宝箱であったとしても、そこに罠がないとも限らないし、迂闊に開けてしまえば危険である。
かといってそんなものを判別できる技能を持つ者はこの中におらず……。
「んー……ねえ、ちょっと皆に聞きたいんだけど、あれ開けた方がいいと思う?」
「また何か変なことを思いついたわね……? でもそうね……開けた方がいい、とは思うわ」
「まああれも調査対象の一つっすからね。ただ、鍵がかかってた場合や、罠があった場合はどうするっすか?」
「鍵に関しては問題ないかな? 鍵の部分だけを吹き飛ばすとか、まあいざとなれば鍵開け用の魔法でも作ればいいだけだし」
「……相変わらず気軽に言ってくれますわね。そして実際にやらかすから、規格外だと言うのですわ」
「というか、開けない以外にあるんです? 調査する以上はそれしかねえと思うですが」
「いや、いざとなれば魔法で異空間に投げとけばいいかな、と」
「……そういえば、そんな手段も取れたわね」
ぶっちゃけ一番楽で安全なのはそれだ。
ただしある意味で、自分達の仕事を放棄したとも言える。
一つぐらいはそうした方がむしろギルド側としても助かるだろうが、丸投げというのはどうかと思わなくもない。
「ちなみに、あの宝箱っぽいのが安全かどうかを調べるための魔法とかは作れるですか?」
「んー、そうだね……まあ、可能かな?」
魔法というのは、結局のところイメージだ。
魔法式などが存在しているものの、イメージによってそれを補完し完成に近づけさせていく以上は、その結果がイメージ出来るかどうかに全てはかかっている。
その点から言えば、あれがゲームっぽく出てきたのは幸いだった。
ならばそれが安全かどうかも、ゲームからイメージする事が可能だからだ。
例えば、それが魔物であったならば赤く光り、罠があったならば黄色、何もなければ青、といったところだろうか。
罠がかかっていて且つ中身は魔物、などという可能性もあるとは思うが、それは全て赤にしてしまえば問題ないだろう。
「……うん、いけそうだね」
言った瞬間、この規格外は、みたいな顔を皆からされたが、何故だろうか。
解せぬ。
「ま、とりあえず試してみよう」
イメージの問題で、宝箱に触れる必要があるが、先ほどのリーズの魔法で何も起こらなかったということを考えれば、少なくとも宝箱そのものに魔物が擬態している、ということはないだろう。
ならば触れたところで、問題はないはずだ。
そう思いつつも、念のために警戒しながらそっと触ってみたが、やはり特に何もなし。
そして実際に魔法を使ってみると――
「青、か……つまり罠とかはなく、魔物が入ってるわけでもない、と」
そうなると本当に宝箱ということになってしまうのだが……まあ、とりあえずそれ以上のことは開けてから考えればいいだろう。
「あとは鍵……って、あれ? これ、もしかして鍵とかかかってない?」
「え、でもさっきの衝撃で開かなかったっすよね?」
「うん、でも鍵穴とかないし、他にそれっぽいのも見当たらないんだよねぇ」
「先ほどは運良く……或いは、運悪く開かなかった、ということなのかしら?」
「本当に鍵がねえんでしたら、そういうことですよねえ」
「……少々納得がいきませんけれど、それが事実なのでしたら、言ったところでどうしようもありませんわね」
試しに開けてみようと手をかけてみれば、やはり鍵はかかっていなかったようだ。
呆気ないほど簡単に宝箱は開き、その中に入っていたものが外気に触れる。
だがそれを目にした瞬間、アランは眉を潜めていた。
「……これは……うーん」
「え、何です、何が入ってたんです? それともやっぱり何も入ってなかったとかですか?」
「さっき確実に何かがぶつかる音がしたっすから、それはないと思うっすよ。というか、それなら微妙な顔はしないと思うっすし……んー、石ころが入ってた、とかっすかね?」
そんなことを言いながら、サラ達も覗き込みに来……直後に示した反応は、正反対であった。
ラウルは不思議そうに首を傾げ――
「って、何すかこれ? 本、っすよね? 何でこんなものが――」
「――魔導書」
「えっ?」
「何でこんなもんから、魔導書が出てくるんです?」
サラは息を呑んだ後で、呆然とそう呟いた。
それはまるで、有り得てはいけないものを見てしまったような反応であり、しかしそれは正常なものである。
何故ならば、アランも似たような心境だからだ。
アランは別に、入っていたものが微妙なものだったから唸っていたわけではない。
入っていてはいけないものを見てしまったが故に、悩んでいたのである。
そして入っていたものというのは、二人が言った通りのものだ。
それは本であり――魔導書であった。
「…………なるほど。確かにこれは、魔導書ね」
「ええ。わたくしも一度だけ見た事がありますけれど、間違いありませんわ」
「えっ、本当なんすか? だって、ゴブリン倒したら出てきたんすよ、これ? いやもうその時点で意味分かんねえっすけど……えっ?」
それが魔導書だと聞いたラウルは随分と混乱している様子であったが、それもまた当然の反応だ。
魔導書とは、それほどのものなのである。
そもそも魔導書とは、魔導具の一種だ。
いや、厳密にはそれが正しいのは何とも言えないところではあるが、今のところはそうなっている。
では魔導具とは何かと言えば、魔法に似た現象を起こすことの出来る道具全般を示す総称だ。
過去には作り出すことも出来たらしいが、現在ではその製法は失われており、稀に迷宮から見つかるのみである。
一部の魔導具は魔導士によって複製出来るものもあるものの、簡易的なものに限られており、どちらにせよそれは非常に少ない。
ともあれそういった理由から、魔導具というだけ非常に高価なのであるが……中でも魔導書は、一線を画している。
何故ならば魔導書は、他の魔導具とは異なり、使用者に魔法に似た力を与えるからだ。
ただし魔導書が使えるのは一度きりであり、さらにどのような力を与えられるのかは使ってみなければ分からない。
だがそれでも、その効果を考えれば、そこにどれほどの価値があるのかは、改めて言うまでもないだろう。
アランも正確にはどれほどの値段で取引されているのかは知らないが……少なくともアラン達が昨日稼いだ分の百倍、いや、千倍はあるのではないだろうか。
ちなみにアラン達が昨日稼いだ額は、三人が何もしなくとも十日は遊んで過ごせる程度のものではあった。
そしてゴブリンとは、ラウル達が瞬殺してみせたように、あまり強い部類の魔物ではない。
そんな魔物から、そんな高価なものが出たとなれば、混乱しないはずがないだろう。
まあアランが悩んでいたのは、それをどう説明したものか、というところであったが。
何せ先ほどラウルが言ったように、魔物から宝箱が出るという時点で意味不明だ。
そこからさらに、魔導書などという超高価なものが発見された?
ギルドにそんな報告をすれば、多分真っ先に迷宮で頭をやられたのかと疑われるだろう。
とはいえ誤魔化したら誤魔化したで別の問題が浮上してくるし……事実がこれである以上はどうしようもない。
「ふーむ……ま、いっか」
しかしそこまで考えたところで、アランは思考を放棄した。
そもそも考えてみれば、そういったことはアランが考えるべきではないのだ。
敢えて言うならば、それはラウルが考えるべきことであるし、最終的にはギルドが考えるべきことである。
事実がこれなのだから、あるがままを報告するしかないだろう。
それで好きなだけ疑ったり検証すればいい。
「んー、問題なく使えそうでもある、かな?」
そうして宝箱の中から魔導書を取り出してみれば、それは僅かに淡い光を放ち始めた。
即座に四人が警戒した動きをみせるが、苦笑を浮かべ止めさせる。
これはどうやら、使用可能なことを示すもののようなのだ。
アランは魔導書を見るのは初めてだが、手に取ることで何故だかその使用方法が理解出来た。
おそらくはそのことも含めて、魔導書とはこういうものなのだろう。
尚、アラン達がこれを一目で魔導書だと看過出来たのは、魔導士であるせいだ。
魔導具に関してもそうなのだが、何故だか魔導士はそれらを見るだけで、その詳細は分からずともそれがそうであることだけは分かるのである。
魔導書が魔導具の定義からは微妙に外れているのに魔導具に含まれているのは、そういった理由も関係しているのだ。
まあ、ともあれ。
「さて……それじゃあこれ、どうしようか?」
「どうしようかって……あ、いえ、そうね……どうしましょうか。確かに私達は今回調査目的でここに来ているけれど……基本的には、普通の迷宮探索と同じ条件なのよね」
「そういうこと」
つまりは、中で手に入れたものに関しては、発見した冒険者に所有の権利が与えられる、ということだ。
魔導具に関しては、その希少性も相まって国が法外な値段で買い取っていく場合がほとんどなのだが、それは冒険者がそれを持っているよりも金を手に入れた方がいいと判断するからでもある。
だが魔導書の場合は、有用なことも多いために逆に売られることは滅多になく、そのまま仲間の誰かが使うということがほとんどなのだ。
「というわけで、ラウル使う?」
「えっ、俺っすか!?」
「だって他に使いたい人っていないよね?」
その言葉に、三人の魔導士は頷きを返す。
まあ、当然のことだ。
別に魔導書で得られるものに嫌悪感があるとか、そういうことではない。
確かに一般的に魔法は覚えるのに時間がかかるものではあるが、それでも十年もすれば自分に必要なものは一通り覚え終わっているし、必要ならまた覚えるだけだ。
わざわざ外部の力を頼る必要がないのである。
もっともアランは正直若干興味があるのだが、絶対というほどではないし、冒険者を続けていれば、そのうちまた可能性もあるだろう。
それに……今回のことを考えれば、或いはということも考えられる。
何にせよ、急いで自分で使う理由はなかった。
「んー……いえ、やめとくっす」
「そう? 僕達に遠慮してるならそういうのは必要ないけど?」
「まあ確かに、クソ高価なものを使うってのを躊躇する気持ちもないわけじゃねえっすけど、今までずっと自分の身一つでやってきたっすから。そこで今更そんな力を頼るのは、なんか違う気がするんすよ」
「……そっか」
まあそういうことなら、無理に使う必要もないだろう。
このまま提出した方がギルドの心象的にはいいだろうし――
「とりあえず宝箱ごと収納……って、あれ?」
「どうかしましたの?」
「いや……宝箱がなくなってるんだけど、誰か何かした?」
「……え?」
皆が一斉に足元を見るが、そこにあったはずの宝箱はその姿を忽然と消していた。
しかしそこで皆があまり驚かなかったのは、なんかもう驚きすぎて慣れてきてしまったからなのかもしれない。
「……ま、いいや。一先ずこれだけでも仕舞っておくね?」
皆が無言で頷くのを眺めながら、アランは魔導書を適当に異空間に放り投げた。
そうしてから、さて、と呟く。
「既に色々と考える事がありそうだけど、とりあえず調査は続行、かな?」
「……そうっすね。調査としては既に十分な気もするっすけど、無理って気は全然しないっすし、こんな非常識な迷宮は見たことも聞いたこともないっす。調査出来るなら、もっとすべきだと思うっす」
「特に異論はないけれど、明らかに非常識な迷宮だからこそ、引き際を見極める必要がありそうね」
「ですわね。もっとも非常識な存在でしたらこちらにもいますから、大抵の場合なら何とかなる気がしますけれど」
「非常識な存在……? まあ確かに魔導士って基本非常識な存在だもんね。それが四人もいるんだから、大体何が起こっても大丈夫ではある、か」
「鏡見ろです」
解せぬ。
特にラウルがすっかり皆と同じような目で見ている事が解せぬ。
特別なことなど、何一つしていないというのに。
「ま、何が起こっても瞬時に脱出できるように、転移の魔法は待機させてあるしね。最悪の事態にはならないだろうから、そこは安心してもらっても大丈夫かな?」
「……特別って何だったかしらね?」
「本気で言ってるから性質が悪いです」
「俺の常識は粉々に打ち壊されたっすが、もう諦めたっす」
「まあ、頼もしい、ということにしておきましょう」
ともあれ。
そうしてアラン達は迷宮の探索を続行するのであった。




