冒険者始めました
扉を開くと共に、周囲に軽やかな音が響き渡った。
直接その音を聞くのは、これで都合三度目となるわけだが……それにアランが僅かな困惑を覚えてしまうのも、仕方のないことだろう。
勿論、直後に奥から聞こえている声に、戸惑ってしまうことも、だ。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ」
正直に言ってしまうのであれば、これで目の前に喫茶店のような光景が広がっていたら、アランは何の躊躇いもなくそれを受け入れていたことだろう。
或いは、ファミレスあたりでも可。
ついそんなことを考えてしまうぐらい、その二つの音はその場に相応しくはなかったのだ。
だがアランがどんな感想を抱いたところで、目の前の光景が変わることはない。
そこは少し薄暗く、ざっと眺めただけでも十を超えるテーブルと、その数倍の椅子が並べられている。
座っているのは屈強そうな男であったり、少し怪しげな雰囲気を漂わせている女性であったりと、その名前を聞けば咄嗟に思い浮かぶような、如何にもといった人達だ。
そう、そこは確かに先ほどの声が言った通りの場所――冒険者ギルドなのである。
そしてつい数時間ほど前に、アランの所属先になった場所でもあった。
――端的に結論を言ってしまうのであれば、学院卒業後の進路としてアランが選択したのは冒険者であった。
一応そこには色々と理由はあるのだが……まあ、結局はそこに落ち着いた、ということである。
尚、改めて言うまでもないことだろうが、卒業式に関しては滞りなく行われた。
アラン含め一人の脱落者も出すことなく、十数年ぶりの全員卒業である。
卒業式では特に誰かの目に涙が浮かぶようなこともなかったが、まあ皆の精神性を考えればそんなものだろう。
皆の進路は基本別々ではあるが、死に別れるわけでもない。
そもそも魔導士同士の社会は狭く、そのうちばったり会う機会も高いとなれば、敢えて惜しむようなものでもなかった。
――もっとも、サラを除けば、の話ではあるが。
結局のところ、サラは故郷に帰るという選択をすることとなったのだ。
やはり故郷が気になるとのことで、その確認を最優先としたのである。
とはいえそれは当然のことだし、今生の別れではないことに違いはない。
戻った後にどうするかは向こうに着いた後で決めるらしいが……何にせよ、生きていればそのうち会うこともあるだろう。
ともあれ、そうして卒業式が終わり、意気揚々とアランは迷宮都市へと向かい……しかし予定が狂ったのは、そこら辺からだろうか。
主に、何故か一人旅のはずが、三人旅になってたあたりが。
「二回目だけれど、相変わらずこれには慣れないわね」
「同感ですけれど……考えてみれば、それもおかしな話ですわよね。わたくし達の立場からすれば、このような言葉は言われ慣れているはずですのに」
「……言われてみれば、その通りね。それだけ学院での生活に染まっていた、ということなのかしらね?」
「或いは……誰かさんに毒された結果かもしれませんわよ?」
後方から聞こえてくる二つの声に、肩をすくめる。
そうしてから後ろを振り返れば、そこに居るのは見知った二人――リーズとシャルロットだ。
そう、どうしてだかこの二人が、一緒に来てしまったのである。
しかも話を聞けば、自分達も冒険者になるなどと言い出す始末。
正直何を考えてるんだと思ったし実際に言いもしたが、アランに言われたくないと言われてしまえばぐうの音も出なかった。
そしてそんなこんなで迷宮都市に着いてしまえば、アランとしても腹をくくるしかない。
冒険者ギルドで話を聞いた後に三人で冒険者登録を済ませ、そのまま記念すべき初依頼として、討伐依頼を受けた。
場所や注意事項などもちゃんと聞き、万全な態勢で挑み、無事帰って来ることが出来た、というのがこれまでに起こったことであるわけだが――
「なら、これ以上毒される前に帰るってのはどうかな? 今ならすぐに元通りになれると思うよ?」
「くすっ。残念ですが、手遅れですわ。その毒は、どうやら既に全身に回ってしまったようなので」
「そうね。まあその毒の解毒剤を提供してくれるというのならば、話は別なのだけれど?」
二人から何やら意味深そうな視線を向けられ、溜息を吐き出す。
まあ、やはりと言うべきか、素直に帰るつもりは欠片もなさそうであった。
腹をくくったんじゃなかったのか、とでも言われそうではあるが、それはそれ、これはこれ、だ。
出来れば責任を負わずに済むのが一番なのは間違いないので、帰ってくれるのであればそれが最善なのである。
今のところその可能性は低いと、言わざるを得ないようではあるが。
ともあれ。
「さて、まあとりあえず依頼の報告に行こうか。あまりここに居ても邪魔だろうしね」
「それはいいのだけど……これ、何処に行った方がいいとかあるのかしら?」
「そういえば、そういったことは聞きませんでしたわね?」
「特に言われなかったってことは、何処でもいいってことなんじゃないかな?」
何のことかと言えば、何処の受付に行けばいいのか、ということである。
ギルドには複数の受付窓口が存在しており、それぞれの場所につき一人の受付嬢が受け持っているようなのだ。
まあ、何処でもいいと言えば何処でもいいのだし、むしろ行けるとこに行くべきなのだろうが――
「んー……まあ折角だし、さっきの人のとこに行っておこうか?」
「そうですわね……今ならば好きなところに行けそうですし、いいのではないでしょうか?」
既に日は沈みつつあるのだが、ほとんどの受付の前は空いていた。
どうやら、未だ多くの冒険者は今日の依頼から戻ってきていないようである。
まあ、先ほどアラン達が来た時もこうだったので、或いはギルドの受付というものは常にこうだという可能性もあるが……普通に考えれば、そうではない可能性の方が高いだろう。
何せこの街は、この国で最も冒険者の集まる街だとも言われているのだ。
周囲に居る同業者の数もまばらであることも合わせれば、そう考えるのが自然である。
ともあれ、そういった理由により何処にでも行けそうなので、あとは好みの問題だろう。
そこで先ほどと同じ人のところに行こうとしたのは、依頼を受けた人のところで報告した方がスムーズにいくのではないかと思ったからである。
もっとも、向こうがこちらを覚えてくれていれば、の話ではあるが。
「まあ、他にどんな人がいるのかはまだ分からないけれど、少なくともさっきは丁寧に教えてくれたものね。いいんじゃないかしら?」
何にせよ、二人ともそれに異論がないようなので、先ほど担当してもらった人のいる受付へと並ぶことになったのであった。
受付という言葉が示す通り、そこにあるのはあまり大きくはない机だ。
アランがふと思い浮かぶのは前世の役所にあったようなそれであるが、何らかのトラブルを想定してか、両隣には区切りが立てられいるのが違いと言えば違いだろうか。
向こう側には担当となる受付嬢が座っており、こちら側にあるのは一つの椅子。
どうやら代表者が座るということになっているらしく、別にアランがリーダーというわけではないのだが、流れで先ほどと同じくアランが座ることとなった。
「いらっしゃいませ、本日はどのような――と、あら、あなた達は。そうですか、無事初依頼を終えられたんですね。おめでとうございます」
「あ、はい、ありがとうございます。……といいますか、僕達のこと覚えてくれていたんですね」
「そうですね、あなた達は先ほど登録されたばかりですし、少し印象深かったですから。というか、先ほど依頼を受けたにしては随分と早いですね?」
「え、そうですか?」
覚えていてもらえたことに僅かな嬉しさを覚えつつも、その言葉に首を傾げる。
アランとしては、むしろ時間がかかりすぎてしまったと思っていたからだ。
そもそも今回の討伐先として指定されていた場所は、街からそれほど離れていない場所である。
三十分もあれば行けるだろう場所で、移動に要する時間は往復で考えても一時間強といったところだろう。
となれば、あとは純粋に討伐にどれだけの時間をかけたのか、ということになるわけだが……依頼を受けたのは昼過ぎだっというのに、既に日は沈み始めている。
初依頼だったとはいえ、少し張り切りすぎてしまったかと、リーズ達とも話していたぐらいだったのだ。
「基本的に冒険者の皆さんは、朝に依頼を受け、戻ってくるのは夜になるかならないか、ぐらいの時間ですから。特に初依頼の方の場合は、慣れていないことが多くてもっと遅くなってしまうこともあるぐらいです」
「なるほど……」
どんな依頼があるのかということは未だ確認出来ていないが、やはりこういう場所だけあって討伐や採集系のものが多いのだろう。
つまりは歩合制のようなものが多いと考えれば、依頼に時間をかけるのは当然だ。
それだけ報酬が増える、ということなのだから。
まあ実際のところ、アラン達もそう考えたからこそ、ここまで時間がかかったのだが。
ただ……周辺の魔物を全滅させてしまったことも、張り切りすぎたかと思った理由の一つなのだが、この調子では何の問題もなかったようだ。
周囲に他の冒険者がいなかっため、参考にすべき対象がなくどうしたものかと思ったのだが、むしろさらに魔物を探してもよかったのかもしれない。
とはいえそうしていたら当然、戻ってくるのはもっと遅い時間になっていただろうが――
「ということは、やっぱりもう少し遅い時間になるとここは混むんですか?」
「そうですね。今はとても暇そうに見えますが、あと一時間もすればあっという間に人の列が出来るんですよ? 一番混んでるときだと、早くとも三十分は待たなければならないほどになります」
「それならば、やはりこの時間に戻ってきたのは正解だったわね」
「ですわね。必要とあらば仕方ありませんけれど、積極的に長時間待ちたいとは思いませんもの」
それにはアランも同感だ。
まあ、まだ初日であるし、それほど焦る必要もないだろう。
少しずつ慣れていけばいいのだし、何よりもアランの目的は迷宮であり、そこで得られる素材だ。
儀式魔法の研究というのが主目的である以上、依頼は日々の生活がまかなえる程度に稼げるのであれば問題はなかった。
「っと、余計なことを話してしまい申し訳ありません。それでは、ギルド証と依頼書の提示、ならびに今回は討伐依頼でしたので、その証拠となる部位の提出もお願い出来ますか?」
「いえ、話の方はためになりましたから、お礼を言いたいぐらいなんですが……えっと、部位の方は魔物の死体丸ごとでもいいんですよね?」
「そうですね。説明させていただいたとは思いますが、ギルドでは解体に関しても請け負っていますから。ただその場合ですと、さすがにここには提出出来ませんから、一度専用の場所に移動していただくことになりますが……その、死体の方は、今お持ちになっているのでしょうか?」
首を傾げつつそう問いかけられたのは、アラン達がそれらしいものを持っているようには見えなかったからだろう。
誰かが担いでいるわけでなければ、地面に置いてあったりするわけでもないので、当然のことかもしれない。
だが持っていることに違いはないので、それに頷く。
まあ、それを持っていると表現していいのかどうかは、何とも言えないところではあるが。
「そう、ですか……もしかして、魔導具? そうなると、見誤っていたということになりますが……あ、いえ、すみません。でしたら、あちらへの移動をお願いします。私も説明のため、ご一緒しますが」
受付嬢が想像したのは、おそらく内部の空間が拡張されているタイプの魔導具のことだろう。
リーズと初めて会った際に渡されたあれと同じようなものであり、確かにあれならば魔物の死体を入れておくことは可能だ。
ただしああいった魔導具は非常に数が少ないはずであり、当然のようにアランも持ってはいない。
だからそれは正しくないのだが……敢えて訂正しなかったのは、どうせすぐに分かることだからだ。
ともあれそうして、受付嬢の指定した場所へ一先ず移動していく。
そこは受付のすぐ傍で、広い台が存在していた。
おそらくはそこに死体を乗せるということだろう。
そんな風に観察をしていると、受付嬢に呼ばれ奥から人がやってきた。
さすがにここで解体するわけにはいかないので、ここに置いた後解体は別の場所で行われるらしい。
まあ考えてみれば当然のことである。
「それでは、お願いしてもよろしいでしょうか?」
その言葉に頷くと、右手を前に突き出す。
その動作に、受付嬢達が首を傾げたのは、意味が分からなかっただろう。
魔導具から取り出すと思っていたのであれば、当たり前のことだ。
だがアランは、魔導士である。
ならば、扱うものは魔法以外にあるわけがなく――
「――取り出し」
告げた瞬間、虚空から現れたそれが、台の上へと落下した。
「…………え?」
漏れた呟きは、果たして誰のものであったのか。
まあアラン達のものでなかったのだけは確かだが、アランはそれに構うことなく、次々とそれを取り出していく。
それ――魔物の死体を、だ。
そして取り出している元は、別の空間というか、異空間である。
アランは冒険者になるにあたって、異空間に物を収納出来る様な魔法を作っていたのだが、今使っているのがまさにそれなのだ。
もっとも、もしかしたら必要になるかもしれない、程度の考えて作ったものであったので、正直すぐに出番があるとは思ってもいなかったが。
というのも、先に述べたように、アラン達は周辺の魔物を全滅させてしまい、まあそこまではまだよかったのだが、それを運ぶ段になってふと気付いたのである。
これを三人で運ぶのは不可能だ、と。
かといって解体するにはその技術を持っている者が誰もおらず、そのため、こんなこともあろうかと作っておいたその魔法に魔物の死体を放り込み続けることとなったのだった。
まあそんな感じであったため、正確にはどのぐらいの数の魔物を倒したのかを、アラン達は実は知らないわけだが――
「えーと……こんなもの、かな?」
「こうして見てみると、結構倒したものね?」
「まあ、それなりの時間が経ちましたもの。それを考えれば、こんなものだと思いますわ」
そうして取り出し終わったものを、三人で眺める。
ざっと数えただけでも、三桁近くあったのだが……ふとそれを見て思うのは、よくこれだけ倒したな、というのと、もう一つ。
これ邪魔じゃないかな、というものであった。
何せそこそこ広かったはずの台が、横は勿論のこと、縦にすらそれだけで埋まっているのだ。
自分達以外にもここを利用する人がいるだろうことを考えれば、どう考えたって邪魔だろう。
ちょっと考えなしにポンポン取り出しすぎたかもしれない。
と、そんなことを考えていると、何故か恐る恐るといった様子で受付嬢の人が話しかけてきた。
「……あの、すみません。少しいいですか?」
「え、あ、はい。その……やっぱりこれ、一度に置かれると邪魔ですかね? なら一旦仕舞いますが……」
「いえ、そういうことではなくですね……その、一つ聞きたいことがあるんですが、よろしいでしょうか?」
「……? 何を聞きたいのかが分からないので、気軽に頷くことは出来ませんけど……まあ、はい」
「ありがとうございます。それで……その、ですね。……もしかして、あなたは魔導士だったり、しません、か?」
「え? はい、そうですけど……あれ? もしかして、魔導士が冒険者になる時って、何か特別な書類とかが必要だったりするんですか?」
「…………いえ。別にそういうことではないんですが…………その」
もしかして何かやらかしてしまったのかと思ったのだが、どうやらそういうわけではないらしい。
だがそれにしては受付嬢の人の顔色が悪いというか、何か今すぐにでも倒れてしまいそうな感じなのだが……大丈夫なのだろうか?
しかしそれを聞く前に、受付嬢がさらに言葉を続ける。
「……もしかして、お二人も、でしょうか?」
「そうだけれど?」
「もしかして、先に言っておきべきだったのでしょうか?」
「……そう、ですね。そうだったら、うれし……いえ。何でもありません」
受付嬢の顔色は、土気色を通り越してドドメ色とでも言うべきものに変わっていた。
いやこれで本当に何もやらかしていないというのは無理があると思うのだが……生憎とアランに思い当たるものはない。
どうにも今の質問からすると、三人が魔導士であることに、何か問題があるようなのだが……?
「……申し訳ございませんが、少々お待ちいただいてもよろしでしょうか?」
「え? まあ、別に急いでるわけでもないから、問題はないけど……でも、一体何が?」
「ありがとうございます。事情は後ほど説明いたしますので……それでは申し訳ございませんが、少々失礼いたします」
そう言って頭を下げると、受付嬢はさっさと背を向け歩き出してしまった。
ほぼ走ってるも同然の速度で遠ざかっていき……アランはその背を、首を傾げながら見送る。
「んー……もしかしてというか、ほぼ間違いなく何かやらしちゃったかな……?」
「何を言っているのよ。そんなこと、いつものことでしょう?」
「あれあれ? おかしくないかな? そこは、そんなことないよ、って言ってくれる場面じゃないかな?」
「ですが、正直なところ、わたくしもそれは否定することが出来ませんわよ?」
「……ぬぅ。おかしいな、僕もそれを否定する言葉が出てこないぞ?」
「知っているかしら? そういうのを、自業自得と言うのよ?」
そんなある意味でいつも通りの会話をしながらも、二人の顔に浮かんでいたのは怪訝そうなものであった。
やはり二人にも、思い当たるものはないようである。
「うーん……せめて厄介事じゃなければいいんだけどなぁ……」
「同意したいところですけれど、アランさんの前科を考えるとそうはいかなそうなのが困ったところですわね」
前科とは酷い言い草ではあるものの、否定することも出来なかったのでただ肩をすくめておく。
それから再び去っていった背中へと視線を戻すと、何やらその周囲がざわつき始めていた。
それを自分達とは無関係だと思うのは、さすがに楽観が過ぎるだろうか。
しかしそう願う他なく、アランはさてどうなることやらと溜息を吐き出すのであった。




