とある講師の述懐
「ふむ……ならここは――」
クロード・ラスペードは、いつも通りにアランへと続けて質問を投げかけながら、ふとその口元に自嘲の笑みを浮かべた。
自分の今の状況が、教え子に教えを乞うている、というものであるということに気付き……そのことに、僅かに後ろめたいような感情を抱いたからだ。
あまりにも今更過ぎるし、馬鹿らしいことであった。
自分の程度が未だに理解できないのかと、そんな思いさえある。
そんなこと、本当に今更でしかないのに。
「……? どうかしましたか?」
「ああいや、すまん、何でもない。それで?」
「はい、それでですね、ここでこの関数が呼ばれてますから、ここは――」
正直に言ってしまえば、アランの言っていることは未だ半分も理解出来ていないのが実情だ。
ただ少なくとも、自分の理解が間違っていた、ということだけは分かる。
それは即ち、今まで間違った理解で魔法を使っていたということだが……自分が大したことのない魔導士であることなど、十年以上前に自覚しているのだ。
その程度のこと、何ということはなかった。
それこそ、自分の程度を知ることになった、あの時に比べれば。
――辺境の地で生まれ育った魔導士には割とよくあることなのだが、クロードは自分が魔導士であるということを自覚して以来、自分が特別だということを疑ったことはなかった。
才能があるのは当たり前だし、事実魔法などというものを使うことが出来たのである。
疑う理由こそがないだろう。
それは師匠であった魔導士を相手にしても同じであったし、他の魔導士に会った時でさえ、変わることはなかった。
自分は天才であるのだと、そう自負すら覚え……そして、本物の天才に出会ったことで、その偽りの自信は粉微塵に砕け散った。
クリストフ・アングラードという名の天才に、壊されたのだ。
今でもたまに夢に見ることがある。
だがそれは別に劇的な何かがあったわけではなく、多分彼からすれば何ということのないことであっただろう。
講義中に魔法を使った。
それだけのことであり、使用された魔法も、何の変哲もないものであった。
しかしそれを見た瞬間、クロードは理解したのだ。
強制的に、理解させられた。
本物の天才が扱う魔法とは、こんなにも違うのだと。
おそらくそれは、一般人からすれば分からないことであり、下手をすれば同じ魔導士でさえ分からないことであったかもしれない。
半端に才能があってしまったからこそ、クロードはその違いに気付けてしまったのだ。
それでもクロードが学院から去らなかったのは、意地があったからだろう。
かつては天才を名乗っていた馬鹿も、せめて一矢報いたかったのだ。
それが自分勝手なものでしかないということは、分かっていたけれど。
その手段を錬金にした理由は、単純に当時の自分が最も得意とするものであったからだ。
そうして色々と試行錯誤を繰り返し――その結果出来たのが、あの失敗作である。
それでも当時のクロードには凄いものが出来たという自信があったし、クリストフに見せたところ、面白いと言われた。
クロードがそのまま錬金のみを研究し続けたのは、そんな単純な理由からなのだ。
まあそれでも結局芽が出ることはなく、学院を卒業後は色々なことをしてみたものの……一つの場所に留まらなかったのは、或いはあの頃に未練があったからなのかもしれない。
だからか、学院で講師の空きがあるという話を聞いた時は、特に迷うこともなく飛びつき、気が付けば講師となっていた。
もっともだからどうしたというわけでもないのだが……そうして一年が過ぎ、五年が過ぎ、今目の前に居る教え子は、その天才の弟子であるという。
そんな相手に自分が何かを教えているなんて――などとなっていたのであれば、何かしらの感慨もわいたのかもしれないが……実際にはあの頃と同じように、自分が教わる側の立場だ。
一応基礎を教えている、ということにはなっているものの、最近では自分が質問する時間の方が長いのである。
そんな偉そうなことは、口が裂けても言えなかった。
まあ、ある意味では、こんなことが起こるなど、想像だにしなかった、ということに違いはないのだろうが――
「――と、そういうわけで、こういう結果になるわけです」
「なるほど。うむ、相変わらずよく分からんな」
「えぇ……今のは自分でも割と上手く説明できたな、と思ったんですけど?」
その言葉に、クロードは肩をすくめた。
確かに、今の説明はいつもに比べ分かりやすく感じた。
それは事実だ。
だが。
「何度も言ってるが、お前と俺とでは才能が違うんだ。それを俺は分かってるから、気になることをお前に聞きはしても、最初から完全に理解しようとは思っていないのさ。少しでも参考になれば、程度の考えだってわけだ」
「いえ、僕も何度も言ってますけど、それは過大評価ですって。僕は単に知ってるだけであって、それは才能なんて大それたものじゃないですよ」
その戯言を、クロードは再度肩をすくめて流した。
それが本心であるらしいということは既に分かっているものの、間違っているのはアランの方なのだから、前言を撤回するのは不可能なのである。
自分には知識があるだけ、とはアランがよく口にする言葉だが……なるほど或いは、そうなのかもしれない。
アランに大した才能はなく、知識量だけがずば抜けているという可能性は、確かにある。
とはいえそのことと、クロードよりアランの才能の方が上、ということは何の矛盾もないのだ。
その場合は、クロードの才能が大したどころか、ほとんどない、ということになるだけなのだから。
まあ実際には、そんなことはないだろうが。
何せ聞いた話によれば、あのクリストフですら、アランの話を数年以上聞いているにも関わらず、その二割も理解出来ていないというのだから。
二割となると、クロードの方が理解出来ているということになるが……どうやら今されている話は、基礎も基礎の話らしいのだ。
これから先に進めば、途端に理解不能なる……とは、アランの後方で今日も不機嫌そうな様子を隠そうともしていない彼女の言である。
何故そんなことを彼女が知っているのか、ということは少し気になったものの、わざわざ問い詰めるようなことでもない。
チラリと彼女の方を見てみれば、相変わらず不満そうな視線をアランに向けているが……まあ、色々ある、ということなのだろう。
思い返してみれば、当時のクロードにも多少身に覚えのあることだ。
ともあれ。
「ま、お前がそうだと思うんならそれでも構わんけどな」
「引っかかる言い方をしてくれますね……うーん、もう少しやり方を変えるべきかなぁ……?」
「そこは好きにすればいいが、とりあえず俺からの質問は以上だ。次が詰まってるんだから、それは後にした方がいいんじゃないか?」
「そうですわね。分かりやすく説明できるよう考えてくださるのは助かりますけれど、まずはこちらの疑問にも答えていただきますわよ?」
「はいはい、分かってるって」
苦笑を浮かべながら、金色の少女の元へと向かうアランを眺め……ふと、クロードも苦笑を浮かべた。
そのついでに、この場の他の様子も目に入ったからだ。
そうして改めてその場を見渡してみれば、視界に映るのは、今アランからされた話について、そこら中で話し合いの場が設けられている光景であった。
中には、話し合ったところで分かるわけがない、ということを既に理解しているのか、アランに直接問いかけようと順番待ちしている者すらいる。
それを眺めながら、思う。
ここの雰囲気も、随分変わったものだ、と。
最初の頃は、例年と変わらぬ雰囲気であった。
最初からアランは講義の内容をよく聞いていたが、それで全体の雰囲気が変わるわけでもない。
他の魔導士達のほとんどは、自分のことと、如何にして有用な相手とコネを作るのかしか考えず、講義など雑音としか考えていないような様子でさえあったのだ。
とはいえそれはそれこそ、自分達が学院に通っていた頃から変わらぬものであった。
だからそれに対して何かを思うようなことはなく……だがそれが変わる切欠となったのは、やはりクロードが錬金を見せ、アランがその間違いを指摘した時だろう。
あれ以来クロードはアランをそういう相手だと認識したこともあり、よくアランへと質問するようになったのだが……それでも最初は、やはり大して変わらなかったように思う。
しかしそれからしばらくすると、そこにシャルロットも時折加わるようになり――
「今では、ほぼ全員が質問をするようになった、か」
どころか、今もそうであるように、互いに意見交換をするようにすらなっている。
これは本来有り得ぬことだ。
学院にそういうものを求めていない、ということもあるが、何よりも魔導士というのは、基本的に知識の共有というものを嫌がる傾向にある。
魔法の研究は常に危険と隣り合わせだということもあり、自分の得たものを独占しようとするのだ。
勿論仲間と認識した者同士であれば話は別だが、学院で出会う者は基本そうではない。
だからこそ、本来これは有り得ないことなのだが……その原因は、やはりアランだろう。
何せ明らかに自分達よりも遥かに知識のあるアランが、隠すどころかむしろ率先して知識の公開を行なっているのだ。
そこで知識の共有を拒むとかいかにも馬鹿らしいし……何よりも、この機会を潰すなど勿体無い。
結局のところは、半ば以上打算にまみれた産物であるとも言えるのだが……まあ、結果を見れば、悪いことではないだろう。
それにそのせいか、随分とこの場に漂っている雰囲気は柔らかいものになったと思う。
魔導士らしくはないが、クロードはこの雰囲気が嫌いではなかった。
昔魔導士ではなかった頃、村で皆と一緒になって大人から色々なことを学んでいたのを思い出す、この雰囲気が。
しかも話を聞くと、最初は講義の間だけであったが、今ではその他の時間などもこの雰囲気は持続しているという。
質問の時間も、だが。
まあ元はと言えば、それはアランが質問の延長線上として行き詰った研究の手助けなどもしていたせいだというのだから、半ば自業自得ではあるのだろう。
最近では自分の時間が思うように取れず、回避方法を色々模索しているとも聞くが、それもまた自業自得である。
そんなことをしていた理由が、多少なりとも理解出来たとしても、だ。
少しずつ他の者達もアランに質問をし始めた頃、何気なく聞いたことがある。
何故そんなことを律儀にしているのかを、だ。
そもそもの話、本来アランはクロードの質問に答える義務さえないのである。
最初はアランから始めた話ではあったものの、その次からは全て他人が基点であった。
知らない、自分で考えろと言ったところで誰も文句は言えなかっただろうし……他の魔導士であれば、そうしていただろう。
なのに何故だ、と。
それに対し、楽しい学院生活を送りたいのだと、それを期待して来たのだと、そう答えたアランの顔を、今でもはっきりと覚えている。
今の魔法の在り方が気に入らないのだと、そう言ったことも。
そんなことのためにわざわざそこまでするのかと、当時は呆れたものだし、今でも正直それは変わっていないのだが――
「……ま、頑張れよ」
その時と同じ言葉を、その背に送り、肩をすくめる。
誰が何と言ったところで、どう思ったところで、アランはそれだけの思いで、実際にやってのけているのだ。
ならば他に言えることなど、あるはずもない。
「ま、そこら辺も含めて、さすがはあいつの弟子ってところか?」
師弟共々、本当に予想外のことばかりをしてくれるものである。
ただ最近ではついに、あの引き篭もりを連れだそうとも画策し始めているらしいが……そちらに関してはさすがに難しいだろう。
アランでもどうしようもない、と言っているわけではない。
そもそもアイツは、人の話を聞こうともしないのだ。
出来る出来ない以前の問題である。
幾らどんな問題だろうと解決できようと、どういう問題を抱えているのかが分からなければ、どうしようもないだろう。
勿論自分ならばそれを教えることは出来るが、その時アランがどんな反応をするのかなど、考えるまでもないことだ。
しかしそんな状況では、やはり――
「……それでもどうにかしそうな気がするのは、本当にさすがってとこだけどな」
それがただの期待で終わるのか……或いは。
まあそれも全ては、アラン次第だ。
そんなことを考えながら、クロードはその場を見渡した。
今視界に映っている教え子の数は、四十人。
入学した数と同数であり、この時期この講義ということを考えれば、破格ですらあるだろう。
だが。
「楽しい学院生活を……全員で、か」
本当に全員がこの場に集まる光景をつい想像し、苦笑を浮かべる。
さてどうなることやらと、怒涛の質問攻めについには嫌な顔を隠さなくなったアランの顔を眺め、思いながら、クロードは講義を先へと進めるために、口を開くのであった。




