土魔法と錬金
そこに広がっていたのは予想よりも広大な空間であった。
普段自分達が過ごしている場所の、果たして何倍だろうか。
別に狭いなどとは思っていなかったのに、これを見た後ではそう思わない自信がない。
ただ逆に言えば、違いがあったのはそれだけであった。
単純に規模が大きいだけ。
あそことの違いは、それだけにしか感じなかったのである。
部屋の隅に積み上げられている沢山の資料と思しきものなど、むしろ規模が大きいが故により酷いことになっているし、大きければいいわけではないのだと思ったほどだ。
しかしまあ、だけとは言ってみたものの、当然ながら大きい故の違いというものもある。
それが最も顕著に現れるのは、やはり人の数だろう。
規模が大きくなれば、それだけ携わる人の数も増える。
当たり前のことだ。
……そう、当たり前のことなのだが――
「……えーと」
それが分かっていたとしても、沢山の視線に晒されることをどう思うかは、また別の話だ。
いや、正直に言ってしまえば、それそのものはまだどうということはないのだが……せめて、何らかの反応をしてくれないだろうか。
「……?」
うん、目の前で首を傾げてる君への要望だね。
まあ、声に出していないので、伝わるわけもないのだが。
そう、別にアランは好きで初めて訪れた場所を無遠慮に眺め回していたわけではないのだ。
単に状況から、そうするしかなかっただけなのである。
アランの目の前にその少女がやってきたのは、アランがその部屋に足を踏み入れてすぐのことであった。
他に動く者がいなかったことから、彼女が何らかの対応をしてくれるのだと思っていたのだが……ご覧の有様である。
近付き、こちらをジッと眺めているかと思えば、今の今までそれ以上の表立った動きはない。
もしかして何か試されているのだろうか、などとは思うものの、さすがに詳細も分からずに何かをするわけにもいかないだろう。
とはいえ、いい加減部屋を眺め続けていることも限界だし、どうにかしなければならないとは思うのだが――
「……アラン?」
少女が声をかけてきたのは、そんな時のことであった。
喋ったー!? とか反応しかけたが、さすがにそれはアレだろう。
だが驚き、困惑したことに違いはない。
声の響きからして、それは確認のためのものに聞こえた。
一瞬知り合いかと思ったが、それならすぐに気付くだろう。
言っては何だが、アランは今世の生活において、碌に人付き合いというものをしていない。
これはどちらかと言えば、すぐにあの研究所に入り浸るようになってしまったからする暇がなかった、というのが正確なのだが……まあ、大差はないだろう。
何にせよ、顔を見たら知り合いかどうかすぐ分かる程度の付き合いしかないことに違いはないのだ。
だから少女が知り合いでないことはすぐに分かったが、そうなると今の問いかけの意味がよく分からない。
とはいえ困惑しているだけでも仕方ないので、とりあえず頷いてみることにした。
「うん、そうだけど……?」
「……ニナ」
結果から言えばさらに困惑することとなったが、今度のそれは一瞬だった。
自分の名前を告げたのだということに、すぐに気付いたからだ。
ということは、先ほどのはあれか。
今日来る予定になっているアランなのかと、そうこちらに問いかけたということなのだろうか。
そしてそれに頷いたから、自己紹介をした、と。
……分かりづらいんですけど!?
ただ何となく分かったのは、それは少女が敢えて分かりづらい真似をしたわけではない、ということだ。
おそらくは、単純に口下手なのだろう。
まあその時点で、来客の対応をさせるのは間違ってると思うが。
そんなことを考えながら、何にせよこれからどうすればいいんだ、などと思っていると、不意に視界の端に光を感じた。
反射的に視線を向けてみれば、その先にあったのは、ガラスに似た何かで区切られている、おそらくは実験用のものと思われる部屋だ。
透明な壁で区切られているため、向こう側ははっきりと見ることが出来、どうやら何らかの魔法を使ったようだった。
既に魔法陣も魔法式も消えているため、何を使ったのかは分からない。
だが術者と思わしき人の足元に転がっているものから、予想は付いた。
あれは、多分――
「……錬金?」
「……ん」
呟きに、短いながらも返事が返ってきたことに驚き、視線を戻せば、少女――ニナは何処となく得意気な顔をしているように見えた。
そしてそこで、思い出す。
この研究所で行なわれている、研究内容を、だ。
それは、四大属性の基礎魔法の研究である。
しかも確か、それぞれの属性ごとに同時並行して研究を行なっている、という話だったはずだ。
その話が本当ならば、ここはその中でも、土の基礎魔法の研究をしているところ、だということなのだろう。
ちなみに、基礎魔法の研究をしているからといって、ここの研究所が零細だということはない。
むしろ、逆だ。
何せ現在魔導士達が使用している魔法は、その全てが例外なく、どれかの基礎魔法を元にし、発展応用していったものなのである。
つまりは、基礎魔法を研究するということは、全ての魔法の研究をするといっても過言ではないのだ。
基礎魔法をより理解することが出来れば、応用先などをもっと柔軟に増やすことなどにも繋がるだろうし……それを大々的に研究しているということは、相応の規模の研究所だということなのである。
当然のように、本来であればアラン達の研究所のような零細が関わるような場所ではないのだが――
「……何か、感じたところ、あった?」
と、ニナの声に、逸れかけていた意識を戻す。
実のところ、何のために呼ばれたのかは分かってなく、非常に気になるのだが……まあ、そのうちわかるだろう。
それよりも、これはチャンスなのだ。
基礎を研究していることもあり、ここの研究所は多くの魔導士に対し多大な影響力を持っている。
ここが魔法の効率化の有用性を認めてくれれば、今度こそ魔導士達も見直してくれるだろう。
そのためにもと、気を引き締めなおし……しかし、アランは首を傾げた。
端的に言って、相変わらず言葉が足りていなかったからである。
「えっとそれは……今の錬金を見て、ってこと?」
「……ん」
頷かれ、ふむと考え込む。
持ち上げるのは簡単だが、まさかそんなものを望んでいるわけではないだろう。
言葉は少ないが、その目を見てみれば、真剣だということぐらい容易に分かる。
そしてそれは、見覚えがある目だ。
自分達が、魔法式の効率化を行い、その評価を気にする際の目である。
ならば、真剣に考えざるを得なかった。
まあ、もっとも――
「んー、そうだね。正直なところ、見たのは一瞬だから、詳しくはまだ分からないけど……よく練られてるな、とは思ったかな」
少し偉そうな言い方になってしまったが、自分の得意分野からの言葉なのだ。
そのぐらいは許してくれるだろう。
そしてその意味するところは、言葉の通りであった。
実のところ、結局あれ以降忙しくなってしまい、未だ錬金の効率化は碌に出来ていない。
通常の錬金――普通の魔導士が使用しているそれに比べ、精々効率が倍になった程度だ。
だがだからこそ、よく分かる。
先ほど使用された錬金が、普通の錬金と比べ……どころか、自分達のそれと比べてすら、遥かに効率化が出来ているということを、だ。
勿論まだまだ効率化が出来る部分は存在しているのだが、今まで見た中では、自分が行ったのを除けば最もよく効率化出来ているのではないだろうか。
正直なところ、自分以外にもここまで効率化させる人がいたのかと、嬉しくなったぐらいだ。
と、言葉を飾っても仕方がないので、そうして感じたままのことを素直に話したのだが……何故かその言葉を聞くと、ニナは少し目を細めるような真似をした後で、プイと前を向き、そのまま足早に去っていってしまった。
その背を見送るように、アランはその場に一人取り残される。
「えーと……怒らせちゃった、かな?」
やはり若干上から目線な評価が気に障ったのだろうか。
しかしそんな独り言を呟いていると、ふと偶然近くに居た男がそれに答えた。
「ん? 怒らせる? むしろかなり機嫌がいいと思うが?」
「え? ……機嫌が、いい?」
そのあまりに意味不明な言葉にアランは首を傾げる。
アランにはむっつり黙り込んでいたようにしか見えなかった……むしろ睨まれてたような気さえしていたのだが……機嫌がいい?
そんなアランの反応に、男もしばし首を傾げていたのだが、やがて得心がいったとでも言うかのように頷いた。
「ああ、そうか……普通は分からないか。俺達は慣れてるから、当たり前だと思ってたが……悪い、すっかり忘れてた」
何でも彼女は口下手なだけでなく、表情もあまり豊かな方ではないらしい。
感情表現は分かりづらく、だが彼曰く、先ほどの彼女はかなり機嫌が良いように見えたのだそうだ。
アランにはさっぱり分からなかったが。
というか、そんな人物に対応させるのはやっぱり間違っているのではないだろうか。
「ま、その意見も当然っちゃあ当然なんだが……あれでもあいつはここの研究主任だからな。口下手で感情表現が苦手でも、あいつが対応するしかないってわけだ」
「……なるほど」
そういうことならば、仕方がない……のだろうか?
まあ、こうして他の研究員がフォローしてくれているし、偏見かもしれないが、研究者というと、どうしても偏屈なイメージがある。
ぶっちゃけクリストフも片足突っ込んでると思うし、こういうことも珍しくはないのかもしれない。
「ともあれ、あいつはそっちの研究がかなり気になってたみたいだしな。その相手に褒められれば嬉しくもなるだろ。それにあいつは殲滅姫の愛好家でもあるからな……その息子と会えたってのも一因なんだろう」
その名前久しぶりに聞いたな、と思いながらも、それに対しては、アランは中途半端な表情を浮かべることしか出来ない。
やはり何度聞いても、慣れるものではないのだ。
と、そんなことをしていると、ニナがこちらへと戻ってきた。
どうやら本当に怒っていたわけではないらしく、その手には、数枚の紙が握られている。
何を持ってきたんだろうと思っていると、目の前に来たニナがそれを不意に差し出してきた。
反射的に受け取ってしまい……返すわけにもいかないので、そのままそれに目を通す。
そして書かれているものが何なのかを理解した瞬間、目を見開いた。
「これって……!?」
「……ん。わたし達の、研究成果」
それは有り得ないし、有り得てはいけないものであった。
つまりこれは、彼女達の飯の種なのだ。
内容に見覚えがないことを考えれば、間違いなくこの研究所の機密事項だろう。
そんな大事なものを、こうしてあっさり他人に見せてしまうなど、一体何を考えているのか。
だが、驚きが抜けないアランのことなど気にすることなく――
「……今日あなたに来てもらったのは、それが理由。あなたの手で、それをもっと練り上げて……そして、錬金を、ひいては土魔法を、もっと魔導士の間で普及させて欲しい」
そんな、さらに驚くべきことを、ニナは口にしたのであった。




