スポンサーからの呼び出し
見慣れた天井を見上げると、アランは腹の底に溜まった全てを吐き出すようにして、息を吐いた。
自分が疲れているということは、自覚している。
だがそれでも、全てを投げ出したいような気にならないのは、それだけ今が充実して、やりたいことがやれているということだろうか。
まったく、同じ忙しいにしても、前世の頃とは大違いだなぁ、などと思いながら視線を戻せば、そこに広がっている光景もやはり、見慣れたものだ。
師匠であるクリストフがいて、リーズがいる。
ここ数年ですっかりお馴染みとなった光景であった。
「……まあ若干約一名、お馴染みになってちゃまずいんじゃないかって人物もいるけど」
「なに、何か言ったかしら? 忙しいんだから、無駄口叩いている暇はないわよ?」
「はいはい、分かってますって」
まあ、まずいとはいえ、実際のところかなりの部分で助かっているのも事実だ。
何せ今やこの研究所は、数年前が嘘だったかのように、大忙しなのだから。
或いは大繁盛と、そういうべきなのかもしれないが。
「あの頃からすれば、想像も出来ないようなことだよなぁ」
「……何がよ?」
「いや、リーズが初めてここに来た頃から考えれば、かなり忙しくなったものだな、と」
「……確かにそうね。あの頃は、随分と暇そうにしていたもの」
「おいおい、別に暇そうにはしてなかっただろ? 毎日研究のことを考えては、実践してたはずだぜ?」
「仕事としてじゃないでしょ、それ。仕事として考えれば、暇だった、ということじゃないの」
「まあそう言われりゃそうなんだが……しっかし、ある意味じゃあの頃のがよかったのか?」
「馬鹿言わないでちょうだい。仕事がないよりも、あった方がいいに決まってるでしょう? 仕事がないってことは、お金が入ってこないってことだし、あの頃だってそのせいで、やりたいことがあっても出来ない、ってぼやいてたじゃないの」
「確かに仕事と金が入ってくるようになったが、今度はそれを使う暇がねえんだぞ? 意味ないじゃねえか」
金はあるのに、それを使う時間がない。
前世でも割とよく聞いていた話だ。
そこら辺はやはりと言うべきか、どの世界でも変わらないらしい。
「まあ、あの頃の方が自由ではありましたよね」
「明日も知れない自由よりは、明日の安心がある不自由な方がマシだと思うけれど?」
「見解の相違だね……というか、中間ぐらいがちょうどよかったんだけどなぁ」
「忙しくなったのは急だったしな。確か、アランが魔物討伐の手伝いに行ってすぐぐらいだったか?」
「正確には、その後でおね……姉さん達の魔法式を効率化した後ね」
リーズがベアトリスのことを今でもお姉ちゃんと呼んでいることは分かっているのだが、アラン達は敢えてそこをスルーした。
それがどんなものであろうとも、物事にはタイミングというものがあるのだ。
今よりももっと効果的な場面で、そのネタは使用するべきなのである。
まあ、それはともかくとして――
「まあ急激に忙しくなったのはあの後だよね。ベアトリス達はそんなことしてないって言ってたけど……あれってやっぱり、宣伝とかしてくれたんだろうなぁ」
「でなけりゃ意味が分からねえしな。何にせよ、結果的に言えばリーズの目論見通りだってことか」
「さすがに私はここまでとは思ってなかったけどね。まあ、おね……姉さんだけでも十分だったのに、それが部隊員全員なのだもの。当然と言えば当然なのだけれど」
これはアランもあの後に知ったことなのだが、ベアトリス含めた部隊員達は、魔導士の中ではかなり信頼されている存在であるらしい。
まあ考えてみれば、護国の要などと言われているのだ。
一般人は勿論のこと、魔導士からも信頼されているのは、当然のこととも言える。
本人達は、元はただの役立たずなのだから過大評価だなどとは言ってはいたものの、多分謙遜だったのだろう。
ともあれ、そんな彼女達が、魔法式の宣伝を――本人達はそこまではしていないと否定しているが、状況的に間違いなくしてくれたのだ。
依頼が殺到するようになったのも、当たり前のことではあった。
「それでもここまでか、ってのが正直なところなんだけどねぇ……」
「まあなあ……確か予約は一年後まで埋まってんだろ? こっちからは特に宣伝とかしてねえってのに、よくそこまで集まったもんだ」
「逆に言えば、あの人達の宣伝力を借りても、ここまでにしかならなかった、とも言えるのだけれどね」
「まあつまりは、既に一年後までしか予約が埋まっていない、ってことだからね」
あの直後は、そうではなかった。
次々と依頼が飛び込み、予約をさばききるまでの日数が延び……だがそれが、ある日唐突に止まったのだ。
何かがあった、というわけではない。
むしろ、何もなかったからこそ、そうなってしまった可能性が高かった。
魔導士の数というのは、元よりそれほど多くはない。
その全てに行き渡ってしまえば、当然需要は尽きるのである。
もっとも、真に魔法式の効率化が認められたのであれば、そうなることはないはずであった。
魔法式の効率化には多少の時間がかかるとはいえ、だからこそ、一度に一つの魔法しか受け付けてはいないのだ。
それが終わったところで、他の魔法式は効率化が行なわれておらず――
「だが他のを頼みに来ねえってことは、必要ないって思われちまった、ってことなんだろうな」
「その存在が認知されたところで、それが有効だと思うかはまた別の話、ということね」
「こう言っちゃあアレだけど……実際のところ、今いる魔導士のほとんどが、効率化した魔法がなくても問題ないだろうしね。例外は、それこそベアトリス達ぐらいかな」
厳密には、戦闘系の魔法を使う人達である。
彼女達にとってみれば、魔力の削減や効果の拡大などは、生き延びることに直結してるのだ。
それを必要としないわけがなく……だが、他の人達にとっては、そうではない。
そしてこの国に居る魔導士の大半は、そういった人達なのだ。
そういった人達にとってみれば、魔力を多く使ってしまう、ということはそれほど問題にならない。
魔力がなくなったら、回復するまで待てばいいだけだからだ。
しかも今までずっとそれでやってこれたということは、それで十分だということである。
敢えて効率化をする必要がないとなれば、効率化を受けるのは、それこそ話の種ぐらいにしかならない、ということなのだろう。
話題になったから依頼してみたものの、必要がないのだから続けて頼むことはない。
つまり結局のところ、効率化の地位というものは、数年前からほとんど変わっていないも同然ということであった。
「このままいけば、一年後にはまた元通り、か。それはそれで自由が手に入るってことだから構わない気もするがな」
「……まあ、あなた達が本当にそれでいいと言うのであれば、私は別に構わないけれど?」
「……ちっ、冗談だっつの。確かにまた色々と自由にやってみたくはあるが……どうせなら認めさせてえし、自慢してえからな」
「……ですね」
あまりに皆が無関心で、必要ない必要ない言うからだろうか。
最初の動機は、ただクソコードだったのが気に入らないというだけだったのに、いつの間にかアランにも、そんな欲求が芽生えてきていた。
まあそもそもの話、忙しいとは言いつつも、不眠不休で働かなければならない、というほどではないのだ。
忙しいながらも、しっかり休みことは出来ていることを考えれば、前世の職場とは比べ物にならない環境である。
それに確かに自分の好きなように研究は出来ないが、この仕事が嫌いだとも言っていない。
だがそれが好きで、楽しくとも、不満などはどうしても出てしまうものであり……要するに、今までの話は、ただの愚痴でしかないのであった。
「さて……それじゃあ、これからもこんな愚痴が言えるように、ちょっと行ってきますかね」
「ん? ああ……そういえば、今日だったか」
「そうね、そろそろいい時間かしら……ところで、先ほどまでやってたものは?」
「ちゃんと纏めて終わらせてあるよ。そこに置いておいたから、後はよろしくね」
「相変わらずそこら辺は抜け目ないわね……分かったわ」
リーズに後を託しながら、立ち上がる。
基本依頼は魔法式の効率化である以上、研究所から動く必要はないが、稀に移動が必要な場合もあるのだ。
今からアランが果たそうとしているのもそれであり……そしてそれは、今後のアラン達にとって、非常に重要なことになるかもしれないことなのであった。
「しっかしまあ、こんなクソ忙しい時に割り込んだ上でわざわざ呼び出すってんだから、いいご身分だな」
「まあ、実際いい身分ですしね。それにそうでなくとも、僕達は頭が上がりませんし」
「仕事がなくとも干上がらずに済んだのは、その人達が支援してくれたからだものね。多少の無理を聞くぐらいの義務はあるわ」
「義務がなくても行ってただろうけど、まあ義務があるからこそ、尚更行かないわけにはいかないよね」
これから向かうのは、つまりスポンサーだったところなのである。
ろくに仕事がない間も研究所を存続することができていたのは、実はそこからの援助があったからなのだ。
厳密には、今も支援はされているので、現在進行形でスポンサーではあるのだが。
そしてスポンサーをしてくれるようなところということは、相応の影響力を持っているということでもある。
ではそこに、有用性を示すことが出来れば。
一つの声で足りないのであれば、声をもう一つ増やせばいい。
つまりは、そういうことであった。
ともあれ。
「じゃ、行ってきます」
「ええ、いってらっしゃい」
「土産頼んだぜー」
「買うような場所があったら考えますよ」
そんな言葉を交わしながら、アランは外へと向かった。
アランが辿り着いた場所は、研究所からそれほど離れていない場所であった。
思ったよりも近かったことに驚きつつも、見上げた建物にさらに驚く。
アラン達が働いている研究所よりも、遥かに立派なものだったのである。
しかも厳密に言うならば、そこもまた研究所であった。
アラン達よりしっかりとしたことを研究している……というと語弊が生じるが、少なくともアラン達よりも国に認められているのは事実のようだ。
アラン達の研究所を支援しているのも、自分達の研究に役立つかもしれないから、という理由だと聞いている。
まあとはいえ、臆す必要はない。
強引に予定を差し込まれ呼ばれたのも事実だが、その内容は手助けを求めるようなものだったのである。
詳細は来てから話すとのことだったが……そういったことなのだから、堂々と入ればいいだろう。
だがそうやって気合を入れて入り口へと向かえば、呆気ないほど簡単に中に入れた。
呼ばれたのだから当然ではあるのだが、名前と用件を告げると、そのままあっさりと通してくれたのだ。
逆に釈然としない感じすらあったほどだが、さすがにそれは言いがかりだろう。
というか、受付などがあるあたり、やはり規模が違うのだという事実を突きつけられたような気がして、軽くへこんだ。
などと、リーズがこの場に居たら、何をしているのよ、と半目で呆れたような溜息を吐かれそうなことをしつつも、案内された通りに先へと進んでいく。
途中誰からも見咎められなかったのは、無用心ではないかとも思いつつ、しかしそんなものかもしれないと思い直す。
こっちの身分は明らかになっている上に、ここで研究しているのは魔法の研究だ。
仮に研究途中の何かを目にすることになったところで、一目で理解出来てしまうようなものは早々ないだろう。
或いは、そうして盗まれたところで、先に研究を完成させることが出来るという自負の表れか。
まあさすがにそれは穿ちすぎか、などと考えながらさらに進み、一つの扉の前で止まった。
間違えていなければ、ここで正しいはずなのだが……。
「えっと……失礼します」
一瞬どうしようか迷ったものの、案内がないということは勝手に入っていいということなのだろう。
そう判断し、一応ノックと共にそうして扉を開き、その中へと足を踏み入れたのであった。




