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(1)



 紅い森をしばらく歩く。

 やがて聞こえてきたのは、まず、水の音だった。

 けもの道のような場所を、言ってしまえば、森をただまっすぐに突っ切る形で歩いていれば、やがて川へと出た。妖精たちの案内によれば、目的の場所はもっと上流ということで。ノームを抱いたままのルインを後ろに、そのちいさな背中を追った。


 大きな岩が目立ちはじめた頃に、見えたのは滝だった。岩肌を落ちてくる清流に、一同、自然の美しさを堪能し。すぐそば、天然の階段を登っていく。そうして川に沿って歩けば、一度緑が深まり、それがまるで、門をくぐるようで。抜ければついに、


「ほら、ここよ」「とーちゃくー」


 視界に広がったのは、一面の湖であった。もちろんレマン湖ではない。

 光が満ち溢れるように、湖は眩しくも綺麗で、なにより驚くべきは、


「この辺りは、紅くないんですね」


 ルインの呟きの通り。門のように彼らを迎えた木々もそうであったが、この、湖を取り巻く一帯は紅くない。自然のままの、緑で溢れている。そのことに確かな疑問を思い浮かべながらも、しかし、より気になるものをアルザークは目にしていた。


 大樹だ。


 透き通るほどに綺麗な水で満ちた湖の中央に、その神聖さを顕すかのように、巨大な樹がそびえていたのだ。高く、大きく、なにより広くその枝葉を広げる大樹は、自らの緑でこの一帯の天を覆っていた。そこはまるで、天然のドームのようであったのだ。

 感嘆するアルザークとルイン。

 二人を導いて「あそこ」妹は指さし。

 ふたりが言うには、目の前の大樹。そこに、なにかあるらしい。


『アルくん、わかる?』

「ああ、こうハッキリと感覚で捉えられるなら、そこらの術者でも感じられるだろうさ。凄い魔力だ。それも、圧迫的なものじゃなく、包むような、淡い。なんだろう、波の上に身体を浮かせるような、そんな感じ」


 と一区切り、ゆっくりと、歩を進めてみる。

 おっかなびっくりな様子で、彼は、湖へと足を踏み入れた。


 すると、

 水面に触れた足は、しかし沈むことなく、確かに起立す。抵抗は地面ほどではないが、どうやら、やっぱり、しっかりと踏みしめ、歩く事ができるらしい。

 なるほどな、とアルザーク。

 あとは何も言わず、大樹を目指し歩いた。

 後ろではルインも、目の前の不思議にどこかドギマギしながらも、いざ、踏み出してみれば不思議に対する感動に「わうぅ」と目を輝かせながら、軽いステップを踏んで、水たまりで遊ぶ少女のような無邪気さで、駆けるようについてきた。


 ほどなくして、着いた。

 大樹。その根元だ。


 そこにアルザークは信じられない者を見つけた。いや、これまでの道程で薄々は気付いていたけれど。できれば、居て欲しくない、そう思っていたのだ。

 現実はかくも、非情である。


 見とめた先に居る者。それは、

 傷ついた精霊であったのだ。




 幻想的な自然のドームの中。

 中央にそびえる、大樹の膝元。

 透き通る水面の上に、いくつか切り株の椅子があって、奥には葉っぱで造ったベッド。そこに横たわるようにして、青、水の精霊は居た。いま足元にしている湖のように柔らかく、しかし深い蒼をした彼女の姿が、その存在を如実に表してくれている。


 見て、もはやアルザークは驚かなかった。

 ただ横になっている精霊の姿を見ては、その様子から、


「怪我、か?」


 妖精姉妹に聞けば、


「うん」


 とだけ。

 しかたなく息を吐いて、


「どうやら、いろいろ面倒な事情がありそうだ」


 愚痴をこぼしていると、

 気配を察したらしい。静かに閉じられていた瞼が、そっと、開く。身体に鈍痛が走るのだろう、重たげに上半身を上げて彼女、水の精霊は、しばらく頭の覚醒を待って、やがて、こちらに気付いてはハッとした。

 そんな様子で、言った。

 信じられない者を見るように、


「セル、シウス様……?」


 その時、誰もが驚きをもって、アルザークに注目した。




 シレーヌは音を聞いた。誰かが、湖の上を歩く音だ。

 彼女は水の精霊だ。

 彼女にとって、この辺りの水に関することは、手足も同然。そこに誰かが触れれば感じ取れるし、危険が迫ればすぐに知覚できた。もちろん、水面に響く音だって。だから、どうやらノームと妖精たちが帰ってきたのだと、すぐわかった。けれど、


(足音が、違いますね)


 一つはヒトのもの。

 もう一方は、獣の類だ。

 珍しい事だと、素直に思った。

 こんな所へ、いったい誰を案内してきたのかと思う間に、気配はすぐそばまでやって来る。水を頼るまでもなく、その視線を感じ、とかく、相手が誰であれ、この体勢では失礼だ。それに、精霊としての立場もある。彼女はゆっくりと、全身に力を込めた。

 そして、身体を起こし、見た。


 まず視界に飛び込んできたのは、信じられない姿だった。

 ――え、


「セル、シウス様……?」


 それは、氷色のローブを身にまとう、蒼い少女のようであった。しかし、そのいでたちを見ればわかったのだろう、いま、自分は一体何を言ってしまったのか。確かな恥ずかしさを覚えながらも、申し訳なく頭をさげて、


「すみません、ヒト、違いですわね」


 何故間違ってしまったのだろう。

 そんな疑問を隅に置いたまま、


「あの、どなた様でしょう?」


 少女に、名前を聞いた。

 聞けば、彼は、腕を組んだまま名乗った。


「アルザーク・A・レヴァンティス」


 目の前、視線を合わせるように膝を折り、


「あんたの言う、セルシウスで、間違いないよ」って。




『アルくん……』

「勘違いすーるーなー。ったく。ただ、いまのオレとお前は、そう、立場として変わりがないのも事実だろ。同じではないけどな、こういう言い方、あまりしたくないけど、一心同体、みたいなものだから。ホントは、お前みたいなのと一緒にされるのは甚だ、無茶苦茶、とてもとってもすっごく嫌なことではあるけれど、も、今回は特別だ。話をややこしくしないためにも、この場面だけは、譲ってやる」

『……。ふふ、可愛いわね。大好きよ』




 目の前の彼。その発言に、一瞬、意味が理解できなかったシレーヌだけれど。

 ほどなくして、ああ、そうなのか、と。いまは、そういう風になってしまっているのか、なんて。納得というか、それはやっぱり、凄いヒトだったのだなぁ、なんて。漠然とした感情に、彼女はちいさな笑みを作った。

 そして、安心した。


「そうですか、そう、なのですね」


 ああ、よかった――と。

 微笑み、何度も思った。




「……。セルシウス」

『あら、なに?』

「お前、こいつと、顔見知りだったのか?」

『いいえ、水のところの子でしょう? もしかしたら、昔、遊んであげたこともあるかもしれない。けど、覚えてないわ。その程度の、そのくらいの関係よ。うふふ、女の過去を知りたがるなんて、罪な子ね、アルくんも。今回は、特別よ?』

「可愛くないなぁ、お前は」




 水の精霊。彼女の笑みを得て、

 アルザークは静かに立ち上がった。

 後ろではルインとノーム、妖精姉妹がわけもわからず、ポカン、としたままだ。このまま待たせるのも悪いし、時間ももったいないので、


「取り敢えず、そっちの名前も教えてもらえるか?」


 聞けば、精霊は静かに顔を上げた。

 ええ、そうですね。と、居ずまいをただし、


「私の名は、シレーヌ。見ての通り、水の精霊ですわ」


 それに続くように、後ろからルインも「ルインです」挨拶に、お互いちいさな会釈を交わす。それから、


「おかえりなさい、ノーム。それから、ティーチ、ハイジ」


 ルインの腕の中で、シュタッ、と機敏に手を挙げるノーム。

 しかしながら、


「お前ら、そんな名前で呼ばれてたのか」


 ティーチとハイジ。姉妹の名だろう。

 ほとほと、特異な妖精だと思う。


「ちなみにわたしの方がティーチ。で、こっちが」「ハイジー」


 だろうな、とアルザーク。


「名付け親は、お前か?」

「いいえ。ノームですわ」

「こいつが?」一瞥し「でもこいつ『フガガ』とか『フガフガ』ばっかりで、喋ったところなんて全然聞かないぞ?」道中でもそうだった。

「ふふ、まだ子供ですもの」


 そういう問題だろうか。


「それはそれとして、頼みがある。その、話を聞かせて欲しいんだ」


 ノームではお話にならなかった、というのは忘れて。

 さて、腕を袖の中で組み、あらたまった様子に。

 シレーヌも軽く背を伸ばした。


「はい、なんなりと」

「この森について。できれば、知っていることを全部、教えてくれ」




 聞けばなるほど。やはり、それですのね。と、

 この、紅い森。

 彼の様子を見れば察しはついていたが、やはり、ノームの事ではなく、まして、自分の助けでもなく、自然界における異変を察知してやって来たのだ。ならば、ならば――、


「ええ、教えましょう」


 まずはやはり、

 話は、八年前の事へと、さかのぼる。


「八年前、霊界で起きた事は――なるほど、知っていますのね。でしたら、話は早いですわ。そう、八年前。アルザーク――アル様、で、よろしいでしょうか? はい、ではそのように。アル様、貴方が私共のもとへ来る前の話ですわ。

 あら、意外そうですね。でも、知っていて当然です。当時、子供たちのやんちゃ話と同じくらいに、貴方と、貴方のお姉さんのことは、霊界全体での話題でしたもの。意思疎通が人々より優れる分、その手の情報は、すぐに広まりますわ」


 話がそれましたわね、と。


「そして、私がこちら側へやって来たのは、ちょうど、貴方とは入れ替わる形になります。そう、セシアとカシス。彼女達ふたりが戻って来たのは喜ばしいことですが、まだ、三人の子供たちが居なくなったままでした。それに、この子達はただの精霊ではなく、やがて各属性の長となるだろう資質をもって生まれた、大精霊、その卵ですもの。その捜索となれば、もちろん、私共、水の者だって、力を貸すことを惜しみませんわ。

 けれど、失敗しました。

 見てください」


 話しながら、彼女が見せたのはその足だ。

 それまで、この水面下に、まるで溶け込ませるようにして隠されていた、彼女の足。

 露わにされたそれは、はたして、とても尋常なままではなかったのだ。

 焼けた林檎か、枯れ枝がくっついている。

 端的に、そうとしか言えなかった。

 驚くアルザークの表情を見て、笑って、シレーヌは続けた。


「酷いものでしょう。いえ、お恥ずかしい姿ですわ。当時、この森に精霊の子供が居ると知った私は、勇み足だったのでしょう、単身、この森を訪れました。一人で。それが間違いだったのでしょうね、おかげで、この有様です。ええ、当時を振り返るなら、その光景はつまり、地獄――悪夢そのものでしたわ」


 一度身を震わせ、


「アル様、貴方方も、知っているでしょう? そう、戦争ですわ。冬にかけ、この辺りは戦争に見舞われていましたの。巻き込まれ、おかげで、私は身動きが取れなくなりましたわ。足を失い、動けず終い。仲間を呼ぶ事もできず、帰る手段もなく、このまま、死を迎えるのかと覚悟した時です。丁度、雪に河川が凍る頃。草木の朽ちりに紛れる私を、見つけてくれたのが、彼女達でしたわ。

 枯れかけていた私の意識に届いたのは、妖精の、ティーチとハイジの声です。もちろん、当時はどうして? とも思いもしましたが、その姿を見て、そして、現れたノームを見て、驚きと共に、深く、納得しましたわ。なにより――」良かった。

 そう思ったことを、シレーヌは鮮明に覚えている。

 間違いなくあの時、シレーヌは安堵した。


 しかし、

 ふと、ルインが疑問に思って訊ねた。


「あれ、でもシレーヌさん。だとすると、当時ですよ。戦争って、そんなに長く続いていた、という事ですか?」


 アルザークから聞いたことと照らし合わせれば、つまり、半年もの間この地は、戦火に見舞われていたことになる。しかし、当時の戦争と言えば、人族の一方的な追撃戦だったと聞いたのだけれど。あれ? と、不思議に首を傾げるルインに、


 対し、あら、とシレーヌ。

 驚きとも感心とも取れる表情で、


「お利口さんですのね。流石、この人が側に置くだけはありますわ」


 アルザークと視線を交わし微笑むのを、

 照れくさそうにルイン。

 浅く帽子に顔を隠すそれへ、ええ、と頷き、


「アル様。アル様は、当時の事を、どう聞いています?」

「伝聞だから、確実性はない。けど、そうだな、一方的な追撃戦ってことで、人族側は、数日で戦闘が終了したと、そう言っているはずだ」


 聞けば、シレーヌ。

 ポンとひとつ手を叩き、どこか、嬉しそうな声で、


「それ、間違いです」


 言った。


「まぁ、仕方ありませんわ。人族にも、プライドがありますものね。でも、そうですね。もし、不思議に思われるのでしたら、神界、そちらに行くことをオススメしますわ。そうすれば、きっと――真実が見えるはずですもの」


 一理ある。

 結局のところ、当事者では、誰も正しい事なんて言えない。

 都合のいいことだと、アルザークは嘆息した。


「まぁ、だとして、怪我の理由は解った」でも「森が紅くなった理由か。話から察するに、当時はまだ、普通の森だったようだけど?」

「その通りです。アル様、この場所、お分かりですか? この湖を囲う森、これはつまり、結界なのです。当時怪我をした私ですが、それをここまで運んでくれたのが、他でもないノーム達です。そして、この辺りは魔力の流れから外れるようにして在ります」

「森から、影響されない、ってことか?」

「そう。ですからここだけは、紅く変わらず、緑のままなのです」


 そして、

 ここが重要だと。

 シレーヌは自身に言って聞かせるように頷きひとつ、

 あらためて、告げる。


「この、森が紅くなったこと、ですよね」


 つまり、


「原因は、私にあるのです」




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