(3)
「アイリス、エーデルワイスを、片方でいい。すこし、貸しておいてくれないか」
「ん。ああ、いや。それは、構わないんだけど」
腰から鞘を引き抜き、それを、彼に手渡しながら、
「アル。決着って、お前……」
「心配するな。愛する妖精の元に、お前も送ってやろう、だなんて。悪役みたいな台詞を吐いてくるわけじゃ、ない」
受け取った剣を、後ろ腰に結び。
わりと馴染むものだと、その感触を手に確かめながら、
「ただ、あいつは今、三年分の影響を受けている。いいか、精霊も魔力で出来ている身だ。だから、その構成要素である魔力が三年進むっていうことは、結局のところ、それを元にする精霊自身も、三年分成長させられるようなものだ。難しく考える必要はない。単純に、あいつは今、大切なヒトを失って三年。それを、一度に味わっていると思ってくれ」
愛すべきを失った三年間。
虚無感にあふれた三年間。
いまだ、それを信じることができない、三年間。
なるほど、
「それは、地獄だなあ」
アーデルハイドは考える。自分が、三年もアルザークと出逢えない、としたら。
いや、出逢えないだけならまだしも、目の前でそれを失っているのだ。
それからの三年を、まとめて味わうなど、
「想像したく、ない」
弱気に、不意に、彼にしがみつきたくなりそうだ。
ノームはきっと、想像ではなく現実として受ける彼は、もっと、気が狂っているだろう。
「だから、決着をつける」
「アル様、どうするおつもりなのです?」
「ん。いや、大したことはしないよ」ただ「オレが、あいつの気持ちを全部、受け止めてくるっていう、だけだ」
それは友人の失恋話、そういう愚痴を聞いて、慰めて。また、次の恋を探せばいいとするような、軽いものだと、彼は言う。
「オレがやるのは、その程度のことだ」だから「皆は、待っててくれ」
「なんだ、私も力になるぞ」
「馬鹿、お前、そろそろ限界通り越してるだろ」それに「お前には今回、十分すぎるくらい頑張ってもらった。かっこいいとこ、見せつけられたよ。ルインだって、あいつは命を賭してまで、そういう危ない橋を渡らせてしまって、それでも頑張ってくれたんだ。シレーヌ。お前だって八年、ずっとひとりで、よくがんばった。みんな、それぞれのやるべきを、やったんだ」
なら、
「あいつとは、オレが話を、つけてくる」
それが、
ケジメでもある。
「女には見せられない涙ってのがあるんだよ、男の子には」
「お前が行っても、お姉さんが男の子を慰めてるようでしか、ないけどなぁ」
でも、
「ま、お前がそういうのなら、任せるよ」
頷き合い、いよいよ。
崖となる滝の傍から、彼はその身を躍らせた。
ノームを追って、森の中へ。
飛び立つ背中にひとつ、
「アルっ!」その姿が、見えなくなる前に「愛してるぞぉおお」
木霊する声に、ただ、
片手を挙げて、
彼は森の中へと入っていく。
地鳴りが向かうのは、ひとつ、とある地点であった。
妖精を失い、その悲しみを背負い。ただ、その現実を事実として受け入れられない地竜は、もう一度、その場所を目指すのだ。それは、八年前。かつて、ふたりの妖精と出逢ったその場所である。
はっきりとではなくも、だいたいの位置を、覚えている。
この森に来て、うつろうつろに歩いて辿り着いたのは、おおよそこの辺り。
――……、ミ、んな――……。
地に身体を溶け込ませ、地竜は進む。
間も無く、その場所へと辿りついた。
彼は再び、その身体を大地に立たせる。
それは不意の地震であった。
先程から大きな、まるで狼の遠吠えのように、遠く、こちらまではっきりと聞こえてくる悲しい音。それが、ノームの叫びなのだとわかって、叫びの理由がわかるからこそ、
「なんだか、苦しいですね」
ルインは、静かに空を見上げる。
隣に立つ老人。名前はヨハンというらしい彼が、
「先程の地震といい、なんだ。一体、なにが起きている?」
質問されるが、はて、どう答えていいものか。そもそもルインだって、アルザークの頼みごとにより魔力を流したけど、その後の展開を詳しく聞かされていない。となれば、むしろその質問はこちらこそ、で。
うーん、と首を傾げ、
ともあれこちらもどうしましょうか。
アルザーク達の匂いは追えるのだから、あちらと合流すべきだろうか。
迷っていたところだ、
不意に、それは足元に来た。
地震だ。しかし今度は、だんだんと揺れが大きくなり、
「わわ、わうっ、なななななんです、ここれ」
「振動が大きい、近づいているのか?」
それはつまり、
答えを考えるより先に、それが出た。
目の前。
森の中央にいた彼女達を、危うく食い千切る程の勢いを持って、正面。
大きすぎる鰐のような口が、土を飲み込みながら出現する。
驚愕に絶句する彼女らの前に、巨大な地竜が姿を現したのだ。
ルインはもう、それこそ、天が落ちてきたかのような大騒ぎである。
「な。ななな、なっ! りゅ、竜ッ? ドラゴン、ドラゴンですよ、これッ! それも地竜、地上における最強種の一角じゃないですかっ! なんでこんなところに、また、え、というかなんなんですかこのでたらめな大きさっ。わたしだって結構大きいのに」ちいさくないよ「なかなかダイナマイトボディだって自負してますけど、ちょ、まるでわたしが小型犬みたいな比率になってるんですけどっ?」
「むぅ、これはまずいな。私ひとりでも、どうにもならんぞ」
戦慄する二人をよそに、
辺りの木々をなぎ倒しながら、地面から、むしろ、地面そのものが形作るように現れた、地竜。それを見てセルシウスが、
『……、この子』そう『……ノーム、なのね』
声を聞いて、ルイン。
「ノーム。ノームって、えっ? これ、ノームさんなんですかっ?」
もう一度その姿を眺め、ほへぇ、とした吐息を。
「お、大きく、なられたんですねぇ」
って、冗談言ってる場合ではない気がする。
それは怒るように、けれど悲しい音を含ませたまま、森全体を震撼させる程の咆哮を、放つ。衝撃をも発生させる爆音に、咄嗟にルインはその身を盾にヨハンを庇いながら、身体を打つ衝撃に顔を顰めた。
「ぐっ、ただの咆哮なのに、吹き飛ばされそ……」
「すまない、魔狼よ」
「いえ、助けてもらったのは、こっちも同じですから」
しかし、
「これが、ノームさん……」
あらためても、その原型は何処にも見当たらない。
あの、自分の腕の中で抱きしめていた、ぬいぐるみのような彼の面影はどこにもない。
ただ感じるのは、その啼き声が、確かに、悲しみを含んで聞こえるだけで、
きっとそれは、自分達が魔力を流した事に、繋がりがあるのだろうとわかって。
だとすれば、
(ティーチさんや、ハイジさんは、もう)
考えるまでもない事だ。
それをわかって、ルイン達は事を成したのだ。
それがために、事態をやってのけたのだから。
けれど、
それは何も、こんな悲しさを見たいからではない。
ノームを、彼を絶望させたくて、そうしたのではない。
そんなつもりでは、ないはずだ。
自分が信じる、
彼女が信じる、
彼は。
こんな結末を、望むような人では、ない。
だから、
(アルさん……)
目を瞑り。それは祈りのように。
目の前の悲嘆を見ていられず、ただ、祈るように。
彼の名を、
「アル、さん……」
「なんだ、呼んだか、ルイン」
ハッとする。
すればわかる。匂いがある。
巨大な地竜。その姿となったノームの横。
こちらから見て左手、なぎ倒されなかった木々の、その上だ。
そこに姿を見つけた。
蒼い、美少女の姿だ。
不適に笑みを浮かべ、
駆けつけてきた様子で息を整える彼の姿を見て、
「アルさんっ」
ルインは叫ぶ。
確信と歓喜の声に応え、
罪人、アルザーク・A・レヴァンティス。
彼は静かに「待たせたな」微笑んだ。




