(1)
事を終えて、
白の狼は一息をついた。
だいぶ遅れてしまった。アルザークにはあとで叱られるだろうか。ま、それは覚悟しておこう。セルシウスが言うには、随分と心配をかけていたようだし。彼女もまた、一緒に謝って、怒られてくれるというから。むしろ、ご褒美だと前向きに考えよう。
として、
「やれやれ、とんだ災難に巻き込まれたものだ」
隣だ。
それは老人であった。老人といってもまだ若く、むしろ、そこらの若者よりも鍛え上げられた身体は、決してその老いを感じさせず。手には魔道書か。その身にはなるほど、術者らしい黒の法衣を着ている。こんなところに一般の老人が立ち入ることはないだろうから、おそらく、軍人さんなのだろうとわかる。
本来なら、警戒して然るべきだが、
「あ、あの」
「ん? なにかね」
「助けてもらって、ありがとうございました!」
彼岸に呑まれたと思って、怖くて、助けてと叫ぶこともできずじたばたともがいて。ああ、わたしこのまま消されちゃうんだな。なんだろう、丸呑みジャンルのヒロインってこういう気分なのかな。でも、痛みはないんだ、それは良かったけど。でも、どうしよう、このまま二度とアルさんと会えなくなると思うと、なんだろう、それに直面すると案外ヒトって、冷静になれるんですね。感覚が麻痺するというか、妙に、達観しちゃうというか。叶うなら、せめて最期に、
「アルさんの処女だけでも、奪っておけば良かったですかねぇ」
「……。ふむ、少し、頭をやられてしまったか」
声に現実に引き戻されて、
間一髪。自分が助けられたのだと、理解した。
その時の事は思い出したくないので、割愛。
結局、そのまま老人に助けられ、
彼の魔術だろう。妖精から身を隠す為の結界に匿われ、どうにか、行動するチャンスを伺っていたのだけれど。不意に、彼岸が崩れ、妖精達の姿が消えたのだ。一瞬何かの罠かとも思ったが、隣の彼に「何かあれば、こちらで援護する」と言われ、それに助けられ、ようやく、だいぶ遅刻してしまったが、どうにか、魔力を流す事に成功したのだ。
礼は言っても言い足りないだろう。
ルインはただ、お座りの姿勢で頭を下げる。
すると老人は「ふむ」と一つ間を持ってから、
おもむろに、頭を撫でられた。どうしたことかと「?」首を傾げれば、
「いや、君は魔狼だろう。まだ若いな、大きくはあるが、子供か。ふむ、いや、すまん。こんなところで魔狼など、いや、魔界に行っても見ることはあるまい。すこし、珍しいと思ってな」
「はぁ、まあ、確かに。そう、ですね」
助けてもらったのだ、このくらいはなんということもない。
頭を撫でられるのは、元来嫌いじゃない。
犬じゃないです。
「でも、本当にありがとうございます」
「そう気にするな。こちらも、丁度、事情から暇を持て余していてな。さて、森に入ってみれば、いやはや、数奇な出逢いもあったものだ。何分、これでいくらかは、奴に借りを返す事も適っただろう。いや、それにしては、釣りが大きすぎる、か」
「??」
「こちらの話だ、気にする必用はない」
しかし、
改め、緑に戻った森を見て、
「八年前、我が軍が結局成せなかった事を、通りすがっただけの小娘にやってのけられるとはな」やれやれ「当分、借りは返せそうにはありませんなぁ、姫様」
衝撃が終わり、ゆっくり、シレーヌは面をあげた。
魔力の流れが生み出した、爆発のような空気の流れはもうない。
それと同じに、見れば、森だ。一面を、燃えるような紅で覆われていたそれは、八年、その姿を変えずに在ったその森は、遂に、かつての緑を取り戻していた。枯れることもなく、ただ、自然なままに。もとの広大な森へと、還ったのだ。
後ろ、調子の悪そうに立ち上がりながらも、アルザークが言う、
「三年分だ」ふらつく頭を、軽く叩いて「三年分、言ってしまえばこの森に流れる時間を、加速させたんだ」
それはルインの、魔法の効果。
「魔力を急激に流せば、結局それは霊穴と同じになるだろう。下手をすれば、この土地そのものを殺しかねない。かといって、のんびり水が抜けるのを待ってちゃ、妖精が邪魔をしてくる。だから、ルインの魔法だ。あいつの魔法は現象の促進。それは加速とは違って、自然な形を促す物だ。だから、流れる事象を促す事で、自然に、より素早く、魔力を流すことができた」
もちろん、弊害もあって、
「土地全体が三年間進んだからなぁ、弱い草木は枯れちゃっただろうし、雑草みたいなのは好き勝手成長して、道も、三年分ほったらかしになったようなものだし、ちょっと荒れたかも。それと」
「わかります。私が、あのドームから連れ出された、理由、ですよね」つまり「魔力は数秒で三年の時を動きました。しかしその際に生じた衝撃は、いま、私達が体感した通り。そして、あの場所はまさに魔力の合流地点。私がそうなるよう仕込んでいたのですが、一度、この森に集まる魔力はあの場所を経由します」彼女の足を治療するという名目で、集まっていた魔力だ「もし、あの場にいつまでも私が居れば、言わば、霊穴を超える激流に身を投じるようなものです。妖精が霊穴を通れば、その存在を維持、再現できなくなるだろうとした通り、もし、その流れに巻き込まれでもしたら、私も、無事ではすまなかった、という事でしょう」
ただの魔力でも、扱いを間違えれば身を削るだけの凶器になる。
それは、彼女が一番、その身を持って理解している。
そして、
「うまく、行ったのですね」
森の魔力は、加速した。
流れる仕組みを持って、滞留を越え、留まることはなくなった。
堰は切って、落とされたのだ。
今後、もう二度と、この森に魔力が留まることは、ないだろう。
この森が二度と、紅く染まることは、ないのだ。
「しかし、これは明日にでも、国は大騒ぎだろうな。なにせ、ここは保護区だったのだから、父上など、卒倒してしまうのではないか? だが、それは政治の話だ。そうした舵取りは、私達王族の問題だからな、事後の処理は任せろ。うまく、取り繕っておくよ。王にも、娘として私から、口添えをしておこう」
「ああ、助かるよ」
「なに、お前の為だ。身も粉にしよう」
と、その代わり、という訳ではないけれど、
すこし照れ顔に、指先を合わせるなどしながら、
「あ、あのな、アル。その、今回私、結構がんばったところもあるし。なにげ、大活躍だったと、自慢ではないが、自負もしているんだけど、あの、そのぉ、ね? 良かったら、今度。なんとか、兵士共は私の方で誤魔化しておくから、いつか、戦場でもいいから、私と、その。一度でいいから、お茶でも「ああ、いいよ」え……、ああ。そうか、やっぱり、そうだよな。ハハ、無理言ったな、わがままだった。いきなり言っても、できるわけな「いや、だから、いいよ。って」
落ち込もうとする馬鹿に、繰り返し言ってやれば、
遅れ「……え?」って、
「え、えっ、いや、アルッ?」
「なんだよ、不思議そうな顔するなよな。オレだって実際、今回の事はだいぶ助けてもらったと思ってるんだ。まあ、だから、その」頬が赤くなるのを感じ「一回くらい、余裕があれば、また、あの爺さんに怒られるかもしれないけど、槍で刺されそうかもしれないけどさ、いいよ。デート。してやるって」
最後の方、だんだんと目を輝かす姫が、眩しくて、
なんというか、確かに。
くっそ、可愛いな、こいつ。
って、思って。
視線を合わせられず、つい、逸らしてしまった。
心底、今この場にセルシウス達が居なくてよかったと、そう思う。居たら、なにを言われるかわかったものではない。まあ、
(あとで、あいつにはからかわれそうだけど)
繰り返すが、セルシウスには状況を、感じられる。
逐一筒抜けという訳でもないけど、まあ、バレてると思った方が、いっそ楽なのだ。
さて、
「ま、そうこうするのはいいとして」
ともあれ。
「ただし、最後にもうひとつ、やることをやってからだ」
やるべきこと。
森の魔力は流された。
それによってこの場所はかつての姿を取り戻し、けれど、結果、妖精は消えてしまった。そう、魔力がなくなり、妖精達はその姿を現す事ができなくなったのだ。おそらくは、二度と、元のように現れる事は、できないだろう。
が、
異様。
それを、あらためてアーデルハイドは感じ取る。
それはシレーヌも、もちろん、アルザークも同じだ。
三者が振り向く。
視線を合わせる。そこに、
ただひとり、
取り残された、ノームの姿があった。




